軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

軽井沢の夜話ー3/3

2021-11-26 00:00:00 | 軽井沢
 「軽井沢の夜話」に参加したことがきっかけとなり、「クリック博士の仮説」とは何か、また講話をしていただいた松井孝典さんの「宇宙と生命」に関する考えをさらに知りたいと思い、あれこれ調べてきた。

 軽井沢の夜話では、限られた時間でもあり、宇宙のはじまりから太陽系の誕生、そして生命の誕生に続く進化の過程を経て、人類文明までを俯瞰的に凝縮した形で話されたので、生命の誕生というテーマそのものについては、それほど詳しく話されたのではなかった。

 前回は、主にクリック博士の地球上の生命の誕生に関する仮説について、調べた事を書いたが、この「意図的パンスペルミア説」にいたる主要な発見と、その後もこの説を受け継いで探求を続けているフレッド・ホイルとチャンドラ・ウイックラマシンゲ博士らの展開する地球上の生命の誕生に関係した発表などを整理すると次のようである。


地球上の生命の誕生に関係した主な発見と発表

 クリック博士は、生命誕生の場を地球上だけに限らず、広く宇宙にその可能性を広げて考えようとしたが、その後生命誕生の確率を10の4万乗分の1と計算して見せたフレッド・ホイルとチャンドラ・ウイックラマシンゲ博士の論によれば、生命が誕生するためには、宇宙が無限に膨張と収縮とを繰り返すという宇宙論に行き着くことになった。

 見方を変えれば、地球上の生命の誕生についてその起源を考えることで、宇宙の成り立ちを考えることができるということにつながる。これでいいのだろうか。松井さんは現代の宇宙論は「精密宇宙論」であるという。その精度は宇宙の年齢とされる138億年についていえば、137.99(± 0.21) 億年 といった誤差で確認されている。

 こうした宇宙論の進歩の状況を考えれば、逆に、現在最も確からしいと考えられている、ビッグバン宇宙論やインフレーション理論に合わせて、謎に包まれた生命誕生のプロセスとその発生の確率を考えることが重要なのではないかと思われるのである。

 ただ、気になるのはこの精密宇宙論の中身で、138億年という数字の導出とその意味についてはにわかには理解できないのであるが。

 そういう訳で、今のところはビッグバン理論から導かれる宇宙の年齢をもとに、その限られた時間の中で生命が誕生し、進化したという前提の下、進化の過程について考えるということになりそうである。
宇宙の歴史と地球上の生物の発生の時間関係

 これについて、先に紹介した松井さんの「NHKカルチャーラジオ」での説明を聞いてみようと思う。 

 まず、最終回の第13回の講話「地球外生命を探る・星と惑星と生命」から引用すると、松井さんはこの中で地球上で生命が誕生した場として、最も可能性の高いところは、深海の熱水噴出孔のそばであるとして、その確率面について触れている。
 
 「・・・ダーウィンの池のようなある種のスープが与えられたとして、自然選択によって進化できる生命体が自然発生する可能性を考えることにします。・・・原始生命体は今の生命体と基本的には同じであり、核酸を複製の基礎として、タンパク質を活動の基礎として、生まれてそれが進化する。・・・
 この生命誕生のプロセスをどれくらい偶然なのか必然なのかということを考えてみます。生命の前駆体として可能性の高いRNAワールドのようなものを考えてみることにします。・・・
 ダーウィンの池のような場所で起こったとして、確率的にどれくらい頻度高く起こるのか、・・・RNAワールドのような複製系が形成される確率が、10億分の1だとすると実は5億年位の時間があれば生命は発生するということになります。これが、確率が1兆分の1なら可能性は五分五分くらいに下がるし、1000兆分の1なら可能性はほとんどゼロになります。
 これは、昔考えられていたダーウィンの池の場合ですが、すでに紹介したように熱水噴出孔の周りでの生命誕生のプロセスを考えると、これは確率が全然変わります。10億分の1よりはるかに高くなります。ということは生命の起源というのは偶然ではないということです。必然だろうと思います。問題は進化が起こるかどうかということです。それが地球になるか地球もどきになるかの違いですから、生命の進化が時間がどれくらいあれば起きるかを考えてみますと、地球生命で過去の例を調べると単純な生物ほど進化に時間がかかることが判ります。単細胞生物が多細胞生物に進化するのに約20億年かかっています。多細胞生物の進化はほぼ5億年で、我々のようなものまで生まれています。・・・」

 熱水噴出孔の発見と、その周辺で原始生命が発生する可能性が見いだされたことで、地球上の生命誕生のプロセスに対する考え方に大きな変化が起きていることが判る。熱水噴出孔の発見そのものは、1976年のことである。

 従来のダーウィンの池、すなわち暖かく有機化合物を多く含んだ水のある場所に比べて、熱水噴出孔の近傍ではRNAが形成される確率が非常に高くなると指摘されている。10億分の1は10の9乗分の1である。以前、1つの酵素誕生の確率を10の20乗分の1とした説明を松井さんは紹介していたが、それよりもはるかに高い確率ということになる。生命誕生のきっかけとなる化学反応を酵素からRNAに変えた仮説ということになるが。

 ここで登場したRNAワールドとは何か。これは1986年、ウォルター・ギルバート(1932.3.21ー、1980年ノーベル化学賞受賞)によって提唱されたもので、原始地球上に存在したと仮定されるRNA からなる自己複製系のことであり、これがかつて存在し、現生生物へと進化したという仮説が RNA ワールド仮説と呼ばれている。

 現在の生物は、酵素を触媒としてDNAやRNAといった核酸を合成し、核酸の配列を基に酵素を合成している。このどちらが起源なのかは長らくの疑問であった。しかし、触媒としてはたらくRNA(リボザイム)やRNAを基にDNAを合成する逆転写酵素が発見されたことで、RNAが酵素(ポリペプチド)と遺伝情報(DNA)両方の起源となりうることが証明され、RNAワールド仮説が提唱されるようになったものである。

 しかしながら、RNA ワールド仮説を生命の起源説として主張するにあたってはいくつかの問題点もまた指摘されているので注意を要する。

 もうひとつ、生命誕生の場として重要な役割が期待されるようになっている、熱水噴出孔とは何か、これについてウィキペディアから引用すると次のようである。

 「熱水噴出孔(ねっすいふんしゅつこう、英語: hydrothermal vent)は、地熱で熱せられた水が噴出する大地の亀裂である。・・・熱水噴出孔の英語表記やその構造物から、ベント(vent)やチムニー(chimney)と呼ばれることもある。・・・
 深海の大部分と比べて、熱水噴出孔周辺では生物活動が活発であり、噴出する熱水中に溶解した各種化学物質に依存した複雑な生態系が成立している。有機物合成を行う細菌や古細菌が食物連鎖の最底辺を支える他、化学合成細菌と共生したり環境中の化学合成細菌のバイオフィルムなどを摂食するジャイアントチューブワーム・二枚貝・エビなどの大型生物もみられる。
 地球外では、木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスにおいても熱水活動が活発であり、熱水噴出孔が存在するとみられている。また、古代には火星面にも存在したと考えられている。・・・
 熱水噴出孔で無機物や有機物から生命が誕生したという仮説も複数存在する。日本の海洋研究開発機構と理化学研究所は、熱水噴出孔の周囲で微弱な電流を確認し、これが生命を発生させる役割を果たした可能性があるとの研究結果を2017年5月に発表した。しかし、この仮説に対しては『熱水の組成には必須元素のマグネシウムが欠落している』という反論もある。」


熱水噴出孔の分布地図(ウィキペディア『熱水噴出孔』最終更新 2021年8月12日 (木) 22:17 から引用)

 この熱水噴出孔については、松井さんの第7回の講話「生命の起源・深海における【熱水噴出孔仮説】」で詳しく述べているのであるが、1970年代に発見され、その後の調査で生命誕生の場の有力な候補と考えられるようになっているという。概要は次のようである。

 「・・・いずれにしても生命の起源を辿ろうと思ったら、やはり地球の上の生命(炭素系)の起源を辿る以外にない。海水とか大気とか岩の下で生まれたんだろうと想定して、そうして生まれた生命分子が構造化し、複雑化していくという流れを辿るということになります。・・・生命が誕生するというプロセス、それは化学反応が数多く起こるということですが、・・・基本的に鉱物表面が触媒的に働いて促すような化学反応ということになります。・・・地球上の表面にある鉱物(堆積岩や粘土鉱物などの多孔性物質)の表面積を考えて計算をすると、非常に稀にしか起きない化学反応が起こり得るということになり、そう考えると鉱物表面で生命分子あるいはそれが集積した大型分子さらには構造化されていくような物に至る反応群というものは必然的なものと考えることができます。・・・
 この考えは、従来の(ミラー・ユーリーの実験のような)生命起源論ではあまり声高に言われてきたものではありません。・・・どちらがリーズナブルであるかと考えるには、どのようにして生命が誕生したのかを考えることが必要ですが、その点をご紹介しますと、生命の発生には次の4段階が起きる必要があると考えられます。

 1.アミノ酸、ヌクレオチド、リン酸塩などの簡単な小型有機分子がつくられる
 2.タンパク質や核酸などの大型分子ができる
 3.液滴のような構造化・区画化がすすむ
 4.区画化された構造の内部で、大型で複雑な分子の複製能力を獲得する

 (ここで、参考までに第一段階で示されているアミノ酸とヌクレオチドについて、人体のタンパク質を構成している20種のアミノ酸と、核酸を構成している8種のヌクレオチドの構造を見ておくと、松井さんが示しているのではないが、次のようである。)


参考:ヒトのタンパク質を構成する20種類のアミノ酸


参考:RNAを構成する各種のリボヌクレオチド(RNA中では mono状態)


参考:DNAを構成する各種のデオキシヌクレオチド(DNA中では mono状態)

 これは化学進化と呼ばれるものですが、そういう4段階の反応が起きる場として新たに登場したのが、熱水噴出孔という考え方です。これは1970年代に深海底で発見され、周辺で原始的な生命に近いものが発見されたことで、一躍ミラー・ユーリーよりも優れた場として登場しました。

 ドイツのレヒターズ・ホイヤーは鉄・硫黄ワールドという考え方を提唱しています。硫化鉄が有機分子合成の触媒になるという考え方です。

 ただ、熱水噴出孔の最大の難点は温度が高いということです、300℃もの高温下ではDNAもRNAも壊れてしまい、反応が進むかどうかが疑問視されます。そこで、別のタイプの熱水噴出孔が考えられました。

 それは、アルカリ熱水噴出孔というもので、21世紀になり発見された全く新しいタイプのもので、温度が低く生命の誕生には都合がいいものになります。私自身はこれが有力なものと考えています。・・・」 

 このように、生命誕生の確率についての考え方は、熱水噴出孔の発見と、その付近で硫化鉄表面の触媒作用を利用して有機化合物が合成されていたことで大きく変わってきたようである。特にアルカリ熱水噴出孔の発見により、松井さんの生命発生についての見方が大きく変化していると推察される。

 松井さんは、(地球上の)生命誕生は必然か偶然かというと、必然だろうと考えているという。従って、地球に似た惑星が数多く存在していることがわかってきた宇宙でも同様であろうと推察する。

 ここでは、例示されている確率についての数値の根拠は示されていないが、アルカリ熱水噴出孔という場が新たに見つかったことで、地球上の生命の誕生の場を宇宙に求めるのではなく、ビッグバン宇宙論の示す範囲内で、地球上に求めることができるという可能性が示されたことになる。

 NHKカルチャーラジオでの松井さんの講話のタイトルは「地球外生命を探る」である。クリック博士らの説は、地球の生命の起源を宇宙に求めたが、ここではそれとは逆に地球上の生命誕生のプロセスを理解することで、広い宇宙に、地球以外にも生命は存在するのだろうかという問いかけになっている。
 
 そして、生命は地球上で誕生したこと、そしてその類推から広く宇宙にも生命誕生の場は存在するであろうという結論に導いている。ただ、地球以外の惑星上で、それら原始生命が進化して高等な生命にまで到達できるかどうかはまだよくわからない。

 微生物が進化して知的生命体に至るには、特別な条件が必要であり、それは環境の変化であり、稀にしか起きない、場合によってはたった1回しかおきなかった出来事を存続させる力、淘汰圧が必要だという。こうした環境変化はどの惑星でもおきるとは限らない。

 すなわち、宇宙に存在する数多くの惑星上で無機物から有機物が合成され、やがては生命と呼べるようなものにいたるところまでは必然であるが、それが知的生命体にまで進化するかどうかは偶然が支配し、極めてまれにしか起きないことと考えれれるのだという。

 もしそのように考えるのであれば、広い宇宙に人類のような高度に発達した生命体が存在する可能性が非常に小さなものであり、地球人類が滅亡する前に、その種を、将来広大な宇宙のどこかで再び進化を遂げて人類として繁栄する時の来ることを願って、松井さんの提案する、宇宙の彼方に向け、ロケットに地球上の生命を乗せて送り出すという計画もまた意味のあるものと思えるのである。

 そうすると、地球から宇宙に向けて送り出す生命体として、どの程度進化した状態のものを送り出すべきかが重要になるということになる。

 SFめいた話題になったが、話を元に戻す。生命の誕生から人類に至るまでの壮大な物語は、まだ探求の途上であり、これまで見てきたように有力な仮説がいくつか提示されているようになってきているので、松井さん達の探求が実を結び、その実態が明らかにされることを期待したいと思うのである。 

 こうしたことを調べている最中、2021年11月7日から3週間にわたり、読売新聞のサイエンスFocus欄に「生命を探す・母なる地球編」が掲載された。

 ここで示されている多くの科学者の研究成果を紹介して一旦本稿を終ろうと思う。この記事の中には、松井さんのひきいる千葉工業大学のチームが、気球を上げて上空のどの範囲で微生物を採取できるかを調べる実験も登場している。

 11月7日 生命を探す・母なる地球編 【上】
 誕生の場 深海の熱水噴出孔有力
 「地球の生命はいつ、どこで、どのような仕組みででき、豊かな生態系を育んでいったのだろうか。その答えを求め、深海から30億年以上前の記録が刻まれた地層にいたるまで、世界各地で研究者らの探査が精力的に続けられている。」

 *海洋研究開発機構・高井研部門長ら・・・2002年、インド洋の「かいれいフィールド」で、熱
  水噴出孔(チムニー)の採取資料から、地球の生命の共通祖先に近い微生物の1種「メタン生成
  菌」を発見。
 *海洋研究開発機構などのチーム・・・2015年、東シナ海の熱水噴出孔周辺の海底の表面に
  電流が流れていることを発見。
 *海洋研究開発機構の北台紀夫・副主任研究員・・・2021年、ニッケルと硫黄の化合物に電気を
  流すと、水のなかのCO2から反応性の高い一酸化炭素ができ、さらに「チオエステル」という
  有機物の一種をつくることに成功。別の実験では、アミノ酸の水溶液に硫黄と一酸化炭素を加
  えるなどして混ぜると、たんぱく質のもと(ペプチド)ができる仕組みを解明。
 *東京工業大学・上野雄一郎教授ら・・・オーストラリア西部のピルバラ地域にある約35億年前
  の地層で、鉱物の石英に閉じ込められていた気泡の中に、メタン生成菌が作ったメタンを発
  見。
 *東京大学・小宮剛教授らのチーム・・・2017年、カナダ東部・ラブラドル半島にある約39億年
  前の堆積岩の地層から、微生物の痕跡とみられる「グラファイト」を発見。
 *英国のチーム・・・2015年、隕石が衝突した生命誕生前の地球を模した実験で、RNAのもとに
  なる「ヌクレオチド」の生成に成功。
 *東京薬科大学・山科明彦名誉教授ら・・・RNAはヌクレオチドがひものようにつながってでき
  ており、これらがくっつくには乾いた環境が必要だ。このため、生命は地上の温泉や水のた
  まったクレーターなど、乾燥環境を併せ持つ場所で生まれたと見る。
 *海洋研究開発機構・高井研部門長ら・・・東京工業大学や宇宙航空研究開発機構(JAXA)
  の研究者と共に、土星の氷衛星「エンセラダス」の氷の下に見つかった熱水の存在する海の
  環境が、地球の太古の海に近いとして、探査する計画を構想中。
 
 11月14日 生命を探す・母なる地球編 【中】
 3度の「全球凍結」 進化の引き金に
  「誕生から46億年の時を刻んできた地球。その長い歴史の中で、惑星のほぼ全てが凍り付く『全球凍結』など、想像を絶する環境変化に見舞われてきた。こうした過酷な環境下で、生命はどう生き延び、繁栄の時代をむかえたのだろうか。」

 *米国の研究者・・・1990年代に氷河が赤道付近まで広がっていたことを明らかにした。
 *東京大学・田近英一教授・・・全球凍結は、およそ23億年前、7億年前、6億3900万年前
  の少なくとも3回。当時の生命は、絶滅の危機に直面したはずと語る。
 *東北大学・海保邦夫名誉教授・・・2021年、当時の堆積物に含まれる生物由来の有機物の含有
  量から、最後の凍結後に真核生物が繫栄したと発表。
 *東京工業大学地球生命研究所・関根康人教授・・・地球環境と生命が相互に影響し合う
  『共進化』の仕組みを解き明かせば、地球外生命の発見に向けたヒントにもなる。
 *海洋研究開発機構などのチーム・・・南太平洋の水深3740~5695メートルの深海底の地層
  からバクテリアなどの微生物を発見。培養にも成功。
 *千葉工業大学などのチーム・・・2019年から実験を開始し、狙った高度で微生物を採取する
  装置を開発。高度13~26kmでは確認できず、生命圏の上端は成層圏と対流圏の境界付近で、
  成層圏には微生物は日常的にはいないと推定した。

 11月21日 生命を探す・母なる地球編 【下】
 誕生の過程 実験室で明らかに
 「地球の生命は、どんな道のりを経て誕生したのだろうか。実験室で、その過程を見出そうと、古今東西の研究者たちが挑んできた」

 *米化学者・スタンリー・ミラー・・・メタンや水素などが混ざったガスをフラスコに入れて
  放電すると、アミノ酸ができた。
 *東京工業大学地球生命研究所・松浦友亮教授・・・2019年、化学物質ヒスタミンを加えて、
  膜の中でたんぱく質を合成する人工細胞を作成した。
 *広島大学・松尾宗征助教・・・2021年、アミノ酸を含む化合物を水中に入れると、たんぱく
  質のもとであるペプチドの塊に成長した。
 *東京大学・市橋伯一教授・・・2021年、2種類の遺伝子を組み込んだ輪のような形のDNAを
  人工的に作り、複製させることに成功。進化する能力こそが、生命を特徴づける重要な
  ポイントと指摘。


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金継ぎ教室

2021-11-19 00:00:00 | ガラス
 ショップの顧客Mさんが、軽井沢で金継ぎ教室を開くとの連絡を受け、参加することにした。

 東京在住というMさん夫婦が私のアンティーク・ガラスショップを訪れたのは、4年前に開店して間もなくの頃で、軽井沢に別荘探しのために来ていた際に立ち寄ったとのことであった。

 その後も、来軽の折には時々ショップに立ち寄って買い物もしていただいていて、なにかの話の折にMさんの在京の知人で金継ぎをしている方を紹介していただき、ショップのアンティークガラス品の金継ぎをお願いしたことがあった。

 この品は、100年以上前につくられた貴重なものだが、別の品を購入した際にヒビ割れがあるからということで、サービス品として一緒に送られてきたものであった。そのまま販売する訳にも行かないので、参考品として飾るだけにしてあったが、きれいに補修していただけたので、今は商品の仲間入りをさせている。

金継ぎ修理をした小型のゴールドサンドイッチグラス(高さ 5.4cm)


真上からみた同上のグラス

 そのMさん自身が金継ぎを習っていたことは知らなかったが、聞くともうずいぶん長い間金継ぎ教室に通い、技術を習得していたのだという。

 そして、軽井沢に新たにできた複合型ワーキングスペースで、教室を開く手筈が整ったとのことである。この複合型ワーキングスペースはコロナ禍の落とし子ともいえるようで、「軽井沢の豊かな自然を背景に、人と人、仕事と暮らし、地域と社会が緩やかに循環する」ことをめざして今年設立されたものだという。

 私のショップにその金継ぎ教室開催案内のパンフレットを置いてもらえないかとの電話連絡があり、後日このワーキングスペースで働く女性がパンフレットを届けにこられたが、その際私も金継ぎ教室への参加を申し込んだ。
金継ぎ教室の行われた複合型ワーキングスペースのパンフレットから


金継教室のパンフレットから

 かねて、私自身も金継ぎには関心があり、いずれはショップで扱っているアンティークガラス類の金継ぎ修理を自分で行いたいものと思っていたからであった。
 
 10月中旬に開催された金継ぎ教室は、午前・午後の2回行われたが、私は午後のクラスに参加した。

 当日の受講生は私を含めて5名で、それぞれ割れたり、欠けたりした器を持参し、これらを指導を受けながら修理し、金継ぎ技術を学んだ。

 教室に持参するものは金継ぎ修理をしたい器だけで、その他の必要な材料類はすべてMさんの方で用意されていた。次のようである。

・新うるし(本透明)
・金粉、小目
・新うるし専用薄め液
・新うるし専用洗い液
・ガラス・陶磁器用高透明度エポキシ系接着剤
・金属用エポキシパテ
・混錬用プラスチックシート
・注射器
・混錬用竹ぐし
・筆3本
・筆置き台
・手袋

 私自身の本来の目的はガラス器の修理であるが、金継ぎといえばやはり陶磁器というイメージがあるので、今回は真っ二つに割れた磁器皿と口縁部が欠け、ひびの入った磁器のカップを持参した。

補修前の二つに割れた皿

 最初の実践はパテの使い方である。芯部分と周辺部分に硬化剤と主剤とが分かれて詰まっている円柱形のもので、必要量を切り出して用いる。保護手袋をして、指で色むらが少なくなるまで練り、器の欠けた部分を補うように埋める。

 私の場合、上掲の皿はこの作業には適さないということで、後に回して、口縁部が一部欠損したカップの補修から始めた。

 しばらくしてパテが固くなると、カッターナイフで余分なところを削り落として形を整える。パテは不透明な灰白色をしていて、元の欠け部分の形状が判らなくなってしまうので、事前に写真を撮っておくと、削りしろを確認するのに都合がよいことも教わった。

 パテが充分に硬化したところで、その上に新うるしに金粉を混ぜたものを塗る。同時にひびの入っている部分にも、ひびに沿って金色うるしを塗る。この金粉は非常に細かいもので、新うるしとよく馴染み混じり合う。
 他の受講生が、この金色うるしを塗る作業をしている間に、私は真っ二つに割れた皿の修理を行った。

 この場合、パテは不要で破断面にエポキシ接着剤を塗布してつなぎ合わせた。2液のエポキシを等量混ぜ合わせ、両断面に塗り、少し硬化が始まった所で貼り合わせて強めに押し付けるようにする。速硬化タイプのエポキシなので数分間押し付けていると接着し、手を離すことができる。

 ここで、先にパテで補修してあったカップと一緒に、金色うるしを筆で塗る作業に入る。塗りやすくするために、注射器で適量の薄め液を垂らして粘度を調整して行う。

 カップの場合はパテの上と、ひびに沿った部分を、皿では接合したラインにそって細く金色うるしを筆で塗っていく。

 最後に新うるしを塗るときに使った筆を、専用洗い液できれいに洗い作業が終わる。

 こうして2時間ほどの講習の後に補修が終わった2点の器は次のようである。

パテと金色うるしで補修したティーカップ


ティーカップの補修部分の全体


エポキシ接着剤と金色うるしで補修した皿(径 15.5cm)

 パテとエポキシ接着剤の接着強度は予想以上に強く、しっかりと接着できているようである。金粉(実際は金色の合金粉)を混ぜた新うるしの色もなかなかきれいで、いい仕上がりに見える。

 こうして、入門編であるが基本の作業を教えていただいたので、帰宅後も連日金継ぎ作業を繰り返している。素材はいくらでも見つかった。

 ガラスの場合も基本的に陶磁器と同じようにすればいいと聞いていたので、部分的にかけたり、大きく割れて2つに分かれているグラスなども試みに修理してみている。

自宅で補修した縁の欠けた小皿(径 12cm)


自宅で補修した縁が欠け、ヒビの入ったた湯呑

自宅で補修した縁の欠けた湯呑 


口縁部に小さな欠けが数か所あるシャンパングラス(高さ13cm)


フット部に欠けがあるシャンパングラス(高さ 13cm)

大きく割れたゴブレットを接合し、口縁部全体にも金色うるしを塗った(高さ 12.5cm)


反対側から見た補修後の上掲ゴブレット

 まだまだ、パテや接着剤の扱い、そして金色うるしの塗布には不慣れで、満足のいく状態ではないが、欠けたり、ヒビが入ったり割れたりした陶磁器とガラス器の金継ぎ補修をどのようにすればいいか、その作業工程をおおよそ確認できた。

 今回補修の対象としたものはすべて食器であり、飲食用である。そのため、使用している材料が食品衛生上安全なものかどうかが問題となる。この点は、厳密な意味ではまだ確認がとれていないが、使用した新うるしの注意書きを読むと、「本品を器類の補修に利用する場合、本品が完全に硬化するまで24時間以上補修品を使用しないでください。」とあるので、安全性は確認はされている材料と思える。

  一方、今回使用したパテの方には「食器には使用しないでください。」とあるので、パテ単独での使用には問題があると思われるが、今回のようにその上に新うるしを塗布する場合には大丈夫と思われた。

 2液性のエポキシも同様に考えていて、特に安全性面での注意書きはないが、硬化後に上から新うるしを塗ることで直接表に出ない使用方法になっている。

 ただ、念のために今回補修したものは観賞用としての使用にとどめようと思っている。

 天然うるしは長年飲食用の器に使用されてきているもので、安全性は確認されているが、その代用品である新うるしは釣り具の補修用として開発されたもののようで、食器への利用はその応用としてであり、特に問題はないように思えるが、安全性は今後確認する必要があると考えている。

 そのため、Mさんには次回以降の講習の機会には、本うるしと純金箔や純金粉を使った金継ぎ技法について教えていただこうと思っている。

 ガラスショップで接客をしていると、やはりガラスが割れることに対する心配というか、恐れを抱いている人が多いことに気が付く。

 そのため、高価なガラス器をせっかく購入しても、使用しないでキュリオケースに飾るだけという人も結構いる。

 よほどの高級品は別にして、やはり食器類は使っていただかなければその意味はないと考えているので、お客さんにはぜひ使ってくださいと話すようにしているが、破損のことがネックとなり購入をためらう人がいることも事実である。

 そんな時のために、今回習い始めた金継ぎを役に立てたいと考えている。私のショップで購入していただいたガラス器が、使用時など万一欠けたり、ひびが入ったり、場合によっては割れたりした時には修復しますよと言えるようにしておきたいと考えているのである。


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チョウの楽園とバタフライガーデン

2021-11-12 00:00:00 | 
 私が小学生時代、夏休みの宿題と言えば、女子の植物採集や男子の昆虫採集が多かったように記憶している。その後、高学年になっていくにつれて、たいていの友達はもっとほかのことに興味の対象が移り、昆虫採集を続ける人は少なくなっていった。

 中学時代になると、私の周りにはもう昆虫採集を趣味にする友人はいなくなり、夏休みに捕虫網を持ってうろうろするのは私一人になっていた。この頃になると、昆虫の中でもチョウに特に興味を持つようになり、自宅周辺では飽き足らず、遠くに足をのばすようになって、南の方では二上山、葛城山、金剛山、北の方では箕面から勝尾寺の方にも一人で出かけるようになった。

 高校に入ると、生物クラブがあり、中にはチョウの研究をする人もいて、単に採集し、標本を作って楽しむといったレベルから一歩進む人も見られたが、私はそうはならなかった。むしろ次第に興味を失っていき、チョウ採集も標本つくりもやめてしまった。

 そのチョウに再び関心を持つようになったのは定年後のことであったが、これを後押ししたのは義父のチョウとガのコレクションに出会ったからである。

 埼玉県で眼科の開業医をしていた義父はチョウとガを採集し、それらを標本にして残している。標本箱の数にして60個ほどあって、半数にチョウ、残りの半数にガが収められている。チョウの数で言えばおよそ1200頭ほどになる。展翅された標本には義母が作ったというラベルがそれぞれ添えられている。

 義父が亡くなってからもしばらくは妻の実家に保管されていたが、私たち夫婦が軽井沢に移住することを決めた時に、すべての標本を引き取ることにして、今は専用の棚ごと我が家にある。

 標本箱のチョウはたまに眺める程度であるが、当地に来てすぐ庭にブッドレアの苗を植え、チョウを呼ぶ準備を始めた。採集するつもりはなく、もっぱら撮影を目的とし、植えて2年目からチョウがやってくるようになったので、撮影も順調に進んだ。ただしかし、今年は少し様子が違っていて、思うようにチョウが集まってくれなかった。

 さらに今年はショップや其の他の仕事で多忙になり、思うように遠出もできなかったが、9月になりようやく仕事にも余裕が出てきたので南軽井沢の撮影スポットに出かけてみた。

 しかし、今年はどういう訳かここにもほとんど蝶の姿がなく、ガッカリしながら帰路についたところ、いつも通っている道路わきの畑にフジバカマがたくさん植えられている一角があることに気が付いた。

 車を道路わきに停めて畑に近づき、フジバカマの傍らで老女が畑の手入れをしてたので聞いてみると、チョウを呼ぶために5年ほど前から植えているのだという。よく通る道路沿いにある場所であるが、いままで全く気が付かなかった。

 間際に寄って見ると、フジバカマには合計十頭ほどのアサギマダラがとまって熱心に吸蜜しており、その傍にはヒメアカタテハやキタテハの姿もあった。

 老女に許可をもらって畑周辺に立ち入らせていただき、しばらく撮影をしたが、聞くと多い日にはアサギマダラが群がって飛ぶ光景が見られるのだという。この畑には、この日の後にも訪れて撮影をした。

 このアサギマダラは数千キロメートルもの渡りをすることが知られるようになり、各地でマーキングが行われるようになっているが、この老女はただただアサギマダラを自分の畑に呼ぶことが目的のようであった。


南軽井沢のフジバカマの畑(2021.9.21 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.15 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.15 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.15 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.15 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.21 撮影)

フジバカマの畑に集まり吸蜜するアサギマダラ♂(2021.9.21 撮影)

 軽井沢には、ここのほかにもう1カ所、アサギマダラを呼ぶためにフジバカマを植えているところがあることを前から知っていた。信濃追分駅の南側にある「チョウの楽園」である。この日のことがきっかけとなり、この「チョウの楽園」にも行ってみようと思い立ち、数日後に出かけてみた。

 現地にはすでに数人のチョウ好きが集まってきていて、事務所で談笑したり、思い思いに撮影を楽しんだりしていた。ここは無料で開放されているが、訪問者は事務所前の台に備えられたノートに、住所と名前を記入するようになっている。また、会費を払って会員になるとここでアサギマダラを採集し、マーキングをして放蝶することができるというので、私たち夫婦は後日再訪して会員登録をし、その後しばらくの間撮影をさせていただいた。


信濃追分「チョウの楽園」事務所(2021.9.29 撮影)

信濃追分「チョウの楽園」のフジバカマ畑(2021.9.29 撮影)

信濃追分の「チョウの楽園」から浅間山を望む(2021.9.29 撮影)

信濃追分「チョウの楽園」のフジバカマで吸蜜中のアサギマダラ(2021.9.29 撮影)

 事務所の机の上には、会長のTさんが撮影したこの「チョウの楽園」に集まって来るアサギマダラをはじめとしたチョウを撮影したDVDと、会員の1人のTさんが出版した「フクロウ」、「日本リス」の2種の写真集も販売されていた。

 見本として置かれている写真集を見ると、素晴らしい写真の数々で、早速購入することにして、ちょうど居合わせた小諸在住の著者Tさんに写真集にサインをしていただいた。


軽井沢花咲山・蝶の楽園「蝶々編」DVDのケース写真


写真集「フクロウ」の表紙


写真集「日本リス」の表紙
 
 これまで動物を被写体として撮影してきたTさんであるが、最近はチョウにも興味をもち撮影をしているという。来月には上田のサントミューゼで5人の仲間で昆虫をテーマにした写真展をするということで、その案内をいただき訪問を約束した。

 しばらく撮影をした後、この日は御代田に別な用件があったのでそちらに向かった。

 この信濃追分の「チョウの楽園」も南軽井沢の老女の畑も、フジバカマを主体とするもので、主としてアサギマダラを呼ぶために計画されたものであるが、もう1か所、小諸にある「バタフライガーデン」をショップの顧客のNさんに教えていただき、別な日に案内していただいた。

 浅間サンラインから途中で分かれてしばらく北上したた場所、高峰高原の南側山麓に位置する糠地郷に着くと、Mさんが迎えてくださり、早速1500坪ほどあるというガーデンを案内していただいた。

 足元ではヤマトシジミが飛び回っていて、まだ秋の草花が咲いているガーデンにはモンキチョウ、キタテハ、ヒメアカタテハ、アカタテハとヒョウモン類の姿が見られた。

 ガーデン内には、アサギマダラを呼ぶためのフジバカマの畑ももちろん用意されていたが、その他にもオオムラサキを育てるため、エノキの木を取り込んでこれを覆うようにして作られた5坪ほどのケージ、ミヤマシジミを飼育するために食草のコマツナギを植えた温室のような小型の保育箱と、野外には同じくコマツナギ、ヤマキチョウの食草クロツバラ、アサマシジミの食草ナンテンハギなどが植えられており、住宅の周囲にはアゲハチョウ類の食樹であるカラタチ、キハダなども見られた。

 オーナーのMさんからいただいた名刺には、「糠地郷・蝶の里山会、ミヤマシジミ(絶滅危惧種ⅠB類)を守る会、標本展示室、バタフライガーデン1500坪」と記されていて、特にミヤマシジミの保護活動に力を入れている様子がうかがわれた。

 住宅の一角を改造して作った標本展示室も見せていただいた。ここには小諸周辺だけではなく、県内各地や国内の各地で採集したチョウの美しい標本が多数展示されていた。

 中には珍しい左右の翅に雌雄の文様が現れているモザイク雌雄型のゼフィルスの仲間も見られた。また、私たち夫婦がまだ直接見る機会がもてないでいるクモマツマキチョウ♂の標本も多数展示されていたが、聞いてみると、これらはMさんが3年にわたって累代飼育して得たものという。

 軽井沢の「フジバカマの畑」、「チョウの楽園」そしてこの小諸の「バタフライガーデン」は少年少女のころの気持ちを持ち続けたか、あるいは取り戻した大人たちが熱心に取り組むことで維持されているもので、その努力には敬意を表したいと思う。

小諸・糠地郷のバタフライガーデンに咲く秋の花(2021.10.20 妻撮影)

小諸・糠地郷のバタフライガーデンに咲く秋の花(2021.10.20 妻撮影)

 標高860mにあるこの糠地郷のバタフライガーデンからは、遠く秩父山地と八ヶ岳の間の低地部をとおして富士山が望めた。

標高860mのバタフライガーデンから望む富士山(2021.10.20 妻撮影)

 今季はチョウに出会う機会が少なく、やや寂しい思いをした私にとっては、チョウの撮影ポイントが増え、来年これを取り戻せそうな何より嬉しいできごとであった。

 


 

 


 

 



 

 



 


 
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軽井沢の夜話ー2/3

2021-11-05 00:00:00 | 軽井沢
 やなぎ書房での「軽井沢の夜話」に参加し、松井孝典さんのお話を聞いたことがきっかけとなり、ふだんは考えることのほとんどない、地球生命の誕生について改めて調べてみようという気になった。

 前回紹介したが、松井さんが言われた「クリック博士の仮説」とは何かを知りたいと思ったこともあるし、今回話をうかがった、「宇宙と生命」に関する松井さんの考えをさらに整理した形で知りたいと思ったからでもあった。

 目の前にある、デスク上の「回転する地球儀」(2021.2.12 公開当ブログ)を見ながらそんなことを考えている。

回転する地球儀  

 松井さんの軽井沢の夜話とNHKのラジオ放送の講話、およびウィキペディアの記述内容などを通じて、私たちの世代が若い頃に学んだ地球上の生命誕生に関する説が、その後大きな困難に遭っていること、そしてそれに代わる地球生命の宇宙起源説が注目を集め始めていることがわかってきた。

 ここで、現在地球上の生命誕生についてどのような説があるのか、今一度整理しておこうと思う。
 ウィキペディアで「生命の起源」をみると、「概要」では次のように記されている。
 「・・・現在、地球上の生命の起源に関しては大別すると三つの考え方が存在する。第一は、超自然的現象として説明するものであり、例として挙げると神の行為によるものとする説やインテリジェント・デザイン説がある。第二は、地球上での化学進化の結果と考える説である。第三は、宇宙空間には生命の種のようなものが広がっており、それが地球に到来した結果生命が誕生したという説(パンスペルミア説)である。現代でも、第一や第三の説を発表する科学者は多い。自然科学者の間では一般的には、アレクサンドル・オパーリン(1894.2.18-1980.4.21)などによる物質進化を想定した仮説(化学進化説)が広く受け入れられている・・・ 」 

 今日、地球上の生命は、無機物から地球上で誕生・進化したとする化学進化説を受け入れる科学者が多いようであるが、地球外の宇宙にその起源を求めるパンスペルミア説もまた一定の支持を集めていることが窺える内容である。 

 ところで、このウィキペディアの脚注には、「 ちなみに、2009年に全米科学振興協会に所属する科学者たちに対して調査を行ったところ、科学者のちょうど半数ほど(51%)が、神あるいは何らかの超越的な力を信じている、と回答した。」という記述もあることから、この生命誕生のテーマは宗教の影響が大きいものであることが実感される。
 
 さて、夜話で松井さんが話された「クリックの仮説」とはどのようなものか。これは上記の第三の説、パンスペルミア説の一つとして解説されている。

 まずは「パンスペルミア説」についてもう少し詳しく見ていくと、ウィキペディアに次の記述がある。

 「『宇宙空間には生命の種が広がっている』、『最初の生命は宇宙からやってきた(=地球で生命が生まれたのではない)』とする仮説である。この説の原型となる考え自体は1787年にスパランツァーニによって唱えられていた。
 1906年にスヴァンテ・アレニウスによって提唱され、この名が与えられた。彼は『生命の起源は地球本来のものではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が宇宙空間を飛来して地球に到達したものである』と述べた。
 この説の20世紀後半での有名な支持者としては、DNA二重螺旋で有名なフランシス・クリックほか、物理学者・SF作家のフレッド・ホイルがおり、その後もこの仮説に関連して、真剣に調査を試みる科学者は増えてきており・・・」
 
 ちなみに、このスヴァンテ・アレニウスはアレニウスの式で有名なアレニウス(1859.2.19-1927.10.2)のことであり、スウェーデンの科学者である。1903年に電解質の解離の理論に関する業績により、ノーベル化学賞を受賞している。アレニウスの式のほか、月のクレーター Arrhenius、ストックホルム大学の研究所名などにも名を残している。
 
 このパンスペルミア説の一つに「意図的パンスペルミア説」があり、1981年にフランシス・クリック(1916.6.8-2004.7.28)とレスリー・オーゲル(1927.1.12ー2007.10.27)が提唱した。これは、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだとするものである(ウィキペディアから引用。後に示すように、最初の提唱は1973年とする報告もある)。

 「地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に『種まき』をした」とするもので、まるでサイエンス・フィクションのようにも聞こえる説ではあるが、クリックはこの説の根拠として次の二つを示したとされる。

 ひとつは、現在の地球上の生物ではモリブデンが必須微量元素として重要な役割を果たしているが、クロムとニッケルは重要な役割を果たしていない。しかし、地球の組成はクロムとニッケルが多く、モリブデンはわずかしか存在しない。このことから、モリブデンが豊富な星で生命が誕生した名残りだと考えることができるとしたのである。

 もうひとつの根拠は、「地球上の生物の遺伝暗号がおどろくほどに共通したしくみになっていることであり、これは『たったひとつの種』がまかれて、その種から地球上の全ての生物に変化していったと考えられる」というものである。

 DNAの発見者、ノーベル賞受賞科学者(1962年 生理学・医学賞)の意見だけに、遺伝暗号に関係するこの内容は重みのある説明である。

 「軽井沢の夜話」での、松井さんが国会議員に勧めたというロケットに細菌を搭載して宇宙に向けて発射する話は、確かにこのクリックの仮説を、今度は地球人類の手で成し遂げようとする壮大なものである。

 ただしかし、こうした説はいまのところ仮説であって、科学者はこうした仮説を検証するために努力を重ねている。困難な時間のかかる作業である。

 1906年に提唱したアレニウスは別としても、クリックというノーベル賞受賞科学者がこうした説に向かう理由は何か。それは生命誕生の化学進化説を実験的に検証しようとするこれまでの試みが、ハロルド・ユーリー(1893.4.29-1981.1.5)とスタンリー・ミラー(1930.3.7-2007.5.20)の実験以降はことごとく成功していないという事実があるからだという。

 この部分を、ふたたびウィキペディアから引用すると次のようである。

 「化学進化説に関する考察や実験は、・・・個々の仮説のようなことが実際に起こりえるのか、科学者が推定した太古の地球上の環境を・・・実験室的に、太古の地球環境だったであろう状況を再現して・・・具体的に実験を行うことであり、1980年代まではそのような流れが支配的であった。・・・
 だが、多くの科学者が、太古の地球にあったであろう環境を作って、たとえば雷などを再現するために高圧電流を流すなどの検証実験を・・・いくら行っても、実験室の試験管やほかの容器のなかで生命が誕生するということはまったく起きなかった・・・」

 実験室的に無機物から有機物を作り出すことができても、そこから生命を誕生させるまでには途方もない時間がかかるのではと推定されたことから、そのすべてのプロセスを地球上で起きたものと考えるには無理があるとの考えが広まってきた。別の番組で、松井さんの考えは次のように紹介されている。

 「・・・アストロバイオロジーの第一人者で、世界的な権威でもある松井孝典氏(東大名誉教授・千葉工業大学惑星探査研究センター所長⦅当時⦆)は、そんなパンスペルミア説を提唱する科学者の一人だ。そもそも地球上でランダムにタンパク質の合成が進んだ結果、今日のような生命体が偶然組成される可能性は、数学的には10の4万乗分の1程度の確率しかない。地球の誕生から46億年しか経っていないことを考えると、その限られた時間内に10の4万乗分の1の確率でしか起こりえない組み合わせが偶然実現すると考えるには無理がある。しかし、もし宇宙に地球と同じような惑星が無数にあるとすれば、そのどこかの惑星でそれが実現する可能性は十分にあり得ることとなる(松井孝典、神保哲生、宮台真司氏の討論  2015.4.11から)。」

 地球誕生後の経過時間46億年という数字もまた、途方もなく大きな数字であるが、これが46x10の8乗年であることを考えると、10の4万乗という数字の大きさがわかる。また46億年を秒に直したとしても、1.5x10の17乗秒でしかないとなると、上で示されている、偶然性がいかに困難なものか実感される。

 この10の4万乗分の1の確率という数値は、ビック・バンの名付け親であり、イギリス人天文学者だった故フレッド・ホイル博士(1915.6.24ー2001.8.20)が提示したものであり、1981年4月に出版された「 Evolution from Space」『チャンドラ・ウィックラマシンゲ(1939.1.20-)との共著』という本の中で、最も単純な単細胞生物に必要な酵素が全て作られる確率は 10の40,000乗 分の1であると計算したことによる。

「 Evolution from Space」(Fred Hoyle, Chandra wickramasinghe 著 1981年  J.M.Dent & Sons 発行)の表紙

 「我々の宇宙に存在する原子の個数はこれに比べると極々小さい(約 10の80乗個)ため、生命が誕生したとされる原始スープが宇宙全体を満たしていたとしてもそのような物質が作られる機会はないとホイルは論じた(ウィキペディア)」のである。

 この計算の詳細について、松井さんは「スリランカの赤い雨」(松井孝典著 株式会社KADOKAWA  2013年発行)の中で次のように説明している。

「スリランカの赤い雨」(松井孝典著 株式会社KADOKAWA  2013年発行)の表紙

 「・・・生命の誕生する確率がいかに低いかは、例えば以下のようなことを考えてみるとよい。タンパク質はアミノ酸の連なる高分子である。酵素の場合、その立体的な形の背骨を構成するのは10から20個のアミノ酸である。酵素の活性にかかわる部位のアミノ酸は少なくとも4個である。背骨を12個、活性部位のアミノ酸を4個としよう。地球産の生命は20種類のアミノ酸を使用している。ということは一つの位置にある特定のアミノ酸が来る確率は20分の一である。それぞれのたんぱく質にはそれぞれの位置にある特定のアミノ酸が並ぶ必要があるから、背骨にあたる部分のアミノ酸の数を16とすれば、それがうまい具合に並ぶ確率は20分の一の16乗になる。これは10の20乗分の一程度である。さらにそれが2000種類必要であるから、酵素というたんぱく質だけで、10の20乗分の一のさらに2000乗、すなわち10の4万乗分の一という低い確率でしか作られないことになる。・・・」

 10の40,000乗という数字を聞くと、確かに絶望的に小さな確率ということになる。確率だけを例えれば、1から10までの数字が書かれた正10面体(無いが、あったとして)のサイコロを4万個同時に振って、すべての数字が1になっている確率ということになる。もちろん確率なので、起こり得ないとは言えない。最初の1回目で、すべてが1になることも、絶対にないとはいえないのであるが。

たくさんのサイコロを同時に振ってすべてが1になる確率は?

 さてそれでは、生命誕生が地球上では確率の計算から無理があるとして、宇宙にその可能性を求める場合その確率はどのように変化するか。宇宙に存在する生命誕生の可能性のある惑星の数は無数ではない、有限の数字で考えなければならない。宇宙の星の数は、現在のところ10の22乗個程度とされているので、各星(恒星)に1個地球に似た惑星があると仮定すれば、同じだけの数の惑星を想定することができる。

 その場合、宇宙全体で見ると生命誕生の確率は、10の4万乗分の1の10の22乗倍ということになるので、10の39,978乗分の1になる。

 地球上では10の40,000乗分の1、宇宙全体で見ると10の39,978乗分の1ということになるが、果たして最初の生命誕生の場を地球上から宇宙全体に拡大したとして、これは意味のあることだろうか。

 この点については、松井さんはフレッド・ホイルの提唱する定常宇宙論を用いて説明している。定常宇宙論というのは、宇宙には始まりも終わりもなく、いつでも、今あるような姿で存続し続けていることを主張する理論体系である。

 「宇宙が無限に続くとしたら、生命の誕生は、その確率がどんなに小さい現象でも、有限の事象なので必ず1にできる(前出『スリランカの赤い雨』P100)」というのであるが。

 クリックの仮説は、こう考えて来ると宇宙論と密接につながるものである。宇宙における生命の誕生の確率が、ホイルの指摘するように極めて小さなものだとすれば、その起源は地球以外に求めざるを得なくなるが、それでも現在知られている宇宙に存在する星と惑星の数ではまだ足りない。生命の誕生する確率を説明するためには、宇宙は永遠に続く始まりも終わりも無いものとして考えざるを得なくなる。。。

 宇宙で誕生した生命が地球に来る可能性はどうであろうか。どこかの惑星で誕生した生命(胞子)が宇宙空間を旅して地球にくるという、単純なアレニウスのパンスペルミア説については、クリック博士は「長時間放射線を浴びれば胞子は死滅してしまう」として否定し、それに耐えられるような宇宙船に載せて、バクテリアを運べばいいと提案したのであった。

 この論文は、1973年に「イカルス」誌にクリックとオルゲルにより「Directed panspermia」と題する論文で紹介された(「スリランカの赤い雨」より。次の写真は「イカルス」創刊号の表紙)。

「ICARUS」(Vol.1, No.1 May 1950)の表紙

 1973年と言えば、系外惑星が発見されるよりもずいぶん前のことである。系外惑星とは太陽系以外の恒星の周りにある惑星のことであるが、意外なことに、宇宙に太陽系以外に惑星が存在することが確認されたのは、1995年のことだという。それまでは、存在しているであろうという推測でしかなく、それを確認する手段がなかった。

 最新の望遠鏡が利用できるようになり、太陽系以外の惑星(系外惑星)探査が進められたが、成果はなかなか得られず、アメリカの専門家からは1995年8月に、「太陽系以外に惑星は存在しない、従って地球のように生命の存在する惑星は存在しない」とまで言われるようになったという。

 しかし、思いがけない形で系外惑星の存在が確認された。惑星探査における「フーコーの振り子」である。

 発見の発表は、上記アメリカの専門家からの発表の直後、1995年10月、スイス・ジュネーブ大の科学者、ミシェル・マイヨール(1942.1.12-) とディディエ・ケロー(1966.2.23-) によってであった。この二人は 米プリンストン大のジェームズ・ピーブルス(1935.4.25-)と共に2019年のノーベル物理学賞を受賞している。

 一旦惑星の存在とその探索の手法が確認されると、その後はどんどん惑星の発見が続く。2020年4月現在、4000個から10000個の惑星が見つかっているという。太陽系のように恒星の周りを惑星が回るという姿は、宇宙に広く存在していることが判ってきた。その中には、地球に似た条件を備えたものもあることが判ってきた。

 カール・セーガン博士(1934.11.9-1996.12.20)が、パイオニア10号、11号に宇宙人へのメッセージを搭載して宇宙に送り出したのは、1972年と1973年のことであるから、この頃はまだ宇宙に惑星が存在するということは確認されていなかったことになるので、クリック博士の説と同様、惑星の存在を当然存在するものとしての試みであったことになる。

 宇宙の姿については、現在は138億年まえのビッグバンに始まり、その後は膨張を続けているという説が、一般に受け入れられているが、ビッグバン前はどうであったのか、このまま宇宙は永遠に膨張を続けるのかといったことはまだ判っていないとされる。

 これに対して、定常宇宙論は宇宙は永遠に膨張と収縮とを繰り返すという説であり、生命の誕生が10の4万乗分の1という極めてまれにしか起きない偶然の産物だとすれば、これを説明するために必要な仮説ということになる。

 松井さん自身は、この意図的パンスペルミア説についてはどのように捉えているか。少し古い著書であるが、「宇宙誌」(1993年 徳間書店発行、P298)の中で次のように記している。1993年というと、先に記した通り系外惑星が発見される2年前のことである。

「宇宙誌」(松井孝典著 1993年 徳間書店発行)の表紙

 「・・・今日、アレニウスのこの考え方(パンスペルミア説のこと)は、少なくともまっとうな科学者からは、一顧の価値もないものとみなされている。有害な宇宙線にに満ちあふれた宇宙空間を、生きた胞子が何の障害も受けずに長い旅を続け、地球にたどり着いて新たな生命を育むなどとは、とても考えられないからだ。
 ところが、フランシス・クリックと彼の長年の同僚であるレスリー・オーゲルは、アレニウスの考えの不備な点を修正し、確かに微生物は他の天体から地球に届けられた、それも宇宙船に乗ってやって来た、という論文を、1973年、カール・セーガンが編集長をつとめていたアメリカ天文学会惑星部会の学会誌に発表した。それが”意図的”あるいは”ねらい撃ち”パンスペルミア説である。
 『ある遠くの惑星に40億年ほど前に、私たちのような高等生物が存在し、科学や技術を今の地球をはるかに超えるほどに発達させていたとしよう。・・・』
 しかし彼らは、自分たちの惑星上での文明がいつまでも続かないことを知っていた。・・・彼らは当然、自分たちの太陽系や近くの惑星系を探査し、移住に適当な惑星を探したが、ついに発見できなかった。そこで彼らは宇宙船を作り、新しい世界まで定住者を運ぶことを計画した。・・・高等生物は・・宇宙の旅をとても切り抜けられない。・・生命そのものが存続可能であればよしとする内容に計画を変更した。・・・彼らはいろいろ考えた末、それには微生物が最もふさわしいと結論する。
 そして今から40億年ほども前、それらの宇宙船の一つが原始地球に到達し、微生物はわれわれの惑星の表面一面にばらまかれる。・・・一部は海などに落ちて、環境にいちばん適した種が増殖した。・・・これから先の物語は、もはや語る必要もあるまい。いうまでもなく、地球における生命の起源とは、そのようにして運ばれてきた微生物であり、つまるところその直系の子孫が、我々なのだーーー。
 さて、ここまでの話を読んできて、いささかの当惑を感じない人は少ないだろう。これがあまり出来のよくないSF小説ならともかく、その語り手が現代で最も有名な科学者の一人で、ノーベル賞受賞者でもあるフランシス・クリックだけに、戸惑いも深い。物語の是非よりも何よりも、クリックは本当にこんなことを信じているのだろうか。信じているのだとしたら、彼は一体どうやってその真実を証明しようというのだろう。信じていないのだとしたら、このホラ話には何か特別の意図が隠されているのだろうか。・・・
 もとよりクリックは、自説にそれほどこだわっているわけではなく『それは根拠のある科学的理論だが、まだ未熟なのだと認め』ている。・・・
 生命の起源は、つきつめれば、おそらく純粋に生化学の問題だろう。だが問題の解決に迫るには、何よりもまず40億年前の地球環境がいかなる状況にあったかを理解しなければならない。加えてクリックは、初源の生命がこの地球上で発生したと固執するのは、必ずしも賢明な態度ではなく、他の天体から運ばれてきた可能性も検討に価することを示したのである。・・・」

 1993年発行のこの本からは、松井さんが当時パンスペルミア説に対して、やや慎重ながらも中立の立場をとっていたことが窺えるのであるが、それから20年後、2013年発行の「スリランカの赤い雨」のあとがきには次のように記している。

 「生命の起源について、一般的には、地球上での化学進化を考えるのが普通である。しかしそれは・・・現実的にはかなり難しい。なぜか? まだ、タンパク質の材料であるアミノ酸の合成程度にとどまり、その20種類のアミノ酸のうちから一つを選び、それぞれがある決まった順に100個以上も連なった高分子を無機的に合成するまでには至っていないからだ。・・・酵素だけを取りあげても、それがランダムな試行錯誤からすべてが作られる可能性は、10の4万乗分の1くらいと推定される。・・・しかもそのようなことが地球誕生後の数億年以内に起こらねばならないのである。
 そこで生命の起源は、もっとずっと広い時空、すなわち宇宙で考えようというのが、パンスペルミア説という考えの基にあることを紹介した。・・・
 20世紀以降で本格的に論を展開しているのは、スウェーデンの物理化学者、スヴァンテ・アウグスト・アーレニウスと、英国の天文学者、フレッド・ホイルとチャンドラ・ウィックラマシンゲくらいである。・・・
 ホイル亡き後も、チャンドラは孤軍奮闘でパンスペルミア説を展開している。ひょんなことから、筆者もチャンドラとの共同研究を始めたが、パンスペルミア説は現代の科学で、その是非が検証できるテーマであることを確信している。
 そのためには、赤い雨のような歴史上の未知の現象を一つずつ、地道に解明していく以外に方法はない。」

 ここには、パンスペルミア説を検証しようとする強い気持ちが窺える。

以下次回。
 

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