軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

軽井沢のスミレ(5)アオイスミレ

2022-05-06 00:00:00 | スミレ
 今回はアオイスミレ。早春、ヒナスミレよりわずかに先に咲き始める種である。昨年春、雲場池で3月下旬に咲き始めたとのSNS情報を妻が得て、毎日の散歩コースの足元を注意深く見ていて、ようやく見つけることができた。目立たない、誠に地味な種である。
 
 その後、しばらくするとたくさんの花をつけた株も見つかったが、紹介するタイミングを失した感もあり、次の年にしようと思い1年間待っていた。

 今年、咲き始めたら真っ先に撮影して、このブログで紹介したいものと思っていたのであるが、なぜか昨年咲いていた場所周辺を注意して見ていたのに今年の春はアオイスミレを見つけることができなかった。

 そうこうしているうちに、少し後から咲くはずのヒナスミレが咲き始めた。そして、何故か今年はこのヒナスミレがとても多いのである。さらに、タチツボスミレも咲きだして、4月中~下旬には、雲場池の周囲にはこの2種が満開の状態になっている。

 アオイスミレはというと、タチツボスミレに混じって咲いていたが、既にしおれかかっている1株が見つかったという状態であり、次のようである。一体どうした事だろうかと思う。


やっとみつけたが花がしおれ始めている雲場池のアオイスミレ(2022.4.25 撮影)

花が咲かなかった今年の雲場池のアオイスミレ(2022.4.27 撮影)

 以下に紹介するのは昨年撮影したもの。

雲場池のアオイスミレ(2021.4.2 撮影)


雲場池のアオイスミレ(2021.4.2 撮影)

雲場池のアオイスミレ(2021.4.2 撮影 )

 このアオイスミレ、雲場池の他にも南軽井沢の別荘地内で見かけることがあるし、我が家の庭にも自然に生えてきたものがあるが、とにかく地味で目立たない。図鑑の説明を見ると、栽培されるニオイスミレの仲間で、日本にはアオイスミレとエゾアオイスミレの2種が自生するということで、アオイスミレの方は、ほぼ日本特産とされる。

 外来種であり、園芸種であるニオイスミレの方は、大きな花を付け、紫色と白色の2種があって、4月下旬には庭で咲き始めているが、実に対照的である。

自宅庭のアオイスミレ(2021.4.9 撮影)

南軽井沢の別荘地内のアオイスミレ(2021.4.6 撮影)

南軽井沢の別荘地内のアオイスミレ(2021.4.6 撮影)

南軽井沢の別荘地内のアオイスミレ(2021.4.10 撮影)

 花期のアオイスミレの葉は両側が巻いているものがあり、先端はあまり尖ることがなく、葉全体が丸く見え、植物体全体がビロード状の毛でおおわれている特徴がある。

 和名のアオイスミレという名の由来は、葉の形がフタバアオイに似ているからとされるが、これは花が終わってからのことで、果期のアオイスミレの葉は見違えるように大きくなり、この時期の葉を見るとなるほどという感じがする。


やや大きくなったアオイスミレの葉(2022.5.6 撮影)

 フタバアオイというのは、ウマノスズクサ科の植物で、きれいなハート形の葉が特徴であり、徳川家のいわゆる「葵の御紋」のモデルになったことでも知られるものである。軽井沢の山地にも自生しているのを見ることができる。

南軽井沢のフタバアオイ(2022.5.6 撮影)


名前通りのフタバアオイの双葉と花(2022.5.6 撮影)

 ところで、このアオイスミレ、各所で見られるというものの、それほど多いわけではない。
 
 スミレ類の種子には、はじけ飛ぶものが多いが、アオイスミレの果実は球形で毛が多く、株の根元につ付いてはじけることは無くぽろぽろと落ちるとされる。そうした性質がアオイスミレの増殖を抑えているのだろうと思う。先に紹介したように、同じ頃に咲き始めるヒナスミレの方は種子を元気にはじき飛ばすので、浅間石を積んだ擁壁の隙間など様々な場所で生育しているのである。

 今回は雲場池周辺の観察なので、他場所のことは分からないが、昨年に比べ今年アオイスミレが少なく、ヒナスミレが多かった理由はなぜか。暖冬の時には、咲かないこともあるとされるアオイスミレであるが、それが原因だろうか。来年また様子を見てみたいと思っている。

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軽井沢のスミレ(4)タチツボスミレ

2021-03-26 00:00:00 | スミレ
 軽井沢に限らず、恐らく日本全国で一番多く、普通に見られるスミレはこのタチツボスミレであろう。子供の頃住んでいた大阪市内にもあったはずだが、あまりはっきりとした記憶は無く、このスミレを意識して見始めたのは、就職して最初に赴任した横浜市でのことであった。

 昼休みに職場の友人と、郊外の高台にあった勤務先の周辺を散歩していたが、その時によく見かけ、次第に正式な名前を憶えていった。この散歩コースには、まだ雑木林も残っていて、スミレ類のほかにシュンランやエビネなども多く見られたし、珍しいところではキンランやギンランも見られた。

 1965年頃に建てられたこの施設も、事業環境の変化があり、京浜工業地帯に移転することになって、先日オープンキャンパスということで内部の見学会と、移転後の案内があった。周辺環境も変化し、宅地化も進んだことから、今ではもう当時見られた山野草などを見ることはできないと思う。

 その後、転勤で住んだ西は広島県から北は新潟県まで、タチツボスミレはどこでも普通に見られた。北海道や沖縄ではどうかと聞かれると、旅先での記録もないので判らないが、参考書を見ると次のようである。

 「原色日本のスミレ」(浜 栄助著 1975年誠文堂新光社発行)に記されている日本産スミレ属の12の分布系列でみると、タチツボスミレが属している「普遍型」は、「北は北海道から本州全域を含め、四国、九州、さらに南西諸島まで、日本各地に広く分布する適応性の大きい、最も普通に見られる仲間で、タチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、アオイスミレ、ニョイスミレ、スミレ、アリアケスミレを挙げることができる。」としている。分布を示す地図を見ても、この「普遍型」だけは2,000m以上の高山地を除いて、全国がまっ黒に塗りつぶされている。

 この分布系列の普遍型にはタチツボスミレと共にスミレの名が挙げられている。この「スミレ」もまた日本全国で我々になじみの深い種で、名前の通り日本のスミレの代表である。

 単にスミレと言った時にこの種のことを指すのか、スミレ全体のことを指すのかが分かりにくいことがあるので、学名である「マンジュリカ」と呼び区別することも多いのがこの「スミレ」である。

 タチツボスミレは「原色日本のスミレ」に次のように紹介されている。
 「【花期】 3月上旬~5月下旬
   【分布】 北海道礼文島以南、沖縄まで、至る所にみられ、分布上からも個体数からも、日本の代表種とも言うべきスミレで、日本以外では日本海および朝鮮海峡のウルルン島やチェチェ島などに知られている。海岸線から標高2,000m(中部)位の高所まで、陽地、陰地、乾燥地、湿地を問わず広く適応し、非常に個体数が多いので、形態や葉および花などの色彩に変異が多い。
 北海道ではオオタチツボスミレと形態が混然としているため、両者の分布が明確にされていない。また、中部以北や北海道には有毛のものが多く、西日本の海岸には光沢のある海岸型がある。沖縄では分布が非常に少なくなり、生育が市街地周辺であるところから多分に本土からの帰化的な感じを受ける。」

 さて、雲場池に朝の散歩に出かけるようになり、途中民家の庭先や浅間石の擁壁の間にこのタチツボスミレを見かけるようになったのは昨年の4月下旬頃からだったと思う。

 雲場池の縁に埋め込まれた木の柵の隙間から顔を出して花をつけている株を見つけたのをきっかけに、周囲をめぐる散策路の足元にも咲きだしてきた花付きの多い大き目の株を選んで撮影した。

 以前に南軽井沢の別荘地で撮影してあったものもまじえて以下紹介する。


雲場池の杭の間から顔を出して咲くタチツボスミレ (2020.4.26 撮影)

雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.2 撮影)


雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.3 撮影)


雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.12 撮影)

雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.12 撮影)

 このタチツボスミレの軽井沢周辺での花期は4月中旬から5月下旬頃で、南軽井沢の別荘地でもよく見かけたので、これまでにも随時撮影していた。次のようである。

南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.4.20 撮影)


南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.5.4 撮影)


南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.5.22 撮影)

 時々出かけている群馬側に下りていくと、3月下旬にはもうタンポポと一緒に咲いているのを見かける。

 次は、上信越道の甘楽SAの周囲の草地で見かけたものや、吉井町の友人の畑周辺でこれまでに撮影したものである。
 
上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレ(2019.3.22 撮影)

上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレの小群落(2017.4.15 撮影)

上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレ(2017.4.15 撮影)


群馬県吉井町で見かけたタチツボスミレの立派な株(2017.4.15 撮影)

 「山路来て なにやらゆかし すみれ草」 は有名な松尾芭蕉の句であるが、ここで「すみれ」はどの種を指すかという話題がある。

 今となってはもう判りようもないと思うのであるが、先に挙げた分布域の広さから考えると今回取り上げているタチツボスミレかスミレ(マンジュリカ)のいずれかとされることが多いようである。

 実地検分まで行って、その結果タチツボスミレであろうとする説がある。この句が詠まれた場所は、京都から大津に至る山路とされている。研究者はこの付近を調査して、周辺のスミレの生育状況から結論を出したようだ。

 一方、面白いことにこの俳句の句碑は福島県の旧十三仏峠にあるという。平成元年(1989年)11月3日、白沢村観光協会がこれを建立した。この白沢村は平成19年(2007年)1月1日、本宮町と合併したので今は本宮市となっている。碑誌には次のように記されている。

【碑誌】
 「松尾芭蕉は元禄2年(1689年)3月27日江戸を出立「奥の細道」行脚の旅に出て、4月20日みちのくに入り、5月1日この地を通過した。

 碑刻の句は芭蕉の初めての文学の旅『野ざらし紀行』にあるもので、今年「奥の細道」紀行300年を記念し、あわせて旅を人生と芸術の道とした旅の詩人芭蕉を永く顕彰してここに句碑を建立する。」


松尾芭蕉が辿ったとされる「おくのほそ道」と「野ざらし紀行」のルートと、スミレの句が詠まれた場所、句碑の設置されている場所を示す。

 芭蕉が実際にスミレを見て詠んだ場所が判っているのに、遠く離れた地にこの句碑が建てられら理由は定かではないが、それだけこの句が有名だったということであろうか。それとも、この十三仏峠にはたくさんのスミレが咲いているからだろうか。

 タチツボスミレと葉の形はよく似ているのだが、花の形が驚くほど違っているナガハシスミレという種を上越市に赴任している時に見ている。タチツボスミレに混じって同じ場所に生育していた。後日再訪して撮影しているので紹介する。5つの花弁のうち下の花弁(唇弁)の後ろに突き出している部分「距」が非常に長い特長がある。花の大きさはタチツボスミレよりやや小さく、赤味が強いものが多い。
 
 北海道南部から鳥取県まで、主に日本海側に生育するとされる。また北米大陸の北東部と日本に離れて分布しているという変わり種でもある。

タチツボスミレ(手前)とナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)

ナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)

ナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)

 
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軽井沢のスミレ(3)アケボノスミレ

2020-05-22 00:00:00 | スミレ
 南軽井沢の別荘地で見ることができる種にアケボノスミレがある。別荘地内の狭い道路を車で通りぬけていた時に、山側の石垣の上の斜面にこのアケボノスミレの小群落があることに気がついた。

 この場所以外にももう一ヶ所まとまって生育している場所を見かけたが、そこも同じような明るい斜面で、土砂が自然に崩れているところであった。

 そのほか、車で通りかかった道路脇でも偶然見かけることがあったが、アケボノスミレの数は決して多くはない。むしろ、いくつかの種のスミレを見ることのできるこの別荘地内でも稀な方といえる。

 今年、またアケボノスミレの季節になったので、上記の場所に行ってみたが、石垣の上の小群落は時期が早すぎたのか、元あった辺りには、僅かに2株ほどから出た小さく巻いた葉があるだけで花は見られなかった。

 もう一つの別の場所に行ってみると、こちらも数は激減していたが、3-4株がきれいな花を咲かせていた。

 昨年の台風19号の被害を受け、軽井沢もまだあちらこちらで改修が追いつかないところもあるが、こうした山野草の生育場所も環境が変化したり、土砂が流されたりして大きく影響を受けているようである。このこととは別に、堀り採られていることも減少の一因と考えられるが、いずれにしろ残念なことである。残っている株が再び増えて群落をつくってもらいたいものである。
 
 実は、はじめて見かけた時から最近までこの石垣上と土砂が崩れている場所に多く生えているこの種をスミレサイシンだと思っていた。

 横倒しになっている木の根元に1株だけあって花を付けていた株ともう1枚同じ時期に撮影した株の方はアケボノスミレだろうと漠然と考えていた。

 スミレサイシンは、もうずいぶ前になるが奥裾花渓谷に行った時に見て知っているつもりであったので、そのように即断していたことと、アケボノスミレとは花びらの色や形状が違っていると感じていた。

 しかし、今回撮影した写真を調べなおし、図鑑の説明を読んでいて間違いに気がついた。ひとつは、スミレサイシンは日本海型であり、アケボノスミレはそれよりも太平洋に寄った方に生育し、住み分けているということであった。

 軽井沢は両種の分布域の境界にあたるので、分布域だけでは決められず、花の側弁基部が無毛か有毛かが決め手となった。撮影した写真で確認できるが、はっきりと側弁の基部に毛が認められる。スミレサイシンは無毛で、アケボノスミレは有毛または無毛ということであった。

 日本のスミレ(山渓ハンディ図鑑6 1996年山と渓谷社発行)によるとスミレサイシン類の見分け方は次のようである。


 最初の写真は道路わきの倒木のそばに咲いていたもので、こちらは初めからアケボノスミレだろうと思っていた。

道路沿いの倒木の脇に咲いていたアケボノスミレ(2012.5.12 撮影)

 次も同じ日の撮影。撮影場所はほぼ同じだったと記憶しているが、詳しい記録がなく思い出せない。ただ、こちらもアケボノスミレだろうと考えてファイルしていた。

南軽井沢で見かけたアケボノスミレ(2012.5.12 撮影)

 別荘地の石垣上の小群落の写真は探してみたが、残念なことになぜか見当たらない。以下は、土砂が崩れている斜面で今年撮影したものである。

アケボノスミレ 1/3 (2020.5.7 撮影)


アケボノスミレ 2/3 (2020.5.7 撮影)

アケボノスミレ 3/3 (2020.5.7 撮影)

 次の2枚は上記写真の側弁の毛の有無を見るために拡大したものだが、確かに毛が認められる。


アケボノスミレ 2/3の拡大写真


アケボノスミレ 3/3の拡大写真

 アケボノスミレは写真で見る通り、なかなか美しい種である。前記の「日本のスミレ」には次のような記述がある。

 「スミレサイシンの仲間は地味なものが多いが、アケボノスミレは例外で、日本のスミレのなかでもっとも華やかなもののひとつ。スミレの仲間としては珍しい鮮やかな紅紫色の花の色から、曙の空を連想してこの名がついた。」との説明がある。

 「原色日本のスミレ」(浜 栄助著 1975年誠文堂新光社発行)には、このアケボノスミレは次のように紹介されている。
 「【花期】 3月下旬~5月中旬
   【分布】 北海道南部から東北の太平洋側、関東中部の中央部と太平洋側山地に多く、近畿、中国には少なく、九州の阿蘇山系では再び多くなる。阿蘇外輪山南部を南限とし、対馬を通じて朝鮮半島や中国東北部にかけ分布する。中部地方では標高300~1,900mにわたって見られるが、500~1,000mの山地やの草原や林縁など、向陽地から半陰地にかけて多い。」

 日本産スミレ属の12の分布系列に関しては、アケボノスミレは種ではスミレサイシンの仲間ではあるが、スミレサイシンとは住み分けていて、前回とりあげたヒナスミレと同様「サクラスミレ型」に属し、東北日本に多産する型がこれにあたる。この仲間にはサクラスミレの他、ヒカゲスミレ、ヒナスミレなどがある。
 
 念のため花後に大きく開いた葉の様子を見に出かけたが、形状からアケボノスミレに間違いないと確認できた。



 






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軽井沢のスミレ(1)エイザンスミレ

2019-11-01 00:00:00 | スミレ
 義父がチョウとスミレが好きで、蒐集したチョウの標本は今も妻が受け継いで保管しており、本ブログでも時々利用しているのであるが、スミレは関連の書籍が残るだけで、実物はもう何も残っていない。

 そのスミレに関する蔵書の一つに、「原色日本のスミレ」(浜 栄助著、1975年 誠文堂新光社発行)という立派な本がある。この本は、長野県生まれで、長野県で高等学校の教員を務めた著者が、およそ20年の歳月をかけて採集し、生品から原色図を描写したものを採録したものである。

 この本の巻頭に、著者は「日本の中でも、諏訪は、また信州は、個体数においても種数においても、最もスミレに恵まれた土地である・・・」と記している。

 諏訪地方には及ばないと思うが、春、軽井沢の山地やその周辺の別荘地を歩いていると、スミレの姿を見かける。そうしたスミレを紹介していこうと思う。

 最初は、私の最も好きなエイザンスミレ。葉の形が一般的なスミレとは大きく異なり、深い切れ込みがある種で、花の色はピンクで大型の花弁が美しい。

 10年ほど前、東京に住んでいた頃、近くの画廊で買い求めた数種の山野草の版画の中にこの「エイザンスミレ」が含まれていた。次の様であり、花や葉の特徴がよくあらわされている。

エイザンスミレを描いた版画(10cm x 14.7cm)

 上記の「原色日本のスミレ」のエイザンスミレの項を見ると、その花期や分布については次のように記されている。

 「花期:3月中旬~4月下旬、分布:青森県相馬村が北限として知られているが、北陸までの日本海側は非常に少ない。岩手県北部の太平洋側から、関東の北中部、中部の中央部から南部、近畿、中国、四国から九州の霧島山まで分布する日本特産のスミレである。・・・中部では標高300~2,400mにかけて、山地の小川沿いや、路傍の傾斜地、石垣、樹陰の腐植土の所などに生え、崩れる土砂が、地上に伸び上がった地下茎を自然に埋めるような所に特に多い。・・・」

 日本産スミレ属の分布に関しては、この本の中で12の分布系列に分けていて、今後順次このブログでも紹介していこうと思うが、その中のひとつに「エイザンスミレ型」があり、日本海側に少ない種がこれにあたる。この仲間にはマルバスミレ、フモトスミレ、ヒゴスミレなどがある。

 また、花の色はこれまで見た経験からピンク色と上で書いたが、この本によると「淡紅紫色のものが多いが、紅色に近いものや白色に近いものまで変異があり、芳香を持つものもある。」として、純白のものは「シロバナエゾスミレ」の名前がつけられている。私も花色の白っぽいものを見たことはあるが、まだこの純白種は見たことがない。

 若い頃は関西に住んでいたこともあり、このエイザンスミレを山野で見た記憶はない。もっとも、その頃はまだスミレにそれほど関心があったわけではないので、見過ごしていたのかもしれない。初めてこのエイザンスミレを見たのは、就職して神奈川県に住むようになってからで、高尾山の山道を登っている時、左側の崖地に花をつけた株を発見し、とても嬉しかったことを覚えている。この時写真を撮影したように思うが、捜してみても見つからない。その少し後になるが、西沢渓谷に出かけた時のプリント写真の中に、エイザンスミレを写したものが見つかった。しかし、この時のことはあまり覚えていない。

西沢渓谷で見かけたエイザンスミレ(1990年頃撮影)

 軽井沢に来てから、別荘地内を散歩していると、時々渓流沿いの場所にこのエイザンスミレを見かけることがあった。また、旧中山道を歩いてみようと思い、碓氷峠から坂本宿に下ったことがあったが、その途中の道の脇にもこのエイザンスミレの大きな株があり、たくさんの花が咲いていた。

 南軽井沢に義父の建てた山荘がある。義父がここに通っていた頃には、この山荘の周辺にはエイザンスミレは咲いておらず、やはりこの種が好きであった義父が残念がっていたと妻はいうが、この山荘から少し離れた、まだ建物の建っていない区画の道路沿いに、2015年頃エイザンスミレが咲いているのを見つけた。数えてみると10株ほどが生えていた。

 翌年の春、山荘のアプローチから建物の周辺にエイザンスミレが何株も小さな芽を出しているのが見つかった。種を持ち帰り播いたわけでもなく、突然の出現に妻は驚いていたが、近くに生育しているエイザンスミレを花期が終わってからも何度となく見に行っていたので、靴底に種子が付いてきたものかもしれないと話し合った。
 
 勝手にこうして生えてくるエイザンスミレではあるが、種子を持ち帰り、自宅のロックガーデンに直接播いてみても、一向に発芽する気配が無い。スミレ全般に見られることであるが、気難しさを感じるのである。また、前年生えていた場所に行ってみると、見つからなかったり、株数が減っていたりすることもしばしばである。こちらは、堀り採られているからかもしれない。

 さて、これまでに撮影したエイザンスミレの写真は以下のようである。 

 最初は南軽井沢の別荘地内で見かけたもの。

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 1/3(2017.5.4 撮影)

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 2/3(2017.5.4 撮影)

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 3/3(2017.5.4 撮影)
 
 次は碓氷峠から坂本宿に下る旧中山道の道沿いで見かけたもの。

旧中山道のエイザンスミレ 1/3(2016.5.3 撮影)

旧中山道のエイザンスミレ 2/3(2016.5.3 撮影)

旧中山道のエイザンスミレ 3/3(2016.5.3 撮影)

 写真で分かるように、エイザンスミレの葉は、通常スミレの葉として思い浮かべるハート形や、鉾形のものとはまるで違っていて、とてもスミレの葉のように見えない。特に春に花が咲くころには、細かく分裂している。そして、その後に出てくる葉は、幅が広くなり分裂の仕方も弱くなってくる。夏に出る葉には、分裂がなくなり、他のスミレのような長いハート形になることもあって驚かされる。

 こうした特徴(複葉性という)を持つスミレには、ほかにヒゴスミレとナンザンスミレという種がある。「日本のスミレ」(山渓ハンディ図鑑 1996年 山と渓谷社発行)にはこの「複葉性スミレの見分け方」として次のように示されている。ヒゴスミレを育てたことがあるが、確かに葉の切れ込みの程度はエイザンスミレよりも細かいので、一見して区別がつく。

複葉性スミレの見分け方(「日本のスミレ」の表に一部追記) 

 手元にある田中澄江さんの「花の百名山」(1980年 文藝春秋発行)を見てみると、エイザンスミレが5つの山で紹介されている。筆頭はスミレで有名な「高尾山」(東京都)の項で採りあげられているが、続いて「大岳山」(東京都)、「高水山」(東京都)、「武州御嶽」(東京都)、「藤原岳」(三重県)の項で紹介されている。やはり東の方に多いようである。

 義父は一時期多くのスミレを鉢植えにして栽培していたという。私も30代に一時期試みたことがあるが、なかなかうまく育てられず、途中でやめてしまった。その頃読んだ本に、「日本のスミレ」(橋本 保著 1967年誠文堂新光社発行)や、「原色すみれ」(鈴木 進著 1980年家の光協会発行)があり、ここにスミレ類の栽培方法が示されていたのだが・・。

 スミレは花の後にできる種子のほかに、花期が終わってからも次々と閉鎖花という種子を作る特徴がある。野外でこの閉鎖花から種子を採取するタイミング、種をまく床に用いる用土、鉢の種類などをこれらの本から学んだのであったが、うまく育てて花を咲かせることはなかなか難しかった。

 軽井沢ではもっぱら庭の一角に作ったミニロックガーデンで山野草を育てていて、その中に店で買い求めた数種のスミレ類も混じりこませているが、エイザンスミレは種を直播きしても、なかなかうまく育ってくれない。今後ももう少し続けて何とか花を咲かせてみたいものと思っている。

【追記】 2020.4.29
 コロナ騒動で外出も思うようにできないということで、久しぶりに南軽井沢にスミレを見に出かけた。

 上記写真を撮影した場所に行ってみると、今年も数株のエイザンスミレが健在で以下のような大型で美しい花を咲かせていた。

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 1/4(2020.4.29 撮影)

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 2/4(2020.4.29 撮影)

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 3/4(2020.4.29 撮影)

南軽井沢の別荘地内のエイザンスミレ 4/4(2020.4.29 撮影)

 また、別な場所ではエイザンスミレの白花が咲いていた。初めて見るもので、近くにマルバスミレの白い花が咲いているので見間違いではないかと思ったが、出始めた葉の様子からやはりエイザンスミレであると思える。エイザンスミレの白花にはシロバナエゾスミレという名が付けられている。

南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 1/3(2020.4.29 撮影)

南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 2/3(2020.4.29 撮影)

南軽井沢で見た白花エイザンスミレ 3/3(2020.4.29 撮影)

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