軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

新型コロナウィルス情報 2020/1/1-1/31

2020-01-31 00:00:00 | 新型コロナウィルス

1/1
 ・ゴーン被告無断出国 渡航禁止の保釈中 「レバノンにいる」声明
 
1/3
 ・ゴーン被告 仏のパスポート所持 逃亡トルコ経由か
 ・NY株 年間上げ幅最大 19年、5210ドル

1/4
 ・青学V奪還 箱根駅伝
 ・米 イラン・スレイマニ司令官殺害 革命防衛隊「コッズ部隊」 イラクで空爆

1/5
 ・米 中東に3000人増派 司令官殺害 トランプ氏正当性主張
 ・米・イラン 高まる緊張 テヘランなど「報復」一色
 ・内閣府 防災担当を増員 最多104人、被災者支援強化

1/6
 ・トランプ氏イランに警告 報復なら「52か所攻撃」
 ・夜間観光 地方も盛り上げ 政府支援へ 美術館延長や飲食店認定
   政府は20年に訪日客の消費額を8兆円に増やす目標を掲げる。

1/7
 ・令和を拓く⑤最終回 輝く未来 挑戦は続く
 ・イラン核合意 有名無実 制限撤廃発表 対米強硬 一歩も引かず
 ・トランプ氏 金正恩氏は約束破るかも

1/8
 ・海底ケーブル輸出支援 中国に対抗 通信の安保対策 
 ・ゴーン被告妻に逮捕状 地検 特別背任事件偽証容疑
 ・【広告】~2021年 世界経済リスク入門 渡邉哲也著 徳間書店発行
   何が起こるのか・どこが問題か・どこまで広がるか
 ・8年目の首相 「来年」へ意欲 桃栗三年・・・「ゆず9年の花盛り」
 ・少子高齢化 若者 社会保障に閉塞感
   2050年代 1億人割れ、2065年 高齢化率38%

1/9
 ・イラン、米攻撃 「報復」弾道ミサイル「15発」イラク駐留基地に 米報道
   あだ討ち 強硬示す 米、真意見極め
 ・イランでウクライナ機撃墜 179人死亡
 ・公明・山口氏 五輪閉幕前の衆院選に否定的

1/10
 ・米、イラン制裁強化 武力行使見送り 大統領演説
 ・【広告】2020年の「羅針盤」 文藝春秋

1/11
 ・防衛相 海自に中東派遣命令 日本関係船舶 安全を確保 哨戒機2機きょう出発
 ・英 EU離脱月末実現へ 関連法案可決 移行期間11カ月
 ・墜落機イラン誤射か カナダ首相「証拠ある」 イランは否定
 ・イラン、さらなる孤立 ウクライナ機墜落 欧州・カナダ 責任追及へ
 ・訪日客2.2%増 伸び鈍化 昨年最多3188万人 「20年4000万人」暗雲
 ・医師の働き方改革 柱に 診療報酬改定骨子案 救急病院に手厚く

1/12
 ・イラン、撃墜認める ウクライナ機 「人為ミス」 賠償応じる方針
   イラン苦境浮き彫りに 国際包囲網、国内体制不信 
   ウクライナ大統領「国際調査を」
 ・イラン 反体制デモ 旅客機撃墜 ハメネイ氏退陣要求
 ・台湾総統選 蔡氏リード 民進党 中国対抗姿勢に支持
 ・浸水リスク・代替庁舎「未定」42自治体 昨秋被災の13都府県

1/13
 ・中東緊張緩和へ連携 首相、サウジ国王と会談
 ・台湾総統 蔡氏再選 過去最多得票 「中国に対抗」堅持
 
1/14
 ・領海調査の中国船を排除 海洋データ 軍事利用防ぐ 政府、強制退去も
   海洋安保、意識に開き 経済官庁と情報共有されず
 ・台湾 国民党総統選大敗で、対中路線見直しの声

1/15
 ・和牛 海外流出に罰則 遺伝子の不正譲渡 農水省、法案提出へ
 ・米国務長官 北朝鮮の非核化「正恩氏に期待」
 ・韓国大統領 制裁の例外化に言及 「金剛山」観光再開鮮明に
 ・企業倒産11年ぶり増 人手不足響く
 ・激震 暮らし変えた 2010年代は、日本全体が激動の渦に巻き込まれた時代だった
 
1/16
 ・米 TV討論会 民主、「司令官殺害」を非難
 ・長野 県内倒産 05年以降最少 昨年77件2年連続減 返済条件緩和などで
 
1/17
 ・温室ガス削減 新戦略 官民30兆円 技術開発 首相表明へ
 ・米中「第1段階」署名 米、制裁関税を緩和 貿易協議 米中貿易 妥協の休戦
 ・新型肺炎 中国感染防止強化 SARS経験の香港警戒
 ・新型肺炎 国内初確認 武漢へ渡航 30代中国人男性
 ・風疹患者昨年2306人

1/18
 ・中国 成長減速6.1% 昨年29年ぶり低水準 対米摩擦打撃
 ・訪日韓国人26%減 昨年 8年ぶり前年下回る
 ・基礎的収支赤字3.6兆円 25年度試算 税収見通し引き下げ
 ・再建JAL 拡大へ岐路 破綻10年 国際線LCCカギに
 ・病院再編 リストを修正 厚労省、約20カ所を追加

1/19
 ・新型肺炎感染45人に 武漢市発表 新たに4人発症
 ・深圳と上海で3人感染疑い 香港紙報道
 ・患者数1700人超か 英インペリアル・カレッジ・チーム推計

1/20
 ・新型肺炎患者17人増 武漢市発表 計62人、重症者も8人に 

1/26
 ・森林火災 豪悲鳴 観光打撃、希少動物被害 温暖化 落雷増え土地乾燥
 ・ダボス会議閉幕 米、気候変動で各国と対立 対欧州 デジタル課税火種

1/27
 ・武漢在留邦人帰国へ 首相表明 民間機チャーター
 ・患者 世界2000人超す
 ・中国当局 「感染力強まっている」
 ・日本で4例目 中国・武漢市から旅行で愛知県訪問の40歳代男性
 ・中国 北京、上海も移動制限 バス・鉄道運休 学校は休校 朝令暮改で混乱
 ・団体旅行禁止 日本に痛手 キャンセル続々 訪日客「4000万人」黄信号
 ・米仏韓も退避検討 邦人帰国へ、武漢生活に不安
 ・新型肺炎、春節直撃 観光地で悲鳴 「売り上げ厳しい」

1/28
 ・新型肺炎 指定感染症に、政府きょう決定 強制入院可能 
 ・中国首相が武漢入り 感染2800人超、死者81人 激励、全人代控え
 ・強い感染力 官邸一転 指定感染症、トップダウンで決定
 ・経済 肺炎リスク 新型拡大、工場再開見えず・株一時500円超下げ
 ・感染防止へ在宅勤務、中国客 マスク爆買い
 ・中国 「対策遅れ」批判に焦り 中国、封じ込め「総力戦」
 ・湖北省住民ら、香港入境制限
 ・医療機関 受け入れ訓練 指定感染症に、都は50床確保
 ・感染を防ぐには 手洗い忘れずに

1/29
 ・国内「人から人」感染か 日本人男性ツアーバス運転手、武漢渡航歴なし
 ・武漢邦人きょう帰国 200人 第1便 羽田出発
 ・中国 死者106人に
 ・邦人帰国 「退避作戦」水面下の攻防 空港使用 中国の許可難航
  希望者急増、外相直談判
 ・厚労省 国内対策 徹底呼びかけ 保健所に報告、運用見直し
 ・株 2日連続下げ 小売りや旅行売り
 ・ホンダ2工場生産再開延期
 ・補正予算案 衆院通過
 ・東南アジア各国 中国人ビザ発給停止
 ・北ピリピリ 防疫脆弱 開城の韓国人にマスク着用要請
 ・邦人 「早く帰りたい」チャーター機心待ち 第1便乗れず「いつになったら」
 ・都内の病院 感染疑い「陰圧室」で治療 受け入れ態勢公開
 ・WHO発表 中国国外の患者、37人中男性7割
 ・LCC・ジェットスター・ジャパン 中国からの客に、搭乗自粛を要請
 
1/30
 ・武漢から帰国12人入院 2人肺炎、新型か検査
 ・第1便206人到着 第2便出発へ
 ・武漢で邦人重篤 菅氏「陽性疑い高い」
 ・中国感染 SARS超え 6000人に拡大 糖尿病など持病重症化の危険性
 ・周辺国 国境規制を強化 ロシア、モンゴルなど
 ・ウイルス培養 豪研究所成功 診断や治療、前進期待
 ・企業活動 打撃 ユニクロ休業、トヨタ再開延期
 ・WHOトップ 中国からの退避に批判的、「過剰反応」と述べる 中国影響力に配慮か
 ・政府与党 新型肺炎対応 注文続々
   与党:検査キット開発急げ、野党:感染症指定遅すぎる
 ・補正予算案 きょう成立
 ・基礎からわかる新型肺炎 
   発端は:武漢の市場から拡大
   感染力は:「麻疹より弱い」データも
   感染者への対応は:入院勧告、就業を制限
   予防法は:こまめな手洗いを
 ・武漢団体客 奈良公園に 感染した運転手のバス 山梨にも3回訪問
 ・バス会社 対策強化 運転手マスク着用・消毒徹底
 ・文科省通知 中国から帰国後 児童ら2週間「厳重な観察」
 ・帰国者を厳戒搬送 病院「陰圧室」で経過観察 検疫官「円滑に進められた」
 ・帰国の二人「武漢に残った人の力に」 

1/31
 ・新型肺炎 帰国第一便 3人感染2人は無症状 国内で初確認
 ・第2便210人到着 26人が入院
 ・三重の50代男性新たに感染確認 国内12人目
 ・中国 感染者7800人超す
 ・中国チーム発表 「人から人へ感染、12月中旬から」
 ・検疫「すり抜け」恐れ 「症状あり」発見が前提
 ・中国便5%取りやめ 成田空港
 ・株、3か月ぶり安値 感染拡大懸念2万3000円割れ
 ・補正予算成立 4兆4700億円 災害復旧や経済リスク対応
 ・武漢 人影消えた 新型肺炎・封鎖1週間 感染恐怖 疲労濃く 渦中に大宴会 情報
  隠し、疑念噴出
 ・国会論戦 異なるスタンス 立民、「桜」「IR汚職」政権批判、国民「肺炎対策」「憲法論議」
  も
 ・武漢帰国便 「国費負担で」 公明・山口氏、官房長官は難色
 ・自民・伊吹氏 「緊急事態対応」議論を深めるべきと提起
 ・中国 武漢住民締め出し ホテルに隔離、懸賞金も
 ・タイ 中国人と接触 観光業者検査    
 ・感染リスク「低く」 専門家「慌てず予防を」
 ・無症状 見えぬ脅威 帰国者 ホテル足止め
 ・第2陣は警察大学校
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青色顔料の発見と電子を見るはなし

2020-01-31 00:00:00 | 
 新しい青色顔料が200年ぶりに発見されたというBiglobeのニュース(2019.7.17)に目がとまった。私自身、かつて酸化物の青色への変化を利用した表示素子の開発をしていたことがあるからであるが、もうひとつ最近は青色顔料の原料でもある鉱物、ラピスラズリに興味を持っていることも理由であった。

 2019年7月17日付のこのニュースには「ハッとするような鮮やかな青、『YlnMnブルー』。2009年にアメリカで発見された無機青色顔料の一種」という言葉と共に、Wikipediaから引用したという次の写真が添えられている。


新発見の青色顔料「YlnMnブルー」の画像(Wikipediaより)

 写真を見ると確かにこの記事の言葉通り、「YlnMnブルー」(インミンブルー)はとても鮮やかな青色に見える。記事は次のように続いている。

 「偶然に生まれた『YlnMnブルー』、古くは古代エジプトや中国の漢王朝、マヤ王国など、紀元前より高貴な青色顔料は人気が高いが、色落ちしやすかったり、毒性があったり、製造に手間とコストがかかりすぎたりと、あらゆる面で完璧な青色を創り出すのは長年の課題であった。・・・
 顔料業界にとって世紀の大発見ともいわれており、年内には販売も開始される予定ということで世界中から注目を集めているという。
 実はこの顔料は全くの偶然から生まれている。酸化マンガン類の電気的特性を研究していた米・オレゴン州立大学の大学院生が、黒い酸化マンガンと他の化合物を混ぜ合わせ摂氏1200度という超高熱の炉で焼いたものの一部が、美しい青い粉に変化していたことを発見したのである。
 研究チームを率いているマス・サブラマニアン教授らはこの変化に驚きと興奮を持って直ちに調査を開始し、この物質が「三方両錐構造」というユニークな結晶構造をしており、内部のマンガンイオンが緑と赤の光を吸収して、吸収されない青のみが鮮明に現れていることを突き止めた。
そして耐久性に優れて安定性も高く、水や油にも強いことが判明したのである。
 教授らは原料であるYttrium(イットリウム)、Indium(インジウム)、Manganese(マンガン)の元素記号を取って「YInMnブルー」と命名した。・・・
 オレゴン州立大学からライセンスを受けて「YlnMnブルー」の販売を予定しているShepherd Color Companyは、環境に優しくかつ生産しやすいこの顔料がさまざまな場面で活用されることに期待を寄せる。すでに製品化も進んでおりサンプル販売の認可は下りているため、年内にも市販できるめどが立っているという。
 『YlnMnブルー』に続き緑や紫、オレンジなどの各色の研究にも着手したというサブラマニアン教授のチーム。また別の鮮やかな“新色”が発見されるのか、吉報を待ちたい。(文=Maria Rosa.S)」

 原著論文は、Journal of Chemical Society 2009,131,47 に掲載されているが、これによると、インミンブルーは、YMnO3とYInO3の固溶体であり、YIn1-xMnxO3と表現されていて、結晶の中でIn:インジウム原子とMn:マンガン原子は同じ位置に入り、その割合xは0から1の間で連続的に可変である。

 論文によると、Mnの割合xを変化させたときの結晶の色は次のようであり、X=1の時、色は黒になる。


「YlnMn(インミン)ブルー」の色とMnの割合xとの関係(Journal of Chemical Society 2009,131,47 )

 200年ぶりと言われる理由について調べてみると、1802年にフランス人化学者のルイ・ジャック・テナール(Louis Jacques Thenard)がコバルトブルーを発見して以来のことだからということである。また、この青色について、発見者の教授は「われわれが見つけた色素は、ウルトラマリンに似ているがずっと長持ちするので、美術修復に役立つ」といっているとされる。

 コバルトブルーやウルトラマリンという言葉が出てきたが、これはご存知の通り青色顔料の名前であり、油絵具などでも同様の名前が用いられている。これら種々の絵の具の青色を比較してみると、次のようである(各色のR,G,B値を用いて色を表示しているが、あくまでも相対的なものとしてご覧いただきたい)。


各種青色顔料の色の比較

 ここで、新発見のインミンブルーの色を表示させる際には、ウィキペディアに示されている「代表的なR,G,Bの数値」を用いたが、マス・サブラマニアン教授の言うようにウルトラマリンに近い色になっていることが分かる。尚、ウルトラマリンは天然のラピスラズリを精製して得られるが、その結果鉱物のラピスラズリとはやや色が異なるとされているので、同時に示しておいた。

 ところで、このラピスラズリが最初に顔料として利用されたのは6–7世紀におけるアフガニスタンの寺院の洞窟画であり、これが鉱物顔料の始まりとされる。天然のラピスラズリ鉱物から良質の青色顔料を得る方法は13世紀の初頭に開発されており、この顔料が最も広く使われたのは14世紀から15世紀にかけてで、朱色や金色の補色として映えるため、装飾写本やイタリアの陶板画に用いられたという。
 ヨーロッパの芸術家たちはこの貴重な顔料をめったに使用できず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品であった。天然ウルトラマリンを使った画家のうち、フェルメール(1632.10-1675.12)はとても有名で、フェルメール・ブルーという呼称があるくらいである。中でも1665年の作とされる「真珠の耳飾りの少女」はよく知られている。次の写真は土産物として売られていた複製画を撮影したものである。


フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(2019.12.30 撮影)

 上で、インミンブルーがYMnO3とYInO3の2種の酸化物の固溶体(混合物ではなく均一にまじりあっている結晶のこと)であることを紹介したが、鉱物のラピスラズリもまた固溶体であり、4種類の鉱物からなることが知られている。その4種類とは主成分のラズライト(青金石、Na8-10Al6Si6O24S2)、ソーダライト(方曹達石、Na8Al6Si6O24Cl2)、アウイン(藍方石、(Na,Ca)6-8Al6Si6O24(SO4)1-2)、ノゼアン(黝方石、Na8Al6Si6O24SO4)であるが、複雑ながらも類似の結晶構造を持つことがわかる。このためラピスラズリは12面体の結晶でしばしば産出するという。

 このうち、ラズライト、ソーダライト、アウインの3種はそれ自体が青色の鉱物であるが、ノゼアンは無色透明な鉱物である。これらが混じり合うことでラピスラズリの青色が生まれている。尚、天然の鉱物にはこのほかに白い方解石や金色の黄鉄鉱が混じることがある。

 ラピスラズリは人類に認知され、利用された鉱物として最古のものとしても知られている。エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として珍重されてきた。有名なツタンカーメンの黄金のマスクにもラピスラズリが用いられている。日本ではトルコ石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。

 鉱物としてのラピスラズリに興味があって、その原石をくりぬいて作られたドイツ製のキャビアボウルを手に入れ、ガラス製品ではないのだが私のガラス・ショップに置いている。ボウルの直径は約15cm、高さは約11cmで次のようなものである。


ラピスラズリ製のキャビアボウル
 
 さて、最後は表題に掲げた「電子を見る」話である。といってももちろん電子を直接見ることができるわけではなく、電子の動きを間接的に色の変化として目で見えるようにできるというもので、私が経験した中でも、なかなか興味深い実験なのでここで紹介させていただく。ただし、準備には専門的な装置も必要なので、どなたにでも追認していただけるものではないことをお断りしておく。

 用意する材料は、ガラス板にWO3:酸化タングステン膜を薄く(0.5ミクロン程度)形成したもの、金属針(インジウム)、電解液(希硫酸溶液)などで、実際にはシャーレなどの容器に、電解液を注ぎ、ここにWO3膜のついたガラス板を沈めて実験を行うが、次図(上)のように配置する。この状態は1種の電池のようなもので、WO3膜と金属針の間には電位差が発生している。この状態で、金属の針の先端をWO3膜に接触させると(図の「中」)、WO3膜はその接点から着色して、周囲に向かって広がっていく(図の「下と右」)。この着色が起きる理由は、金属針から電子が膜に注入されているからで、膜の中を電子がゆっくりと拡散している様子を見ていることになるのである。電子にはもちろん色は付いていないが、電子のあるところ色ありという感じで着色していく。電子の注入と同時に電解液からは水素イオン(プロトン)が素早くWO3膜に図に示すように移動する。


WO3薄膜に金属針から電子が注入されるのを見る実験

 WO3薄膜は元来透明であるが、電子と水素イオンとを同時に取り込むことで、タングステン・ブロンズという青い物質に変化する。膜の中で電子が比較的自由に動くことができるため、光の中の赤から近赤外線部分を吸収するためである。この現象は、インミンブルーで見た結晶中のInをMnで徐々に置き換えていくと、色が濃くなっていく現象に似ている。

 きちんとした結晶構造を持つインミンブルーなどの物質では、高温で熱処理をしないとMnを結晶中に取り込むことはできないが、WO3の膜の場合膜が非晶質で空隙の多い構造であるため、電池作用で、室温下でも膜の中に電子と共に水素イオンをとり込むことができるためにこうしたことが起きるのである。

 新しい青色顔料発見のニュースを知り、その着色のメカニズムを見ていて、40年ほど前に行った実験のことを懐かしく思い出したのであった。




コメント (1)
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ナガサキアゲハとトランプ大統領(5/5)

2020-01-24 00:00:00 | 日記
 2019年9月に発生したオーストラリアの森林火災が2020年1月現在でも鎮火することなく続いている。オーストラリアではほぼ毎年のようにこの森林火災が発生しているとは言うものの、今回は平均降水量が観測史上最も少なく空気が乾燥していたのに加え、平均気温も過去最高を記録し、12月には記録的な熱波が到来するなど、火災が発生・拡大しやすい条件が整っていたとされる。現時点での焼失面積は、107,000km2に達しており、1983年の2,000km2、2009年の4,500km2と比べても極めて大規模なものになっている。

 大規模な森林火災は、オーストラリアに生息する貴重な野生動物にも深刻な影響をもたらしていて、2020年1月8日に発表されたシドニー大学のクリス・ディックマン教授の試算によれば、既に哺乳類、鳥類、爬虫類など10億以上の生命が失われたと推定されている(ウィキペディア 2020.1.19 18:17 より)。

 ウィキペディアでも「オーストラリア森林火災 (2019年-2020年)」として、項を新たに追加して上記の通りこの状況を伝えている。

 この大規模な森林火災は今回のテーマ、地球温暖化が一要因と言えることに加え、火災に伴う大量の二酸化炭素の放出は悪循環を思わせ、何とも不気味ではある。

 さて、そうした中ではあるが、今回は本テーマの最終回として、地球温暖化について二酸化炭素に代わる原因として提起されているものを見ていく。

 地球温暖化について、懐疑論や反論を展開している人たちは、何が真の原因だと考えているのか、前回に続いて、著書①、②からの紹介をさせていただく。結論として、これらの著書では、近年の地球温暖化の原因は、自然変動によるものが大半であると主張していて、②ではさらに宇宙空間における銀河宇宙線と太陽活動とが関係した現象であるとしている。

 引用した著書は前回と同様であるが、次のとおりである。
著書①「正しく知る地球温暖化」(赤祖父俊一著、2008年 誠文堂新光社発行)
著書②「地球はもう温暖化していない」(深井 有著、2015年 平凡社発行)

 その前に、ひとつどうしても確認しておかなければならない問題があるので、先ずこれについて記しておきたいと思う。それは、「ティッピング・ポイント」のことである。ホーキング博士が「後戻りできない転換点」と表現し、グレタさんや各国の気象研究の専門機関がその存在を主張した「ティッピング・ポイント」は、パリ条約では、1.5℃あるいは2℃という数字で表されているが、これは、18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命以前の地球の平均気温からの上昇分として定義されている。


2015年12月12日付 国立環境研究所社会環境システム研究センター報告から引用(久保田泉主任研究員作成)

 すなわち、人類が放出した化石燃料由来の温暖化ガスの量がある一定の量を超えると、これが地球温暖化を引き起こして、その上昇分が産業革命以前の水準から1.5℃以上高くなると、地球の平均温度は不可逆的な上昇を始めて、最終的には金星のような状態にまで達し、人類どころか生命の存在できない惑星になってしまうというものである。

 この「ティッピング・ポイント」がどのような経緯でパリ条約で採りあげられるまでになったのか、1.5℃あるいは2℃という数値はどのようにして導出されたのかについて知りたいと思っていたが、著書②(第1章)に次のように記されているので、まずこれを紹介する。

 「この『2℃目標』は一体、誰が言い出したのか。その根拠は何なのか、と疑問に思って調べていたところ、ようやくその出所が分かった。週刊誌『シュピーゲル』電子版(独)の記事(エヴァースら2010)を紹介しよう。

 『気温モデルの計算では世界でも数多くないスーパーコンピュータの性能を最大限に使って何ヶ月もフル稼働させなくてはならない。これは難し過ぎて政治家にとっては役に立たない。彼らは単純な目標が欲しいのだ。
 その要望に応えようとして、1990年代中ごろ、ドイツの科学者が容易に分かるメッセージを考案した。それが2℃目標なのだ。人類と自然にこれ以上の害を与えないようにするためには、地球の気温は工業化前に比べて2℃より高くしてはならないということだ。これはかなり大胆な見積もりだが、これによって目標は目に見える形になり、驚くべき効果を発揮することになった。
 世界政治に対して、科学がこれほど強いインパクトを与えたことはないだろう。今や、すべての国が2℃目標を認識している。2009年の国連コペンハーゲン会議(COP15)に先だってドイツの環境相ロットゲンは《2℃目標を超えてしまったら、地上の生命活動はもはや不可能になるだろう》と述べた。
 しかし、これは科学としてはナンセンスなのだ。2℃目標の生みの親、ポツダム気候影響研究所長のシェルンフーバー自身が言っている。《2℃は別に魔法の数字ではない。単なる政治目標だ。地球は温暖化が激しくなってもただちに終末を迎えることはないし、逆に温暖化が激しくなければ安全というわけでもない。現実は、当然のこと、もっと複雑なのだ。》
 《わたしは罪を認めるよ》と彼は言う。しかし、2℃目標を言い出したことで彼は科学者としての経歴に傷が付くどころか、逆に首相の主任科学アドバイザーという影響力ある地位に上ることになったのだ。
 ことは気候変動に関する諮問会議から始まった。ドイツ政府から気候保全の指針についての諮問を受けた科学者たちは、シェルンフーバーの主導の下で検討した結果、極めて簡単な考え方に到達した。それは《地上にホモ・サピエンスが現れて以来の気候の歴史を見ると、過去13万年の間、気温が産業革命以前の値より2℃以上高くなったことはなかった。気温は人類が進化の過程で経験した範囲に止めておくのが安全だろう。さもないと未踏の地に踏み込むことになる》というものだ。
 もっともらしく聞こえるかもしれないが、これはごまかしに過ぎない。人類は氷河期に誕生して、現在より4~8℃も低い低温期や2℃どころではない気温変化と戦って生きのびてきた。その中で(温暖期ではなく)寒冷期こそが最悪の時期だったのだ。
 とにかく、こうしていったん2℃という大まかな数字が示されると、これに《意味づけ》を与える論文が次々に現れた。しかし物事はそう簡単ではないことも分かってきた。・・・
 これについてシェルンフーバーは言う。《確かに気候影響の予測はそれほど信頼のおけるものではない。だからといって膨大な数の論文を政策決定者の机上に積んでやっても何もなりはしない。われわれはこれらを煮詰めて実行可能なシナリオとして提供してやらなくてはならないのだ。》
 このような考え方に対しては批判的な学者も多い。ハンブルグ大学のフォン・ストルヒは言う。《2℃目標は真の科学とはまったく関係ない。気候影響の研究者たちは政治的助言を売り物にし過ぎている。彼らは政治活動をしていて、その成果を見せたがっているのだ。それは、結果として、科学への信頼を落とし、更にクライメートゲート事件に見られたようなIPCCの堕落の遠因になっているのだ。・・・気候変動は一夜にして起こるものではないので、対応するための時間は十分にある。我々はもっと冷静でなくてはならない。恐怖を煽るようなやり方は間違っている。》』

 第5次報告書の第1作業部会報告が発表されたあと、ベルリンで『気候問題とその影響』と題するパネル討論会が開かれた。討論に参加した5人の気候学者は気候へのCO2の寄与の程度については意見が分かれたが、2℃目標については全員一致でこれを拒否し、このような形で科学が政治に加わること、そこに科学者たちが取り込まれようとしていることに強い懸念を示した。
 2℃目標は今でも生きていて、これを達成するためには今世紀末までに100兆円を超える対策費が必要だろうという。・・・ドイツ発の『2℃』という標語が、ドイツ国内だけでなく、全世界で喧伝されていることに背筋が寒くなる思いがする。繰り返して言う。2℃目標は極め付きの俗説なのだ。」

 現在、国際的目標となっており、ホーキング博士が訴え、多くの若者が危機感を持つに至った指標としての数値にしては、思いがけない経緯で採用されている数字ということになる。ちなみに、ここで2℃目標の生みの親とされているポツダム気候影響研究所長のシェルンフーバー氏の名前を、本ブログ「ナガサキアゲハとトランプ大統領(3/5)」(2019.12.13 公開)で紹介した声明(2019年9月発表)の発表者の中に見ることができる。

 では、次に自然変動説である。先ず、赤祖父俊一博士の著書①からの紹介。

 「・・・筆者はまだ究明されていない自然現象の原因について論じ、尽きない議論に巻き込まれることを避け、多くの専門科学雑誌や報告に発表された(すなわち、厳密な審査を受けた)数々のデータによって、小氷河期が実在したこと、そして現在はそれから回復中(すなわち温暖化)である証拠を示す。・・・筆者は、回復が1800年、それ以前から始まっており、しかも気温の上昇率は当時から現在まであまり変わっていない(直線的)ことを示す。炭酸ガスの放出量が急速に増加し始めたのは、1946年頃であるので、この1800年代からの直線的気温上昇は自然変動であるという確固たる証拠の一つになる。・・・
 このように自然変動を同定し、現在進行中の温暖化からそれを差し引くことによって、人間活動による炭酸ガスによる温暖化率を推定した。そして現在の温暖化の6分の5が自然変動によるもの、すなわち炭酸ガスによる温室効果はわずか6分の1であることを証明した。・・・」

 以上は著者の赤祖父俊一博士が結論を述べたものであるが、気温上昇が1946年よりもずっと前から始まっていたことを示す証拠として挙げられているものが、以下の図1~図7である。


図1.1880~2000年の期間における地球平均の気温変化(IPCC発表)


図2.(上)北極海の島で採掘された氷床のコアの解析により、酸素同位体(O18)から推定した1725~
      1995年までの気温変化。前の図1の直線的変化を1800年前後まで延ばすことができる。
   (中)ノルウェーでの気温(寒暖計)。
   (下)過去1880~2000年の北極圏における気温変化。


図3.欧米における寒暖計の気温測定値(Jones と Barkley、1992年)。


図4.ヨーロッパで小麦、ブドウなどの収穫や川、湖の氷の溶ける日などから過去の気温変化を推定したものの例(Tarand と Nordli、2001年)。


図5.1845~1995年における世界各地の川、湖の凍結日(上)と融解日(下)(Magnuson他、2000年)。


図6.諏訪湖の御神渡りの日の記録。日付の「0」は1月1日(伊藤公紀、ウェブサイト)


図7.北大西洋の海底堆積物質の酸素同位体(O18)から推定した気温(Keigwin 1996年)。

 このように気温上昇が自然変動の一部として起きていることが示されたが、自然変動が起きるメカニズムについてはここでは原因は不明として触れられていない。
 
 その点については、7年後に出版された著書②で深井有博士が太陽活動の変化に原因を求めていて、第2章で次のように解説している。
 
 「1612年、ガリレオ・ガリレイは発明されて間もない望遠鏡を太陽に向けて、光る円板上にときどき不規則な形をした黒い点が現れ、ゆっくりと移動しながら消えていくのを見いだした。その後、この黒点の観測は現在まで絶え間なく続けられて、太陽活動に関する400年にわたる記録を提供している。ガリレオ・ガリレイ以来の黒点数の経年変化を図8に示す。黒点数は約11年周期で増減を繰り返すが、それに加えておよそ100年ごとに大きく変動している。1700年ごろと1800年ごろの極小期はマウンダー期、ダルトン期と呼ばれている。
 黒点数の増減とともに太陽磁場も約11年周期で強弱を繰り返している。現在は、黒点数の減少とともに太陽磁場も急速に弱くなっている。・・・」


図8.過去1000年間の宇宙線強度と黒点数の相関(スツイヴァーら 1998年)。

 「ここで視野を広げて、太陽磁場が宇宙空間でどこまで及んでいるかを見ておくことにしよう。図9にその概略を示す。天の川銀河の星間物質の中を運動している太陽は、その周りを太陽磁場が及ぶ領域(太陽圏)で囲まれている。進行方向(頭の部分)は星間物質の圧力を受けてひしゃげているが、逆方向(尾の部分)には長く伸びている。頭の部分での境界までの距離は太陽-地球間の距離の約120倍である。1977年9月、今から36年前に地球を飛び立ったボイジャー1号は2012年6月に史上初めて太陽圏境界を越えて外に出た。・・・これによって太陽圏境界までの距離が確定されただけでなく、時々刻々と送られてくるデータによって境界面付近の構造が明らかにされつつある。・・・」


図9.太陽の赤道面から見た、太陽圏と銀河宇宙線(②の図2-7(a)を参考に筆者作成)。


図10.太陽圏境界付近での宇宙線強度。ボイジャー1の観測による(クリミジスら 2013年)

 「太陽の黒点付近ではときどき『フレア』と呼ばれる大噴出が起こり、そのとき放出された水素原子核(プロトン)が地球にやってくる。これが太陽宇宙線である。ところが、これとは別に、1000倍も大きなエネルギーをもつプロトンが四方八方から飛び込んでくる。これは大昔から太陽系の属する銀河(銀河系、天の川銀河)で起こった数多くの超新星爆発で放出されて宇宙空間を飛び回っていたプロトンであって、『銀河宇宙線』と呼ばれる。その数は1平方m当たり毎秒2000個にも及ぶ膨大なものなので、地球の気候に重大な影響をもたらす。ここではまず銀河宇宙線の振る舞いを説明しておこう。
 大気圏外からやってくる銀河宇宙線は荷電粒子で運動するときに磁場から力を受けるので、まず銀河系内の磁場、次に太陽圏内の磁場、最後に地球の磁場の影響を受けて、曲げられ、散乱されながら地上に到達する。太陽活動が活発なときには太陽圏内の磁場で強く散乱されるために、到達する宇宙線は少なくなる(図10)。こうして宇宙線強度は太陽活動についての情報を担うことになる。(地球の)大気圏内に到達した1次宇宙線は上空で大気中の原子と衝突して、核反応によって炭素やベリリウムの同位体(14C、10Be)を作り、中性子を放出する。
 地上で宇宙線強度を測定するには、上空の核反応で生じた中性子を測定すればよい。1964年以降の測定結果を図11(a)に示す。中性子強度は『11年周期』で変動しており、黒点数の極大(図11(b))が中性子強度の極小になっている。これは太陽活動が強まったために地球に到達する宇宙線強度が弱まったことに対応している。・・・」


図11.過去50年間の(a)宇宙線強度(中性子強度)、(b)黒点数と(c)太陽定数(太陽放射強度)の相関。(モルゲンステルンら 2010年)

 「・・・気候を考えるときのわれわれの直接の関心事は、黒点数や太陽磁場よりは太陽から受ける光や熱であろう。以前には、この熱量も黒点数と同様、太陽活動に伴って変化すると考えられていたのだが、大気圏外の衛星測定が行われた結果、その変化は極めて小さくて『11年周期』の変化は0.1%に過ぎないことが分かった(図11-(c))。・・・
 太陽は電磁波(光と熱)と荷電粒子(宇宙線)という2種類のメッセージをわれわれに送ってくれている。そのうち電磁波の強度はほとんど変わらないが、宇宙線は短期的にも長期的にも大きく変動して、太陽の状態変化を伝えている。IPCCは電磁波の強度のわずかな変化しか考えなかったために、太陽による気候変動への影響は極めて小さいとしてしまった。ところが実は、宇宙線の強度変化が雲量の増減をもたらし、これが気候変化をもたらすことが認識されてきたのだ。・・・」

 (繰り返しになるが)「気候の長期変動の原因は(一時期)太陽からの流入エネルギーの変動であるように見えたのだが、太陽圏外で流入エネルギーを測定した衛星観測の結果は、それを否定するものだった(図11(c))・・・こうして、気候変動の外的要因としての太陽活動は次第に軽視され、大方の関心は温室効果気体であるCO2の濃度増加による温暖化へと移っていき、やがてCO2主因説に支配されるようになっていったのである。」

 「しかし、太陽活動と気候変動の間のミッシング・リンク(未知のつながり)は、1991年、デンマークのフリース・クリステンセンとラッセンによって見出されていた。彼らは過去100年余りの気温と太陽活動の相関についての新しい発見をした。黒点数が多い時には『11年周期』が短くなることに着目して、その周期の変動と北半球の平均気温との関係を調べたところ、図12に示すように両者の間には高い相関があったのだ。この相関は古い時代まで調べられて、1700年ごろの寒冷期や1000年ごろの温暖期に対しても成り立つことが認められている。・・・」


図12.太陽黒点数の変動周期と気温の経時変化;1860~1980年(クリステッセン、ラッセン 1991年)

「次の発表は1998年に、デンマークの気象学者ヘンリック・スヴェンスマークによってなされた。彼は黒点数ではなく、宇宙線強度の変化に着目したのだ。図13は彼の論文からの引用である。気象衛星で観測された雲量(雲で覆われた地表面積)を低層(3.2km以下)、中層(3.2~6.5km)、高層(6.5km以上)に分けて地上で計測された宇宙線強度の時間変化と比べてみたところ、低層雲との相関が極めて高く、より高い雲については、このような相関は見られなかった。これは飛来する宇宙線が低層雲量を増加させ、それが太陽光を反射するために地表の気温を低下させたものと解釈された。地表を覆う雲の約60%は低層雲なので、その変化は気候変動に対して大きな効果をもたらすことになるのだ。
 スヴェンスマークの発見に引き続いて、気温と宇宙線との相関を示すデータがいくつも発表されている。図14はカークビーの総説からの引用である。・・・」


図13.気象衛星観測による低層雲の年平均雲量と地上観測による宇宙線量の比較(スヴェンスマークら 2007年)


図14.過去1200年間の北半球平均気温(a)、銀河宇宙線強度(b)と熱帯アンデス氷河の消長(c)の経時変化(カークビー 2007年)

 「宇宙線による気候変動の研究はイスラエルの宇宙物理学者シャヴィヴが参入することで大きく展開した。彼は宇宙線の源である銀河系の構造に目を向けることで、地球の古気候の全体像が理解できることを示唆したのだ(2003)。
 太陽系が属している銀河系は薄い円盤状をしているのだが、詳しく見ると、図15に見るように密度の濃いところが渦状腕を形成していて、全体がゆっくり回転している。・・・銀河系全体の回転は太陽系の公転速度よりいくらか遅いので、時間が経つにつれて相対位置が変化し、太陽系は過去に何回も渦状腕を横切ったことになる。渦状腕の中では超新星爆発に遭遇する確率が大きく、平均して宇宙線強度が高くなるので、このときに地球が寒冷化したのではないかとシャヴィヴは考えた。
 ・・・(詳しく調べた結果)渦状腕を横切る時間間隔は、古気象から知られている10億年前からの寒冷期・温暖期とかなりよく対応していることが分かった。」


図15.天の川銀河の平面図と太陽系のその中での位置(スヴェンスマーク、カルダー 2007年)

 長い説明の一部だけの紹介になり、判りにくいと思うが要約すると次のようである。

 地球には太陽からの太陽宇宙線(プロトン=水素原子核)が降り注いでいる。ところが、これとは別に、1000倍も大きなエネルギーをもつプロトンが四方八方から飛び込んでくる。超新星爆発で放出されて宇宙空間を飛び回っていた「銀河宇宙線」である。
 そして、この銀河宇宙線は、その数が1平方mあたり毎秒2000個にも及ぶもので、地球の気候に重大な影響をもたらしている。
 この銀河宇宙線は電荷を帯びているので、銀河系、太陽圏内、そして地球磁場の影響を受けながら宇宙を飛び回っている。地球に到達するこの銀河宇宙線量は、太陽活動が活発な時は太陽圏内の磁場で散乱されるため、少なくなる。こうして宇宙線強度は太陽活動の影響を受けたものとなる。
 この宇宙線は地球上の雲の発生に影響している。地球の気候は太陽から受ける光や熱により決まるが、地表に届くこの光や熱の量が雲の発生量による変調を受けるため、太陽の光や熱の量が安定していたとしても、宇宙線量が変化すると、地球の気候が変化することにつながる。これが、地球気温の自然変動のメカニズムとされているのである。

 宇宙線が雲を作るミクロなメカニズムについては、さらにエアロゾルの存在などを考慮する必要があるが、これらについての引用はここでは割愛する。

 こうして、地球の温度が宇宙全体の運動の中で決定されるというメカニズムが提案された。これにより古気候を含む気温変化が説明でき、IPCCの主張する温暖化気体を主とする説では十分説明できなかった氷河期発生のメカニズムも説明されている。

***********************

 アメリカのトランプ大統領が、地球温暖化対策の国際的枠組みである「パリ協定」からの離脱を通告したその理由や背景が知りたくて、地球温暖化について調べてきたが、そのあらましが見えてきたように思う。今回見てきた内容は、純粋に科学的な側面であったが、この他にも化石燃料の資源枯渇問題や、二酸化炭素排出権取引、さらには地球人口そのものなど政治的な問題などが複雑に絡んでいる。

 3年前にトランプ大統領が、パリ条約からの離脱を表明したとき、わが国の副総理はアメリカのことを「その程度の国」と呼んだと報じられたが、こうして見てくるとそうとも言えない。トランプ大統領は異論を含め多くの情報の存在を踏まえて、温暖化論議が極めて複雑で、一筋縄ではいかないことを承知していたのではないかと思えてくるのである。

 科学的側面についてみると、20年ほど前の温暖化論議は、いわば(武谷)三段階論でいうところの、現象論、すなわち天動説の段階ではなかったか。宇宙構造に関する人類の認識が、天動説から地動説に進み、最終的には惑星の動きも含めて、宇宙全体のより正確な認識に至ったように、地球温暖化のメカニズムの理解も、今もなお発展過程にあるのではないか。

 中世の人びとにとって、地球が静止していて天体が動いている、地球は宇宙の中心に位置しているというのは、目の前の出来事を観察した結果としては、ごく自然なことであった。ガリレオが望遠鏡で太陽、惑星、月などを観察し、これらが自転していることを知って、地球もまた他の星と同じように宇宙の中で運動していると考えることが、より自然であると主張しても、一般人にはなかなか地球が自転しているということを実感として信じることができなかったのは想像に難くない。

 地球が自転していることを、判りやすく実証する実験が行われたが、それがフーコーの振り子であった。自転運動する物体上で、長い弦をもつ周期の長い振り子を長時間振動させると、次第に振動面が変化することが観察できるというもので、1851年、フランスのレオン・フーコーが考案し、パリのパンテオンで公開実験が行われた。この実験により、はじめて、当時の人びとは地球が自転していることを実感したのであった。

 二酸化炭素主因説が広く信じられている現在、この論争がどのように展開するか、どのように決着するかは素人の安易な予断を許さない。ただ、今年トランプ大統領は再選のための選挙を迎えており、パリ協定からの離脱を含めて地球温暖化への取り組みが選挙の争点のひとつになるとの報道もある。選挙戦の中で、科学的事実を含めた議論がおこなわれ、それを通じてより本質に迫る地球気候についての理解が進み、広く認識されることを期待したいものである。

 温暖化における「フーコーの振り子」が見いだされ、現在不安にさいなまれている多くの若者たちに希望が見いだせる将来を、大人たちが提示できるようになってほしいものと切実に思う。
 

大阪大学理学部に設置されているフーコーの振り子(2019.11.13 撮影)
 










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ハプスブルグ展

2020-01-17 00:00:00 | 日記
 何かの用があり東京に出かける時には、できるだけ博物館や美術館で開催されている展覧会に行くようにしているが、今回12月4日に上京した時には、国立西洋美術館で開催中の「ハプスブルグ展」(開催 2019.10.19~2020.1.26)を見に行った。


国立西洋美術館で開催中されている「ハプスブルグ展」(2019.12.4 撮影)

 このハプスブルグ展は、日本とオーストリアの国交樹立150年を記念して開催されたもので、ヨーロッパの歴史の表舞台で、650年の長きにわたり支配を続けてきたハプスブルグ家が収集した数々のコレクションの中から、「歴史を彩った、王家の8人の物語」として選ばれた絵画を中心としたものであった。

 150年前といえば、1869年(明治2年)。発足間もない新明治政府の頃で、大日本帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国の間で修好条約が調印され、国交が樹立された時であった。当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝はフランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)、日本は若い明治天皇(当時17歳、1852.11.3-1912.7.30)の下、三条実美、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、伊藤博文、板垣退助、大隈重信らが役職についていた。伊藤博文(1841.10.16-1909.10.26)が初代内閣総理大臣に就任するのはまだずっと後の、1885年(明治18年)のことである。

 さて、ハプスブルグ王家の8人とは、マクシミリアン1世、ルドルフ2世、フェリペ4世、マルガリータ・テレサ、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、エリザベト、フランツ・ヨーゼフ1世の、男性4人と女性4人である。

 配布されていたチラシには、この8人の肖像画がそれぞれ実寸の約1/18の大きさで紹介されていて、次のようである。絵の大きさでは「フランス王妃マリー・アントワネット」が最大であることが分かる。実際、その絵の大きさは、273x193.5cmとされ、会場でも圧倒的な大きさであった。


「ハプスブルグ展」のチラシ

 このチラシにある4人の女性の肖像画を同じサイズで示すと以下のようになる。


青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(1651-1673)の肖像
 このマルガリータ・テレサは、幼い頃からウィーンの宮廷に嫁ぐことが決まっていたスペイン王女。この作品は許婚者に彼女の成長ぶりを伝えるべく描かれたとされる。ちなみに、その許婚者とは叔父にあたる神聖ローマ皇帝レオポルド1世である。


皇妃マリア・テレジア(1717-1780)の肖像
 ハプスブルグ家でただ一人の女帝。天性の政治的手腕で国難を切り抜け、民を導いたとされる。当時としては珍しく恋愛結婚をしたフランツ・シュテファンとの間に16人の子供をもうけた。尚、神聖ローマ皇帝には即位できず、夫君のフランツ1世(1708-1765)が即位している。


フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像
 マリア・テレジアの15番目の子供、母の取り決めで、フランス国王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と政略結婚。フランス革命で断頭台の露と消えたことはあまりにも有名。


薄い青のドレスの皇妃エリザベト(1831-1898)の肖像
 オーストリア帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー二重帝国)皇妃。類まれな美貌を見初められ、16歳でフランツ・ヨーゼフ1世のもとに嫁ぐも、ウィーンの宮廷に馴染めず、各地を放浪。息子ルドルフ(1858-1889)の不幸に見舞われ、自身も変死した薄幸の皇妃。愛称「シシィ」。
 このシシィはハンガリーにしばしば滞在していたことから、ハンガリー国民に広く愛されていて、首都ブダペストを流れるドナウ川に架かる橋「エリザベト橋」としてその名が残されている。また、オーストリアの土産物にも肖像画が用いられるなど今でも高い人気を誇っている。



「シシィ」の肖像画が使用されているオーストリアの土産物、リキュール(上)とスミレの花の砂糖漬け(下)

 続いて、4人の男性の肖像画は次のようである。


ローマ王としてのマクシミリアン1世(1459-1519)の肖像
 神聖ローマ帝国皇帝。武勇に秀で、生涯に27の戦を戦った。語学に才を発揮し、芸術の愛好家でもあった。


神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552-1612)の肖像
 統治者としてのセンスは皆無、しかし学問や芸術への造詣の深さは抜きんでていた”変人”。ヨーロッパ史上における稀代の芸術愛好家、コレクター。


スペイン国王フェリペ4世(1605-1655)の肖像
 若くして即位、文化や芸術に情熱を注ぎ、若きベラスケスを宮廷画家に採用し厚遇したことで知られる。


オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)の肖像
 68年間もの長きにわたって在位した”最後の皇帝”。今日のウィーンの街の姿を整備し、ウィーン美術史美術館を建設させた。

 このチラシの8人のうち、当日の入場券と、展示会の図録の表紙にはこの中の「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」の絵が用いられており、図録の裏表紙にはマリー・アントワネットの絵が使用されていた。

 ここで、神聖ローマ帝国皇帝でもあった、ハプスブルグ家の歴代皇帝の在位と生没年を見ておくと、次のようである。ここには先の8人の男女のうち、3人の男性と女性が1人登場する。



ハプスブルグ家歴代の皇帝(ハプスブルグ展の図録から筆者作成)

 今回の展示会では、ハプスブルグ家歴代の皇帝などの蒐集した美術品のほかに工芸品も含まれているとの事前情報もあり、ガラス工芸品にも期待していたのであったが、残念なことにガラス工芸作品はまったく含まれていなかった。1点ガラスと見まがうものがあったが、それは1652年の作とされる煙水晶の壺であった。高さ21.5cm、直径6cmの大きな1塊の水晶をくりぬいて作られ、外形は素材の結晶構造に従った六角形をしており、表面にはカット装飾が施されている。これに四葉型の開口部を備えた短い首と基台が付け加えられたものである。

 ハプスブルグ家は、ライン川の上流域の、現在のスイス地方の豪族として頭角を現し、13世紀末にオーストリアに進出。同地を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げた。15世紀以降は、神聖ローマ帝国の皇帝位を代々世襲。その支配下にはガラス産業が栄えた現在のチェコ西部のボヘミア地方も含まれていた。

 ボヘミアのガラス製品は、ヴェネチアンガラスと共に世界の2大ガラスとして今も有名であるが、そのボヘミア地方のガラス工芸は、12世紀ころから始まったとされ、当初は教会などのステンド・ガラスを主に作り、13世紀の中頃になってガラスの容器類が生産され始めたとされる。このボヘミア地方とその周辺のガラス産業の発展には代々のハプスブルグ家の皇帝たちが貢献しているとされる。

 以下は、「ガラス工芸」(由水常雄著 1975年 ブレーン出版発行)からの引用である。

 「14世紀中頃に、神聖ローマ帝国の皇帝にしてボヘミア王を兼ねていたカレル4世は、都をプラハに置いていた。そのためプラハには多くの文化人や美術家たちが集まり、ヨーロッパの文化的中心地となって栄えた。今日もその当時の名残が古都プラハに充溢して、往時をしのぶことができるが、そうした高い文化水準の中で、ボヘミアン・グラスがスタートしたのである。・・・
 ボヘミアン・グラスが本格的な興隆期に入るのは、16世紀後半に入ってからのことである。ふたたび神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世(1552-1612)がプラハに都を置き、芸術と科学に手厚い保護を加え、ガラス工芸に対してはとりわけ熱心に援助の手を差しのべたのである。その結果、ボヘミアン・グラスの品質は急速に高まり、完璧に近いほどの無色透明性を獲得するに至った。
 当時、プラハ宮廷の工房は、ロック・クリスタル彫り(水晶彫り)で、世界的な名声を博していたが、そこに働いていた名工カスパー・レーマンがこの素晴らしい人工のクリスタルに眼をつけ、積極的にこれを使って、水晶彫りの技法を応用し、グラビールやカットを施した作品を世に紹介した。これがプラハの宮廷社会に大歓迎され、ひいては、その一族であるハプスブルグ家の寵愛品となり、一挙にヨーロッパの宮廷で珍重されるようになった。・・・
 ヨーロッパの上流社会を背景にして、急速に成長してきたボヘミアン・グラスも、18世紀中ごろからの各国の紛争や戦争(オーストリア継承戦争1740~48、シレジア戦争1740~45、七年戦争1756~63、ババリア継承戦争1778~79、ナポレオン戦争1796~1814)によって大きな打撃を受け、一方では、ヨーロッパ各国が高率関税をかけて自国の産業を保護したために、輸出が激減した。そのために、ヨーロッパ中にその名声を馳せたさすがのボヘミアン・グラスも、この時期にはわずかに余命を保つ程度まで衰退してしまった。・・・
 その後の、あらゆる技法開発の努力の甲斐があって、ボヘミアン・グラスは、19世紀後半に入ると、ふたたび新しいエネルギーと意気込みをもって世界の市場に登場し、またもや大いなる名声を得るに至るのである。」

 また、「プラハ幻景」(ヴラスタ・チハーコヴァー著 1999年 新宿書房発行)には「マリア・テレジア」の名を冠したシャンデリアのことが紹介されている。

 「ボヘミアン・ガラスがもっとも繁栄したのは、ルネサンスおよびバロック時代である。16世紀末のルドルフ2世のプラハ宮廷では、手細工がその全盛期に入り、錬金術も盛んに行われていたので、外国から多くの職人や芸術家たちが招かれ、ボヘミアン・ガラスは新しい技法とその時代のマニエリスム(*)の強い影響によって、複雑な形をもつ装飾性の強いものとなった。・・・
 ボヘミアン・ガラスにとって最も重要な発明は、いうまでもなく、1683年のレーマンという職人によるカット・ガラスの技法である。このガラスは、特に酒杯の製造において、光線がガラスに反射する視覚的効果を生み出すという、すばらしいカットの技術を見せた。あっという間にヨーロッパ中に広まり話題となっていった。また、カット・ガラスによるシャンデリア、いわゆる『マリア・テレジア・シャンデリア』はこの時代に発明され、初めてカレル6世の戴冠式に使用され、それから全世界へと輸出されはじめた。・・・」(* 極度に技巧的・作為的な傾向をもち,時に不自然なまでの誇張や非現実性に至る美術様式。)

 この時代に、オーストリア北部の片田舎グリースキルヒェンからウィーンにやってきたヨーゼフ・ロブマイヤーが、裏通りのヴァイブルグガッセに小さなグラスショップを出した。1823年のことで、今日ではクリスタル製品の老舗として名高いロブマイヤーの第一号店である。
 ヨーゼフ・ロブマイヤーは、自身で工場を持つことはせず、ボヘミアの第1級のガラス工場数社から木灰を利用したカリガラス商品を仕入れたり、顧客の好みに応じて自らデザインをしたものを、それに合う工場を選んで特別生産させるなどして一躍人気を博した。
 1835年、時の皇帝フェルディナンド1世にハプスブルグ家の紋章”双頭の鷲”を刻印したドリンキング・セットとシャンデリアを納める栄誉を与えられたロブマイヤーは、1860年”皇室御用達”の称号を賜ってその名声を不動のものとしたとされる。
 ウィーンのホーフブルク王宮ではロブマイヤーが1835年に時の皇帝フェルディナンド1世に献上したシャンデリアが今も使われているというが、ロブマイヤーは食卓を飾るグラスと共にシャンデリア製作にも力を注いだ。その中にはバロックタイプの典型的なシャンデリア「マリア・テレジア」シリーズがある。

 創業者のヨーゼフ没後、1860年には長男ヨーゼフ・ジュニアと次男ルードヴィヒは共同経営者となり社名も「J.&L.ロブマイヤー」に変更、登録した。この社名は今日まで引き続き用いられている。
 次の写真は、3年前にウィーン中心部にある店舗を訪問した時のものである。
 

ロブマイヤーの店舗外観(2017.12.5 撮影)

 ロブマイヤーからは「マリア・テレジア」の名前がついたデキャンタとグラスからなるドリンキング・グラスセットも販売されている。次の写真はこれと同型のもので、1880年頃の製作とされており、カップ部に「マリア・テレジア」の紋章が刻まれたワイングラスである。これまでにも本ブログで紹介したことのあるものだが、カップ部分が通常のものとは異なりウランガラス製であり緑色をしている。


「マリア・テレジア」ワイングラス(左:通常光下、右:紫外光下)。


「マリア・テレジア」ワイングラスのカップ部拡大。


口の形は楕円形をしている。
  
 もう一つ、1860年頃のデザインとされ、ハプスブルグ家からメキシコ皇帝として赴任したマクシミリアンのために作られたとされている「ミラマーレ」という名を持つドリンキング・グラスセットがある。これはイタリアのミラマーレ城の名前をとったとされている。手元にあるこのグラスも全体が緑色のガラスでできているが、こちらはウランガラスではない。



「ミラマーレ」の名前がつけられたロブマイヤー社製のワイングラス。

 ほかにはマリー・アントワネットの名がつけられたグラスでドイツのテレジアンタール社製のものがあり、エリザベートの名前がつけられたグラスは、フランスのバカラ社で作られている。

 ロブマイヤー社が製作し、フェルディナンド1世、フランツ・ヨーゼフ1世、その皇妃エリザベートらが、日常あるいは大晩餐会で使用したグラス類の一大コレクションは、ウィーンにあるホーフブルク王宮の博物館にあるとされる。

 今回のハプスブルグ展ではこれらを見ることができず、残念であったが、機会があれば現地で見てみたいものである。


  





 
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ナガサキアゲハとトランプ大統領(4/5)

2020-01-10 00:00:00 | 日記
 足掛け4年になるこのテーマ、今回はだいぶ長くなりましたが、お付き合いください。

 さて、今回は地球温暖化懐疑論について見ておこうと思う。トランプ大統領はじめ、米国共和党の政策決定の背後には、この懐疑論にみられるように、現在の地球温暖化が人為的な二酸化炭素排出によるものではないとする見解が影響していると思われるし、米国以外の各国の取り組みにも、グレタさんが指摘するまでもなく、足並みの乱れや、本当に真剣に取り組んでいるのだろうかといった状況が見られて、IPCCあるいは環境問題に取り組んでいる団体が発表しているような危機的状況として、現状を受け止めているのかどうか疑わしく思えてくるのである。

 ウィキペディアの「地球温暖化に対する懐疑論( 2019年10月15日 (火) 14:39 日付)」の項を見ると、冒頭に次のように書かれている。

 「地球温暖化に対する懐疑論(Skepticism to Global Warming)とは、地球温暖化や気候変動は人為的なものでない、地球は温暖化していない等とする学説や意見である。
 地球温暖化に関する科学的知見を最も包括的に評価した報告書がIPCC第4次評価報告書(以下AR4と略す)である。この評価結果などにより、地球温暖化の原因は人為的なものが大部分であるとの国際的かつ科学的な合意が得られ、世界の動きはこれを主軸としつつある。AR4にはいくつかの誤記がみつかったが、主要な結論は変わっていない。
 気候科学に対する国民の信頼を損なう組織化されたキャンペーンは、保守的な経済政策に関連しており、CO2の規制に反対する産業に支えられている。米国の気候変動に懐疑的な論文の90%以上は、右翼のシンクタンクに由来している。1970年代後半から石油会社は地球温暖化に関する標準的な見解に沿って広く研究を発表してきたにもかかわらず、気候変動拒否キャンペーンを組織し、数十年にわたって公共の偽情報を広めた。これは、タバコ産業による喫煙の危険性の組織的な否認と比較される戦略である。
 また2007年7月に米国石油地質協会 (AAPG)(英語版)がその意見を変えて以来、近年の温暖化に対する人為的影響を否定する国際的な学術組織は無いとされる。
 一方、地球温暖化やその原因等に対し異論を主張する論者も存在し、主な異論は当該分野の専門家による反論がある。」

 ここにあるように、「懐疑論」あるいは「異論」には大きく分けて次の2つがある。
 ㋐気温上昇に対する懐疑論、すなわち、「気温は上昇していない、もしくは、そのデータの信頼性に疑問がある。」というものであり、もう一つは
 ㋑原因に関する懐疑論、すなわち、「温暖化は二酸化炭素を主とした温室効果ガスの濃度増加に因るとの学術的知見に対して、太陽活動の影響、宇宙線の影響、地球内部の活動、磁気圏の活動などが原因と主張する懐疑論。」である。

 ウィキペディアの後段には、この「懐疑論=主張」とそれに対する「反論」が項目ごとに書かれているのであるが、それは各自ご覧いただくことにして、ここでは日本国内で発売されている本の中から、著者が特別な団体の利益を代表していないと思われる次の2冊を選んで、これらを参考に論点を整理してみようと思う。
 ①「正しく知る地球温暖化」(赤祖父俊一著、2008年 誠文堂新光社発行)
 ②「地球はもう温暖化していない」(深井 有著、2015年 平凡社発行)
である。

 著書に記載されている、出版当時の著者のポジションと経歴は、それぞれ次のようである。
 赤祖父俊一:1930年、長野県生まれ。1953年東北大学理学部地球物理学科を卒業。同大学院在学中の1958年にアラスカ大学大学院に入学。博士号を取得。アラスカ大学地球物理研究所助教授を経て、1964年に教授に就任。1986年から1999年まで、アラスカ大学地球物理研究所、2000年から2007年まで、アラスカ大学国際北極圏研究センターの所長を努める。オーロラをはじめ、地球電磁気学や北極圏研究における世界的権威。
 深井 有:1934年千葉県生まれ。東京大学理学部物理学科(地球物理学専攻)卒。同大学院数物系研究科博士課程修了。理学博士。専攻は金属物理学、とくに金属-水素系の物性と材料科学。現在、中央大学名誉教授、物質構造科学研究所・東京大学生産技術研究所客員研究員。

 お二人とも、純粋な研究者である。また出版時点でだいぶ高齢である。この2書を選んだ理由は、上記の経歴のほかに出版された時期にある。
①は2007年のIPCC第4次報告書が公表された後の出版であり、
②は2014年のIPCC第5次報告書(これが現時点では最新のもの)の後のものである。

 次の表は2018年に公表されたIPCC特別報告書の内容を環境省が発表したものからの抜粋であるが、
1990年のIPCC第1次報告書から2013~2014年の第5次報告書までの評価報告書の内容が纏められている。

これまでのIPCC報告書の要旨(2018年公表の特別報告書・環境省発表より) 

 前記の2冊の著書は、それぞれこの第4次、および第5次報告書公表の後で出版されており、これらの内容を踏まえたものとなっている。

 この2つの著書の二酸化炭素原因説に対する「異論」または「反論」とはどういうものか見ていくと次のようである。 

 著書①はIPCC第4次報告書の後に出版されたものであるが、地球温暖化は起きていることを認めたうえで、「はしがき」で次のように記している。
 「この本の要約と結論を最初に述べてしまうことにする。それは、現在進行中の温暖化の大部分(約6分の5)は地球の自然変動であり、人類活動により放出された炭酸ガスの温室効果によるのはわずか約6分の1程度である可能性が高いということである。すなわち、現在進行している温暖化の6分の5は、『小氷河期』という比較的寒かった期間(1400~1800年)から地球が回復中のためである。寒い期間からの回復は当然温暖化であり、『小氷河期』は地球上で人類活動に無関係に進行する現象、すなわち自然変動である。この本では、少なくとも自然変動の可能性が十分あり、検討するべきであることを示す。
 2007年2月、国際気候変動パネル(IPCC)が発表した報告の要約、『政策立案者のための要約』では、1900年代(20世紀)の中ごろから観測された気温上昇の大部分(most)は人類活動による温室効果ガスによる可能性が極めて高いとしている。したがって、この本の結論は、その『要約』の主張に反するものである。IPCCは小氷河期があったことを十分研究していなかった。はしがきの終わりに、IPCC報告『要約』の原文を載せてある。
 筆者がこのように主張できるのは、IPCCの旗印になってきた今から1000年前からの気温の変化の研究結果では、小氷河期が抜け落ちているためである。IPCCの研究によると、地球の気温は1000年からゆるやかに降下してきたが1900年頃突然温暖化に転じたというものである。それを示す図がアイス・ホッケーで使われる棒の形に似ているのでホッケー・スティックというあだ名が付いている。ホッケー・スティックには、約1400から1800年頃まで地球が経験した寒冷期である『小氷河期』が示されていない。第四章で筆者は『小氷河期』からの回復(すなわち温暖化)が1800年頃から始まり現在まで続いていることを示す。現在の温暖化は炭酸ガスが急激に増加し始めた1946年頃に始まったものではない。温暖化は1800年前後から現在まで連続的に進行しているのである。IPCCは彼らの政治目的のため、小氷河期を軽視または無視した。・・・」

 「筆者は気候学者ではない。筆者の研究に対して、研究内容には触れず『赤祖父はオーロラ研究の権威ではあるが、気候学の専門家ではない』というコメントをするものがある。しかし筆者は13年間(1986~1999年)にわたって米国唯一の総合的北極圏研究の要点であるアラスカ大学地球物理研究所の所長として、地球温暖化問題はもちろん北極圏の地球科学全般にわたり国際的に研究者を指導し、若手研究者を育成してきた。北極圏では自然変動が極めて顕著であるためである。また、地球温暖化研究については北極圏における気候変動研究の必要性を痛感し、まだこの問題が一般に認識される以前の1988年に、日米協力でこの問題を研究することを文部省(現在の文科省)に提案し、1999年には日米協力で国際北極圏研究センターがアラスカ大学に創設され、7年間その所長を務めてきた。細分化が激しいこの学問を所長として総合的研究とすべく『傍目八目』的立場で指導してきた。さらに米国では大学の研究所と言ってもほとんど独立採算であるので、研究所の進む方向を見誤らないよう、常に世界情勢に注意し、多くの国の人たちに接してきたことも勉強になった。・・・
 現在進行中の温暖化と人類活動による炭酸ガスの放出、その温室効果、それに付随する災害などに関する記事は少なくとも過去10年間連日のように発表されている。従って、それらをこの本ではくり返して解説する必要は無いであろう。この本ではその種の議論に反論することを目的とする。読者に『地球温暖化問題についてこんなに異なった見方があるのか』と気づいていただきたい。それでこそ、この学問は進歩できるのである。・・・」

 「IPCCの2007年2月パリで発表された『政策立案者のための要約』の第10頁の一部
 Most of the observed increase in globally averaged temperatures since the mid-20th century is very likely due to the observed increase in anthropogentic greenhouse gas concentrations.」

 赤祖父博士の主張する「小氷河期」とはどのようなものか。博士は木の年輪から推定した西暦800年から今日までの次の気温変化のグラフでそれを示している。このグラフでは気温は現在の気温からの差として示されていて、現在と同じ程度に暖かかった約1000年前、そしてその後の寒冷化を読み取ることができる。この1400年ごろを中心とした時期を小氷河期としているのである。 
 

木の年輪から推定した800年~2000年までの気温変化(著書①から引用) 

 次にICPP第5次報告書の後の出版である著書②の内容を見る。「まえがき」で著者の深井博士は次のように書いている。

 「二酸化炭素(CO2)が増えて地球が温暖化している。このままでは大変なことになるから、皆でお金を出し合ってCO2を減らそう。というわけで国連主導のこのキャンペーンに毎年数10兆円のお金が使われている。だが、待てよ---と私は思う。『これは果たして正しいのだろうか?』
 国連機関IPCCが第1次報告書(1990年)でCO2による地球温暖化を唱え始めてから25年が経過した。しかし、実際に温暖化が起こっていたのは7~8年に過ぎず、その後、世界の平均気温は頭打ちになって、今はむしろ下降傾向にある。・・・それだけではない。国はCO2による温暖化を防止するという名目で毎年4兆円もの支出をしているが、これは一体どのような論拠があるというのか。CO2が温暖化の原因であるならば、CO2濃度は年々増え続けているのに気温が18年間も横ばいであるはずはない。CO2温暖化論が間違っていることはもはや明らかではないか。
 さすがにIPCCも第5次報告書(2014年)で、彼らが頼りにしている気候モデル計算では最近の頭打ちを説明できないことを認めざるを得なかった。ところが、あろうことか、かれらはその欠陥モデルを使って将来CO2がもたらす気温上昇は確実になったと声高に主張したのだ。第5次報告書に含まれるこの矛盾(作為?)は『政策決定者向け要約』や『統合報告書』を讀んだのではわからず、数千ページに及ぶ本文を読み解いて初めて分かるように書かれているので、『要約』だけしか読まない政策決定者やマスコミは、温暖化の脅威に踊らされることになる。・・・
 次の図は過去2000年間の気温変化を屋久杉の年輪から読み取った結果である。気温は大きく波打っていて、1000年ごろの温暖期から1600年ごろの寒冷期を経て、現在はまた温暖期に戻ったところである。1000年ごろの温暖期は豊かな平安時代に当たり、寒冷期の江戸時代前半には飢饉が頻発した。・・・


過去2000年間の平均気温変化(著書②から引用)

 私は物理学者である。気候学が専門ではないけれども、日本の気候学者・気象学者の大多数がCO2温暖化ムラに囲い込まれてしまっている現在、むしろ純粋に科学者として物を考えられる得がたい立場にあるのだとおもう。わが国の地球科学者としては、ひとり丸山茂徳だけが古気候学の立場からCO2温暖化論を強く批判し続けてきたが、その声は温暖化ムラの大声にかき消されがちだった。
 IPCCはCO2温暖化を前提として、それ以外の要因を殊更に軽視してきたのだが、これは科学として邪道である。太古からの気候変動を先入観なしに眺めてみると、それは太陽活動に支配されてきたに違いないと考えられるのだ。これは筆者の独断ではない。多くの太陽研究者は、まさにそのように考えている。
 しかし最近、太陽活動は200年ぶりの急激な変化を見せ、そのおかげで太陽と気候の関係も、よりはっきりと見えてきた。・・・
 この本はCO2の温暖化に代わって、こうして新しく開けつつある気候の科学を紹介する。・・・
 この本はもちろん一般読者が理解できるように書いたつもりだが、CO2温暖化論に代わるべき気候科学を紹介するに当たっては、専門化にも通用するような正確な記述に努め、その論拠となる詳しい引用文献リストを付けることにした。・・・」

 ここでも、著者は過去2000年間に起きた地球気温の温暖化と寒冷化の変動を示して、現在の温暖化と二酸化炭素濃度との直接的な関係を否定している。

 まだ現在のような温度計のなかった、2000年前からの地球の気温を直接求めることはできないが、①でも②でも同様であるが、木の年輪から過去の気温を推定している。そのための誤差や、対象とした木の生育していた地域に限定したデータであることになる。

 また、②では著者は「地球はもう温暖化していない」という表現を著書の題に用いると共に、本文でもそのように解説している。この点はどうか。著者がその例証に示しているデータは次のようなものである。


1979~2014年の地球平均気温変化(著書②から引用)

 ②が出版された時点では確かにこの主張もありうると思うのであるが、その後追加されたデータと共に、現時点までの気温推移を気象庁の資料で見ると、2014年付近で急上昇しているので、「もう温暖化していない」というのは事実とは異なる表現である。地球気温は上昇と停滞・下降を繰り返しながら、不規則にではあるが長期的には上昇を続けているとみるべきであろう。


1975~2019年の地球平均気温変化(気象庁のデータの一部を引用)

 さて、そうすると問題の中心は、現在起きているこの地球気温の上昇の原因が、本当に二酸化炭素にあるかどうかに絞られる。この議論をさらに本文から見ていくと以下のようである。

 この点について、①では次の様に述べている。その前に、先ず議論に関連する図を3つ示しておく。IPCCが公表している1880~2000年の期間における地球平均の気温変化と、この気温変化に同期間の北極圏の気温変化と、同期間における石炭、石油、天然ガスの使用量変化を書き加えたもの、そして過去450,000年間における大気中の炭酸ガス量(上)、気温(中)、メタンガス量(下)の変化である。


図1.「過去120年の地球の気温変化」(著書①から引用)


図2.気温変化と同期間における石炭、石油、天然ガスの使用量変化(著書①から引用)


図3.過去450,000年間における大気中の炭酸ガス量(上)、気温(中)、メタンガス量(下)の変化(著書①から引用)

 先ず①で述べられている二酸化炭素と地球温度の関係。現在から12年前に書かれたものであることに注意して読む必要はあるが、以下引用である。

 「IPCCの主張にもかかわらず、現在の温暖化が大部分炭酸ガスによるという確固たる観測事実はないのである。すなわち、現在0.6℃/100年という上昇率の温暖化は起きているが、これが炭酸ガスによるという確実な証拠はないのである。これはIPCCの仮定でしかない。すなわち、IPCCは炭酸ガスという分子は温室効果を起こすことはわかっており、太陽と火山活動の他には気候変動を起こす既知の原因が見当たらないとし、唯一の原因は『炭酸ガスであろう』という仮定をした。そして世界各国の大気物理学者を集め、それを証明しようとしているのである。・・・ 
 ・・・地球温暖化問題はまだ純学問的問題であり、そしてまだその幼年期にあり、政治、政策などに持ち込むべきではなかった。さらにIPCCの『政策立案者のための要約』で、現在進行している温暖化の大部分(most)が炭酸ガスの温室効果によるとしているが、一致した見解があるとはいえ、IPCCに参加した2500人の研究者の中でこの『大部分』という言葉に数字をもって示すことのできる者が何人いるであろうか。もともと、温暖化問題が重大問題であれば『大部分』というような漠然とした言葉を使うべきではない。これはIPCCが曖昧であるという証拠である。筆者の知る限りでは数字を示した論文は発表されていない。・・・(序章)」

 「図1の正確な数字は別としても、現在地球全体として温暖化が進行していることを否定する学者はほとんどいないであろう。問題はその原因なのである。・・・(第1章)」

 「図2でわかることは少なくとも三つある。第一は、炭酸ガス量が急速に増加し始めたのは1946年頃、第二次世界大戦直後であることである。第二は、地球平均気温変化と炭酸ガスの放出量の時間的変化はかなり異なっており、簡単な因果関係が見られないことである。第三は、北極圏では地球平均と似た変化をしているがその変化は地球平均の数倍もあるということである。(第2章)」

 「この章の最後で、もう一つ重要な研究結果を述べておく必要がある。過去少なくとも四回くり返した大氷河期において、気温と炭酸ガスの量の変化には非常に良い相関がある(図3)。これは気温上昇が炭酸ガスによるという証拠として広く使われてきた。しかし、ここ数年、気温と炭酸ガスの時間変化についての詳しい研究が始められている。それは炭酸ガス増加が気温に先行したか(すなわち、炭酸ガスの増加が気温上昇を生じたのか)、気温上昇が炭酸ガスに先行したか(すなわち、気温が上昇したために炭酸ガスが増加したのか)、という研究である。
 現在南極の氷を使って発表されている研究段階では、気温が約800~1300年ほど先行している結果である。すなわち、炭酸ガスの増加によって気温が上昇したのではなく、気温が上昇したために炭酸ガスが増加したということである。もしこれが確認されれば、たとえ炭酸ガスが温室効果を持っているとしても、炭酸ガスの増加が現在進行している地球温暖化の引き金になったかどうかについては慎重な研究が必要である。(第2章)」

 次に②からの引用をみる。著者の深井博士も、短期的に温暖化が停止していることを指摘してはいるものの、地球気温が長期にわたっては全体として右肩上がりになっていることを認めている。その上で次のように述べている。IPCC第5次報告書の後、現在から4年前に発行されたものであるが、大部分で①の主張と同じ内容である。

 「図4は最近160年間の気温とCO2濃度の変化を比較したものである。CO2が単調に増え続けているのに対して、気温は全体として右肩上がりにはなっているものの単調に増加しているわけではない。160年のうちで気温が上昇しているのは1900~1940年と1970~2000年の間だけであって、1900年以前と1940~1970年は若干下がり気味、2000年以降はほぼ平らになっている。IPCCはこの全体としての気温上昇をCO2増加によるものと見なし、気温が上昇していない期間に関してはエアロゾル(大気中を漂う微粒子)の影響などを考慮することで辻褄を合わせようとしたのだ。


図4.最近160年間の気温とCO2濃度の変化(著書②から引用)

 図5は過去2000年間の気温とCO2濃度の比較である。気温は大きくうねっていて、西暦1000年前後には温暖期(中世温暖期)、1700年前後には寒冷期(小氷河期)が見られる。150年前からの気温上昇は小氷河期からの回復過程に重なっている。CO2濃度は1958年以降のハワイ・マウナロアでの測定結果に南極氷床ロードームコアから得られたそれ以前のデータを時間軸をずらしてつなぎ込んだものである。CO2濃度が1850年ごろから増え始めたのは産業革命以後、化石燃料の燃焼によって大気中に排出されたCO2によるものとされている。その増加は1950年ごろから顕著になって、2013年5月9日に濃度は400ppmを超え、今なお増加し続けている。これに対し、気温はそれ以前から大きく変化していてCO2との相関は明らかではない。とくに西暦1000年前後の中世温暖期にCO2 濃度が高かった痕跡が見られないことに注意しておく。


図5.過去2000年間の気温とCO2濃度の比較(著書②から引用)

 大まかに言えば、温暖化は300年前から起こっていたことであって、その主な原因を人為的CO2排出に求めるには無理がある。・・・
 約46億年前、地球が現在の大きさになったばかりのころ、それを取り巻く大気はCO2を主成分とする金星大気(CO2:N2≒98:2)とよく似た組成で圧力は約80気圧だったと推定されている。その後、CO2の大部分は石灰岩として沈積し、一部は生物の光合成でO2に変えられて、現在の大気組成(N2:O2:CO2≒80:20:0.04)へと変化してきた。・・・
 大切なことは、地球の大気が現在の状態になるまでに80気圧から0.004気圧(400ppm)まで、ほぼ一貫して減り続けてきたこと、そこでは生物が重要な役割を果たしてきた(果たしている)こと、現在の大気は決して最終的な化学平衡状態に到達したわけではなくて、まだ変化し続けていることなどである。(第1章)」

 著書①で指摘のあった大氷河期の気温とCO2 との関係について、7年後に出版されたこの著書②でも触れられている。ここではさらに詳しい検討が加えられていて次のようである。

 「図6は南極大陸のヴォストークコアから得られた35万年前からの気温とCO2濃度の比較である。ほとんど同じ形で変動を繰り返しているが、よく見るとCO2のほうが立ち上がりが少し遅れて、しかも尾を引いていることが分かる。さらに詳しく見るために1~2万年前、氷河期から現在の間氷期移るところを拡大すると(図6下)、CO2は800年ほど遅れて変化していることが見えてくる。同様の遅れは他にもいくつかの場合に観測されていて、CO2濃度変化の気温からの遅れは800±200年とまとめられている。
 その主な原因は海洋中に溶存しているCO2が、水温上昇で溶解度が下がることによって大気中に放出されるためと理解されている。大切なのは、まず気温が上がり、それに次いでCO2濃度が上がるという因果関係である。もちろん、こうして増えた大気中のCO2は気温を上げる作用をもつのだが、少なくともこの時期にはそれが気温を決めているわけではなかったのだ。
 気温を変化させる別の自然要因がなくてはならないことになる。・・・(第1章)」


図6.南極大陸のヴォストークコアから得られた35万年前からの気温とCO2濃度の比較(著書②から引用)

 「(IPCC)第5次報告書には、人為的温暖化が重要であるという主張は次のように書かれている。『1951~2010年の間の地表平均温度の上昇のうち、半分以上が温室効果ガスなどの人為的要因によるものである可能性は極めて高い(>95%)。これについての気候モデルによる推定値は観測とほぼ合っている』。その論拠として掲げられているグラフ(図7)を見ると、自然要因だけでは近年の気温上昇を全く説明できないので、この主張はもっとものように思われるだろう。だが、それは自然要因として太陽からの流入熱量変化だけしか考慮していないためなのだ。太陽からの流入熱量変化が小さいことは衛星観測から知られているが、その他の自然要因が働いていないという保証はない。気候モデルの計算結果はコンピュータへの入力によって変わり、その入力は気候変動の要因として何を考えるかによって決まる、図7の結果は、気候変動の主因は人為的なCO2排出によるもので、変動の自然要因は小さいとする仮定から導かれたものであるから、これを人為的温暖化の論拠とするのは典型的な循環論法である。(第1章)」


図7.過去100年間の地球平均気温の計算結果(著書②から引用)

 ①、②の2著書の見解は以上見た通りで、現在起きている地球温暖化の主な原因を二酸化炭素に求めるのは間違っていると指摘している。IPCCは二酸化炭素以外に原因となるものは見当たらないとしているのであるが。
 そこで次は、もし二酸化炭素以外に温暖化の原因があるとすれば、それは何かということになる。
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