軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

虚々実々

2022-04-29 00:00:00 | 日記
 20世紀は戦争の世紀とも言われているように、我々の祖父母や両親の世代は大戦を経験したが、我々戦後世代は、曲りなりにも平和を享受することができた。しかし21世紀に入りすでに20余年、世界をそして日本をも不穏な空気が包み込んでいる。

 2001年に起きた9.11アメリカ同時多発テロ事件と、それを契機に始まったアフガニスタン侵攻とこれに続くイラク戦争、日本では2011年の東日本大震災、2019年中国・武漢に始まり世界中に広まった新型コロナウイルスによるパンデミックと約10年おきに大事件が起きた。

 そして今年に入り、未だ新型コロナの終息が見えない中で起きた、ロシアによるウクライナ侵攻である。

 こうした大事件が起きると、決まってさまざまな陰謀論が流布されることになる。ウィキペディアでこれらの事件の項を調べると、そうした内容の一端を見ることができる。

 私の購読している新聞に、2021年初めころから、その前年行われたアメリカ大統領選挙にまつわる内容に始まり、続いて新型コロナに関係した特集記事が掲載され、その後もシリーズ化されて現在まで続いている。「虚実のはざま」という記事である。関心を持って読んできたが、一部オンラインで公開された記事を加え、これまで掲載された内容を、見出しで振り返ってみてみようと思う。

読売新聞の記事「虚実のはざま」(2021.9.15 発行)の見出し部

 第1部ととして掲載された記事について、私が調べた範囲では2021年1月24日と25日に掲載された2つの記事を確認したが、その後いくつかの記事を間に挟みながら、第2部へとつながり、シリーズ化されている。

 掲載が始まって約1年後、この記事は賞を受けた。2022年3月24日付けの次の記事がこのことを報じた。
 
 「読売新聞大阪本社の連載『虚実のはざま』、坂田記念ジャーナリズム賞の『スクープ・企画』部門に」
 「関西を拠点にした優れた報道活動を顕彰する『第29回坂田記念ジャーナリズム賞』の選考結果が24日、発表され、第1部門(スクープ・企画)に、読売新聞大阪本社の企画連載『虚実のはざま』(代表=中沢直紀・社会部次長)が選ばれた。」

 「読売新聞大阪本社の企画連載『虚実のはざま』連載は、ネット空間にあふれる真偽不明の情報が、社会に混乱や不信を招いている実態に迫った。デマの発信者や陰謀論を信じる人たちなど当事者への直接取材を重ね、問題提起した。
 選考委員会は『IT化した社会の闇の側面をあぶり出す秀逸な企画である。社会としての取り組みが問われていることを鋭く指摘し、関心の喚起を試みている』と評価した。」

 さて、これまでに掲載された「虚実のはざま」の記事内容をみると、次のようであり、2020年末に行われたアメリカ大統領選挙で、大規模な選挙不正が行われたという情報に関した内容に始まり、新型コロナをめぐる話題へと移っていった。

************【第1部】************
・2021/01/24:[虚実のはざま]第1部・海越える拡散 1⃣ 怪情報 怒りで伝染
 米国発 瞬く間 真偽二の次「みんな言ってる」
・2021/01/25:[虚実のはざま]第1部・海越える拡散 2⃣ 閲覧数、デマで荒稼ぎ

*****************************
・2021/03/07:米大統領選のデマ発信サイトに大手企業の広告…銀行や車など10社
・2021/03/13:陰謀論、家族引き裂く…SNSで傾倒 言動激化

 ************【第2部】************
・2021/04/04:「感染を責められ自殺」、列島各地で同じデマ…
 [虚実のはざま]第2部 作られる「真相」<1>
・2021/04/05:匿名の悪意がママ襲う、「感染源」扱いで非難1日数百件…
 [虚実のはざま]第2部 作られる「真相」<2>
・2021/04/07:陰謀論で再生急増、「金稼げる」くら替え相次ぐ…
 [虚実のはざま]第2部 作られる「真相」<3>
・2021/04/08:加藤官房長官がフェイクの笑み、AIで悪意の改変…
 [虚実のはざま]第2部 作られる「真相」<4>
・2021/04/13:デマうのみで重い代償、軽率な投稿が混乱招く…
 [虚実のはざま]第2部 作られる「真相」<5>

*****************************
・2021/06/13:ワクチンで「黒幕が人類管理」「人口削減が狙い」…
 はびこる陰謀論、収束の妨げにも

************【第3部】************
・2021/06/13:架空の顔で「お客様の声」「大満足」AIで生成、90サイトで宣伝に悪用…
 [虚実のはざま]第3部 粉飾のカラクリ<1>
・2021/06/15:「だましても売る」、ウソの体験談「アフィリエイト」で続々…
 [虚実のはざま]第3部 粉飾のカラクリ<2>
・2021/06/16:買われた「ランキング1位」、「選べない」消費者心理突く…
 [虚実のはざま]第3部 粉飾のカラクリ<3>
・2021/06/17:日本人が投稿するようになった「やらせレビュー」…
 [虚実のはざま]第3部 粉飾のカラクリ<4>
・2021/06/20:第三者のウソに規制なし、「感想」「宣伝」線引きあいまい…
 [虚実のはざま]第3部 粉飾のカラクリ<5>

*****************************
・2021/06/21:「コロナは存在しない」荒唐無稽な主張するグループも…
 誤った情報、大量に出回る
・2021/06/21:「殺人ワクチン」「世界に大革命」大阪の学習塾運営会社
 不安あおるミニコミ紙を大量配布
・2021/07/14:「不妊リスク」「遺伝子組み換え」ワクチン誤情報拡散…
 医師ら発信源のケースも
・2021/08/19:「☆五つを投稿するとギフト券」商品評価でやらせの誘い横行...
 アマゾン対応追いつかず
・2021/08/22:病院の口コミ、改ざん業者が高評価に書き換え...
 「評価3.5以下なら大変」と営業攻勢

************【第4部】************
・2021/09/09:「コロナは茶番」700人デモ、「普通の人」が先鋭化…
 [虚実のはざま]第4部 深まる断絶<1>
・2021/09/10:「コロナは富裕層の仕業」投稿に引き寄せられた居酒屋店主…
 [虚実のはざま]第4部 深まる断絶<2>
・2021/09/12:「医師の発言」で接種不安拡散、有料サロンで誤情報…
 [虚実のはざま]第4部 深まる断絶<3>
・2021/09/14:温厚だった妻、陰謀論の動画にはまり「まるで別人に」…
 [虚実のはざま]第4部 深まる断絶<4>
・2021/09/15:真偽不明の情報・陰謀論の拡散、どう対処?専門家に聞く…
 [虚実のはざま]第4部 深まる断絶<5>

*****************************
・2021/09/21:「PCRは風邪も検出」「5Gがコロナ広めている」…
 生活・メディアに不満強いと偽情報信じやすく
・2021/09/26:「ワクチン打つと体から毒出る」陰謀論へ傾倒、妻は家を出た…
 [虚実のはざま]反響編<上>
・2021/09/27:「接種後」の死者数が独り歩き、専門家「数字に惑わされないで」…  
 [虚実のはざま]反響編<下>
・2021/11/21:誤情報を「動かぬ証拠」と錯覚、高度化するSNSデマ…
 公式文書を抜粋・曲解も
 
************【第5部】************
・2021/12/15:流産きっかけに「本当の原因」検索開始、デマの泥沼へ…
 [虚実のはざま]第5部 「解」を探る<1>
・2021/12/16:発信源不明の「サイト」、正確さより負の感情あおる情報…
 [虚実のはざま]第5部 「解」を探る<2>
・2021/12/17:打ち寄せる同じ主張、妄信生んだ情報の「偏食」…
 [虚実のはざま]第5部 「解」を探る<3>
・2021/12/21:デマ火消し遅れて拡散、「打ち消しはスピード競争」…
 [虚実のはざま]第5部 「解」を探る<4>
・2021/12/23:リテラシー教育進まず、子供に誤情報の「免疫」必要…
 [虚実のはざま]第5部 「解」を探る<5>

************【第6部】************
・2022/03/16:情報過剰は新たな脅威… [虚実のはざま]第6部 私の提言<1>
 東京工業大准教授 西田 亮介氏
・2022/03/17:「刺激の競争」歯止めを…[虚実のはざま]第6部 私の提言<2>
 慶応大教授 山本 龍彦氏
・2022/03/26:不安の膨張、判断ゆがむ…[虚実のはざま]第6部 私の提言<3>
 筑波大教授 原田 隆之氏
・2022/04/01:科学不信の背景を探る必要… [虚実のはざま]第6部 私の提言<4>
 東京大学特任准教授 内田 麻理香氏
・2022/04/02:陰謀論、特性を知り対処…[虚実のはざま]第6部 私の提言<5>
 宗教学者 辻 隆太朗氏
・2022/04/03:リテラシー教育が急務… [虚実のはざま]第6部 私の提言<6>
 法政大教授 坂本 旬氏
・2022/04/04:対面の議論分断を防ぐ… [虚実のはざま]第6部 私の提言<7>
 京都府立大准教授 秦 正樹氏
・2022/04/05:「情報健康学」の確立必用...「虚実のはざま」第6部 私の提言<8>
 東京大教授 鳥海 不二夫氏
・2022/04/06:あいまいさに耐える力を...「虚実のはざま」第6部 私の提言<9>
 京都大教授 佐藤 氏
・2022/04/06:感想と宣伝、法的な線引きを...「虚実のはざま」第6部 私の提言<10>
 弁護士 池本 誠司氏
・2022/04/07:外国からの世論工作、備え急げ...「虚実のはざま」第6部 私の提言<11>
 日本大教授 小谷 賢氏

*****************************

 このように、個々の記事の詳細は割愛するが、見出しからも推察できるように、これまで掲載された内容の多くは新型コロナを巡る話題であり、新型コロナウイルスの起源やPCR検査、マスクの有効性、ワクチンの有効性と安全性といった情報に関する単純なデマやフェイクニュース、陰謀論と、こうしたネット上の真偽が不明確な情報が社会や家庭に及ぼした影響が取り上げられ、ネット社会で拡散されている情報に厳しい目が向けられた。

 「現代は陰謀に満ちている」とはある方の言葉であるが、たしかにそう感じることもしばしばである。

 過去を振り返ると、その時代の権力者が発信する内容を一般国民は信じるしかない状況に置かれていたのであるが、科学者などは新たな発見をもとに通説とは異なる見解を発表することもある。しかし、その新たな説は時には権力者との衝突を生み、不幸な結果を招くことがある。

 よく知られた例では、地動説を唱えたことがとがめられ、異端として生きながら火刑に処されたジョルダーノ・ブルーノの例もあるし、ガリレオ・ガリレイもまた異端審問で終身刑を言い渡されるといった苦しみを受けた。1633年の事である(2020.3.6 公開当ブログ参照)。

 ガリレオの名誉をローマ法王庁が正式に回復したのは、1983年5月9日になってからで、この時ヨハネ・パウロ二世が、宗教裁判の誤りを公式に認め、謝罪した。その後1992年にはガリレオを異端とする裁判は取り消された。


ジョルダーノ・ブルーノ(1548ー1600、作画:妻)


ガリレオ・ガリレイ(1564ー1642、作画:妻)

 さて、この新聞の特集記事が批判的に見ているSNS上の情報であるが、当然ながら幅広い内容があり、ひとくくりにデマやフェイクニュースそして陰謀論として片づけられていいわけではもちろん、ない。

 逆に、ネット情報の中には、大手マスメディアを批判したものや、大手マスメディアでは取り上げられない内容ということを、うたい文句にするものが見られるので、話はややこしくなる。

  また、こうした偽情報をめぐり、2020年の米国大統領選では、現職大統領のツイッター・アカウントなどが停止されるという、異常事態も起きた。

 今回の「虚実のはざま」は、大手メディアが試みた、ネット情報への反撃と言えなくもない。

 本来は、私たちが対価を払って視聴・購読しているメディアは、その信頼に応えて、偏りのない正しい情報をスピーディーに届けることが重要な責務のはずであるが、現在その信頼は失われつつあり、私と同年代の友人の中には、マスメディアには裏切られたとの思いを持っている人もみられ、こうしたネット情報が出現する隙を与えていて、特に若い世代には新聞の定期購読をしない傾向にあるという事態が、「虚実のはざま」が指摘する諸現象を生み出す一因であることも考えなければならないはずであるが。

 今起きている、ウクライナ危機では、一方の当事国のロシア国内で情報統制が行われて、国民は正しい情報を知らされていないと言われている。それを反映してプーチン大統領の直近の支持率は
80%以上の高い水準にある。

 一方、国営放送以外の情報や、西側からもたらされるSNS情報にアクセスできる若者世代などは、プーチン全体主義政権の今回の行動に批判的になっているということで、民主主義国家の一員である我々がおかれている状況とは裏返しになったようでもあり、複雑な状態にある。

 ロシアが行っている戦争はハイブリッド戦争と呼ばれている。2014年のクリミア危機において、ロシア軍は物理的戦闘の他に、ウクライナの通信網を遮断するために、部隊を侵攻させてケーブルを破損し、IXP(国家間のインターネット交換ポイント)を占拠し、ウクライナ国会議員の携帯電話を使用不能にする、ウクライナ政府のサイトをダウンさせるなどの活動を行なう他、フェイクニュースを流す、SNSを用いた世論操作などが行われたとされる。

 今回の戦争においても当然同様のことが行われているはずであるが、今回は様相が異なっているようにみえる。バイデン米大統領は、早い段階から機密情報を開示してきたし、ゼレンスキー大統領もそれを上回る勢いでSNSを利用した情報戦を行うと共に、直接西側諸国にもメッセージを届けている。そして、国連においても多くの支持と共感を取り付けることに成功している。

 我々一般庶民はこうした各国政府、マスメディア、SNSの虚々実々の情報洪水・情報戦の中にあって、何を信じどのように行動すべきかが問われることになる。そのためにも、マスメディアには本来の役割を取り戻して、信頼を回復してもらいたいと願うと共に、我々自身がいつ誰がどのような情報をもたらしたのか、また、もたらさなかったのかを忘れないでいることが大切だと思うのである。

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ウクライナ情勢(4/19~4/25)

2022-04-26 00:00:00 | ウクライナ情勢
4月19日
・露、300か所にミサイル 西部リビウ 駅付近着弾も マリウポリ封鎖 親露派集団
・製鉄所に「地下要塞」 マリウポリ抗戦 ソ連時代に建設 診療所や武器
・日スイス 対露制裁継続一致 首相、大統領兼外相と会談
・円安126円70銭台 20年ぶりの水準 東京市場で一時
・北挑発なら「強力な対応」 高官協議 米韓、合同演習
・【広告】ウクライナの歴史物語・ヨーロッパ最後の大国 黒川裕次 中央公論社
・パキスタン軍、アフガン空爆 47人死亡 国境 高まる緊張
・ベネズエラ人道危機 政情不安 600万人国外へ 逃避先 所持品焼かれ
・プーチン氏せっとく成果なし 対面のオーストリア首相 「自分の世界に入り込んでいる」
・モスクワ沈没「乗員40人死亡」 独立系メディア報道
・トヨタ 来月75万台に減産 国内9工場一時停止 半導体不足で
・朝の警報 地下に駆け込む リビウにミサイル攻撃 市民「こんな近くで」 
・避難民のペット 検疫を特例緩和
・就学希望の子供 受け入れ求める 文科省通知

4月20日
・露軍、東部戦線拡大 侵攻作戦 新局面に ドンバス地方 兵力5万 米分析
・露軍攻撃 戦車主体に ドンバス地方 ウクライナ高官「第二次大戦のように」
・米と同盟・友好国 追加制裁協議へ 岸田首相も参加
・円安加速128円台 20年ぶり水準 米金利 高水準で
・世界成長3.6%に下方修正 IMF22年見通し ウクライナ侵攻で
・【社説】北欧の脱「中立」 露がNATOへの傾斜招いた
・NZ首相、きょう来日
・米、南太平洋関与強化へ 高官 週内に派遣 中国・ソロモン接近懸念
・対衛星兵器実験 米が自主的禁止
・「沈没前のモスクワ」 ウクライナ高官 SNSに投稿
・「民間人を殺害」部隊に「親衛隊」称号 プーチン氏 ブチャ捜査に反発か
・「悪い円安」是正見えず 20年ぶり128円台 「口先介入」効果なし・米と協調模索
・G20に一部出席 米財務長官表明 「露に反対、同盟国と」
・露向け債権 リスク増 IMF警鐘 外国銀行保有15兆円
・38品目輸入禁止 対露制裁を発動
・マリウポリ 故郷いとし 脱出23歳「残った友人心配」
・「心の傷 深刻」 赤十字職員

4月21日
・露、製鉄所を集中爆撃 マリウポリ 地中貫通弾 使用か 
・「人道回廊」設置合意 難民500万人
・防疫赤字 2年ぶり 5.3兆円 原油高・円安影響
・円安止まらず 129円台 20年ぶり
・G20対露議論紛糾必至 開幕へ 欧米一部ボイコットか 財務相会議
・露制裁強化 関連法が成立 暗号資産監視・「最恵国」撤回
・露外交官ら8人出国 国外退去要求
・米欧、大型兵器を供与 戦車・装甲車 戦闘機・火砲 戦局変化 地上戦備え
・露反発 妨害に躍起 輸送拠点(リビウ)にミサイル
・【社説】避難民支援 人道危機に迅速な対処進めよ
・外交官退去 政府、露の報復警戒 邦人保護 態勢備え
・東アジア安保環境「厳しさ増す」88% 外務省世論調査
・防衛費「2%」 山口氏否定的
・日米豪NZ 懸念共有 高官会談 中国・ソロモン安保協定に
・ブリンケン氏が双方に自制訴え イスラエル・パレスチナ
・欧州 受け入れ苦慮 難民500万人超 他国に移動/就職・学び課題
・ギリシャに停泊 露船差し押さえ EU制裁の一環
・チョルノービリと通信復旧
・リトアニア議会「Z」使用禁止に
・貿易赤字 円安拍車も 21年度 過去4番目の大きさ
・対露 1366億円赤字 資源輸入膨らむ
・偽メール被害 3月急増 「エモテット」 ロシア支援集団・関連浮上 感染3万8000件
・「ロシア兵、金品や家具強奪」 リビウの避難民証言 体格良い男は連行

4月22日
・露、「マリウポリ掌握」 プーチン氏 製鉄所封鎖継続
・敵基地攻撃「反撃能力」に改め 自民党提言案 相手国司令部も対象 
・G20 共同声明採択せず 財務相会議 露非難相次ぐ
・「中露、安保上脅威」明記 自民提言案 防衛力強化求める
・露、新ICBM「成功」 米欧けん制 秋に軍へ引き渡し 政府「動向注視」
 ウクライナ支援 米継続アピール
・対露制裁に習氏「反対」
・国連総長 両国へ会議打診 「拒否権行使なら説明」決議 
 国連、来週にも 乱用の歯止め狙う
・「露は潜在的デフォルト」 国際金融団体が見解
・露「戦果」迫られ マリウポリ「掌握」 戦勝記念日 見据え誇示 慈悲深さ強調
・補給難航 東部で苦戦か
・【社説】G20財務相会議 機能不全の責任は露にある
・政府 ウクライナ支援物資輸送計画見直し インドが自衛隊機拒否
・日NZ首脳 露非難で一致
・北方領土交渉 2島先行返還論は「負の遺産」 竹内元外務次官 著書で安倍氏批判
・マクロン、ルペン氏 応酬 仏大統領選 TV討論 EU・露対応・物価高対策
・イスラエル、ガザ再空爆
・「死の行進」語り継ぐ 比「バターン」80年 捕虜子孫「教訓 多くの人に」
・フィンランド NATO加盟 審議開始 主要政党 申請前向き
・「戦闘機供与」発言を撤回 米国防総省報道官
・駐日米大使 ウクライナ避難民と面会 「最悪の危機」生活支援へ
・G20 機能不全の危機 露参加 議論が紛糾 資源・食料 課題置き去り米・英・カナダ
  抗議の退席
・対ユーロ一時140円台 6年10か月ぶり 円安「緊張感持って注視」財務相
・ルーブルで利払い「不当」 国際金融団体 露経済 孤立化鮮明
・暗号資産業者を対露制裁対象に 米政権
・戦禍の子ら 救いたい ウクライナ避難民に物資 チョルノービリ被災地支援 松本の
 NPO 人脈頼り 現地へ
・ウクライナの曲 東京都響が演奏 駐日大使も出席
・女性も銃 祖国守る 「必要なら立ち向かう」 リビウで訓練

4月23日
・マリウポリ爆撃継続 露「掌握」 米も疑問視 「東・南部 制圧目指す」露副司令官
・北方領土「露が不法占拠」 ウクライナ侵攻「暴挙」 外交青書 19年ぶり明記
・米、新たに5億ドル経済支援 ウクライナへ軍事で8億ドルも 難民の入国審査 迅速化
・マリウポリに「集団墓地」 衛星画像 露軍「戦争犯罪隠滅」狙いか
・独首相初来日 28日首脳会談
・中国強襲揚陸艦が就役 2隻目 台湾有事念頭 増強進む
・物価 エネルギー関連20.8%上昇 41年ぶり上げ幅 3月 全体で0.8%上げ
・【社説】プーチン発言 作戦中止なら救出へ道を開け
・露と協力重視 転換 外交青書 北方領土「展望語れず」
・露の戦争犯罪 追及へ本腰 国際刑事裁判所(ICC) 内部証拠収集 高い障壁 
 記録自体に大きな意義
・東部戦線 兵器を増強 米、ウクライナ支援 対戦車・大砲 地形に合わせ
・露国防省施設で火災 ミサイルや防空システム開発
・インドの「脱ロシア」促す 英首相 兵器開発や再エネ支援 
・プーチン氏 健康不安説 テーブル握り 震え隠す
・中国の対露支援 米EUがけん制
・メタCEO 露入国禁止
・日米財務相会談 円安 緊密な連携確認 相場売り買い交錯
・米利上げ「0.5%選択肢」 FRB議長 インフレ抑制急ぐ
・物価上昇 景気に冷や水 原材料高騰・円安 
・露貨物会社に 米、罰則科す

4月24日
・露、南部制圧へ動き 事態長期化 見通しも ウクライナ侵攻2か月
・ウクライナショック 1⃣ 米 軍事見通せぬ外交限界 露の「虚構」に ほころび 激しい抵抗 国内も反発 ウクライナ「欧州人」57% 世論調査 昨年8月から倍増
・違法情報 ITに削除義務 EU、規制法案決定
・IT規制 EU本格化 偽情報「民主主義に悪影響」 違法情報削除義務 英も拡散防止急ぐ
・カンボジアなど3国と首脳会談 首相、対露連携確認
・サケ・マス 露と妥結 日本漁獲量 昨年と同じ
・国連総長、露大統領と26日会談 モスクワで 人道停戦 協議 
 ゼレンスキー氏とは28日
・旗艦沈没「27人不明」 1人死亡 露、人的被害認める
・侵攻2か月 インフレ加速 成長11%減 露経済 孤立深まる 米欧制裁 外資撤退相次ぐ
・エネ禁輸拡大 悩む欧州 価格更に上昇も
・外相、米大使と原子力空母視察
・ウクライナ侵攻2か月 首都周辺 露から奪還 露軍、戦果求め東部へ 政権転覆に失敗
 帰還 ひざまずく市民 露軍 戦争犯罪の疑い 非難1300万人 停戦協議は停滞 
・合理性欠いた戦略で侵攻 東部戦線 今後の分水嶺 
 小泉 悠 東大先端科学技術研究センター専任講師(ロシア安全保障・軍事政策)
・ワールドビュー 米欧 妄想見誤ったツケ アメリカ総局長 中島健太郎
・米、ソロモンと関係強化へ 首相と会談 中国に対抗
・ロシア正教会と6月の会談延期 ローマ教皇
・広角 多角 スマホの中の戦場 今そこにある危機 編集委員 片山一弘
・本 よみうり堂 
 浸食される民主主義 内部からの崩壊と専制国家の攻撃 上・下 
  ラリー・ダイアモンド著
 チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇 アダム・ヒギンボダム著
 人類と神々の4万年史 上・下 ニール・マクレガー著
・【広告】真珠湾の代償 無条件降伏使節 加瀬俊一秘録 福井雄三著
・信頼性高い論文 後世に 米サイエンス誌編集長 日本の科学力低下「心配」
・ウクライナ侵攻2か月 復活祭「家族と一緒に」 国境の町 帰国相次ぐ
 
4月25日
・ウクライナ ショック2⃣ 欧州安保強化へ急旋回
・米2長官 キーウ訪問へ 国務・国防 ゼレンスキー氏明かす
・ゼレンスキー氏 停戦協議打ち切り 警告 「製鉄所」部隊 全滅なら
・トルコ大使と国連総長会談へ
・外交・軍事支援アピール 米国務・国防長官 キーウ同時訪問
・ミサイル開発で 「攻撃変わった」 自民・小野寺氏
・「対岸の火事ではない」 自民・茂木幹事長
・露産ダイヤ 取引に批判 「最大市場」アントワープ 採掘企業が潜水艦資金源?
・マリウポリ 製鉄所地下 悲痛な訴え 映像公開 子供ら「太陽見たい」
・「露、占領地域住民を動員」 ウクライナが非難
・露、特別監視団を拘束 OSCE 東部親露派地域で
・露の資格停止採択 米州機構(OAS)
・ウクイライナ避難民 復活祭 母国の平和祈る ポーランドの教会で礼拝

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山野で見た蝶(12)ヒメギフチョウ

2022-04-22 00:00:00 | 
 3月末に、偶然カタクリの群落を見る機会があったことを、このブログで報告したが、カタクリといえばこの時期ギフチョウのことを思い浮かべる。

 以前、新潟県・長岡市にある国営越後丘陵公園に出かけて、カタクリの花に吸蜜に訪れるギフチョウを観察する機会があったが、かねて軽井沢近辺でギフチョウを見ることができないものかと考えていた。

 かつて過ごした上越市周辺に行けばギフチョウに出会えることは判っていたが、もう少し近い所で見てみたいと思っていたのである。

 もっとも、近辺の東信地区にギフチョウは生息しておらず、見られるのはごく近い種のヒメギフチョウということになる。もちろん、それでいいのであって、かれこれ数年間、ヒメギフチョウの観察・撮影に出かけたいものと考えていたが、なかなか的確な情報が得られずにいた。

 しかし、思いがけずその機会が訪れた。昨年偶然知り合ったAさんから、ヒメギフチョウを見に行きませんかというお誘いの電話がかかってきた。一も二もなくそのお誘いに乗って、東御方面に案内していただいた。

 その日の朝、比較的早めに現地近くの駐車スペースに着くと、すでに2台の車が停まっていた。この場所から2-300メートルほど歩くと沢沿いの場所があり、そこにカタクリの群生地があると、途中まで案内していただいたAさんに教えていただいた。 
 実は、Aさんは急用のため、帰らざるをえなくなったのだということで、そこからは私一人で現地に向かうことになった。 

 しばらく進むと、カタクリの群生地が見えてきた。先の2台の車でやってきたと思しき男性が2名、満開のカタクリの花の中のひとつにレンズを向け、じっとシャッターチャンスを待っていた。挨拶の声をかけようかとしばらく待っていたが、二人は微動だにせず、じっとカメラを構えたまま動かない。

 こちらからは、カタクリの花に止まるヒメギフチョウの姿を確認することはできなかったが、二人は辛抱強くいいアングルでの撮影チャンスを待っているようであった。

 ヒメギフチョウは私が立って居る沢の手前側にも飛んできていた。私は一旦その場所を離れ、車に残してきた妻を呼びに駐車場所に戻った。妻は、このところ山道を歩くことが苦手になっていて、車で待っているからと言って残っていたのであったが、もともとチョウ好きで、私より余程詳しいくらいなので、この機会を逃すことはないと説得し、一緒にカタクリの咲く場所に戻った。

 この時、駐車場には新たに2台の車が来ていて、Aさんの姿はすでになかった。2台の車からは4人の、やはりヒメギフチョウがお目当ての男女4名が下りてきた。

 話を聞いてみると、男性2人は地元の人で、倒木の処理や下草刈りなどを行い、この場所周辺の手入れを行っているのだという。残りの男女は、私と同様軽井沢からきていて、先の二人の案内で初めてここに来たとのことであった。

 再び現地に着くと、先程の2人のカメラマンはそれぞれ別の場所に移動していたので、我々も沢を渡り、カタクリの咲く場所に入って行った。

 ヒメギフチョウは数頭が周辺を飛び回っていて、時々地上に下りて止まったかと思うと、すぐまた飛び立つということを繰り返していたが、やがて私のすぐ前のカタクリに止まって吸蜜を始め、待ち構えていた私はすぐ撮影をすることができた。

カタクリの花で吸蜜するヒメギフチョウ(2022.4.13 撮影)


吸蜜後カタクリの花から飛び立つヒメギフチョウ(2022.4.13 撮影)

 その後、別の個体がカタクリの花で吸蜜したが、この時は反対側を向いて咲いている花に止まったので、ヒメギフチョウの姿は花に隠れて、ほとんど見えない状態であった。


吸蜜中のヒメギフチョウ(2022.4.13 撮影)

 じばらく撮影チャンスを窺っていたが、この日はなかなかカタクリの花に止まることが無かったので、地上に降りて開翅してとまっているところを撮影し、約1時間ほどでこの場を離れることにした。

カタクリの群生地を飛翔するヒメギフチョウ(2022.4.13 撮影 )

 ところで、ヒメギフチョウとギフチョウの違いは図鑑などで見て知っていたので理解していたが、ヒメギフチョウの雌雄の差はよく判らないでいた。現地で飛びまわっている時には、雌雄の区別はまずわからない。

 この日撮影に来ていた地元の方は、飛び方でも分るのだといっていたが、慣れない私には無理で、撮影した写真を見て、後から判断することになる。

 「フィールドガイド・日本のチョウ」(日本チョウ類保全協会編 2013年 誠文堂新光社発行)によると、「ギフチョウも、ヒメギフチョウも、♂♀の斑紋は共通であるが、♀は♂より翅形に丸みがあり、胸部と腹部の長毛が少ない」とある。

 この判定基準に従って、今回撮影した写真を見ると、この日のヒメギフチョウはすべて♂と思われた。カタクリで吸蜜しているところでは、微妙な判断になるが、地上で開翅している写真からそのように識別した。


地上に止まるヒメギフチョウ♂(2022.4.13 撮影)

 ヒメギフチョウに出会うのは、実は今回が2回目であった。以前、青木村にある「信州昆虫資料館」に出かけた時に、偶然建物脇の茂みに2頭のヒメギフチョウを見つけて、撮影したことがあった。

 後で判ったことであるが、このヒメギフチョウは信州昆虫資料館で飼育していたものを放したものということで、自然の中での観察・撮影ということではなかった。

 この時は外気温がまだ低く、2頭は飛び立つことができず、長時間シバザクラの周囲を這いまわっていたので、たくさんの写真を撮ることができ、改めて見なおしてみると、♂と♀であった事がわかった。次のようである。

2頭のヒメギフチョウ(2014.4.28 撮影)

ヒメギフチョウ♀(2014.4.28 撮影)

ヒメギフチョウ♂(2014.4.28 撮影)

 そこで、Aさんに案内していただいた今回の場所で、♀の姿と、できれば産卵シーンを見てみたいと思い、その後2回現地に足を運んだ。ここには、カタクリに混じってヒメギフチョウの食草ウスバサイシンも見られたからである。

 2回目は、現地に朝8時半ころに着いたが、外気温は3℃と放射冷却のためか低く、日が昇りヒメギフチョウが活動を始めるまで、しばらく待たなければならなかった。

 ようやく姿を見せたヒメギフチョウが弱々しく飛び、足元のオオタチツボスミレの花にとまり吸蜜を始めた。先に学習した特徴から、この個体は♀と判定した。


オオタチツボスミレで吸蜜するヒメギフチョウ♀(2022.4.17 撮影)

 すぐ横には、ウスバサイシンの若い株があり、一枚の葉を裏返してみるとすでに卵が産みつけられていた。


ウスバサイシンの葉裏に産みつけられた卵(2022.4.17 撮影)

 しばらくすると、中年男性のカメラマンが2人観察・撮影にやってきた。一人は先日もきていた地元の方であり、もう一人の男性を案内してきたようであった。この地元の方から、より大きく成長したウスバサイシン株の葉裏に卵塊があると教えていただいた。この場所で、産卵シーンを目撃できる期待はさらに膨らんだ。ただ、この日はショップの仕事があり、2人を残して先に引き上げた。 

 次のショップの定休日には、やはり朝9時ごろに現地に到着して、しばらくの間ポツポツと姿を見せるヒメギフチョウを撮影していたところ、中に交尾嚢のついた♀の姿があった。


交尾嚢がみられるヒメギフチョウ♀(2022.4.20 撮影)

 カタクリの花にやってくる、ルリシジミ、ミヤマセセリ、スジボソヤマキチョウなどの撮影をしていたり、ウスバサイシンの葉裏に産みつけられたヒメギフチョウの卵を確認したりしていると、後からもう1人のカメラマンが加わった。

 埼玉県から来たというこの方は、この場所のことには詳しく、当然チョウ全般のことも精通している方であった。

 卵は見つかりますかと聞かれたので、ウスバサイシンの株の1つに案内すると、「産卵してから、もうだいぶ日が過ぎていますね」という。どうしてわかるのですか、色で見わけるのですかと質問すると、「卵の間隔が広くなっているので判りますよ」との返事。

 つまり、産卵後にウスバサイシンの葉が大きく成長するので、それにつれて、ヒメギフチョウの卵の間隔が開いていくので判るのだという。なるほど!と膝を打ったのであった。

 また、この方から聞いたところによると、ヒメギフチョウの♀は、驚かせたりすると産卵行動はとらないので、静かに見守る必要があるのだという。その代わり、一旦産卵行動に入ると、途中でやめてしまう事はないとのことであった。

 そんな話をしていると、1頭のヒメギフチョウが舞い降りてきて、カタクリの咲く中をゆっくりと飛び始め、ウスバサイシンの葉にも止まるようすを見せた。♀のようであった。そうして、いくつかのウスバサイシンの株を吟味してから、中の一つに止まり、産卵行動をとり始めた。


ヒメギフチョウの産卵(2022.4.20 撮影)

 その場にいた男性陣が見守る中、ヒメギフチョウ♀は次々と産卵し、12分ほどして飛び去った後の葉裏には、18個の卵が産みつけられているのが確認できた。確かに産卵直後の卵は互いに接触するようにして産み付けられていることが判る。


ウスバサイシンの葉裏に産みつけられたヒメギフチョウの卵(2022.4.20 撮影)

 日本に生息するギフチョウの仲間は2種で、大きく2つの地域に分かれて生息している。西/南にはギフチョウが、東/北にはヒメギフチョウが生息していて、その境界は「リュードルフィアライン」と呼ばれている。リュードルフィアとはギフチョウの属名である。尚、北海道には亜種エゾヒメギフチョウが生息していて、図示すると次のようである。


ギフチョウの生息域とリュードルフィアライン(図は、複数の情報を参考に筆者作成)

 リュードルフィアラインは、両種とも分布しない空白地帯とされているが、全国には数箇所、リュードルフィアライン上に両種が混生する地域のあることが確認されている。この貴重な混生地では、両種の雑種も確認されている。
 
 多くのチョウが生息している軽井沢は、リュードルフィアラインの位置との関係からはヒメギフチョウの生息区域ということになるが、実際にはヒメギフチョウは生息していない。すぐれた写真集「軽井沢の蝶」(栗岩竜雄著 2015年 ほおずき書籍発行)では、高山蝶を含む129種を紹介しているが、当然ながらヒメギフチョウは収録されていない。

 信州 浅間山麓と東信の蝶(鳩山邦夫・小川原辰雄 著 2014年 信州昆虫資料館発行)には、ヒメギフチョウの採集・目撃記録が記されているが、その中にも軽井沢での記録はなく、近隣では下記地名が見られるのみである。

 ・上田市、上田市真田町、小県郡青木村、東御市、小諸市、佐久市、南佐久郡南牧村、北佐久郡立科町 
 
 少し古い資料になるが、「軽井澤の蝶と蜻蛉」〈再復刻版〉(土屋長久 編著 1998年 ほおずき書籍発行、軽井沢図書館所蔵)には「長野県北佐久郡のヒメギフチョウ」(荻村邦武、土屋長久、清水 明)と題された報告が記載されていて、その中に、軽井沢町内にあるヒメギフチョウの食草ウスバサイシンの生育地に、幼虫を放した例が報告されている。一部を引用すると次のように書かれている。
 「〇 ヒメギフチョウ Luehdorfia puziloi inexpecta SHELJUZHKO 
  は東信地方で『太郎山』が古くから産地として知られてきた。千曲川沿岸以北の上田市太郎山
  山麓を含む角間沢、烏帽子岳など、以南の別所、独鈷山、武石、高原地の霧ヶ峰(車山)など
  の分布状態から佐久地方にも棲息地があってもよいと私達は考えてきました。・・・
  〇 北佐久地方で最初に記載されたのは、丸毛(1928)による、小諸市布引山である。・・・
  その後布引山(880m)、閼伽流山(1000m)が産地として知られて、現在では生息をみない
  とも聞かれているが、1952年頃までは採集されていたようである。
   食草であるウマノスズクサ科のウスバサイシン Aristolochia Sieboldi Mtg. の分布は、立科
  山麓、小諸市布引山、平尾山麓でもある閼伽流山、八風山麓、小諸市軽石、その他の地にかな
  り局所分布を示し、ヒメギフチョウの生息の可能性も多い。・・・
  〇 軽井沢周辺では1954年~1959年まで荻村が当時の軽井沢中学昆虫クラブで・・・多く
  の方々と調査にあたり、1963年以来清水が軽井沢中学校昆虫クラブで報告しているが、上信国
  境の碓氷山系、八風山の平尾山系、及び浅間連峰の諸山系からは採集されなかった。
   又故ポール・ジャクレイ氏(当時軽井沢在住)のコレクションのヒメギフチョウ標本はいず
  れも上田市太郎山産のものであった。
   そこで土屋による1962年6月に八風山麓のウスバサイシン群落へ幼虫が棲みつくかはなして
  みたのである。上田市独鈷山山麓で、学友関口忠雄君が1962年5月13日卵30個を採集飼育し、
  3~4齢に成育した19頭をウスバサイシンの株数の多いものに2頭づつはなした。・・・
   翌年5月12日・20日 当所を踏査したがみあたらず、ヒメギフチョウが発生したか、いない
  かについて、以後追分の蝶採集家の古い歴史を有する小林繁太郎氏も、軽井沢町内はもとより
  八風山付近ではみられないとしている。・・・
  〇 八風山採集ノート(1962年5月20日)
   ・・・次の日、中腹のウスバサイシンの葉上を全部調査したが、ヒメギフチョウの卵はみら
  れなかった。神津牧場にヒメギフチョウが分布していることから、もしやと思ったが、山麓近
  くではヒメギフチョウの成虫もみられなかった。・・・
  〇 ヒメギフチョウの盛飛行をみるのは、ほぼサクラの満開の頃のようであるが、軽井沢周
  辺に自生しているサクラ類にはミヤマザクラ、シオリザクラ、イヌザクラ、ウスミズザクラ
  、ケヤマザクラ、チョウジザクラなどあり、軽井沢では満開になるのは、いずれも5月中旬~
  下旬で、1963年度では八風山麓では5月12日がヤマザクラ類のほぼ八分咲きであった。
   上信国境でもある佐久地方は碓氷山系にも接し、自然相は生育上興味あるものである。
   又南佐久郡は、いわゆるリュードルフィアラインに近く、ヒメギフチョウの分布もかなり多
  いのではあるまいかと思われて、軽井沢を中心に述べてきたが、今後佐久地方において、本種
  及び、その他の昆虫研究が発展されていくことを願い、又、本種の南佐久郡における調査の現
  状は、次の機会にゆずりたい。」

 このように、ウスバサイシンの生育地はあっても、軽井沢にはヒメギフチョウの生息地は見つかっていない。今回観察・撮影したように、すぐそばに生息地もあることから、私もまたなぜ軽井沢にヒメギフチョウが生息できないのか、不思議に思うし、ぜひ軽井沢産のヒメギフチョウを見たいものと思っているのであるが。

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ウクライナ情勢(4/12~4/18)

2022-04-19 00:00:00 | ウクライナ情勢
4月12日
・露軍、指揮系統を強化 総司令官任命 「過去に残虐行為」
・東部向け 露軍車列13キロ
・オーストリア 露と首脳会談へ
・マクロン氏対ルペン氏 仏大統領選 24日の決戦投票へ
・中露「警戒」引き上げ 安保3文書 自民提言案 「敵基地攻撃」明記求める
・日露、サケマス交渉開始 オンライン 露に漁業協力金 協議
・露「早期に戦果」狙う 総司令官任命 兵士ら士気低下も
・首相、東南アジア歴訪へ 大型連休 対露制裁 欧州も訪問
・円安一時125円台半ば
・仏大統領選 マクロン氏 物価高の壁 対露制裁影響 ルペン氏迫る 左派票カギに
・【社説】日比2プラス2 中露にらみ連携して秩序守れ
・安保文書提言案 ウクライナ侵攻 危機感 自民 対露戦略見直し要請へ
・ウクライナ避難民 退所時16万円 入管庁 入居中生活費1日1000円 
・米、印に対露圧力訴え オンライン首脳会議へ
・露軍、高線量の物体盗む ウクライナ公表 チョルノービリ近く
・分析 ウクライナ危機 露のサイバー報復 リスク
・欧米人権団体 露が活動封じ 支部を「取り消し」
・エネ調達「露離れ」加速 九電、石炭の輸入停止 LNGは代替難航
・露成長率マイナス11% 今年 ウクライナは45%減
・米、対露禁輸拡大 核物質や毒物も
・仏金融大手、露事業撤退 ソシエテ・ジェネラル 関連損失4200億円
・景気判断 8地域「下げ」 日銀4月報告 コロナ再拡大/原材料高騰
・「ペットは家族」共に避難 ポーランド検疫緩和や救護所

4月13日
・マリウポリ「死者1万人超」 攻防激化 市民12万人残る 露の化学物質 米「注視」
・プーチン氏「作戦継続」 極東で演説 侵攻 改めて正当化
・ガソリン補助 継続へ 政府・与党「トリガー」なお検討
・露軍 マリウポリ執着 ウクライナ武装集団の本拠 「戦果」強調 狙いか
・露鉄道デフォルト 金融機関仲介せず 法令遵守理由に
・バイデン氏 初来日調整 来月22~24日 クアッド首脳会談も
・脱・露産エネルギー 欧州急ぐ 石油・ガス「一斉禁輸」には壁 
 存強い独、代替確保は24年
・原発「活用」の動き ベルギー延長 英仏新設
・【社説】台湾の防衛体制 ウクライナ危機が強化促した
・原油高対策 「補助金のみ」当面容認 公明・国民「トリガー」発動に課題
・志位氏「急に言い出したことでない」 侵略対処「自衛隊で」
・訪問「総合的に勘案」 岸田首相のウクライナ訪問
・マリウポリ脱出の親子 救い求め集まる市民 1日クッキー6枚・露検問で過去の 写真消去
・米原子力空母朝鮮半島沖に 北をけん制
・インド「抜け穴化」警戒 武器調達 露に依存 露産原油 購入続く 米、包囲網参加を要請
・プーチン氏 直接交渉に消極的 オーストリア首相 仲介不調
・「反戦」元露TV局員、独メディア特派員に
・経済制裁 効力示す 露国鉄デフォルト 投資家離れ 加速か
・企業物価39年ぶり高水準 3月9.5%上昇 露侵攻で原材料高
・世界貿易 停滞見通し 露侵攻影響 WTO下方修正

4月14日
・米大統領「ジェノサイド」 戦争犯罪 米欧が糾明支援 マリウポリ空爆続く
・円安126円台20年ぶり 1か月で10円下落
・改正自衛隊法が成立 外国人のみの輸送可能に
・停戦合意遠のく 「ウクライナ、態度変えた」 プーチン氏が批判
・国連、拒否権行使なら総会 露中の乱用抑止 米など共同提案へ 
・米空母も参加 日米共同訓練 日本海、北をけん制
・円売り加速「独り負け」 米と金利差・低成長 投資離れ 製造業にも打撃 輸入コスト増、 
 輸出恩恵薄れる
・「準難民」創設へ 「紛争から避難」法的保護
・日・ウクライナ 防衛相が露非難 テレビ会談
・「自衛隊解消」方針 志位氏が維持協調 共産党綱領
・【広告】プーチン錯乱す サリン使用でNATO参戦の動き(週刊文春)
・【広告】プーチン「ヒトラー化」の末路 サリン危機(週刊新潮)
・市民犠牲 露を追及へ バイデン氏「ジェノサイド」 ICC、証拠集め着手 
・「広範囲で残虐行為」 米国務長官
・親露派政党党首メドベドチェク氏 ウクライナ拘束 捕虜交換意向
・独大統領の訪問 ウクライナ拒否 融和姿勢影響か
・中国 対露輸入26%増 3月 前月の伸び率維持 制裁抜け穴批判 意識か 輸出は8%減
・金、一時8000円超 最高値を更新
・米インフレ 峠越えか エネ高止まり 警戒
・英物価7%上昇 30年ぶり水準
・銀歯素材8%値上げ パラジウム合金 ウクライナ侵攻 供給不安定に
・検察官3人をICCに派遣 政府方針
・ウクライナ語の無料講座を開催 東京外大、22日から

4月15日
・露旗艦にミサイル攻撃 「深刻被害」 ウクライナ政府、抗戦成果を強調
・露はマリウポリ制圧加速
・米欧が追加軍事支援 ヘリ11機など 大型装備に拡大
・露、日本海でミサイル 潜水艦など演習 日本けん制強める
・NATO 北欧2カ国 加盟検討 フィンランド 申請判断「数週間内」
・露侵攻で「国際人道法違反」 OSCE報告書 病院攻撃「戦争犯罪」
・中国ステルス機 訓練常態化 東・南シナ海 米軍阻止力養成か 「J20」最新鋭戦闘機
・安保理 北制裁 米が新決議案 ハッカー集団 資産凍結
・露大富豪の資産 8800億円以上凍結 英王室属領
・北の挑発 日米韓警戒 節目でも経済苦境 ICBM準備か 核実験場で工事 日本、多弾頭化など
 懸念 「敵基地攻撃」議論急ぐ
・バイデン氏来日 準備加速 拉致・核軍縮 連携アピールへ
・「拒否権」共同提案国に 国連
・再エネ 相次ぐ出力制御 発電割合増 需要伸びず
・欧、量的緩和縮小を継続 ECB 「7~9月終了 強まる」
・利上げ 各国で相次ぐ カナダ、NZ、韓国
・露、G20財務相会議参加へ
・露海域保険料 割り増し決定 損保大手
・難民増 揺れるモルドバ 親欧米 経済は露依存
・米装備品の安定供給要請 対軍事企業 長期戦にらみ先手
・米大統領「ジェノサイド」 「戦地状況 感じたこと話した」 報道官が説明
・人道目的の停戦 「見通し立たず」 国連総長
・主人待つ秋田犬 マカリウで注目 「ハチ公」愛犬家が保護
・戦地へ届け 励ましの歌 横浜の3人組が動画 ウクライナ国歌 66万回再生 現地からも感謝

4月16日
・露艦隊 防空網に打撃 旗艦沈没 沿岸から退避
・報復か キーウ再攻撃
・安保3文書 「防衛費2%5年で」 GDP比 自民提言案
・空自の緊急発進1004回 昨年度、過去2番目 対中国が7割
・弾道弾対応訓練 日米共同で実施
・中国情報収集艦 対馬海峡を通過
・日本企業36% 露事業停止
・フィンランド・スウェーデン NATO加盟 本格検討 伝統の「中立」転換へカジ
 露侵攻 自力防衛に危機感
・ウクライナでも「中立化」焦点
・【社説】南シナ海警備 沿岸国の能力向上を支援せよ
・オランド氏、マクロン氏支持 仏大統領選決選投票 ルペン氏当選阻止へ
・米議員団、台湾と連携確認 蔡氏と会談 中国、軍事演習でけん制
・露、情報工作に躍起 「ウクライナが領内攻撃」
・CIA長官 露の核使   懸念
・米が高官派遣調整 国務長官ら候補に
・独与党、露エネ禁輸の声 ショルツ氏へ圧力強まる
・米韓高官 対北協議へ
・露富豪側近2人へ 英、1.65兆円資産凍結 過去最大
・北ハッカー集団 暗号資産を窃取 FBI
・G20「露参加」対立鮮明 締め出し 新興国反発 事態打開 動きに期待
・「悪い円安」130円試算も 日本警戒感 米と広がる金利差
・南アフリカ 根強い親露姿勢 旧ソ連時代から盟友
・キーウに戻る 私の決断 ポーランド国境 避難先を転々「もう疲れた」
 大学再開「やるべきことを」 東部や南部「脱出」目立つ  
 
4月17日
・露、キーウ攻撃拡大 長距離弾 旗艦沈没報復か
・マリウポリ 超音速機が爆撃
・「露が市民4万人連行」マリウポリ市長
・22歳戦死 リビウの葬列
・地球を読む 侵略と国際秩序 第2次大戦後の安定1 例外 「中露枢軸」阻止へ結集を
・露軍、制圧できず破壊 マリウポリ市長 戦争犯罪立証の決意 30分ごとに爆弾、2週間
・露軍死者「1万9000~2万人」
・米の軍事支援に露が警告の文書
・ワールド ビュー NATOが追った幻想 欧州総局長 尾関 航也
・インド、露製兵器輸入 ミサイルシステム 継続姿勢鮮明に
・露、英首相ら入国禁止
・北「パレードに数万人」 金日成誕生110年
・ウクライナ危機 ロシアと学術交流 中断相次ぐ 「科学の進歩妨げる」懸念も
・ウクライナ侵攻 エネルギー事情一変 日本エネルギー経済研究所 小山堅 専務理事
・無言の帰還 覆う嘆き 緊迫のリビウ 訓練続く 

4月18日
・露、マリウポリ投降迫る 市街地「完全開放」
・ゼレンスキー氏 「全滅なら協議終了」
・旗艦沈没 露に衝撃 ミサイル命中 米確認 CNN
・「準難民」の創設 法相、必要性強調 
・北「新型戦術兵器」試射 朝鮮中央通信 米韓演習けん制か
・「何らかのミサイル 北が16日に発射」防衛省発表
・同盟国と連携 米「北活動分析」
・韓国、日本に代表団派遣 尹次期大統領 対北・懸案協議へ
・【社説】印の対露外交 大国の責任を果たすべきだ
・中古車市場ブレーキ 露へ輸出急減 価格下落
・通訳アプリ ウクライナ語も
・「プーチン氏は自らの力過信」安倍元首相講演
・仏大統領選 左派票狙う マクロン氏 温暖化対策アピール、ルペン氏 反マクロン勢力結集
・中立 無関心を意味せず スイス・カシス大統領 書面インタビュー 対露制裁 追加も検討
・米ASEAN 来月首脳会議
・ウクライナ 解放の町 惨状に「絶句」 キーウ市議、現地で支援
 

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軽井沢病院から旧軽井沢公民館へ-旧軽井沢公民館の歴史

2022-04-15 00:00:00 | 軽井沢
 旧軽井沢区の公民館が新築されることが決まった。現在の公民館建物の老朽化に伴い、地元住民から建て替えの要請が出始めたのは数年前の2015年頃であったが、それから区民の間での討論と町への申請を経て、町予算で建設費8400万円が承認されたのは2021年4月であった。



旧軽井沢区公民館新設を伝える軽井沢町HP

 その結果、現在の公民館(以下、現公民館)は、新公民館の竣工後に取り壊されることになった。当初着工予定の2021年に、新公民館の建設予定地から医療廃棄物が見つかるといった予想しなかった事態が起き、建設場所の変更を余儀なくされたこともあり、予定から1年ほどの遅れが生じているが、新公民館は2022年6月頃の着工、2023年7月頃の竣工予定であり、現公民館の取り壊しは2023年後半以降になるとされている。

 現公民館の建物の歴史を振り返ると、軽井沢病院として1953(昭和28)年から利用が始まり、その後、1961(昭和36)年には、建物が狭いとの理由で増築されることとなり、総工費624万円で病院診療棟の新築と、従来の診療棟の病棟への改築が行われ、同年5月22日に落成式が執り行われた。増改築された病院棟の利用は、中軽井沢地区に新たに病院棟が建設され、ここに移転する1974年6月まで続く。

 1年後の1975年には、この病院棟は病室など一部を解体し、大ホールなどを増築して、現在の旧軽井沢地区の公民館としての利用が始まった。
 病院としての利用が21年、その後1年のブランクの後47年間は旧軽井沢地区の公民館として、合わせて約70年の長きにわたり活用されてきたこの建物には軽井沢と旧軽井沢の幾多の歴史が刻まれている。
 
 歴史的にすこし遡った時期も加えて見ていくと、現公民館に関わる歴史は3つの時期に分けることができる。

 先ず、軽井沢に本格的な病院ができる前の時代(1期)であるが、現公民館から少し離れた場所には別の病院、マンロー病院(サナトリウムあるいは軽井沢病院とも呼ばれた)があり、このマンロー病院の一部を借りて、町立病院としての診療が開始されている。

 2番目の時期(2期)は、町立の建物が建設され、本格的に病院として機能し始め、さらに増改築されて現在の建物が使用された期間である。

 そして、3期は病院機能を中軽井沢地区に新設された新病院に移し、一部を取り壊し、一部を増設して旧軽井沢地区の公民館として利用してきた期間である。

 病院から公民館への切り替え時に取り壊されたのは、病室や渡り廊下などで、周囲の樹木も中軽井沢地区に移植されたという記録がある。公民館機能を確保するために増築されたのは、現在の大ホール部分とその周辺部分である。

 こうした経緯を図示すると次のようである。

 
旧軽井沢公民館の建物の歴史

 この3つの期間について以下順に見ていく。

 第1期であるマンロー病院が設立される前後の期間については、現公民館との直接の関係は薄く、概要だけを記述しておくと次のようである。
【第1期】病院建設以前
 明治期
 ・明治30年に岩村田の医師、菊池音之助氏が旧道に病院を設立し、西洋医学による医療の走りと
  なる。
 ・明治30年代後半に御代田に開業していた水沢源氏が新軽井沢に出張所を設け、偶数日の午後、
  診療に当たった。
 ・明治38年に里見新緑氏が診療を始め、大正4年以降追分の現在地に医院を確立した。
 ・大正6年にマンロー医師が旧軽井沢の別荘の一角で診療を始めた。
 ・大正9年に清原芳司氏が沓掛(中軽井沢)で診療を始めた(清原医院)。
 ・大正13年に軽井沢会とマンロー氏が提携し、軽井沢サナトリウムが新築・設立された。
 ・昭和8年に星野に、星野温泉医局が開業し、昭和60年まで続く。
 ・昭和24年に、マンロー病院の一室を借りて、国保診療が開始。高嶺登医師。
 ・昭和27年、軽井沢町国保旧軽井沢診療所開設。

 このマンロー病院を借りている時期に、大きな事件が起きている。高嶺医師と交替して赴任していた川越不二男氏が次のように記している(軽井沢病院誌より、P59)。

 「昭和25年6月9日、熊野平駅付近で豪雨による山崩れがあり、線路で作業中であった長野県側の作業員七十数名が生き埋めとなり、その中に居られた熊の平駅長夫妻も亡くなられました。生き埋めになった人のうち二十数名が救出され、消防の方々が消防車に乗せて病院に搬送してきました。病院は一瞬修羅場となり、少人数で負傷者の泥を落とすだけでも手が廻らないほどでした。小諸から医師会や長野日赤の先生方、更には鉄道病院の救護班、報道関係の方々も駆け付け、皆、大活躍でした。・・・」

【第2期】旧病院時代
 マンロー病院の一室を借りて昭和24年にスタートした軽井沢町の医療施設は、3年後の昭和27年に独自の施設を得て、診療を開始した。
 この時使用した建物は、関係者の下記記述によると新設のものと思われるが、詳しい資料がなく、正確なことはわからない。「軽井沢病院誌」には旧道の診療所として写真が掲載されているが、これが現在入手できた唯一の写真である。
 その後、昭和29年には軽井沢町国保軽井沢病院に昇格し、初代院長には、ふたたび赴任してきた高嶺 登医師が就任する。次は、その高嶺昇氏の回顧談である(軽井沢病院誌より、p57)。

 「(千葉大学)河合外科医局より軽井沢へ行く話があったのは昭和24年初夏の頃でした。・・・当時、軽井沢町では既に国民健康保険を施行しており、従って直営の診療所も欲しかったと思います。私の仕事は、その診療所を主として、その外、週一日小諸保健所での診察と、随時連合国関係の労務者の健康管理の三種でした。
 町の診療所は、旧道万平通りから矢ケ崎川にそってささやきの径に入って左手にあった通称軽井沢会診療所あるいはマンローサナトリウムと呼ばれていたベンガラ塗りの赤い木造洋館の一部屋を借りて、診療を始めました。
 この建物は、大正末期に軽井沢避暑団が設立して、日本の文化人類学のパイオニアといわれるマンロー博士がサナトリウムとして使っていたとのことでした。博士の没後、一時ペンションになったりしていたらしいですが、私の赴任した時にはイギリス帰りの加藤伝三郎先生が内科をしておられました。マンロー未亡人は婦長さんとして・給食係りとして活躍しておられました。病室はオープンで、町の先生方も自由に利用できましたので、アッペやヘルニアの手術後の面倒は専らマンロー夫人がやってくれました。・・・
 初めての冬の寒さに驚きながら予定の半年で、先輩の川越不二男先生と交替して頂いて暮れに帰りました。
 昭和27年秋に軽井沢町では直営の国保診療所を建てたので、再び私が行くことになりました。旧道のテニスコートの近く、諏訪神社の裏手でした。・・・
 その頃までに町では沓掛の清原医院と新道のつるや旅館の一室に診療所を開設しており、一外・一内より派遣された先生が診療にあたっておられました。新診療所は通称軽井沢病院と呼ばれておりましたが、沓掛・新道と新診療所とで医師は4名ですが、病室や看護婦数の不足などで、医療法でいう病院の基準には達しておりませんでした。・・・」

旧道の診療所(「軽井沢病院誌」より)

 次は病院の初代の事務方土屋 篤さんが見た新病院である(軽井沢病院誌より、P69)。
 「昭和27年、旧軽井沢に『設立するなら病院を』という要望が強かったが、取敢えず診療所を設立することになり、同年11月15日、軽井沢町国民健康保険直営診療所として発足しました。
 診療所発足当時は、町の診療所として軽井沢駅前の一室を借りた診療所と沓掛の清原医院の後を借りた診療所(後の中軽井沢診療所)の2か所あったが、この旧道の診療所は町独自で建てたものでした。・・・
 診療所開始以降、患者さんは増加する一方で、手術は近くのマンロー病院を借りて医師・看護婦が出向していったり、入院を要する患者は小諸や長野の病院へ送らなければならず、高嶺先生は町当局に病院設立を熱心に訴えられました。・・・
 結果、旧軽井沢の診療所を改築増設する事で決まり、高嶺先生の指示により手術室・レントゲン室・給食室・浴室・病室(21床、一室を結核専用)も決まり、診療所発足3年目にして(昭和29年10月)『国保町立病院』がたんじょうしました。・・・   
 高嶺先生の時代は、浅間・小瀬方面での自殺・心中が週に一件か二件あり、車のない時代で、その検死にみな苦労したものです。また、外人のパイプカットも多かった様に記憶しています。・・・
 産婦人科診療も始まり(S31.9)、病院は、入院患者も増える中で、外来も忙しく、手術は日曜日に行われることが多くなりました。・・・給食室が出来、レントゲンの機械が入り、多かった結核患者用の病室が二部屋となったのはこの時代です。・・・」

 1961(昭和36)年に、病院棟は転機を迎えた。それまでの建物が狭かったことを理由として増築されることとなり、総工費624万円で病院診療棟の新築と従来の診療棟の病棟への改築が行われ、5月22日に落成式が執り行われた。

 このニュースを、軽井沢町の広報版は次のように報じている。
 「国保直営軽井沢病院は、昭和二十八年の開院いらい歴代の院長はじめ医局員の努力で入院設備の少ない当町の医療センターとして、重要な役割をはたしてきた。
 数年前までは、盲腸の手術すら上田、小諸あるいは岩村田方面の医院にかけつけなければならなかったのが、いまでは町の病院で大きな手術がおこなわれている。最近特に増加した交通事故による負傷も治療され、いく多の尊い人命が救われている。・・・
 ベッド数二十一では不足をきたし、昭和三十四年いらい入院希望者をことわるという事態が生じてきた。・・・
 この問題を解決するため、昭和三十五年度で、総工費六百二十四万円で病院診療棟の建設と現在の診療棟を病棟に改築して十二ベッドを増すことを決め、昨年十月着工した。
 着工以来六か月気候の悪条件を克服し、着々と工事は進行、五月二十二日しゅん工した。
 これで、二十一ベッドは三十三となり、満員のため入院不能の事態は、解消されるものと思う。・・・」 


病院棟の増築を伝える軽井沢町の広報誌「かるいざわ」(りんどう文庫提供)

 
増改築された軽井沢町立病院(南東方向から、「軽井沢病院誌」より)

 
診療棟と渡り廊下で繋がれた増改築後の病室棟(「軽井沢病院誌」より)

 この時代に起きた衝撃的な事件として、多くの病院関係者の記憶に強く残っているのは あさま山荘事件である。

 五代目院長・木戸千元氏は、次のように詳しく記している(軽井沢病院誌より、p95)。
 「縁あって、軽井沢病院に赴任したのは昭和44年秋の頃であった。・・・
 病院就任以来、町には浅間山の大爆発、新道の大火などの事件があったが、昭和47年2月、静かな冬の軽井沢に降って沸いた様に突然銃声が響いて、この浅間山荘事件が勃発した。・・・
 警察は、総力を挙げて、10日間の攻防戦の末、2名の殉職警官(一人は広野先生の富山の中学時代の同級生であった)の犠牲を払いながらも人質を無事解放し、犯人を全員逮捕したものである。
 事件が始まるや、当院は最前線の医療機関に指定されたため、大学病院から応援の医師を依頼して待機態勢を採っていたが、厳重な包囲網をくぐって山荘に近づこうとした一民間人(私の医局時代の同僚の知人であった)が頭部を銃撃され、救急車で搬送されるという事もあった。・・・
 10日間のにらみ合いの末、・・・夕闇迫るころ、遂に落城した。人質は無事に救出されて直ちに病院に運ばれた。異常な体験を強いられた人質であったが、水を被り寒さに凍える以外は擦り傷程度の外傷があったくらいで、他覚的な異常所見はなく、思いの外元気であり、気丈でもあった。精神的にも大分痛め付けられて居るのではと予想されたので、拘禁症状の有無等について、予めお願いしてあった国立小諸療養所の精神科医にも立ち会ってもらったが、特に異常所見はなくホッとしたものであった。この際の一問一答が、翌日の某大新聞の一面にそっくり載っていて、驚いたのであったが、後に病室で盗聴器が発見され、報道合戦の凄まじさに目をむいたものであった。・・・
 お陰で、軽井沢病院も全国から注目の的となり、その名を天下に響かせたのであった。数日後、院内で人質との共同記者会見が設けられ、全国にトップニュースとなって流されて、ようやく報道陣は潮が引く様に去って行き、元の静けさに帰ったのであった。・・・」

【第3期】旧軽井沢公民館時代
 中軽井沢に軽井沢病院が新築され、旧軽井沢から移転したのは1974年6月の事であるが、その後、1975年には、この旧病院は病室棟や渡り廊下などを解体し、公民館としての活用のための大ホールなどを増築して、現在の旧軽井沢地区の公民館としての利用が始まった。

 5月に、それまでの公民館からの引っ越し作業は区民の協力により行われ、盛大な開所式も執り行われた。

 
区民の協力による引っ越し作業(1975年5月 撮影 旧軽井沢公民館所蔵)

現公民館の開所式(1975年5月 撮影 旧軽井沢公民館所蔵)

 公民館として残された建物は、1961年に建てられた当時のものと、床面積(528平方メートル)や室数(15室)がほぼ一致していて、大ホール部分が追加された形になっている。平面図は次のようであり、公民館としては他地域と比較してもかなり広いスペースが確保された。   


現公民館の平面図

 公民館は、地域の活動の拠点となり、区の役員会、総会会場としての利用はもとより、子供から老人までの活動の場として利用された。さらに、夏期には旧軽井沢の名物になった「夏の蚤の市」の会場としても利用が始まり現在まで続いている。

現公民館での区民総会開催(2011年2月28日 中田秀雄氏撮影)


現公民館で例年開催されてきた夏の蚤の市[骨董市]の様子(2021年7月31日 撮影)

 現公民館の入り口近くの壁面上部には「開館の礎」として、公民館建設に尽力した方々の名前と共に、次の文が掲げられている。
 「東は碓氷の霊峯に西は大浅間の火峯に抱かれた我が旧軽井沢はその昔から栄枯盛衰をたどり旧観は全く一変し当時を偲ぶことは困難であるが郷土を愛し守って来た先人の血は今日の人々にも流動している。
 激動する近代社会で公民館活動が発展し生活の多様化に即応出来得るような学習の場所が要求される今日幸にも町当局の御理解を得て旧病院の建物を貸借出来た事は区民にとって誠にありがたいことであった。
 社会教育の充実を求め区内から建設実行委員会が組織され区民一致協力その改修資金(一九00余萬圓)と物品を拠出して区内の業者(諸職工組)が之を請負いここに教育並びに生活文化向上の殿堂が完成を見たのである。
 これを機会に町当局に深い感謝の意を表すと共にこの事業の目的に精力的に携った建設実行委員諸氏の名を印して記念とする。
昭和五十四年二月吉日」

 
現公民館に掲げられている「開館の礎」


現公民館建設実行委員の名を記した銘板

 
病院時代の雰囲気の残る管理人室入り口(2022.1.27 筆者撮影)

現公民館の廊下(2022.1.27 筆者撮影)


現公民館の近影(2022.1.11 筆者撮影)



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