昨年秋、大阪の実家を取り壊すことになり、家に残されている両親の遺品などを処分しなければならなくなった。妹たちと相談の上、一部を引き取ることになったため、車で出かけたが、帰り際に庭の片隅に緑色の石があるのに気がついて、それほど大きいものでもないので、トランクの隅に積んで持ち帰ってきた。
自宅に戻ってからこの石を取り出して、以前からあった同じように緑色をしている石と見比べてみたが、とてもよく似ていた。
三波石(左2個)と大阪から持ち帰った石(2021.3.22 撮影)
以前から自宅にあったこの2個の石は三波石というもので、秩父方面に出かけた時に土産に買ってきたものである。
2017年の2月に秩父の山中にあるセツブンソウの群落を見に出かけたことがあった。この時は上信越自動車道の吉井ICで下りて南下し、小鹿野町の自生地に向かった(当時撮影したセツブンソウについては、2017年3月3日公開の当ブログで紹介している)。その帰路、群馬県境の神流湖に立ち寄ったが、ここにある下久保ダムから下流域は渓谷美で知られる三波石峡である。
この三波石峡を形作っている岩石が三波石と呼ばれる石で、美しい青緑色から緑色、黄緑色をとる岩石(緑色片岩)に白色の石英の細脈が走っていて、これが峡谷の強い水流によって磨かれて岩肌に紋様となって現れ、その美しさによって古くから銘石(名石)として知られてきた。
三波石峡の渓谷と三波石(2017.2.28 撮影)
現地にはいくつかの説明板や石碑が設けられていて次のようである。
現地に設置されている説明板(2017.2.28 撮影)
三波石峡の命名されている石の説明板(2017.2.28 撮影)
三波石峡谷の天然記念物指定を解説する石碑(2017.2.28 撮影)
この石碑には次のように刻まれている。
名勝および天然記念物「三波石峡」
指定 昭和三十二年七月三日
この峡谷は約一粁に及び 河床河岸には 主に
三波石と通称される緑色片岩類の転石が横たわり
特異な景観をつくり神流川における代表勝区を
なしている 三波石は神流川の特産で 古くから
庭石として珍重され採石されたため 自然の状態
で現存するのはこの峡谷のみである しかもこの
峡谷のものは豪壮な巨石や奇岩が多く 古来名の
あるもののみで四十八石ある とくに新緑や紅葉
のときの美景はひとしおである
注意事項
一 採石植物採取をしてはならない
二 紙くづ等を散らし 美観を傷付けてはなら
ない
昭和四十三年三月三十一日
文化財保護委員会
鬼石町教育委員会
神泉村教育委員会
このように三波石峡は天然記念物に指定されていて、現地での採石は厳禁であるが、近隣には石材店があり、庭石としての需要があることから三波石が販売されていた。我々も記念にと小さな石を2個買い求めたのであった。
三波石などの庭石を販売する店(2017.2.28 撮影)
大阪の実家にあった石が三波石とよく似ているということで、改めてこの三波石について調べてみると、どうやら大阪から持ち帰った石も三波石の可能性がでてきた。ただし、産地は関東ではなく和歌山ではないかということになる。
父の実家は和歌山県・高野山の麓の九度山にあった。この家の前には川が流れていて、私も子供のころ夏休みなどに出かけて川で魚を採ったり、少し大きい岩から飛び込んで泳いだりした覚えがあるが、今振り返ってみると河原の岩石は三波石と同じような色をしていたように思う。この辺りの石を父が拾って持ってきていたのではないかと思えるのである。
今一度三波石峡にあった説明板を読んでみると、次の文章がある。
「三波石は地質上では三波川結晶片岩と呼ばれ、関東地方から九州地方まで長さ約800kmにわたって帯状に分布する三波川変成岩帯が露呈した岩石です。」
どこにでもある岩石というわけでもなさそうであるが、帯状に広範囲に分布している岩石でもあることがわかる。更に調べていくと、三波川変成岩帯は中央構造線との関係が深いことが判った。中央構造線は、父の実家にも近い和歌山県の紀ノ川に沿っていることはよく知られている。
ウィキペディアで「三波川変成帯」を見ると、次のような説明があって、秩父山中と和歌山県と随分離れた場所にもかかわらず、同じような成因の岩石が産出することが判る。
「三波川変成帯は中央構造線の外帯(筆者注:南側)に接する変成岩帯である。日本最大の広域変成帯とされ、低温高圧型の変成岩が分布する。名称は群馬県藤岡市三波川の利根川流域の御荷鉾山(みかぼやま)の北麓を源流とする三波川産出の結晶片岩を三波川結晶片岩と呼んだことに由来する。三波川帯とも呼ばれる。中央構造線を挟んで北側の領家変成帯と接する。」
「分布は関東山地から一旦フォッサマグナにより寸断され、長野県諏訪湖南方の上伊那地域で再び現れ、天竜川中流域・小渋川を経て紀伊半島、四国、九州の佐賀関に及び、全長約1000kmに達する。」
こうしたことから、今我が家にある3個の青緑色の石はすべて三波石とみていいだろうと思う。日本地図上に中央構造線と三波石が見られる地域・三波川変成帯を描くと次のようである。
中央構造線と三波川変成(岩)帯の分布地域(1:父の実家、2:三波石峡)
この地図に3個の三波石の採集地を加えると、「1」と「2」であり、当然中央構造線上にくる。更に現在の我が家の位置「3」と妻の実家の場所「4」を加えると、何とすべてが中央構造線沿いにあるということになった。
長野県下を走る中央構造線は実際には一部がフォッサマグナの下にもぐっていることから、軽井沢周辺の状況ははっきりとはしていないようであるが、近隣の下仁田には断層の露頭があるとされている。また、県下の大鹿村の県道152号線沿いの北川露頭では中央構造線を見ることのできる場所があるとされるので、両地の三波石の見学も合わせてぜひ出かけてみたいと思っている。
ところで、岩石というのは単結晶に比べると捉えどころがなく何とも分かりにくい対象という気がする。この三波石も同様で、元素組成はどうなっているのか、どのような鉱物組成になっているか、緑色発生の理由は何かといったことが気になる。
原色岩石図鑑(益富壽之助著 1964年保育社発行)の索引で調べると、三波石に関連する岩石として、緑色片岩、緑泥片岩などが見つかる。この内、緑泥片岩の項を引用すると次のようである。
「緑泥石を主成分とする濃緑板状の岩石を緑泥片岩と呼び、これに類する輝岩、角閃片岩とを総括して緑色片岩 green schist ということがある。三波川層に普通のもので俗に青石といい庭石に用いる。輝緑凝灰岩など塩基性岩の変質によるという。三波川変成帯の銅鉱床(別子のような)の母岩として重要である。・・・」
別の資料によると、三波石すなわち緑色片岩は構成元素から見た成分には特徴はなく、SiO2が約50%(玄武岩の性質)であるという。主な鉱物は、緑色成分である緑泥石、緑閃石、緑簾石、蛇紋石などであり、これに白色の石英などが混じっているとされる。
中央構造線など、せん断応力の作用する地下で玄武岩質の岩石が、200℃から450℃の温度と、2キロバールから10キロバールの圧力の下で再結晶化を起こした結果、板状構造が出来上がったものだという。
上記緑色主成分とされる結晶の組成を見ておくと次の様であり、複雑な組成を持っているが、いずれもFe成分を含んでいて、この鉄イオンが緑色を呈する要因と考えられる。
・緑泥石(chlorite) (Mg,Fe,Al,Mn,Ni)12 (Si,Al)8 O20 (OH)4
・緑閃石(actinolite) Ca2 (Mg,Fe)5 Si8O22 (OH)2
・緑簾石(epidote) Ca2 (Al,Fe)3 Si3O12 (OH)
・蛇紋石(serpentine) (Mg,Fe)3 Si2O5 (OH)4