軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

旧古河庭園のバラ(2/2)

2024-06-21 00:00:00 | 日記
 旧古河庭園のバラ園の後半部分を紹介する。

 バラ園は3カ所あり、階段を下りた斜面下が一番広く、ここに多くの種が植えられている。


洋館南側の階段を降りたところにあるバラ園(2024.5.8 撮影、以下同じ)




C01 「バニラ・パフューム」 1999 アメリカ




C02 「フロージン'82」 1982 ドイツ


C03 「カリフォルニア・ドリーミング」 2009 フランス



C04 「ラ・フランス」 1867 フランス 



C05 「ローラ」 1981 フランス



C06 「桃香」 2003 日本




C07 「インカ」 1992 ドイツ



C08 「プリンセス・ミチコ」 1966 イギリス



C09 「マダム・サチ」 1984 フランス




C10 「プリンセス・オブ・ウェールズ」 1997 イギリス


E01 「メリナ」 1973 ドイツ


E03 「熱情」 1993 日本



E04 「春芳」 1987 日本


E05 「ラブ」 1980 アメリカ



E06 「サマー・ドリーム」 1988 アメリカ



E07 「ヨハネ・パウロ二世」 2008 アメリカ



E08 「ハーモニイー」 1981 ドイツ

E09 「イングリッド・バーグマン」 1984 デンマーク



E14 「ダブル・デイライト」 1977 アメリカ



E16 「丹頂」 1986 日本



E17 「ブルー・ライト」 1995 日本


E18 「マリア・カラス」 1965 フランス


E19 「ソニア」 1972 フランス



E22 「ドフトゴールド」 1981 ドイツ



F01 「ゴールデン・メダイヨン」 1984 ドイツ


F02 「アロマテラピー」 2005 アメリカ


F03 「恋心」 1992 日本



F04 「ホワイトクリスマス」 1953 アメリカ


F05 「きらり」 2003 日本


F06 「白鳥」 1989 日本




F14 「初恋」 1994 日本






F17 「リオ・サンバ」 1993 アメリカ



F22 「クリスチャン・ディオール」 1958 フランス


F23 「ピンク・ピース」 1959 フランス


F24 「クイーン・エリザベス」 1954 アメリカ



H03 「フラウ・カール・ドルシュキ」 1901 ドイツ

 2回にわたり58種と随分多くの品種を紹介してきたが、咲き具合もあって、撮影しなかった種がまだ多くある。

 前述の軽井沢レークニュータウンのバラ園の場合、ほとんどイギリスとフランスで産出された品種であった。一方、この旧古河庭園の場合は、イギリスで産出された品種は少なく、フランス、アメリカ、ドイツ、日本で産出された品種がまんべんなく植えられていた。

 撮影したものに限るが、産出国で分類すると次のようである。



 香水の原料となるなど、香りのよさがバラの魅力の一つであるが、意外にも昆虫には人気がないようで、見学中にチョウが吸蜜にくることはなかった。

 もっとも、これまで撮影対象にしてきたバラの花の構造を見ていると、仮に蜜があったとしてもチョウには吸えそうにないものがほとんどである。

 飛来してきた一頭のアオスジアゲハは、バラの花には目もくれず、バラ園の脇に咲くニラだろうか、その小さな花の蜜を吸っていた。


ニラの花で吸蜜するアオスジアゲハ(2024.5.8 撮影)

 我が家では、3年前にN夫人の別荘から分けていただいて、庭先に植えているバラ「プロスペリティー」の花芽がたくさん出てきて、この記事を書いているうちに咲き始めた。軽井沢に数カ所あるバラ園も見ごろを迎えたので、どんな新たな品種に出会えるか楽しみである。


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オオルリシジミ戻っておいで

2024-06-14 00:00:00 | 
 2024年6月8日の購読紙の地域面に、表題の見出しの記事が掲載された。サブ見出しには、「絶滅危惧種 上田の児童 エサの多年草 植樹」とある。

2024.6.8 読売新聞 地域・長野面の記事から

 記事を読んでいくと、「上田市のワイン用ブドウ畑『椀子(まりこ)ヴィンヤード』に、市立塩川小学校の5年生がマメ亜科の多年草『クララ』を植樹する活動を続けている。」とあり、2021年から同校の畑でクララを育て始め、翌年に移植する作業を続けていて、今年で3回目となるという。

 オオルリシジミについては、当ブログでも紹介したことがあり(2022.5.27 公開)関心をもって記事を読んだ。
 
 記事によると、オオルリシジミは、「約20年前までは上田市でも目撃された例があったが、現在では自然個体群は椀子から約4~5キロ離れた東御市に生息している」とされる。

 その東御市でも、一度は絶滅状態となっていたが、地元産の累代飼育個体があったことから、「北御牧村のオオルリシジミを守る会」が発足し、2002年から本格的に保護増殖活動が始まり、食草であるクララの保全と栽培による増殖、累代飼育個体の増殖と野外への放蝶による自然発生に取り組み、現在では順調に野外での発生が継続するまでに回復している。

オオルリシジミを天然記念物に指定している東御市のHPから

 今回の小学生の取り組みは、この東御市の成功例に習って行われているものと思うが、ぜひ、クララの増殖を順調に進めて、次の目標のオオルリシジミの自然発生にまでたどり着いてもらいたいものと思う。

 改めて、手元にある「信州 浅間山麓と東信の蝶」(鳩山邦夫・小川原辰雄 著、 2014年信州昆虫資料館発行)を見ると、上田市内でのオオルリシジミの目撃記録は次のようであり、ここでも1986年が最後であることから、この本が発行された2014年までの30年ほどは記録が途絶えていたことになる。

 1973.6.10 上田市小牧山 
 1981.6.24 上田市芳田
 1981.6.27 上田市芳田
 1986.5.27 上田市芳田
 1986.5.31 上田市芳田


「信州 浅間山麓と東信の蝶」(鳩山邦夫・小川原辰雄 著、 2014年信州昆虫資料館発行)のカバー表紙

 新聞記事をもう少し読み進めると、次のようである。

 「5月24日、青空の下で同校の5年生18人が校舎内の畑で昨年から育ててきたクララを16苗、スコップを使って丁寧に周辺の土とともに掘り起こし、カップに移した。その後、車で5分ほど離れた椀子ヴィンヤードに向かい、ワイン畑近辺の草地に植え替え、水やりをした。植樹をした寺西慧悟君(10)は『植えるのが楽しかった。クララが育って、オオルリシジミが来てくれればいいな』と声を弾ませた。・・・これまでに計約70苗を植樹してきた。キリングループ傘下のワイン製造大手メルシャンが椀子ヴィンヤードを運営していることや、上田市と同グループが19年に包括連携協定を結んだことが縁で始まった。
 この日は椀子ヴィンヤードの生態系の調査を続ける農研機構西日本農業研究センター研究員の楠本良延さん(53)が、同校でクララとオオルリシジミをテーマにした特別授業を行った。
 このワイン畑がこれまで養蚕地として利用されてきたが養蚕産業の斜陽化に伴い、放置され荒廃地となったことや、クララが草原を保全するためのアイコンとして重要な植物であることなどを説明。楠本さんは『ワイン産業を通じて草原が保全されていることの大切さを知ってほしい』と訴えた。
 オオルリシジミは瑠璃色の羽が特徴のチョウで、草原に生息する。野生の『自然個体群』は主に九州・阿蘇地域で見られ、本州では県内の一部地域でのみ観察されている。・・・」
ヴィンヤードに囲まれた丘陵地にある椀子ワイナリー(2024.6.12 撮影)

 自然豊かな信州地方と思われがちであるが、そこでも自然環境の変化は進んでいて、多くの野生生物が絶滅に追いやられている。小学生がそうした環境変化と生態系の変化に目を向けて、関心を持ち、行動することはとても大切なことだと思う。

 先の本「信州 浅間山麓と東信の蝶」で紹介されているチョウの保護活動の記事や、私の聞き知ったチョウの保護活動には次のようなものがある。

1.オオルリシジミ:信州の初夏を代表するチョウであるが、近年土手の草刈りが機械化され、さらに幼虫の餌となるクララの薬草としての価値も無くなってきたため、一辺倒に刈り取られるようになり、生息域は急速に減少した。東御市などの生息地は、一時絶滅状態となったが、チョウ愛好家が中心となり、元生息地の生育環境を地元のみなさんとともに整備したうえで、累代で飼育していた個体を現地に放す活動を続けている。現在、放チョウした個体は、現地に定着し世代を繰り返すまでに復活した。昆虫愛好家と地元住民のみなさん、さらには行政が見事にスクラムを組んだ素晴らしい成功例である。

2.ミヤマシロチョウ:かつてシナノシロチョウとも呼ばれた信州の高原を代表するチョウ。主な生息環境は標高1500~1800mの明るい渓流沿いや疎林環境で、森林化など環境変化の影響を受けて1970年代以降急激に生息域が消滅した。
 現在、八ヶ岳南部、美ヶ原、浅間山系の一部でかろうじて命脈を保っている。浅間山系でも安定した生息域が数か所から1か所に減っている。
 湯ノ丸高原では、2009年に、ミヤマシロチョウについて早急な保護対策が必要との機運が高まり、翌2010年に会員35名で「浅間山系ミヤマシロチョウの会」が発足。環境省、林野庁、長野県、東御市、日本チョウ類保全協会などの支援も受けて長野・群馬両県に跨っての保護活動が始まり、生息環境や食樹の保全、密猟防止パトロールや観察会、越冬巣モニタリング調査を行っている。
 その結果、この地域では個体数が維持されているという。

 他方、絶滅が懸念される八ヶ岳を念頭においての取り組みと思われるが、各地域のミヤマシロチョウの遺伝子解析を行い、再導入の検討も進められている。


ミヤマシロチョウの再導入を検討する長野県環境部のプレスリリースから(2022.3.23 公表)

 その八ヶ岳周辺のミヤマシロチョウについては、保存活動が行われてきたが、2023年に解散との報道があった。次のようである。
 「ミヤマシロチョウの会、解散へ 茅野・15年の歴史に幕 八ケ岳で絶滅状態『やれることやった』 
 高山チョウの一種・ミヤマシロチョウ発見の地である八ケ岳で、調査や保護活動をしてきた『茅野ミヤマシロチョウの会』(事務局・長野県茅野市)は3月末で解散し、15年の歴史に幕を閉じる。数年前から姿が見られず絶滅状態と考えられることに加え、会員の高齢化が理由。福田勝男会長(81)は『いなくなった最大の理由は地球温暖化だと思うが、我々に手の打ちようがない。やれることはやった。解散は仕方ない』と話す。(2023.3.15 長野・毎日新聞)」

3.アサマシジミ:東信地方でも各地の草地・草原で多産したが、1980年代から急速に減少し、消滅した産地も多い。現在(2014年)は確実な産地も数える程度となっている。環境省版レッドリストで絶滅危惧種Ⅱ類、長野県版では準絶滅危惧種に区分されている。

 御代田町では昭和49(1974)年に、このアサマシジミを天然記念物に指定している。もう随分前の指定ということで、現在どのような状況にあるか、問い合わせてみたところ、次の回答をいただいた。

 「お問い合わせいただきました町天然記念物アサマシジミについてですが、生息数の確認や生息地域の保全についは、具体的な取り組みは行なっておりません。・・・御代田町教育員会 博物館係(2024.6.12) 」

    
「みよた広報 やまゆり」より

 御代田町でのものではないが、周辺3地域について、「信州 浅間山麓と東信の蝶」のアサマシジミの採集・目撃記録では次のようである。

 1972.6.18 軽井沢町追分
 1972.7.16 小諸市浅間山
 1977.7.15 軽井沢町追分
 1982.7.2   佐久市内山
 1994.7.17 小諸市菱野
 2006.6.25 小諸市
 2008.6.28 小諸市
 2008.8.9   小諸市
 2009.8.27 小諸市
 2013.7.13 小諸市

4.ミヤマシジミ:長野県では分布に濃淡があり、・・・平地から低山地にかけて比較的広く分布している。かつては多産地も数多く存在したが、近年は長野県でも減少傾向が著しく、保全対象として注目されている。
 東信地方でも千曲川の河川敷や里山の草地環境などでよく見られたが、里山農地周辺を中心に減少、消滅した産地が多い。環境省レッドリストで絶滅危惧Ⅱ類、長野県版では準絶滅危惧種。

 このミヤマシジミについては、小諸市滋野にある、蝶の里山会「ミヤマシジミを守る会」が食樹のコマツナギを植え、保存活動を行っている。 

 前出書の採集・目撃記録を見ると、小諸市周辺の記録は次のようである。

 1972.6.18 軽井沢町追分
 1973.7.25 軽井沢町追分
 1980.6.22 軽井沢町追分
 1981.6.21 小諸市井子
 1981.6.27 小諸市井子
 1982.7.11 軽井沢町追分
 1993.6.20 小諸市井子
 1995.8.15 佐久市
 1995.9.3   軽井沢町追分原
 1996.6.16 軽井沢町追分原
 2001.9.17 小諸市
 2010.6.13 小諸市
  
5.クロツバメシジミ:特異な離散的生育分布を示す種で、東信地方では比較的広範囲に生息し、地域変異の研究のため各地で調査されている。河川の護岸、石垣などで見られ、改良工事などの影響を受ける場合があるが、全般的には個体数の目だった増減は認められない。環境省版レッドリストで準絶滅危惧種、長野県版では留意種に区分されている。
 上記の小諸市滋野の、蝶の里山会では食草のツメレンゲの増殖を図り、クロツバメシジミの保存活動も行っている。

 小諸市周辺の、前出書の採集・目撃記録は次のようである。

 1994.5.13   望月町
 1996.10.6 小諸市
 2003.7.1   小諸市
 2010.7.21 東御市

 この、蝶の里山会のM氏は、地元小学校の生徒たちと一緒に、チョウの飼育・観察を行っていると聞く。

  我が家でも、チョウの食草や食樹を植え、吸蜜できる草木を植えてチョウを呼び寄せてはいるが、点でしかなく、チョウの増殖には程遠い状況である。時には卵を採集して、幼虫の成長記録を観察・撮影しているが、これも記録をとっているに過ぎない。

 できることなら、軽井沢から消えてしまった種を再び呼び戻したいと思うが、事はそう簡単ではない。

 チョウを卵から育ててみると判るが、寄生バチや天敵による捕食から守ることで、羽化率は飛躍的に増大する。数世代の飼育を行うことで個体数を大きく増やすことができる。

 今年は、ウスバシロチョウ(ウスバアゲハ)の特異な生態の観察・撮影をしようと計画し、先日♀2頭を捕獲して、飼育ケースで蜜を与えながら様子をみていたところ、中に入れてあった枯れ枝に20数個の卵を産み付けた。

 その後、この♀2頭は再び野に放したが、得られた卵は来年2月から3月には孵化(実際には卵の中で孵化したまま越冬するとのこと)するはずなので、その様子を撮影したいと思っている。食草のムラサキケマンは自宅庭にある程度生育している。

 このウスバシロチョウは、まだ自宅周辺にも飛来するなど、個体数は維持されているようであるが、アサマシジミなどはもう見られなくなってしまっている。

 上田市の小学生が取り組んでいるように、先ずは植樹を行い、チョウの生育環境を整えることで、希少種のチョウを再び呼び戻す第一歩を踏み出せる。子供たちの始めた活動に刺激され、多くの大人たちと共にこうした保全活動の輪を広げたいものと思う。

 
 


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旧古河庭園のバラ(1/2)

2024-06-07 00:00:00 | 日記
 夕方からの所用で東京に出る機会があったので、少し早めに家を出て、旧古河庭園と、フジフィルム スクエアに立ち寄った。

 フジフィルム スクエアでは、富士フィルムグループ創立90周年記念コレクション展として『フジフィルム・フォトコレクションⅡ』世界の20世紀写真「人を撮る」が4月26日から5月16日まで開催されていることを知っていたからであった。

 その展示作品の中には、私も知っているW.ユージン・スミスの「楽園への歩み、1946年」が含まれていて、先日私のショップを訪ねてくださったプロ写真家の、J.E.アトウッドさんが、第1回ユージン・スミス賞を受賞しているということも関係していて、この機会にぜひ見に行ってみたいと思っていたのであった。

 
『フジフィルム・フォトコレクションⅡ』世界の20世紀写真「人を撮る」のパンフレット

 このコレクション展のパンフレットには次のように記されていて、写真の原点が人物の撮影にあることを思い出させる。

 「・・・本コレクションのテーマは『人を撮る』。
 人物写真は、写真術誕生における最大の動機であり、写真の原点であったとされています。新たな技法がいくつも生まれたその歴史の中で、人物写真は常に人々の関心の中心であり続け、それは今日においても変わりません。『人を撮る』ことは、写真の歴史の中で最も身近で、最も特別なものであり、写真の普遍的なテーマであるといえます。・・・」

 会場に展示されている21作家・全53点の写真は、すべてオリジナルプリントであるとされ、大半が、ゼラチン・シルバー・プリントによるモノクロ作品であった。

 ここでは、多くの無名の人々の写真と共に、我々がよく知っている、ウインストン・チャーチル、ジョージ・バーナード・ショー、アルベルト・アインシュタイン、ヘレン・ケラー、ジャン・シベリウス、アルベルト・シュヴァイツァー、パブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイ、ジョアン・ミロ、マルク・シャガール、モハメド・アリ、ジャック・クストー、マリリン・モンロー、ジョン・F・ケネディーなどの生前の姿を見ることができた。

 さて、この写真展で、写真の原点は人物の撮影であるとの表現に出会ったのであるが、この日私がまず写真を撮りに出かけたのは、旧古河庭園のバラ園であった。上京前日の新聞で、この庭園のバラが見ごろを迎えているとの記事に目がとまったからであった。


旧古河庭園「春のバラフェスティバル」のパンフレット

 以前、軽井沢にあるレークニュータウンのバラ園に咲く多くのバラの中から、50種ほどを紹介したことがあった(2018.6.29 公開当ブログ)。ここも含めて、軽井沢ではまだバラの季節はもう少し先になるので、一足先にバラを見、写真を撮りたいと思って出かけたのであった。私の被写体は、人物ではなく、もっぱら自然の動植物や昆虫である。

 関東には随分長く住んでいたのに、この旧古河庭園に来るのは初めてである。この旧古河庭園のある北区西ヶ原という場所は、妻が生まれた場所であると聞いているし、東京で働いている娘が最近まで住んでいた場所にも近いのであるが。

 その旧古河庭園のバラ園、ここには約100種200株のバラが植えられているとされる。

 正門から入り、サービスセンターで入園料を支払う。65歳以上の個人入園料は70円と随分安く設定されている。それもあってか、平日のこの日の入園者には高齢者がとても多いようであった。


旧古河庭園の案内パンフレットから

 順路に従って園内に入ると正面に立派な2階建ての洋館が見える。ここは、もと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅であって、宗光の次男が古河家の養子になった時、古河家の所有になったとされる。

 この洋館と洋風庭園の設計者は英国人建築家のジョサイア・コンドル、日本庭園の方の作庭者は小川治兵衛であり、現在は国の名勝に指定されている。

 建物はレンガ作りと思え、外壁は真鶴産の赤みを帯びた安山岩で仕上げられている。延べ414坪、地上2階・地下1階の落ち着いたたたずまいである。

 大正6年(1917年)5月竣工ということなので、関東大震災(1923年)をくぐりぬけていることになる。

 洋館等の建物は、長い間放置された状態で荒廃が進んでいたが、昭和57年(1982年)に東京都名勝の指定を受けると、それから平成元年(1989年)まで7年をかけた修復工事が行われ、現在の状態まで復元されたとされる。

芝生側から見た洋館の東面とバラ園(2024.5.8 撮影)

 バラ園は、洋館東側に少しあって、大半は南側とこれに続く斜面下側に配置されている。それぞれのバラにはA01から順に番号が付けられた樹名ラベルが添えられ、品種名、作出年、作出国名、作出者、香りなどの特徴が記されている。


洋館南面のバラ園(2024.5.8 撮影)


バラに添えられている樹名ラベル(2024.5.8 撮影)

 一通り見て回りながら、写真撮影をした。以前軽井沢のレークニュータウンで見知っていた品種名には出合わなかったように思えた。3~4万種あるとされるバラなので、当然かもしれない。

 当日、春バラの人気投票も行われていた。ちなみに昨年一位になったのはB22 「ブルー・ムーン」で、次の写真の種であった。



昨年人気投票1位の「ブルー・ムーン」

 以下に私が撮影したものを紹介するが、多くなるので、2回に分けてご紹介する。私は今回見た中では、次のA03「プリンセス・ドゥ・モナコ」が一番気に入ったのであるが、皆さんは如何だろうか。


 
A01 「青の軌跡」 2008 日本(樹番号、品種名、作出年、作出国名を示す、以下同)



A02 「イヴ・ピアッチェ」 1984 フランス


A03 「プリンセス・ドゥ・モナコ」 1981 フランス


A04 「わたらせ」 1977 日本


B03 「ディスタント・ドラムス」 1985 アメリカ




B05 「ビック・ドリーム」 1984 アメリカ



B06 「コンフィダンス」 1951 フランス



B12 「朱王」 1982 日本



B13 「ニュー・アベマリア」 1983 ドイツ



B14 「乾杯」 1984 日本



B15 「ブラック・ゴールド」 2008 フランス



B16 「紫雲」 1984 日本






B17 「デザート・ピース」 1994 フランス



B19 「パパ・メイアン」 1963 フランス


B20 「ガーデン・パーティー」 1959 アメリカ


B21 「フレンチレース」  1982 アメリカ



B22 「ブルー・ムーン」 1964 ドイツ


B23 「シャルル・ド・ゴール」 1974 フランス

B24 「エレガント・レディー」 1988 アメリカ




B25 「エグランタイン(マサコ)」 1994 イギリス




B26 「ロイヤル・プリンセス」 2002 フランス

 今回、バラ園内の数か所に、[旧古河バラコレ]という案内板があり、QRコードでスマホアプリがダウンロードできるようになっていた。これは千葉工業大学が開発したアプリということで、自身が撮影したバラの写真をこのアプリの中の所定の位置に貼り付けることで「バラ図鑑」ができるという面白い試みである。私も撮影したバラの写真の整理に使い始めた。


撮影した写真でバラ図鑑をつくることができるスマホ用アプリの紹介記事

 続く。
 
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カラスアゲハの羽化

2024-05-31 00:00:00 | 
 昨年、我が家の庭にあるキハダにカラスアゲハの♀が飛来し、産み付けていった卵を育て、蛹になるまでを観察・撮影したが(2023.12.8 公開当ブログ)、この蛹が無事冬を越して、今年の春に羽化していった。

 蛹は3匹で、その内2匹はキハダの木から卵の状態で室内に取り込んで、飼育してきた。もう1匹は、3齢になったところを、同じキハダの木で見つけ、先の2匹と共に室内で育て、昨年10月に蛹になっていたものであった。

 5月のGWになり、旧軽井沢銀座通り近くにある私のガラスショップの前の道を、春型のカラスアゲハかミヤマカラスアゲハが青い構造色を輝かせながら、悠々と飛んでいるのを見かけるようになった。

 カラスアゲハの羽化の様子を撮影したいと計画していたので、我が家の3匹の蛹の羽化も近いと警戒を強めて、毎朝外観の変化を観察した。

 やがて、これまで全体に緑色をしていた蛹の内(腹)側の色が黒っぽくなってきているのに気が付いた。内側には翅が回り込むようにして折りたたまれているので、その色が見えてきたのであろう。いよいよ羽化が迫っている。

 前日の夕方に、黒化がさらに進んでいることを確認した翌朝、見に行ってみると羽化が始まっていて、すでに成虫が蛹から抜け出し、支柱の割りばしにつかまっている所であった。

 早速用意してあった室内の撮影場所にこの成虫を移して撮影を始めた。まだ伸び切っていなかった翅が次第に伸びていくところを撮影でき、次のようであった。

 
1頭目のカラスアゲハ♂(A)の羽化(2024.5.11, am 7:47~8:53  30倍タイムラプスと通常撮影後編集)

 残りの2匹の蛹の内、1匹は先に羽化した個体と同等の大きさであり、蛹化した時期も半日遅れとほぼ同じであったので、羽化は時間の問題と考え、2匹とも一緒に室内に取り込んで撮影にとりかかった。

蛹の外観変化(上から、2024.5.12, am5:18, 13:59, 22:40 撮影ビデオからのキャプチャー画像)

 1頭目はすでに蛹から出てしまっているところを見つけたので、2頭目の今回は、蛹から出てくるところから撮影したいと思っていた。

 タイムラプス撮影をする都合上、連続してLED照明を当て続けることになる。羽化は通常夜明け前に起きると予想されるので、やむを得ず夕方に撮影を開始し、夜間も照明を使用し続けることにした。

 今回は心配した照明光の羽化への影響もなく、無事羽化を見届けることができた。次のようである。この2頭目も♂であった。

 
2頭目のカラスアゲハ♂(B)の羽化(2024.5.12, pm 22:49~5.13, am 7:51  30倍タイムラプスと通常撮影後編集)

 この時、羽化したカラスアゲハの周囲を這いまわったり、飛んだりしている1匹のハチがいることに気がついた。まだ飛ぶことのできないカラスアゲハを攻撃する心配があったため、これを追い払った。

 翅はすっかり伸びていたが、まだ乾くまでは大丈夫だろうと、撮影場所を離れてから戻ってみると、カラスアゲハはすでに飛び立っていて、ビデオ撮影画面から消えていた。

 締め切った室内のことで、すぐに見つけて捕らえ、そのまま前々日に羽化した個体を入れている大型のケージに移すことにした。

 この時、最後の1匹の蛹を確認しておこうと思い、よく見ると、内側の一部に数mmの穴があいていた。蛹の中は空洞である。


寄生バチが抜け出した穴があいているカラスアゲハの蛹(C: 2024.5.13 撮影)

 ここで、ようやく気がついたのであるが、先ほどのハチはカラスアゲハに寄生していたハチであった。成虫が羽化した後の他の2匹の蛹の色は褐色であるが、寄生バチが抜け出した後に残っているこの蛹の色は、緑色が残っていて、何とも生々しい感じがする。

 思い返してみると、この3匹目の蛹は、キハダにいるところを見つけた幼虫を育てたものであった。先の2匹は卵を見つけたので、すぐに室内に取り込んで育ててきたが、こちらはキハダにいた時にすでに寄生バチに卵を産み付けられていたようである。そのせいか、この3匹目の幼虫は、終齢になった時の大きさも、従って蛹になってからの大きさも他の2匹に比べると一回り小さかった。


卵から育てた2匹(左、中央)と3齢幼虫を採集して育てた1匹(右)の写真(2023.10.17 撮影)

 これは、寄生バチの影響ではなかったかと、今になってみると思える。それにしても、孵化してからわずかの間にすでに寄生バチに卵を産み付けられ、将来の運命も決まっていたことになり、自然界の厳しさを思わせる出来事であった。

 一方、キハダに産み付けられた卵から室内で孵化・成長し、蛹になり、この春無事羽化することができた2頭については、100%の羽化率であり、改めて、人の手が加わることで、羽化の確率が飛躍的に伸びることを実感する結果であった。

 羽化した2頭の♂のカラスアゲハは、揃って元気に飛び立っていった。この後、この2頭とペアとなった♀が庭のキハダやコクサギに産卵に来てくれることを期待したい。また更に夏にはクサギの花も咲くので、今回の2頭の次の世代の個体が吸蜜に来たり、傍らのキハダに今年も産卵してくれるところを今から楽しみにしている。そして、できることならミヤマカラスアゲハを連れてきてもらいたいと願うのである。

羽化して飛び立っていったカラスアゲハ♂ A(2024.5.14 撮影)

羽化して飛び立っていったカラスアゲハ♂ B(2024.5.14 撮影)


 

 
 


 

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Karuizawa Foto Fest 2024(4)フォト考

2024-05-24 00:00:00 | 日記
 今年開催されたKFF 2024の上位入賞作品のひとつに、フジバカマの畑の上を飛翔するアサギマダラの写真が選ばれ、そこには背後の太陽にピッタリ重なって、アサギマダラ特有の半透明な翅を通して光が漏れて美しく輝いている姿がとらえられていた。

 この写真の選評には次のように記されていた。

 「正直最後までこの作品を選ぶべきか迷った。理由は余りに奇跡的な一枚だからだ。・・・(選者は)いかに蝶の撮影が困難か多少わかっている。この作品をもし狙って撮るならば、一体何万回シャッターを切ればよいのか想像がつかない。
 当然、真っ先にフォトショップ等での加工を疑った。いろいろ確認してもらったが、そのような形跡はないらしい。
 次に考えたのは撮影者がどこまで意図して撮ったのかという点だった。・・・最終的にはアーティストの意図や意思の結果である作品を評価したい気持ちがある。
 しかし一方、カメラという機械を用いて産み出される写真作品には、時として偶然性が映り込むし、それが写真というミディアムの魅力の一部でもある。
 色々考えた挙句、目の前の100万分の1の奇跡を、ここは素直に眺めたいと思い選んだ。(柿島 貴志)」

 続いて私の写真について。昨年のKFF 2023の入選作品のひとつに、浅間山の稜線に接するように満月を配した写真がある。

 この作品は入賞していないので、選評はない。ところが、思いがけず著名なプロの写真家氏から今回のアサギマダラの写真の場合と似たような趣旨の質問をいただくことになった。

 先々週の当ブログで紹介したことのある内容なので、詳細は割愛させていただくとして、この作品を写真絵葉書にしたものを、プロの写真家 J.E.A. さんにプレゼントするという機会に恵まれた。その時、この写真を見た彼女から、「これは実写作品ですか?」と尋ねられた。

 時系列的には、私の作品についての質問の方が先で、その後、前述のKFF 2024の入賞作品についての選評を入選作品集で読むことになったが、同じような時期にプロの写真家2氏から、写真作品に対してこうした質問あるいは疑問が提出されたことに、少し考えさせられてしまった。

 一昨年11月にChat GPTが登場して以来、生成AIに関する議論が持ち上がり、今も続いている。生成AIを用いて文章だけではなく、画像や動画も作ることができ、フェイク画像がニュースとして流され大きな社会問題になっているからである。

 私が受けたChat GPTの講習では、「夕焼け、ドラマチック」や「スケートをしている猫」といった言葉を入力して、それに近い画像を即座に作成するところを実演して見せていただいた。

 今回のKFF 2024 の応募要領にも次のように記されていて、現代は生成AIによる作品制作について言及せざるを得ない状況にあり、当然ながらそうした作品の投稿は認められていない。
 
 「軽井沢フォトフェスト2024(KFF2024)応募要領
  ご応募前に必ずご一読ください
 ■応募資格:プロ・アマチュア問わず、国籍も問わずどなたでも応募できます。
 ■撮影期間:2023年1月1日~2024年1月31日
 ■募集期間:2023年11月1日~2024年2月11日
 ■応募料:5枚まで無料 6枚目以降は5枚単位で2500円(6枚から10枚までは、1枚で
  も5枚でも2500円の追加費用が必要です。例:11枚の場合は5000円となります。)
  6枚目以降の応募は、1〜5枚目の応募と同じ様に応募をお願い致します。後日追加応
  募分の請求書を発行させていただき、指定の銀行口座への振込をお願い致します。
 ■応募作品の条件:対象撮影期間中に軽井沢町・御代田町・小諸市・東御市・嬬恋村、
  長野原町・佐久市、安中市のエリアにて撮影された作品であること。
  応募者が撮影し、一切の著作権を有しているオリジナル作品であること。

  生成AIにより作成した写真(全部、一部を含む)は応募できません。
  未発表か否かは問いません。個人のホームページやSNSに投稿された作品、写真展
  などに出品された作品も応募可能です。」

 このように、最近では、生成AIが登場したことで、日々こうした情報・状況に接する機会が多く、また写真画像の加工技術にも精通しているプロ写真家諸氏にとって、作品の制作と評価に際しては、どうしても心理的影響を与えていると思えるのであるが、写真作品が実際に撮影されたものか、あるいは何らかの加工が施されたものではないかという疑念は、必ずしも今になって始まったことではないという例もある。
  
 私の身近な人に関する話題で、もうだいぶ前の2015年のことになるが、Y新聞社の報道カメラマンである彼が撮影した満月(スーパームーン)の写真が新聞に掲載された。その写真は、画面に大きくとらえられた満月の中に、カップルが月を見上げながら、スマートフォンで自分たちを撮影している様子がシルエットになり映り込んでいるものである。

 この写真はネット上にも公開されたようで、数日後の日曜日のTV番組「サンデーモーニング」で話題になった。この時コメンテーターとして出演していたプロ写真家AS氏がこの写真を見て、「ダブリングではないんですか?」と発言した。司会の関口氏は「本物らしいですよ」と答えていたのが印象的で、今も記憶に残っている。

 この写真も、先の「アサギマダラと太陽」と同様、「若いカップルと満月」がピッタリと重なり合うように撮影されていて、こうしたシーンに出会うことは容易ではないことから、先のAS氏の発言が生まれたのであろう。

 もうひとつ、「10万分の1の偶然」という松本清張の長編小説がある。

 『週刊文春』1980年3月20日号 - 1981年2月26日号に連載されたもので、夜間、東名高速道路のカーブで、自動車が次々に大破・炎上する玉突き衝突事故が発生。この大事故を偶然撮影したというカメラマンの写真は、新聞社主催の「ニュース写真年間最高賞」を受賞するという筋書きである。

 受賞式では、この決定的瞬間の場面に撮影者が立ち会っていたことは奇蹟的、10万に1つの偶然と評された。

 しかし、この事故発生原因とその現場にカメラマンが偶然居合わせたということに疑問を持つものが現れる・・・という話である。(2021.3.12 公開当ブログ参照)

 最終的には、この事故は撮影者が引き起こしたものであることが判明するのである。写真そのものは実際に撮影されたものであるが、撮影対象になっている事故が、故意に引き起こされたというものである。

 普通にはありえないような状況を写し出した写真に出会うと、これを見た人には、プロの写真家でなくても、本物なのだろうかという疑問がわく。

 ここには2通りの疑問があって、写真そのものが実写されたものかどうかという疑問と、被写体が実在の物あるいは自然なものかどうかということになる。

 松本清張の小説「10万分の1の偶然」では、これが意図的に引き起こされた事故を撮影したという設定であるが、先に紹介した私のフォトコンテスト応募作品と知人の新聞報道の例は、すべて実写であることは間違いない。その経験から、今年選ばれたアサギマダラの写真も、実際の物を撮影したものに違いないとの確信を私は持っている。

 これは、プロであれアマチュアであれ、人は何のために撮影するかということと関係していると思える。

 松本清張の小説「10万分の1の偶然」の場合、このプロカメラマンには、誰にも撮ることができないような決定的瞬間を撮りたいという職業的動機が設定されているので分かりやすい。

 写真は「発見の芸術」だと、学生時代に写真部の顧問教師から教わったことがあり、それ以来私はそのことを胸に刻んで撮影してきている。自分が撮っている写真が、芸術的と思ったことはないのであるが。

 そうした撮影姿勢からは、合成写真や、生成AIを利用した写真という発想は生まれてこない。

 絵画であれば、どのように構図を決め、どのように構成要素を配置するか、どのように色をつけるかは作者の意のままである。しかし、写真はそうはいかない。望む構図があるとすれば、自らが動くか、じっとそのタイミングを待たなければならない。これが、写真が絵画と違っている点だと考えてきた。

 そういう意味で、松本清張が10万分の1という数値に込めた思いは、こうした極めて稀れな状況というものは、実際には偶然によって得られるものではなく、意図しなければ撮影できないということであろう。

 私は今年もKFF2024に浅間山と満月の写真を投稿し、選んでいただいた。この写真の場合についていえば、浅間山の山頂に満月が接する、いわゆるパール浅間の状態を、軽井沢町内(当初KFFでは撮影地を軽井沢町内に限定していたので)で撮影できるチャンスは年に12回程度の満月の日の前後2日くらいで、月の出または月の入りを狙うことになる。そして、日の出、日の入り、月の出、月の入りの暦と方位角情報を国立天文台が発表しているデータから得て、浅間山の山頂と撮影場所の関係を地図上で確認して撮影に臨むことになる。最後は天候に恵まれなければならない。

 アサギマダラの写真についていえば、アサギマダラの大群がフジバカマに集まってくる場所と日時などについての情報を得、周到に用意したうえで太陽の位置と撮影アングルを選ぶことで、一見、極めて稀にしか起きないようにみえる状況を、確実に捉えるための確率を大きく上げて撮影に臨んだ結果だと、選者も納得されたのであろうし、私にもそうした「決定的瞬間」を捉えた素晴らしい作品だと思える。



 

 

 
 

 

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