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軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

トボトボ(徒歩徒歩)日記820

2025-08-20 00:00:00 | 日記
 区会の役員を務めていると、町からの公式文書を多く受け取る。月に10件くらいはあるだろうか。会議や各種行事の案内文書、そして書類提出の依頼もある。

 即決できるものについては、すぐに返事を出して、行事などの場合参加の有無を伝えるが、中にはすぐに返事できないようなものもある。

 今月度は、ある委員の推薦依頼や、被表彰候補者の推薦依頼が来た。区民の中からの推薦になるので、すぐには対応できないため、経験者に相談したり、回覧を回して自薦を募ったりすることになる。

 期限のあることなので、回答が完了するまでそれなりに気を遣うことになり、返事の電話をかけたり回答文書の提出を終えるとホッとする。

 文書のほとんどは郵送されてくるのだが、中には電子メールに添付して送られてくるものもある。今、町では業務のデジタル化が推進されていて、その一環であり、こちらからの返信も電子メールに回答文書を添付することもある。

 昨日、回答の必要な文書が届いたので、関係者に写しを送り、対応をお願いしてからしばらくして、内容をもう一度詳しく読みたいと思い、いつも文書等を整理しているファイルを探したが、見当たらない。

 最近、物覚えが悪く、ちょっとしたことでも忘れてしまい、物を探し回ることが多いので、何か勘違いしたのかとしばし考え込んでしまった。

 少しして、そうだあの文書はメールに添付して送られてきたのだと思い出した。

 関係者に、送付されてきた文書を回す場合、郵送されてきたものはスキャナで読み取りパソコンに保存して、これをLINEに添付して送る。原紙の方はファイルに入れておく。電子メールに添付して送られてきたものは、そのままパソコンに保存して、やはりLINEに添付して送るので、作業はほぼ同じであるが、私自身は印刷しないので、ファイルに入れることは無い。

 そうしたこともあったためか、関係者に私が送った文書が、郵送されてきたものか、電子メールに添付ファイルとして送られてきたものかが、私の中で混同して記憶していたようである。

 こんなことが時々起きている。

 町の職員や他区の役員諸氏はどうだろうか。デジタル化の推進が進められていて、届いた文書を見ると、回答はできるだけメールで送るようにと書いてくる場合もあれば、返信用の封筒が同封されてくる場合もある。まださまざまである。私と同じような混乱は起きていないのだろうかと思ったりしている。





 
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トボトボ(徒歩徒歩)日記816

2025-08-16 00:00:00 | 日記
 今年も当地の夏祭りが始まり、神社の境内で13日から15日の間盆踊りが行われた。地域住民の数が減少する中、この夏まつりの規模も次第に小さなものになっているが、盆踊りを中心として、子供たちの楽しみである綿あめ、かき氷、輪投げ、ボールやヨーヨーすくいなどの店も出て賑わいを見せた。

 私も当地に移住してすぐにこの夏まつりのことを知り、盆踊りや子ども相撲大会を見に出かけたのであった。しかし、その後は参加してこなかった。

 今年は区の役を引き受けている関係もあり、初日に参加した。盆踊りは知らない曲がほとんどだったが、中に一曲だけ「炭坑節」があり、子供の頃踊った経験があったので、輪の中に入ってみた。頭では振りを覚えていると思っていたが、実際には手足が曲についていかない。前方に顔見知りの踊りのお師匠さんがいたので、その方の動きを見ながらしばらく踊ってから退出した。

 この夏まつりは「旧軽井沢夏祭り実行委員会」が主催し行われているもので、青年部の会「樫の実会」が中心メンバーとなっている。他に神社・区会・商工会・商店会・PTA・老人会・踊りの会・太鼓連などが共催となっている。  多くの方々に支えられて実施されているものである。

 夏祭りの行事はこの後も続く。20日には諏訪神社の例大祭があり、昼間の御神輿渡御、夕方からは子ども相撲大会、他には神社の巫女舞・太鼓奉奏・奉納舞踊・御神楽が行われる。

 当地の夏の一大イベントである。






旧軽井沢の夏祭り・盆踊り(2025.8.13 撮影)



 

 

 
 
 

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トボトボ(徒歩徒歩)日記813

2025-08-13 00:00:00 | 日記
 昨日は新聞の休刊日だったので、今日の購読紙の1面に「520本の灯 祈り 日航機墜落40年」という見出しを見た。
 同紙には26面にも「特別面」として、「日本航空123便の経路」が詳しく取り上げられ、後述するものと同様の、国土地理院の地図データを基に作成した航跡と、飛行高度の推移グラフが示されている。


JAL123便の離陸から墜落までの飛行高度の推移を示すグラフ(2025.8.13発行 読売新聞記事より)

 8月12日が近づくにつれて、この日本航空ジャンボ機墜落事故のことが様々なメディアで取り上げられてきた。

 私も40年前のこの日のことはよく覚えている。この日はちょうど我が家の引っ越しの日であった。

 当時まだ小学校の低学年であった娘は、その後航空会社に就職し国内線の飛行機にCAとして搭乗するようになったこともあり、私もこの航空機事故のことにはその後も関心を持ち続けた。

 今年の春には、参議院外交防衛委員会で、S議員が質問に立ち、巷間話題になっている関連図書のことを取り挙げた。

 その後、遺族O氏が現地御巣鷹の尾根に立てた墓標について、評論家が論評するのをYouTubeでも見る機会があり、今もこの事故が関係者の間に葛藤を生み続けていることを知ることができる。

 また、元日本航空のベテラン・パイロットであったS氏がインタビューに答えてこの事故について語るのをYouTubeで見ていると、日本航空の関係者の間にも様々な疑問が40年後の今も残されたままになっていることを知ることができる。

 御巣鷹の尾根の墜落現場は、当地軽井沢から見るとほぼ真南に位置している。ウィキペディアに示されている事故機JAL123便の離陸から墜落までの航跡を、Google地図に重ねてみると次のようである。

 私もいつか、「慰霊の園」と「昇魂之碑」にお参りをしたいと思っている。

事故機JAL123便の離陸から墜落までの航跡を地図に重ねた(赤●は事故の発生地点) 

 どんな事故でもそうだが、事故の再発防止のため事故原因の究明は不可欠である。正しい情報が関係者に伝えられなければ、再び事故は起きるであろう。

 今の状況を見ていると、今後50年、100年経ってもこの事故についての議論は続いていくのではないかと思える。
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トボトボ(徒歩徒歩)日記802

2025-08-02 00:00:00 | 日記
 連日の猛暑にうんざりしていたら、パラパラと雨が降り始めた。急いで店頭に出している絵葉書とアクセサリー類を内側に取り込んだ。

 恵みの雨となるといいなと思う反面、この日は「ショー祭」の日で、もうすぐ開催時刻になる。屋外でのイベントなのでどうなることかと気をもんでいたところ、雨はそれほど強くならず、しばらくして止んだ。念のためにと折り畳み傘を持って、店には「準備中」の札を下げて、会場のショー記念礼拝堂に向かった。

 少し早めであったが、顔見知りの人たちもすでに集まっていて、受付も始まっていたので、私の席の位置を確認して奥の方に進んだ。

 このショー祭は、およそ140年前に別荘地としての軽井沢を見出し広めた宣教師アレクサンダー・クロフト・ショー氏を讃えて毎年8月1日に開催されているもので、今年26回目を迎える。

 主催は軽井沢観光協会・軽井沢町商工会・軽井沢青年会議所・軽井沢ナショナルトラスト・軽井沢ウェディング協会による「軽井沢ショー祭実行委員会」で、この日の司会進行は軽井沢ナショナルトラスト理事のHさんであった。

 点鐘に始まり、日英加3国旗の入場に続いて牧師による開会の言葉、聖歌「アメージンググレイス」の合唱が行われた。
 続いて、教会の神父さんや主催者の挨拶、来賓代表として軽井沢町長の挨拶、カナダ大使館からのお祝いのメッセージが読み上げられ、式典は進んでいった。

 軽井沢少年少女合唱団の合唱で式典が最高潮に達した後、ショー牧師への献花が行われ、私も小さな花束を受け取り、ショー牧師の胸像の前に設置された献花台上にその花束を捧げた。

 会場の入り口付近に移動してあった、カナダ、日本、英国の国旗が少女たちの手によってそれぞれ元の位置の戻され、その後、参加者全員が輪になって手をつないで「今日の日はさようなら」を合唱して祝典を終えた。

   いつまでも絶えることなく 友達でいよう
      明日の日を夢見て 希望の道を

     空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる
    今日の日はさようなら また会う日まで

      信じあう喜びを大切にしよう
   今日の日はさようなら また会う日まで また会う日まで

 祝典の後少し時間をおいて、アフターヌーンライブとして、Tさんの歌が予定されていた。私も参加しているボランティア清掃活動でご一緒している方であるが、私は、店をそのままにして来ていたので、心の中で「Tさん、ごめんなさい」と言いながら会場を後にした。
 
 今では、軽井沢町の重要な年間行事の一つに数えられている、このショー祭であるが、その始まりは、旧軽井沢区民のショー牧師に対する素朴な感謝の念からきた、ショーハウス保存・復元活動であった。

 その頃のことを、「公民館旧軽分館報」の記事に見ることができる。見出しを拾うと、次のようである。

 ・ショーハウス保存へ 編集部 【公民館旧軽分館報 第2号 昭和58(1983)年12月
   発行】
 ・ショーハウスの復元について 世話人代表 水沢邦高 【同 第5号 昭和60(1985)年
   6月発行】
 ・明治と昭和のショーさん 軽井沢商工会長 青沼茂幸/ショー氏の来歴とショーハウス
   の意義 佐藤泰春 【同 第6号 昭和60(1985)年12月発行】
 ・ショーハウス復元に当って 副区長 小林恒治 【同 第7号 昭和61(1986)年
   6月発行】
 ・ショーハウス復元事業を顧みて 区長 佐藤重二/ショーハウス復元記念お祝いの集い
   を終えて 副区長 柳沢 一/ショーハウス復元について思う 一班班長 柳沢 廣 
   【同 第8号 昭和61(1986)年12月発行】
 ・復元後のショーハウス 副区長 柳沢 一 【同 第12号 昭和63(1988)年12月発行】
 ・ショーハウスその後について ショーハウス運営委員 柳沢 一 【同 第15号 平成2
   (1990)年7月発行】
 ・ショーハウスについて 小林正直 【同 第26号 平成7(1995)年12月発行】
 ・ショーさんの置土産 軽井沢ショー記念礼拝堂 司祭 村岡 明 【同 第39号 平成14
   (2002)年12月発行】
 ・軽井沢別荘第一号百二十年 ショー氏記念碑百年に当って 軽井沢ナショナルトラスト会長
   ショー祭実行委員長 中島松樹(同 第50号 平成20(2008)年7月発行)
 ・軽井沢ショー祭二〇一一を終えて ショー祭実行委員長 中島松樹(軽井沢ナショナル
   トラスト会長) 【同 第57号 平成23(2011)年12月発行】
  (*分館報記事中のショー氏の表記は、「ショー」に統一しました。)

開会前のショー祭会場の様子(2025.8.1 撮影)



平成14年12月発行の「公民館旧軽分館報」第39号のタイトルと記事
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トボトボ(徒歩徒歩)日記727

2025-07-27 00:00:00 | 日記
 新しい公民館の利用開始に合わせて、区のホームページ(HP)を開設してほしいとの前区長の要請に応じて、HP制作委員会を組織し、私を含めて6名の委員で基本的なHPの構成を検討した。

 制作は軽井沢町の町会議員でもあるFさんにお願いして、予定通り今年から運用を始めている。

 まだまだ、未完成な部分や定期的に更新が必要な部分があるので、HP制作委員会の4人のメンバーが残り、新たに2名のメンバーを加え、HP運営委員会として再発足した。

 このHPには「旧軽井沢区・区長への意見公募」というページを設けて、区の円滑な運営のため、区民や旧軽井沢区に関係する方々からの意見を受け付けているが、先日初めての投稿があった。

 内容は、街灯に関するもので、「24時間点灯している街灯が散見されます。センサー故障と思われますが修理をした方がよろしいのではないでしょうか。 一区民。 」という内容であり、匿名の方からのものであった。

 これらの街灯が設置されている、およその場所も書かれていたので実際に行ってみると、私の通勤ルート脇にもある街灯の内、全部で4本の街灯が、まだ周囲が明るいのに点灯していた。恥ずかしながら、私は気が付かないでいた。

 道路沿いに設置されている街灯には2種類あって、一部は町が設置したもので、これに何らかの不具合が発生した場合には、区から町に連絡をして修理をしていただくことになっている。

 もう一つは、住民と出張店の方々が結成した「街灯会」が協力して設置し、その会費により自主的に維持管理しているものである。

 今回「一区民」の方から通報があったのは、後者のものであったので、街灯会の関係者に伝え、区会ができることとしてはここまでと考えて、善処をお願いした。

 この街灯会の方の話では、今回の件に関して、状況はかねて把握しているが、センサーの交換費用と電気代とを比較すると、連続点灯させた場合の電気代の方が安いので、今はそのままにしているとのことである。

 因みに、夜暗くなってからもう一度これらの街灯を点検したところ、夜間に消灯する故障の方は皆無であり、きちんと管理されていることが判った。

 
センサーの故障により昼間も点灯状態の街灯(2025.7.25 撮影)



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