軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

三波石(4/4)

2021-06-25 00:00:00 | 岩石
 下仁田町自然史館員さんの勧めもあり、前回三波石(3/4)で紹介したクリッペに関する大地の運動の痕跡を、今回の中央構造線見学に加えることにして、順次現地を訪問した。場所はすべて下仁田町の南部にあり、次の地図に示されているが(ジオサイト番号とは異なっている)、下線を引いた、⑪の跡倉クリッペのすべり面、⑫の大桑原のしゅう曲、⑬の宮村の逆転層と、番号のついていない跡倉れき岩の4か所である。


下仁田町のジオサイトを示す地図(下仁田町パンフレットより)

 最初に見学したのは、下仁田町自然史館とは道路を挟んで反対側にある「跡倉クリッペのすべり面」で、駐車場に車を停めたまま徒歩で現地に向かった。

 この動いてきた地層のすべり面の痕跡「跡倉クリッペのすべり面」についてのパンフレットの説明は次のようである。「跡倉クリッペのすべり面の中で、最も大規模な露頭です。この露頭ではクリッペを構成する地層が動いた時の痕跡に触れることができます。」

 阪神淡路大震災時の断層を見たことがあるが、すべり面は驚くほどきれいな平面を見せる。今回、この露頭も同様に直線的な断面を見せていた。すべり面の長さや幅の全体像をこの露頭から推定することは困難であるが、ある時、一気に地層が滑ることで、こうした直線的な地層の痕跡を残したのであろうと思われた。


「跡倉クリッペのすべり面」のジオサイト標識⑲(2021.4.20 撮影)


青倉川の対岸に「跡倉クリッペのすべり面」が見える(2021.4.20 撮影)


「跡倉クリッペのすべり面」(2021.4.20 撮影)


「跡倉クリッペのすべり面」(2021.4.20 撮影)

 見学した後、一旦町の中心部方向に少し戻り、主要地方道下仁田上野線(県道45号線)沿いにある3カ所を訪れた。

 この時、走っていて、この道路が上野村に繋がることを知った。上野村はあの1985年8月12日に、日航機123便が墜落した御巣鷹の尾根のある場所である。知ってはいたものの意外に軽井沢に近かったことをあらためて認識したのであった。

 さて、次の目的地「大桑原のしゅう曲」は45号線沿いにジオサイト㉓の標識があり、場所は容易に確認できた。案内に従って細い道路を入っていくと木工所があるが、ここの職員に聞き詳しい場所を確認できた。木工所脇には見学者用の駐車スペースがあり、車を停めることができる。

「大桑原のしゅう曲」のジオサイト標識㉓とその脇にある駐車スペース(2021.4.20 撮影)

 このしゅう曲についてはパンフレットに次の説明がある。「クリッペを構成する地層が、移動時の運動によってV字型に大きく折れ曲がった様子が確認できます。」

「大桑原のしゅう曲」が左端に見える(2021.4.20 撮影)



「大桑原のしゅう曲」(2021.4.20 撮影)

「大桑原のしゅう曲」の右側に見られる三波石塊(2021.4.20 撮影)

 次の見学先「宮室の逆転層」は県道をさらに進んだところにある。ここには広い駐車場が用意されているが、現地はこの駐車場からやや離れた場所にある。案内通りに進み、南牧川にかかる万年橋を渡り河原に下りることができる。

 パンフレットの「宮室の逆転層」の説明には「クリッペを構成する地層が大きな地殻変動で地層の上下がさかさまになった様子が見られます。」とあり、ここには記されていないが現地の案内板によるとこの逆転層には生物の這い跡が痕跡として残されているという。


45号線沿いにある「宮室の逆転層」の駐車場(2021.4.20 撮影)



現地近くの「宮室の逆転層」のジオサイト標識⑳(2021.4.20 撮影)


万年橋の上から見た「宮室の逆転層」の全体(2021.4.20 撮影)


万年橋のたもとにある「宮室の逆転層」の説明板(2021.4.20 撮影)


「宮室の逆転層」(2021.4.20 撮影)


「宮室の逆転層」にみられる生き物が動いた跡(2021.4.20 撮影)

 地層の逆転といっても、見てすぐにそれと判るわけではない。地層の上下の見わけ方を理解しなければならない。

 先の説明パネルの右端には次のような説明があった。地層の上下は粒子の大きさで見わけるという。正しい順序で積み重なった地層を正序部と呼ぶが、次の写真で左側がその正序部が2層積み重なった図である。

 この地層が大地の運動により、褶曲しさらには折り重なって上下が反転した部分が逆転部である。逆転部では粒子の大きいものが上部に来て、天地が逆転している。


逆転層を見分ける方法を示した説明板の部分(2021.4.20 撮影)

 海底の泥の上を生物が這いまわり、溝を形成したところに砂がつもり、後の地殻変動で逆転層が形成されて上下が反転し、上の泥の部分が削られて砂の表面のでっぱりが現れることがある。これが生物の這い跡を示す痕跡とされている。


生物の這い跡が逆転層の表面に現れる様子を示した説明板の部分(2021.4.20 撮影)

 前回示したクリッペの山々ができる様子が、ここの説明板に示されていたので、改めて紹介する。

 元は別々の場所で生成した三波川変成層と跡倉層であるが、三波川変成層が海底から隆起したところに跡倉層が横方向にすべり上に乗る形になる。その跡倉層が、河川の浸食により削られて谷を形成し、残された部分がいくつもの山地を形成する、という説明である。


現地説明板に示されているクリッペの山々ができる様子(2021.4.20 撮影)

 なかなか丁寧な解説で、クリッペの示す挙動がよく理解できるものとなっている。

 最後に、帰路に立ち寄って見学したのは、「跡倉れき岩」である。ここには駐車場がなく、道路わきに停めるしかないようであったが、我々は近くにある自販機を設置している商店にお願いして車を停めさせてもらった。

 坂道を降りて河原に出ると、あたりの岩はほとんどが礫岩であった。この岩盤は、固い礫岩が川の流れで浸食され、表面が良く磨かれているため礫の入り方や礫の種類をよく観察でき、昔から多くの研究者が訪れる地質の名所であるという。以下現地の写真を見ていただく。

川の対岸側から見た「跡倉れき岩」の地層(2021.4.20 撮影)

表面が磨かれ平滑になっているれき岩(2021.4.20 撮影)

れき岩表面の様子 1/2(2021.4.20 撮影)

れき岩表面の様子 2/2(2021.4.20 撮影)

 以前、三波石峡に行った時に、妻が礫岩があると言って指さしたものをよく見ると、鉄筋が入っていてコンクリート片であることが解り、近くにあるダムの工事現場から出たものではないかということになり、笑い話になったことがあったが、ここのれき岩は間違いなく本物である。

 ところが、現地で撮影した写真には次のようなものが含まれていた。当日は何気なく撮影したもので、詳しく観察しなかったので鉄筋などが含まれているかどうかの確認はしていない。

ちょっと怪しげなれき岩風の岩石(2021.4.20 撮影)

 撮影は間違いなく現地のもので、前後の写真は次のようである。

撮影No.598(2021.4.20 撮影)
撮影No.599(2021.4.20 撮影)
撮影No.600(2021.4.20 撮影)

 果たしてこれが本物のれき岩なのか、コンクリート片なのか今となっては私には判断がつかないでいる。

 さて、最後に本題からそれた話になったが、4回にわたり三波石とその産地周辺の地層に関して紹介した。

 言葉は知っているものの余り身近な存在ではなかった中央構造線と、その周辺にのみ見られるという三波石が意外にすぐ近くにあることを実感する小さな旅であった。
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雲場池の水鳥(8)カイツブリ

2021-06-18 00:00:00 | 野鳥
 今回はカイツブリ。子供の頃住んでいた大阪にいくつもあったため池ではよく見かけたおなじみの種である。南軽井沢にある八風湖でもしばしば見かけていた。

 雲場池の入り口に据えられている案内板には、池に住む生き物が「雲場池の生態系」として紹介されていて、水鳥の代表としてカイツブリがとりあげられている。


雲場池入り口に設置されている案内板


同案内板の右下部分の拡大

 ただ、昨年2020年1月から12月まで、雲場池に朝の散歩に出かけて水鳥を観察した限りでは、カイツブリの姿を見かけることはあったものの、個体数も頻度もマガモ、カルガモ、キンクロハジロに比べずいぶん少なかった。

 たまに訪れる観光客は、まず見かけることはないだろうという感じがする。尤も、私が出かけるのは朝8時前後に限られていて、それ以外の時間帯のことは把握していないので、あるいは間違った判断をしているのかもしれないことを付け加えなければならないが。
 
 いつもの「原色日本鳥類図鑑」(小林桂助著 1973年保育者発行)でこのカイツブリについての記述を見ると、次のようである。

「カイツブリ類中最も普通の種類。嘴峰19~23mm、翼長94~108mm、尾長30~36mm、跗蹠34~38mm、夏羽は上面黒かっ色、前頸、頸側、頬、栗色。胸は淡かっ色で以下の下面汚白色。冬羽は上面灰かっ色。前頸、頸側、頬、胸は淡かっ色にて喉と胸以下の下面白。
 全国各地の湖沼、河川などにきわめて普通。池や沼で繁殖し、水草や藻を積み上げて浮巣を作り、抱卵中の親鳥は巣から離れる時には水草で卵をおおう習性がある。巧みに潜水する。北海道及び本州北部では夏鳥であるが、本州中部以南には周年生息する。
 北海道・本州・四国・九州で繁殖するほか奄美大島にも分布する。」

 昨年、カイツブリを撮影できたのは4月から5月にかけての短い期間であった。鳥類図鑑によると歩くのが苦手とあり、実際、陸に上がっているところを見ることはなかった。泳ぎは、雲場池で見ることができる水鳥の中では一番上手で、20~30秒も潜って餌を採っているので、潜ったところから随分離れたところに浮かんでくる。餌は魚類、水生昆虫などの動物とのことなので、雲場池にカイツブリの個体が少ないのはこうした餌となる魚類などが少ないからかもしれない。

 近寄ることができなかったことと、もともと日本のカイツブリ類で最小というくらい小さな鳥なので、あまりいい写真を撮ることができなかったが、撮影日順に以下これらを紹介する。雌雄は同色であり区別はできない。


雲場池のカイツブリ (2020.4.3 撮影)

雲場池のカイツブリ とマガモ♂(2020.4.3 撮影)

雲場池のカイツブリとカルガモ (2020.4.4撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.4撮影)

雲場池のカイツブリとマガモ♂(2020.4.4撮影)

雲場池のカイツブリ(奥)とキンクロハジロ♀(中)とカルガモ(手前) (2020.4.15撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.15撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.17撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.17撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.17撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.22撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.4.22撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.5.3撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.5.3撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.5.8撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.5.8撮影)

雲場池のカイツブリ (2020.5.8 撮影)

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三波石(3/4)

2021-06-11 00:00:00 | 岩石
 青岩公園の見学の後に向かったのは、今回の主目的である「川井の断層」。付近には駐車場がないとの町役場の係員の説明があったので、このところ足を痛めている妻だけを近くに降ろし、市街地の町営駐車場に戻るつもりで現地に向かったが、都合よく善福寺そばの道路わきに1台分の駐車スペースを見つけ、ここに駐車できた。

 断層に通じる細い下り坂の入り口には、ジオサイト⑭の標識があり、詳しい説明板も傍らに設置されていた。


ジオサイト⑭「川井の断層」の標識と説明板(2021.4.20 撮影)


川井の断層・下仁田層の説明板(2021.4.20 撮影)


上記説明板の左下部分(2021.4.20 撮影)

 たまたま通りかかった散歩中の中年女性に案内されるようにして坂道を下っていくと河原に出、足元には三波石塊が広がっていて、左側には三波石の大きな岩がある。この岩塊には「注意」と記されたロープが張られそれ以上は進むことができないようになっていた。

断層の手前にある三波石塊(2021.4.20 撮影)


三波石塊より先には進むことができない(2021.4.20 撮影)

 目指す断層はその奥にあり、回り込むようにするか、岩に上らないとよく見えない。先年の台風19号の爪痕がまだ残っているのか、近くの竹や藤ヅルの太い幹のようなものが断層の前に倒れかかり、見えにくいが、確かに下部には三波石の緑色が確認でき、その上には中間破砕層を介して黄土色の地層が見えた。

  
断層部分(2021.4.20 撮影)

 この断層の露頭は鏑川の右岸に位置しているが、同じく中央構造線が横断しているはずの対岸を見ると三波石が見えるものの、その向かって左側、北側はブロックが積まれた護岸壁になっていて、明確な断層は確認できない。さらに左側に行くと、下仁田層の砂岩が露出していて、ここでは二枚貝や巻き貝などの貝類をはじめ、サメの歯やカニなどの甲殻類の化石が30種類以上も発見されているという。

 この地点から、鏑川の下流域青岩公園方向を見ると、ところどころ三波石が顔を出しているのが確認された。

 実際に中央構造線の露出部が見られるのは、写真のように、長さ数メートルであるが、これが関東地方では唯一の場所であることを思うと感慨深いものがある。長野県にはこのほか大鹿村にもこうした中央構造線の露頭が知られているので、ぜひ現地に行き、比較してみたいものである。

対岸には断層は確認されず、青緑色の三波石だけが見える(2021.4.20 撮影)


断層のある場所から川の上流方向を見る(2021.4.20 撮影)


断層のある場所から川の下流域を望む(2021.4.20 撮影)

 川井の断層の見学を終え、次に、先程案内時にぜひ行くといいと女性が勧めてくれた下仁田町自然史館に向かった。

旧青倉小学校の校舎を利用している下仁田町自然史館(2021.4.20 撮影)

 以前にも記したように、この日この施設は休館中であり、内部の見学はできなかったが、元の校庭には次のような説明板が設置されていて、下仁田地区の地質概要とその主な見学場所に関する情報を得ることができた。

旧校庭に設置されている屋外説明板 1/3(2021.4.20 撮影)

旧校庭に設置されている屋外説明板 2/3(2021.4.20 撮影)

旧校庭に設置されている屋外説明板 3/3(2021.4.20 撮影)

 これらによると、下仁田町は中央構造線を境として南北で大きく地質が異なっている。北側(内帯)の地質は複雑であり、下仁田層では化石が産出し、中小阪鉄山では江戸時代末期から採掘が始まったとされ、鉄鉱石を産出する地層もある。また、石灰岩地帯もあり、こうした土地を好むフクジュソウの里もある(2021年3月5日公開の本ブログ参照)。

 一方中央構造線の南側(外帯)は比較的単純な地層で、三波川変成帯層が全体に広がり、その上に「クリッペ」と呼ばれる層が乗っている。パンフレットには次のような説明を見ることができる。


下仁田町の中心街から南の山々を見た写真と説明図(同町発行のパンフレットから)
 
 この写真の説明図には富士山、大山、御嶽という名が見られる。もちろん下仁田町から本物の富士山などが遠望できるわけではなく、これらに似た山の形ということで名前が付けられたのであろうが、これらの山を形づくる地層が「クリッペ」と呼ばれているものである。上の説明図では市街地が広がっている平坦地が三波川変成帯層で、その上のオレンジ色に塗り分けられている山地がクリッペである。

 元の小学校の校庭にあった説明板によると、聞きなれない語「クリッペ」とは「根なし山」のことを指し、これは1953年に藤本治義先生がそうした考えを発表されたものだという。三波川変成帯層の上に乗っているこの下部とは異なる地層は、大地の運動によって移動してきたものとされるが、どこから移動してきたのかは、まだわかっていないそうである。文字通りその下の三波川変成帯層との関係のない根なし草的地層ということである。

 この後、クリッペに関連したジオサイトを見学したが、これらについては次回に譲ることにする。

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田村正和さんとソヨゴ

2021-06-04 00:00:00 | 日記
 5月19日の新聞紙上で、俳優の田村正和さんが先月3日に亡くなっていたと次のように報じられた。

 「多くのテレビドラマで活躍した俳優の田村正和さんが先月3日、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。田村正和さんは京都で生まれ、父親は往年の大スター阪東妻三郎さん、兄の高廣さんと弟の亮さんも俳優という役者一家の中で育ちました。
 昭和36年に映画『永遠の人』で俳優として本格的にデビューし、その後、テレビドラマを中心に活躍して、『眠狂四郎』のような時代劇でのニヒルな剣客の役や、『うちの子にかぎって・・・』でのコミカルな教師役などで人気を集めました。
 ドラマ『古畑任三郎』シリーズでは、完全犯罪をもくろむ犯人を徐々に追い詰めていく刑事の役を演じて話題となりました。
 関係者によりますと、田村さんは平成30年に放送されたドラマ『眠狂四郎The Final』に出演したのを最後に仕事から離れていました。
 そして先月3日、心不全のため東京都内の病院で亡くなったということです。」

 新聞の記事では、このように報じられていたのだが、田村正和さんというと、私は「ソヨゴ」の木のことを思い浮かべる。

 軽井沢に転居することを決めて、先ず土地を探し始めた時、妻が、義父がいた頃から知っている不動産業者にもお願いしておこうということで、そのIさんにも声をかけてあったところ、間もなく我々の希望にほぼ合った土地が見つかった。

 ほぼ合っているというのは、この土地からは浅間山を直接見ることができないからであった。妻はかねて、浅間山の見えるところに、という希望を持っていたが、紹介された土地からは浅間山はちょうど離山の後ろに隠れてしまっている。

 Iさんいわく「浅間山が見えるということは、浅間おろしが吹くということでもあります」ということで、浅間山が見たくなったら、少し東西どちらかに散歩に出ることにして、妻は納得した様であった。

 建物の方は、こちらも義父の山荘管理でお世話になっているTさんから、3つの設計・建築事務所を紹介していただき、それぞれの事務所の技術面での特色を聞いたが、結果M建築設計事務所にお願いすることにした。Mさんは、自宅のある神奈川と軽井沢の現地事務所を行き来しながら仕事をしている方で、当時我々も鎌倉に住んでいた関係から、打ち合わせなどにも便利だと考えたからでもあった。

 建物の建設がある程度進んだ頃、庭に植える木を探し始めていて、土地探しでお世話になったIさんと話していたところ、「ソヨゴ」の木が常緑で、それほど大きくもならないのでいいですよと紹介された。

 私たちは二人ともそのソヨゴについては全く知らないと伝えると、生け垣にソヨゴを植えている別荘を知っているので、見に行きましょうということになり、早速その別荘を見せていただくことになった。

 車で案内された、南軽井沢にあるその別荘とは、「田村正和さん」の別荘であった。ここで見たソヨゴは別荘地の2辺の外周に沿って植えられていて、特にこれといった特徴があるわけではなく、別な場所で見ても、それと気が付かないような種であったが、Iさんの勧めに従うことにして、その後上田方面の森林組合で、樹高3mほどの手ごろな大きさのものを見つけて購入し、玄関わきに、紅サラサドウダンツツジとモミノキと共に植えている。

 自宅に植えてからは、軽井沢にはソヨゴの木が意外に多く植えられていることがわかった。散歩途中などでソヨゴに出会うとすぐにそれと判るようになったのである。ややまばらについている葉の縁が少し波打ったようになる特徴を覚えたからである。

 このソヨゴはIさんから聞いた通りおとなしい木で、移植してからもう7年になるが、特に目立って成長するでもなく、小さく白い花を咲かせ、秋にはやはり赤い小さな実を付ける。

 秋になると決まって庭にやってくる、ウラナミシジミという小型のチョウがいるが、このチョウがソヨゴの赤い実のそばに止まったので写真を撮ったことがあった。この時撮った写真の1枚は次のようで、「赤い実」と題して、元の勤務先のOB会主催の展覧会に出品したことがある。 


ソヨゴの赤い実とウラナミシジミ♀(2016.10.12 撮影)

 ソヨゴについてもう少し見ておくと、モチノキ科モチノキ属の常緑小高木ということで、「フクラシバ」の別名があるという。ソヨゴの語源は、風にそよ(戦)いで葉が特徴的な音を立てる様に由来するとされる。このことから漢字では「戦」または「冬青」、「具柄冬青」とも書く。私にはとても読めない字ばかりであるが、冬青は常緑樹全般に当てはまるので区別するために具柄冬青とも表記されるのだという。

 フクラシバの語源はおもしろく、葉を加熱すると内部で気化した水蒸気が漏出することができず、葉が音をたてて膨らみ破裂することから「膨らし葉」となったとされる。昔の人は身の回りの物事をいかによく観察していたかがわかる話である。

 更に年配者には懐かしいが、幹はそろばんの珠や櫛の材料に使われるという。共に成長が遅く、堅く緻密な材となる特徴を生かしている。

 さて、田村正和さんにもどるが、ソヨゴと田村正和さんとを結びつけるものは特にあるわけではない。田村さんの別荘の生け垣に植えられていたというだけである。

 今回、新聞の田村正和さんの訃報を目にし、「ソヨゴ」のことを思い浮かべたのであったが、私は散歩中などに逆にソヨゴに出会うと決まって田村正和さんを思い出していた。特にファンだったわけでもなく、彼の出演しているTVドラマを熱心に見たわけでもなかったのだが。

 しかし、独特の声質と雰囲気のある彼の演技は記憶に残っていて、今回の訃報に接してなぜかとても感慨深い思いにとらわれた。普段気にすることのなかった田村さんの年齢を新聞記事であらためて知り、そこに記されていた年齢が意外に私と近かったことが大きかったのかもしれない。

 テレビでは5月23日に早速、田村正和さんの追悼特別番組として、松本清張原作の「疑惑」が再放送された。これは2009年にテレビ朝日の開局50周年記念と、松本清張の生誕100周年を記念して放送されたものだという。

 妻と一緒にこの番組を見たが、田村正和さんは容疑者・白川球磨子の国選弁護人・佐原卓吉役であり、沢口靖子さんが白川球磨子役、室井滋さんが容疑者を追い詰める新聞記者・秋谷容子役であった。

 私は松本清張原作の映画が好きで、何枚かそれらのDVDを持っているが、中にこの「疑惑」が含まれている。1982年に公開されたもので、製作は松竹・霧プロダクション、監督は松本清張作品を多く手掛けた野村芳太郎氏である。

 映画の方では容疑者・白河(鬼塚)球磨子役は桃井かおりさん、岩下志麻さんが女性弁護士・佐原律子役、新聞記者・秋谷茂一役は柄本明さんが演じていて、映画より後に製作され、今回再放送されたテレビ版との比較では、球磨子を除いて、弁護士と新聞記者は男女が入れ替わっている。

 松本清張の原作では、新聞記者・秋谷に焦点が当てられているのだが、映画では容疑者・球磨子と女性弁護士・佐原の心理的関係を描いていた。一方、今回のテレビドラマでは田村正和さん演じる弁護士・佐原卓吉が主人公となり物語が展開しているということで、作品ごとに原作から離れた解釈が行われているようだ。

 2009年のテレビでの放送後、2011年から、この国選弁護人・佐原を主人公にして企画・製作された連続テレビドラマ「告発~国選弁護人」が放送され、田村正和さんが佐原役を演じていることからも、彼が「疑惑」で主人公として設定されていた意図が理解されるのである。

 尚、「疑惑」はこの2009年の作品の他にも4回テレビドラマ化されていて、3人の主要登場人物の配役は以下のとおりである。

 
松本清張原作「疑惑」の映画・テレビドラマ・舞台における登場人物と俳優

 今回の追悼特別番組を皮切りに、今後、田村正和さんの出演しているTVドラマが次々と各局でテレビ放送されるのかと思っていたが、どうもそう簡単にはいかない難しい事情があるようである。
  
 出演者には、著作権法で『著作隣接権』が認められているからだという。そのため、二次利用をするときには、各出演者に許諾を得ないといけない。最近の作品であれば、連絡先も比較的容易にわかるが、40~50年前の映画やドラマだと、出演者が多いため、既に芸能界から去った方もたくさんいるし、居場所を探すだけで一苦労するという。また、出演者に連絡がついても、再放送を拒否する事務所やタレントもいて、再放送を見送るケースも結構あるという。

 以前はテレビで10年前や20年前近くの作品が頻繁に再放送されていたのに、平成中期からはあまり見掛けなくなっているが、それはこのように、平成に入ってから著作権法の一部が改正され、権利者の許諾を必要とするようになったからだという。尚、『著作隣接権』は実演を行った時から70年間存続する。

 こうしたこともあって、田村正和さん出演のテレビドラマを見ることができるかどうか、難しい状況にあるというのである。

 私たちがソヨゴの見学に訪れた田村正和さんの別荘を、田村さんが利用していたのは僅かに2年ほどであったという話がある。もともと、普段は人前に姿を見せることが少なく、人前で食事姿を見せることがなかったという田村さんであるから、軽井沢に別荘があっても、どこかで偶然に出会う機会はなかったと思うが、今後、テレビで姿を見ることも難しいとなると残念な気もしてくる。
 
 謹んでご冥福をお祈りする。

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