まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

ミント神戸(旧神戸新聞会館)もうすぐオープン!

2006年09月30日 23時05分25秒 | 都市

阪神・淡路大震災から10年以上の歳月を経て神戸新聞会館が10月4日に復活する事になった。

愛称は「ミント神戸」。ここは都市再生特別地区の特例措置による認定を受けており、容積率(敷地面積に対して、建築することが出来る各階の床面積の合計の上限)が従来の800%から倍の1600%に引き上げられている。

旧神戸新聞会館の面影は全くないものの、内部のテナントは以前よりも充実しているように思える。OScinemasに加え、阪神百貨店やTower Recordがテナントとして入る事になっているらしい。

詳しくはコチラ→http://mint-kobe.jp/about/index.html

ちなみに神戸と言えば、もう一つ紛らわしい名前の会館があり、コチラはというと震災後のわりと早い段階で再建が終わっている。(旧神戸国際会館を見たい方はコチラをクリック)どちらも落ち着いた外観で新生神戸にはふさわしい街並みを形成しているのではないかと私は思う。

↑手前の茶色のビルが神戸国際会館

神戸国際会館もまた映画館や飲食店・各種店舗が入っていて、とても紛らわしいのであるが、前者の神戸新聞会館はミント神戸として定着するであろうから、心配ナシとしとくか。


絶品!!至福のひととき「むぎとろごはん定食」!

2006年09月30日 00時21分13秒 | おすすめ
職場近くの和風居酒屋。上司に誘われ行ってみる。
ここのお薦めは木曜日限定「むぎとろごはん定食」

・ドンブリ一杯のむぎごはん
・器いっぱいのとろろ汁
・煮物小鉢
・味噌汁
・お新香

シンプル&ベリーベリーデリシャス、デッス!!
外食となると普段はどうしても衣系やソバ系に
走りがちだが、たまにはお腹に優しいお昼御飯
というのも悪くない。

さて、来週の木曜日も行くべかに!

おてんとさま!お犬さま!人間さま!【後編~本能が活きる瞬間~】

2006年09月26日 22時47分27秒 | 自然

<前回までのあらすじ>

飼い主アランとの楽しい休日は、

ご主人様の奇行により恐怖の

休日へと姿を変えたのだ!

堤防の舳先でおもむろにカラダを

持ち上げられるや否や海に投げ

込まれたマロンは、突然の塩水の

鼻腔への流入に慌てふためき、

堤防でご主人様の助けを乞い、

やっとの思いで陸上に引き上げ

られるのであった・・・。

 

このあと、アランの家族とその友人、更に彼等が連れてきたもう一匹の犬がマロンの元に駆けつける。しかし、マロンの醜態はまるで無かったかのように彼等は次々に海に飛び込み砂浜へと泳ぎ始めるのであった。そして、最後にアランが飛び込んだその瞬間、マロンが何の躊躇もなく海に飛び込んだのである。

 

 

「おお!」

私はシャッターを押しながら心の中で叫んでいた。アランはマロンの元に泳ぎ、

「ヘイ!ボーイ!!」

と叫んだ。

 

 

こういう状況における英語の直接的な表現は、本当にステキだなと思う。なんというか日本語では表現できないストレートな感情の表出が、しっかりと自己表現できてしまうのが実に羨ましい。きっと、この言葉はマロンの心にも届いているはずである。

なぜならば・・・

 

マロンのその目には、一切の迷いも恐れも読み取ることが出来ないからである。アランの真の意図を感じることが出来ないまでも、本能という習性によってマロンは一瞬のうちに泳ぐという技術を身につけてしまったのである。

 

海岸に辿り着いたマロンは、どことなく勇ましげで・・・

 

 

また、誇らしげであるようにも見えた。

 


今夜の「アルプス交響曲」

2006年09月24日 22時35分58秒 | 音楽
今夜10時よりNHK教育で放映されたメルボルン響の来日公演の「アルプス交響曲」には少しがっかりした。というのも通常は楽曲が佳境に入った時に雷の音を模したサンダーマシーンという特殊楽器と風の音を模したウインドマシーンという特殊楽器が用いられるのだが、当然テレビであれば普段滅多に目にする事のないこれらの楽器を可視できるので、ちょっとばかし楽しみにしていたのであるが・・・。

サンダーマシーンは薄い鉄板に振動を与えて「シャーン!!」という音を発生させる楽器で、ウインドマシーンは大きな横倒しの筒を手で回転させて筒表面に巻かれた布との摩擦によって「ヒューーー!」という音を発生させる楽器である。残念ながらこの演奏で用いられていた雷の音と風の音は、なんとシンセサイザーで表現されていた。なんと味気ないことか!

チャイコフスキーの大序曲1812年の場合だとフィナーレ部分で教会の鐘の音や大砲の音を表現せねばならず、たいていはシンセサイザーで再現しているものなのだが、アルプス交響曲の場合はそういう楽器が存在する以上、今回の演奏においてもアナログで表現するものだとばかり思い込んでいたので少々裏切られた感じがする。

ネットでウインドマシーンを探していたらこんなサイトを見つけた。
http://www.animato-jp.net/contents4/WM.html

どこかのパーカッション奏者が自作で作っているものしかないと思ったら、なんと商品化されているではないか!しかも、何が驚いたかって、こんなにたくさんウインドマシーンを使用する曲があるってこと・・・ほんまかいな??

「まっしゅ、映画デビュー!」・・・なるか!?

2006年09月24日 00時33分17秒 | ぶつぶつ

朝6時起床で8時半過ぎに現地入り後、21時半過ぎに全てが終了するまでの丸13時間を京都の上七軒歌舞練場というところで過ごした。ボランティアとは言え、通常の勤務時間を遥かに超えて緊張の中で拘束された私は、午前零時にようやく帰宅したときは、かなりお疲れであった。

今日は、来年2007年・夏公開の宮藤官九郎脚本・阿部サダヲ主演の映画「舞妓Haaaan!!!」のエキストラに参加して来たのである。こういうのは初めての経験だったので右も左もわからず、昼ちょい過ぎくらいに終わるだろうくらいに軽く考えていて、しかも「参加する事に意義が有る」というスタンスで割り切っていたので、遅めに現地入りし、いちばん端っ子の席に座ってたのだが、仕切り役のスタッフより2度の席移動の命じられた上・・・想定外の大盤狂わせがあった。

(写真は7月の京都まち歩き探検隊の時に撮影したもの。実は、京都在住のパープルさんの提案により、二次会で訪れたところなのである。ちなみに今日は折りしも第11回まち歩き探検隊の日。上記理由で午後から参加するつもりだったけど、当然行けるはずもなく途中で泣く泣く不参加の連絡をする羽目に・・・(泣))

というのも、担当者からはカジュアルな服装は避けるようにと事前に連絡を受けていたのでスーツで行ったのだが、思いのほかスーツ姿の人間は少なく、そして、私同様遅れて入場して来た美しき和装の女性の「連れの役」として客席中央付近通路際に座席を指定され、しかも、小道具のチケットとパンフレットを渡されて、開演前のシーンで、なんと「指定された座席を探しながら連れの女性と一緒に中央の通路を歩く役」を与えられてしまったのである。

↑支給された昼食の弁当

まさに、寝耳に水!猫に小判!豚に真珠である。よーわからんが、カットされていなければ『わりとちゃんと映っているかも』と期待してしまう私♪それからは順番に、客席や通路で演技をする主演の阿部サダヲさんや、堤真一さん、それに、柴咲コウさん、京野ことみさん、生瀬勝久さん、伊東四朗さん、吉行和子さんらの動きに合わせ、観劇客としてのザワザワ感や歓声や拍手をスタッフから演技指導を受けながら撮影が進められていった。

↑支給された夕食の弁当

同じシーンでも幾つものカットに分けられていて、同じ設定のシーンをカメラの位置を変えて繰り返し撮影されるのでテマヒマがかかるのである。映画の撮影というのは完全な分業になっていて、お互いの領域はお互いに介入しないことになっている。そしてそれらは一冊の台本(コンテ等)を中心に互いに声掛けをしあって、滞りなく行われるのである。なるほど、これは交響曲の演奏におけるオーケストラの仕組みや、建設現場における工事体制の仕組みとよく似ているなあと思った。

更に意外だったのは、これだけ技術が進歩しているにも関わらず、全てが手作業で、全てが組み立てと解体の繰り返しで、全てが現場経験主義で、全てが全て本当にアナログな感じで作られているのである。その中で分業体制の各スタッフが己の与えられた役割を己の映画観に基づく美意識みたいなものを原動力として動いているのである。

上の写真は、休憩中に舞台稽古のリハーサルを行う役者たち。公開前なのでモザイクで自主規制。かなり笑える内容なので、気になる人は来年の夏に劇場へ行くべし。一日中座りっぱなしだし、会場はエアコンがなく入り口と言う入り口を閉め切りで撮影が進められたので熱気で暑くなっていて、本当に疲れた。

けれども、実際に舞台向かって左側に本物の地方(じかた:唄・三味線・太鼓を担当する人)さんが居て演奏してたり、もちろん本物の芸妓さんに混じって、女優さんが踊ったり、また芸妓さんたちの師匠が演技指導を行ったりと、本当に「をどり」を鑑賞しているような感じがした。

まさか、ビアガーデンで立ち寄った歌舞練場の観客席に数ヵ月後、自分が座るとは予想もしていなかった。(ロケ場所は2~3日前までトップシークレットであるらしく「京都市上京区」ということしか知らされていないのである) 

 


おてんとさま!お犬さま!人間さま!【前編~犬を海に投げる男~】

2006年09月21日 23時34分06秒 | 自然

某海岸から伸びる堤防の舳先のところで、蒼き大海を前に恐れを知る(以下、勝手に「マロン」と呼ぶ事にする)が前足を震わせながら波間を見つめていた。飼い主の外人男性(以下、勝手に「アラン」と呼ぶ事にする)は何度も海へ飛び込む事を促すが、犬の腰は既に引けている様子。そこで、アランは思いも掛けない行動に出たのであった。

そう!おももろにマロンを抱きかかえるや否や、間髪入れず海に投げ込んだのである。上の写真のマロンの顔からは文字通り、主人の思いも掛けない行動に呆然としている様と、四肢の自由を奪われ、専ら成す術も無くただ己の導かれる道を諦観しながら見つめるしかない悲哀が読み取れる。

次ぎの瞬間・・・ドヴォン!

一瞬、宙を泳いだかと思うと、刹那、今度は海に溺れるマロン。突然、口腔・鼻腔へ流れ入る塩水にはさぞかしびびっているに違いない。そして、ようやく堤防に辿り着くマロンなのだが・・・

堤防のコンクリート床を必死に犬かきで昇登ろうとするも・・・

「何故か登れないマロンなのでしたぁ~♪」(byめざましテレビ)

とうとうマロンが自力で登れないことを悟ったアランは、マロンに救いの手を差し伸べる。そして、上の絵のままズルズルと引き上げられるのであった。引き上げられ方がなんともまあどうしようもなく哀れな感じで、こんなにかっこ悪いシチュエーションの犬を見たのは、今回が初めてかもしれないと思った。

<次回予告>

おてんとさま!お犬さま!人間さま!【後編~本能が活きる瞬間~】

 


時代劇のサウンドトラックに萌える現代人の矛盾

2006年09月18日 22時12分21秒 | 音楽
もうかなり昔の話だが、私が12歳のときに見たある時代劇の衝撃は今でも鮮明に私の脳裏に刻み込まれている。振り返れば20年以上も前の話である。その時代劇というのは千葉真一率いるJACの若人たちが見ごたえのあるアクションシーンを繰り広げる伝説の時代劇「影の軍団Ⅳ」とそれに続く「影の軍団~幕末編~」である。「影の軍団」こそが、時代劇に血のりが使われているのを見た、最初の時代劇なのだ。

なんと言っても冒頭シーンで荒野を駆る軍団のバックでほとばしるトランペットの荒々しい音色にググッ来るのだ。アップビートのドラムセットもまたいい。更に「影の軍団Ⅱ」辺りから共通のテーマとして用いられている悲哀をモチーフとした音楽はベートーベンの月光を思わせる響きを持ちながらも、弦楽器とピアノの絡みが何とも言えないくらいドラマチックで素敵なのである。

「影の軍団」に限らず「暴れん坊将軍」も「水戸黄門」「大岡越前」さえも、劇中に効果的に流れる曲やオープニングで奏される曲は全て管弦楽曲、つまり明治時代以降になってやっと日本に流入して来た音楽なのである。それが江戸時代以前を描いた歴史物語に用いられるなんて本当は本末転倒と言いたいところだが、実際に尺八と琴なんかで奏されても現代人の私たちが、それらの時代劇に感情移入することはもはや無理なのかもしれないと思った。

NHK大河ドラマのオープニング曲もなかなかいい曲が作られていると私は思う。リアルなところでは「巧妙が辻」なんかが秀逸。この曲のつくりは「利家とまつ」と似ていてメロディアスな提示部を経て、劇的な中間部に移り、その後提示部を再現して高揚感を持続させながら終わり、そのままドラマにつなげるといった構成になっている。

確か、昔の「山河燃ゆ」や「春の波濤」なんかは劇的な提示部のあとに穏やかなメロディーが展開され、また劇的な提示部に戻る感じだったような気がするが、放映される時代によってもウケなんかが微妙に違うのかなと思ってみたり。いずれにせよ、タイトルにあるように我々視聴者は、遥か以前から「近代西洋音楽の流れを汲んだサウンドトラックに萌える現代人」という矛盾を抱えながら時代劇を楽しんでいるのである。

ハンカチ王子と昭和臭

2006年09月18日 12時44分41秒 | ぶつぶつ
gooで「ハンカチ王子」と入力し検索を試みると、なんと226000件もヒットするこの平成の世の中。斎藤祐樹選手の早稲田大入学説が濃厚となる時期と時を同じくして卓球少女・福原愛選手の早大入学の一報が目に飛び込んでくる。斎藤選手は別として、福原選手が今年高校卒業であるということには非常に驚いた。私の中では、「泣き虫愛ちゃん」の印象が未だに残っているからである。時の流れというものは実はゆっくりしているようで、実に早く過ぎてしまうものなのである。

それは折りしも日本中のメディアが「911から5年」特別企画を打ち出している頃の出来事だった。5年前と言えば彼等は13歳くらいだろう。私の中の5年という歳月と社会における5年という歳月、それにトップアスリートへの道を着実に駆け上がる彼等の5年という歳月。その様々な時間の流れの中で、一体どんな気持ちで20世紀から21世紀への移行をリアルに体感したのであろうか。

昨夜、たまたま深夜につけたテレビで昭和臭のする映画が放映されていた。何の気なしに見ていたのだが、私の心はブラウン管の中に見える全ての事象に惹きつけられた。木造家屋の密集する街並み、礼儀正しい学生たち、携帯電話もインターネットも存在しない日常生活、薄暗い茶の間、縁側から家に入る挙動・・・数え上げたら切が無いほどである。

斎藤祐樹選手と福原愛選手はともに1988年生れ。1988年と言えば昭和63年である。翌昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御しているので、昭和63年生まれが実質の昭和最後の新生児と言っても過言ではないであろう。来年の春からは平成元年生まれが高校三年となり、5年後には大学四年生にまで駆け上がってくる。

これから先の5年間、社会の変化と我々の変化と様々な変化。昭和とのシガラミを持つ人間はこれまでも、またコレからも勢いを増して減少して行くのである。そしてまた昭和の記憶を持つ街並みや日常風景もリアルで見る事はなくなり、ついにはフィルムの中での出来事や「復刻版」として収集家たちの愛贓品に成り変わってしまう日も、実はそう遠く無いのではないかと思ってしまう今日この頃。

ちなみに、私が昨夜少しだけ見た謎の映画は大林監督の「時をかける少女」であった。これは確か1980年代の映画。出演の岸部一徳・根岸季衣・原田知世・尾美としのりが皆若い。全ての色彩が中間色に近く、そして彩度の低い映像に心ときめいたひとときでもあった。