この前の土曜日、ブログ仲間のゴリモンさんに誘われて「大大阪モダン建築」という書籍の出版記念の建築ツアーに参加してきた。ツアーの開始に先立って、まず集合場所となった芝川ビルの4階ホールで、この書籍の監修を行ったという建築史家の橋爪紳也氏よりスライドでの説明を受ける。(ずっと、建築を学んできた私にとっては、今まであまり考えてことも無いアプローチからの大阪建築学で、かなり刺激的な内容だった)
「大阪」が「大大阪」への変貌を遂げる過程や背景、御堂筋の高さ制限の由来に関する逸話、地下鉄御堂筋線や墓苑の計画に見る「未完の大大阪」、中之島の開発秘話、そして、近代建築を愛して止まないのに、決して懐古趣味的でない語り口。
更に、話は「ALWAYS三丁目の夕日」に代表されるような「昭和臭」を懐古するものではないもっと他の次元の進歩的な部分に入って行った。それは例えばコンバージョン等の手法を取り入れ近代建築を遺すことで、まち全体を文化的なるものと位置付け、未来への可能性を提案していくというものであった。氏のモダン建築に対する真摯な姿勢に、私は特に感動した。この人は、なかなか話しが上手いと思う。
それとは別に私の胸を打ったキーワードは「通天閣・中之島・御堂筋」である。何のことは無い。ただの大阪三点セットである。
通天閣というのは凱旋門にエッフェル塔を載せたトンデモ建築であるというのは割と有名な話なんだろうけれど、中之島の開発がパリのシテ島(ノートルダム寺院・パリ市警視庁・サントシャペル等が有る方の島)をモデルにして作られていたということは知らなかった。
そして、御堂筋はもちろんパリをはじめとする欧州の大通りをモデルにして作られ、マロニエの木の代わりに東洋の木である銀杏が植えられ、パリの街並を意識して建物の高さを均一にする高さ規制がなされた。ところで、これも知らなかったことなのだが、そもそもこの「高さ制限31m」の規制は「これ以上建てるな」という意図からではなく、鉄筋コンクリートの建物が珍しかった時代に「頑張って31mまで建てよう!」という想いが含まれていたのだという。更に大川(※1)に架かる橋も、大大阪の時代には華麗な装飾が施され、まるでセーヌにかかるアレクサンドル三世橋のようなアーチが幾つも現存しているのである。(※1:正確には堂島川と土佐堀川になるのであろうが、以下全て「大川」と表現することにする)
大大阪はパリに満ちている!
つまり・・・
中之島(シテ島)は大川(セーヌ川)に架かり、大川(セーヌ川)には難波橋(アレクサンドル三世橋)をはじめとする華麗な装飾を施した幾つもの橋が掛けられ、川のそばから街の中心部を縦断する御堂筋(オペラ大通り)の両脇に建つ歴史的建築物群は大大阪(パリ大改造)の名の元にファサードが同じスカイラインで整えられ、調和が保たれているのである。
そして、10月22日。芝川ビルの地下一階にとあるベトナム料理の専門店が開店した。その名は「RIVE GAUCHE(リヴ・ゴーシュ)」私は、この店の名を聴いた瞬間、全身に心地良いビリビリが駆け抜けた!
このネーミング、超上手いよ!!
ベトナムというのは、かつてフランスの植民地だったこともあるので、ベトナム料理店にフランス語名を付するのはそんなにおかしい話でもないのだが、私の感動のツボは他にあった。
そこには、まさに「大大阪、パリ化計画の野望」が渦巻いているのだ。「RIVE GAUCHE」というのは、フランス語で「左岸」のことを言う。左岸とは「川の上流から下流を向いて左手側」のことであり、現にパリのシテ島の南岸にあるサン・ジェルマン界隈を「RIVE GAUCHE(リヴ・ゴーシュ)」と呼ぶのである。だから、大川の左岸に位置する芝川ビルはまさに「リヴ・ゴーシュ!」というわけである。
サン・ジェルマンは、かつてパリの文豪たちが集った町。ここは、今でも文化の香りがプンプン匂う町なのである。そして、この芝川ビルも・・・芝川ビルを中心として淀屋橋~船場界隈を中心とする「大大阪モダン建築」群の存在するこの町も、また文化的な町としてこらからも発展を遂げようとしているのである。
実は、そんなことを妄想しニヤニヤしながら、まち歩きを楽しんでいた。またいつか、「RIVE GAUCHE」へ行ってみたいものである。