小学校の同窓会と叔父の米寿のお祝いの会が、10月下旬の23日と27日にそれぞれ関西で予定されていたので、これを機に以前から訪ねてみたいと思っていた人形峠の「妖精の森ガラス美術館」と、かつての勤務地のある三次市を取り入れた旅行ルートを計画した。
また、妻の希望で2箇所の温泉地と鳥取砂丘も加えることにして、現地での利便を考え、軽井沢から車で出かけることにした。
今年の3月に九州を旅した時には、迷うことなくレンタカーを利用した。今回はやや微妙な距離であったが、先日軽井沢のショップを訪ねてきてくださった大学時代の同級生のI さんご夫妻が、主に奥様の運転で、神戸から車での旅であったことを思い出して、決心したのであった。
軽井沢を22日の午前中に出、すぐに高速道路に乗った。目的地までは、途中何度も休憩しながらであったが、最初の休憩地の姨捨SAからは、先日来台風19号の被害で大きな話題になっている千曲川の濁った流れと、そこにかかる低く垂れこめた雲が見えた。右手が上流で上田・佐久方面、左手で大きく曲がり長野市街の方に流れていくが、この更に下流で大規模決壊があった。
姨捨SAから見える千曲川(2019.10.22 撮影)
この日の目的地は琵琶湖畔の瀬田で、ここで一泊し、翌日12時から予定されている小学校の同窓会にはこの周辺の観光地を見てから出席することにした。
神奈川県に就職で移動するまでは大阪で過ごしていたのだが、琵琶湖周辺のこの辺りというと小中学校からの遠足で来た程度で、あまり記憶に残っている場所などは無い。
瀬田に到着した当日の夕方、ホテルにチェックインする前に、三大橋として知られる「瀬田の唐橋」を見ようと思い、立ち寄った。最寄りのスーパーマーケットの駐車場に車を停め、瀬田川の堤防沿いの公園に行き、ここから「瀬田の唐橋」を眺めた。名前から予想していたものとは異なり、当然と言えば当然だが、立派なコンクリート造りの橋が目の前にあった。堤防下から川に突き出した草地では、子供たちがなにやら水生昆虫を採集しているようであり、暮れはじめた瀬田川にはボートを漕ぐ若者の姿が何組も見られた。
コンクリート製の立派な「瀬田の唐橋」(2019.10.22 撮影)
夕景の中、ボートを漕ぐ若者(2019.10.22 撮影)
シティーホテルに泊まる時はいつもそうしているのであるが、この日もホテルは素泊まりにして、瀬田では近くの居酒屋に出かけて地酒と郷土料理を楽しんだ。
翌朝、大阪市内に移動する前に「石山寺」に出かけた。私は学生時代に来たことがありその名前は憶えているし、埼玉県出身の妻も大学時代に来たことがあるという。しかし二人ともそのときの記憶が曖昧なので、もう一度行ってみたいと思ったのであった。
門前の広い駐車場に車を停めて歩き始めたものの、以前来た時の記憶は全くなく、山門をくぐりしばらく参道を歩いていてもそれは同じであった。
「石山寺」は名前の通り、広い境内の一角に巨大な石の壁がある。この石は硅灰石というもので、「石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触して、その熱作用により変質したもの」と書かれた解説板が傍らに立てられていた。ぐるりと迂回してこの石の壁の上部に立つことができる。
硅灰石の解説板(2019.10.23 撮影)
この時は3Dカメラを持っていなかったが、視点を左右に移動させて2枚の写真を撮影し、ステレオ画像として見ていただけるようにした。大きい液晶画面でご覧の場合には1枚目の交差法の写真を、小さい画面でご覧の場合には、2枚目の平行法が見やすいのではと思う。
手前にある大きな岩塊が、実際には3つに分かれたものであることや、石の前後の関係、モミジの木の生え具合など、通常の2D写真では味わうことができない3D写真の楽しさを実感していただけると幸いである。今後も「ときどき3D」画像をご覧いただこうと思っている。
石山寺境内の硅灰石・巨岩壁のステレオ・ペア(交差法、2019.10.23 撮影)
石山寺境内の硅灰石・巨岩壁のステレオ・ペア(平行法、2019.10.23 撮影)
石山寺を出て、大阪市内で開催された小学校の同窓会に参加し、仲間と別れた後、湯郷温泉に行き、
23日はここで一泊した。温泉地では旅館泊まりということになるので、ここでは旅館の食事である。
翌朝、ロビー内を見学していて、この宿に1966年(昭和41年)8月6日に当時皇太子であった、現上皇陛下ご夫妻が来ておられたことを知った。当時の写真や使用された食器などが展示されていた。
旅館のロビーに展示されていた上皇陛下ご夫妻の宿泊時の写真と当時使用した什器など(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 1/3(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 2/3(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 3/3(2019.10.24 撮影)
さて、この日最初に向かったのは、今回のドライブ旅行の重要な目的地の一つの人形峠の「妖精の森ガラス美術館」である。湯郷温泉からは中国自動車道と国道179号線を経由して、約1時間のドライブであった。
「妖精の森ガラス美術館」のパンフレットに記載されている案内地図
「妖精の森ガラス美術館」(2019.10.24 撮影)
我々世代には人形峠と言えばウラン鉱山である。子供の頃は将来の日本のエネルギー源として原子力発電にはばら色の夢を描いていたが、そうした中、人形峠のウラン鉱発見はその将来に期待を持たせるものであった。大学でも、原子力工学科を専攻して電力会社や原子力発電所建設関連の企業に就職することを望んだ優秀な人を何人も知っている。
その人形峠のウラン鉱の歴史は次のようである。
「太平洋戦争後の1954年(昭和29年)になって、天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、本格的な調査の結果、1955年(昭和30年)11月12日に県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された。当時は日本中でウラン鉱の探索が行われており、この鉱山が当初の見立て以上に有望そうであることが伝えられると一躍注目を集めることになった。このときに鉱山は『人形峠ウラン鉱』と命名され、旧来の打札越もこれ以来、『人形峠』と呼ばれるようになった。発見地点には現在『ウラン鉱床露頭発見の地』の碑が設置されている」(ウィキペディアから)。
しかし、このウラン鉱石は、実際には実用的な採掘がされないままに鉱山は閉鎖となり、次第に世の中から忘れられていったようである。海外から安価なウラン鉱石が輸入されるようになってきたからであった。今は、当時採掘された残土が、岡山県と鳥取県の両県の負の遺産となっているという現状もあると聞く。
そうした中で、日本ではもちろん、世界でも唯一とされる、珍しいウランガラスを専門に展示するこの「妖精の森ガラス美術館」が建設された。ホームページ(https://fairywood.jp/)には次の説明が見られる。
「ごあいさつ:妖精の森ガラス美術館は平成18年(2006年)に鏡野町が建設した世界的にも珍しい『ウランガラス』をテーマにした美術館です。ウランは19世紀から20世紀にかけて、欧米や日本でガラスの着色剤として使われていました。紫外線が当たるとガラスがきれいな緑色の蛍光を放つことから、当館では地元、人形峠のウランを用いたガラスに『妖精の森ガラス』という名前をつけました。小さな美術館ですが、展示室で世界のウランガラスや現代のガラス作品の鑑賞、併設のガラス工房ではガラス体験、アートショップでガラス作品の購入といった、様々な楽しみ方ができます。ガラスの持つ神秘的な輝きをお楽しみください。」
「設立の経緯:昭和30年(1955年)、鏡野町上齋原地域(旧上齋原村)の人形峠でウラン鉱床の露頭が発見されました。採掘終了後の平成10年、ウランを使ったオンリーワンの地域産品開発の基軸として、人形峠産のウランを着色剤として使用したオリジナルウランガラスの開発計画が立ち上がりました。そこから地場産業の育成と観光開発、地域文化の育成拠点としてガラス工房を併設した美術館の実施設計を作成し、平成18年(2006年)4月に『妖精の森ガラス美術館』がオープンしました。」
希少性の高いこのウランガラスであるが、やはりウランを用いているとなるとその安全性が気になる。その安全性については、同じくホームページで次のように説明されている。
「ウランガラスの安全性:ウランと聞くと『怖いもの』という印象がありますが、ウランガラスに含まれているウランの量はごく微量なので、放射線の心配はありません。現在、妖精の森ガラス美術館で使用しているウランガラスは、含有率が0.1%(重量比)と大変低いので、ワイングラス1個から出ている放射線の量は、人間の体内でカリウムが出している放射線量にほぼ等しく、日常、飲食に用いても問題ありません。」
この日は、平日でもあり見学に来ていたのは我々二人だけであった。おかげで館員の方に丁寧な案内をしていただけた。現在、この美術館には年間約1~2万人が訪れているという。
1階の常設展示室には、製作年代のはっきり分かっているウランガラスとしては世界最古のものである1840年製のミルクピッチャーや、エミール・ガレの花器、テレビ番組(なんでも鑑定団)で紹介され、高値の評価がついたというロシア皇帝のゴブレットなど、19世紀以降の世界のウランガラスが約90点展示されていた。
これら古いウランガラス製品のほとんどは、この美術館の名誉館長の苫米地 顕(とまべち けん)博士が個人収集されていたものという。また、展示作品の中でも人気の「ロシア皇帝のゴブレット」はウランガラスコレクターの吉岡 律夫(よしおか りつお)氏が所有されていたもので、両氏共に作品を鏡野町に寄贈され、現在の展示が実現している。
1階展示室のアンティーク・ウランガラスの数々 1/2(通常照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室のアンティーク・ウランガラスの数々 2/2(通常照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室に設けられた実際の使用状況を再現した部屋(左:通常照明、右:紫外線照明 2019.10.24 撮影)
次の作品は世界最古のウランガラスと認められたミルクピッチャーで、次のような解説文が添えられている。
ウランガラス製ミルクピッチャーの解説文(2019.10.24 撮影)
1階展示室の世界最古のウランガラス使用ミルクピッチャー(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室の「ロシア皇帝のゴブレット」(通常照明 2019.10.24 撮影)
併設のガラス工房には専任のスタッフもいて、作品は館内の売店で販売されているが、多くのガラス工芸作家もこの工房に来てウランガラスを用いた作品を製作していて、そうした作品は2階の展示室で見ることができた。次のようである。
2階展示室の現代の作家によるウランガラスの数々 1/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家によるウランガラスの数々 2/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(平田 友美氏)によるウランガラス 3/7(上:通常照明、下:紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(本郷 仁氏)によるウランガラス 4/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(有永 浩太氏)によるウランガラス 5/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(三垣 祥太郎氏)によるウランガラス 6/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(内田 守氏)によるウランガラス 7/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
念願の「妖精の森ガラス美術館」に来て、他では見ることができないアンティークと現代の多くのウランガラス作品を目の当たりにし、大いに満足して、次の目的地、鳥取砂丘に向かった。
また、妻の希望で2箇所の温泉地と鳥取砂丘も加えることにして、現地での利便を考え、軽井沢から車で出かけることにした。
今年の3月に九州を旅した時には、迷うことなくレンタカーを利用した。今回はやや微妙な距離であったが、先日軽井沢のショップを訪ねてきてくださった大学時代の同級生のI さんご夫妻が、主に奥様の運転で、神戸から車での旅であったことを思い出して、決心したのであった。
軽井沢を22日の午前中に出、すぐに高速道路に乗った。目的地までは、途中何度も休憩しながらであったが、最初の休憩地の姨捨SAからは、先日来台風19号の被害で大きな話題になっている千曲川の濁った流れと、そこにかかる低く垂れこめた雲が見えた。右手が上流で上田・佐久方面、左手で大きく曲がり長野市街の方に流れていくが、この更に下流で大規模決壊があった。
姨捨SAから見える千曲川(2019.10.22 撮影)
この日の目的地は琵琶湖畔の瀬田で、ここで一泊し、翌日12時から予定されている小学校の同窓会にはこの周辺の観光地を見てから出席することにした。
神奈川県に就職で移動するまでは大阪で過ごしていたのだが、琵琶湖周辺のこの辺りというと小中学校からの遠足で来た程度で、あまり記憶に残っている場所などは無い。
瀬田に到着した当日の夕方、ホテルにチェックインする前に、三大橋として知られる「瀬田の唐橋」を見ようと思い、立ち寄った。最寄りのスーパーマーケットの駐車場に車を停め、瀬田川の堤防沿いの公園に行き、ここから「瀬田の唐橋」を眺めた。名前から予想していたものとは異なり、当然と言えば当然だが、立派なコンクリート造りの橋が目の前にあった。堤防下から川に突き出した草地では、子供たちがなにやら水生昆虫を採集しているようであり、暮れはじめた瀬田川にはボートを漕ぐ若者の姿が何組も見られた。
コンクリート製の立派な「瀬田の唐橋」(2019.10.22 撮影)
夕景の中、ボートを漕ぐ若者(2019.10.22 撮影)
シティーホテルに泊まる時はいつもそうしているのであるが、この日もホテルは素泊まりにして、瀬田では近くの居酒屋に出かけて地酒と郷土料理を楽しんだ。
翌朝、大阪市内に移動する前に「石山寺」に出かけた。私は学生時代に来たことがありその名前は憶えているし、埼玉県出身の妻も大学時代に来たことがあるという。しかし二人ともそのときの記憶が曖昧なので、もう一度行ってみたいと思ったのであった。
門前の広い駐車場に車を停めて歩き始めたものの、以前来た時の記憶は全くなく、山門をくぐりしばらく参道を歩いていてもそれは同じであった。
「石山寺」は名前の通り、広い境内の一角に巨大な石の壁がある。この石は硅灰石というもので、「石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触して、その熱作用により変質したもの」と書かれた解説板が傍らに立てられていた。ぐるりと迂回してこの石の壁の上部に立つことができる。
硅灰石の解説板(2019.10.23 撮影)
この時は3Dカメラを持っていなかったが、視点を左右に移動させて2枚の写真を撮影し、ステレオ画像として見ていただけるようにした。大きい液晶画面でご覧の場合には1枚目の交差法の写真を、小さい画面でご覧の場合には、2枚目の平行法が見やすいのではと思う。
手前にある大きな岩塊が、実際には3つに分かれたものであることや、石の前後の関係、モミジの木の生え具合など、通常の2D写真では味わうことができない3D写真の楽しさを実感していただけると幸いである。今後も「ときどき3D」画像をご覧いただこうと思っている。
石山寺境内の硅灰石・巨岩壁のステレオ・ペア(交差法、2019.10.23 撮影)
石山寺境内の硅灰石・巨岩壁のステレオ・ペア(平行法、2019.10.23 撮影)
石山寺を出て、大阪市内で開催された小学校の同窓会に参加し、仲間と別れた後、湯郷温泉に行き、
23日はここで一泊した。温泉地では旅館泊まりということになるので、ここでは旅館の食事である。
翌朝、ロビー内を見学していて、この宿に1966年(昭和41年)8月6日に当時皇太子であった、現上皇陛下ご夫妻が来ておられたことを知った。当時の写真や使用された食器などが展示されていた。
旅館のロビーに展示されていた上皇陛下ご夫妻の宿泊時の写真と当時使用した什器など(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 1/3(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 2/3(2019.10.24 撮影)
上皇陛下ご夫妻の写真 3/3(2019.10.24 撮影)
さて、この日最初に向かったのは、今回のドライブ旅行の重要な目的地の一つの人形峠の「妖精の森ガラス美術館」である。湯郷温泉からは中国自動車道と国道179号線を経由して、約1時間のドライブであった。
「妖精の森ガラス美術館」のパンフレットに記載されている案内地図
「妖精の森ガラス美術館」(2019.10.24 撮影)
我々世代には人形峠と言えばウラン鉱山である。子供の頃は将来の日本のエネルギー源として原子力発電にはばら色の夢を描いていたが、そうした中、人形峠のウラン鉱発見はその将来に期待を持たせるものであった。大学でも、原子力工学科を専攻して電力会社や原子力発電所建設関連の企業に就職することを望んだ優秀な人を何人も知っている。
その人形峠のウラン鉱の歴史は次のようである。
「太平洋戦争後の1954年(昭和29年)になって、天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、本格的な調査の結果、1955年(昭和30年)11月12日に県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された。当時は日本中でウラン鉱の探索が行われており、この鉱山が当初の見立て以上に有望そうであることが伝えられると一躍注目を集めることになった。このときに鉱山は『人形峠ウラン鉱』と命名され、旧来の打札越もこれ以来、『人形峠』と呼ばれるようになった。発見地点には現在『ウラン鉱床露頭発見の地』の碑が設置されている」(ウィキペディアから)。
しかし、このウラン鉱石は、実際には実用的な採掘がされないままに鉱山は閉鎖となり、次第に世の中から忘れられていったようである。海外から安価なウラン鉱石が輸入されるようになってきたからであった。今は、当時採掘された残土が、岡山県と鳥取県の両県の負の遺産となっているという現状もあると聞く。
そうした中で、日本ではもちろん、世界でも唯一とされる、珍しいウランガラスを専門に展示するこの「妖精の森ガラス美術館」が建設された。ホームページ(https://fairywood.jp/)には次の説明が見られる。
「ごあいさつ:妖精の森ガラス美術館は平成18年(2006年)に鏡野町が建設した世界的にも珍しい『ウランガラス』をテーマにした美術館です。ウランは19世紀から20世紀にかけて、欧米や日本でガラスの着色剤として使われていました。紫外線が当たるとガラスがきれいな緑色の蛍光を放つことから、当館では地元、人形峠のウランを用いたガラスに『妖精の森ガラス』という名前をつけました。小さな美術館ですが、展示室で世界のウランガラスや現代のガラス作品の鑑賞、併設のガラス工房ではガラス体験、アートショップでガラス作品の購入といった、様々な楽しみ方ができます。ガラスの持つ神秘的な輝きをお楽しみください。」
「設立の経緯:昭和30年(1955年)、鏡野町上齋原地域(旧上齋原村)の人形峠でウラン鉱床の露頭が発見されました。採掘終了後の平成10年、ウランを使ったオンリーワンの地域産品開発の基軸として、人形峠産のウランを着色剤として使用したオリジナルウランガラスの開発計画が立ち上がりました。そこから地場産業の育成と観光開発、地域文化の育成拠点としてガラス工房を併設した美術館の実施設計を作成し、平成18年(2006年)4月に『妖精の森ガラス美術館』がオープンしました。」
希少性の高いこのウランガラスであるが、やはりウランを用いているとなるとその安全性が気になる。その安全性については、同じくホームページで次のように説明されている。
「ウランガラスの安全性:ウランと聞くと『怖いもの』という印象がありますが、ウランガラスに含まれているウランの量はごく微量なので、放射線の心配はありません。現在、妖精の森ガラス美術館で使用しているウランガラスは、含有率が0.1%(重量比)と大変低いので、ワイングラス1個から出ている放射線の量は、人間の体内でカリウムが出している放射線量にほぼ等しく、日常、飲食に用いても問題ありません。」
この日は、平日でもあり見学に来ていたのは我々二人だけであった。おかげで館員の方に丁寧な案内をしていただけた。現在、この美術館には年間約1~2万人が訪れているという。
1階の常設展示室には、製作年代のはっきり分かっているウランガラスとしては世界最古のものである1840年製のミルクピッチャーや、エミール・ガレの花器、テレビ番組(なんでも鑑定団)で紹介され、高値の評価がついたというロシア皇帝のゴブレットなど、19世紀以降の世界のウランガラスが約90点展示されていた。
これら古いウランガラス製品のほとんどは、この美術館の名誉館長の苫米地 顕(とまべち けん)博士が個人収集されていたものという。また、展示作品の中でも人気の「ロシア皇帝のゴブレット」はウランガラスコレクターの吉岡 律夫(よしおか りつお)氏が所有されていたもので、両氏共に作品を鏡野町に寄贈され、現在の展示が実現している。
1階展示室のアンティーク・ウランガラスの数々 1/2(通常照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室のアンティーク・ウランガラスの数々 2/2(通常照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室に設けられた実際の使用状況を再現した部屋(左:通常照明、右:紫外線照明 2019.10.24 撮影)
次の作品は世界最古のウランガラスと認められたミルクピッチャーで、次のような解説文が添えられている。
ウランガラス製ミルクピッチャーの解説文(2019.10.24 撮影)
1階展示室の世界最古のウランガラス使用ミルクピッチャー(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
1階展示室の「ロシア皇帝のゴブレット」(通常照明 2019.10.24 撮影)
併設のガラス工房には専任のスタッフもいて、作品は館内の売店で販売されているが、多くのガラス工芸作家もこの工房に来てウランガラスを用いた作品を製作していて、そうした作品は2階の展示室で見ることができた。次のようである。
2階展示室の現代の作家によるウランガラスの数々 1/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家によるウランガラスの数々 2/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(平田 友美氏)によるウランガラス 3/7(上:通常照明、下:紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(本郷 仁氏)によるウランガラス 4/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(有永 浩太氏)によるウランガラス 5/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(三垣 祥太郎氏)によるウランガラス 6/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
2階展示室の現代の作家(内田 守氏)によるウランガラス 7/7(紫外線照明 2019.10.24 撮影)
念願の「妖精の森ガラス美術館」に来て、他では見ることができないアンティークと現代の多くのウランガラス作品を目の当たりにし、大いに満足して、次の目的地、鳥取砂丘に向かった。