あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『Pineapple Place』 ジャマイカ旅行記-その10

2005年01月01日 | ジャマイカ旅行記
ンジュガと再開するためにキングストンからバスに乗りモンティゴベイを目指したが、
そのバスが山中で事故。
僕を拾ってくれたバスは超満員で体中痛くなってしまい、
思わず降りてしまった街オチョリオス。


右も左も分からない。

まずは歩いて近くのガソリンスタンドへ。
そこでこの旅行で初めてジャマイカの地図を手に入れた。今日の宿を探さなくちゃ…。
地図を見ながら海岸へ向かう。
オチョリオスは西端のネグリルと並んでジャマイカの一大リゾート地だ。
モンティゴベイにもプライベートビーチはあったが、ここはそんなもんじゃなかった。
何と全てのビーチが柵で囲われていたのだ。
ジャマイカの人々の住むこの土地にジャマイカ人の海はなかった。
入り江にはクルーザーや大型客船が停泊している。
青い海は柵の向こうに遠く見えるだけ。
ビーチサイドの別荘の庭越しに見えるだけ。


ただそれだけ。

金を持った奴らが金で彼らの生活を規制している。
日本人がタイやフィリピンで白人のやり方を真似している。
高級ホテルの入口、
この暑いジャマイカで黒人たちがブリキの兵隊のような格好をさせられて、
直立不動の姿勢で立たされている。
なんてこった!

道行く人に訊ねながら、いつものごとく宿探し。
やっと見つけたSゲストハウス。前庭には青空スタンドバー。
早速そのバーへ。
ここはカウンターだけあって、ドアも壁もない。

そうだよ、ここはジャマイカさ。

暑い国で冷房の効いた部屋でワインなんて飲むよりも、
風の吹き抜ける(当たり前か)椰子の葉で葺いた屋根のバーで
レゲエと鳥の声を聴きながらジャマイカのビール、レッドストライプを飲む。
カウンターの中には可愛いジャマイカの女性マルシア・アンダーソン。

Marcia Anderson @ 青空スタンドバー

そろそろ夕方、飲んでいると人々が集まってくる。
ここはジャマイカ人のための飲み屋。

「お前、パイナップルプレイスには行ったか?」
「何だい、それは?」
「ダンスホール、マン」

夜眠ろうとしていると、開け放った窓からレゲエが流れてくる。
気になってもう一度服を着て部屋を出た。
いつまで歩いても音のところにたどり着かない。
いい加減歩いて、ようやく着いて驚いた。
それは教会の隣の広場にあった。海岸沿いの崖っ淵にある教会の敷地だ。
そこにコンサート用のスピーカが20個くらい積み上げられ、
そこから街中にレゲエを流していたのだ。

人々がそこで踊り、話し、歌っていた。大人から子どもまで。
ここはジャマイカ人の社交場だった。
オチョリオスではここが海から一番近い場所。

屋台で早速ビール、もちろんレッドストライプ。
近くの親子に尋ねる。

「ここは何だい?」
「パイナップルプレイスさ、マン。」

夕方バーの客が言っていたダンスホールとは青空ダンスホールだったんだ。
20個ほどのスピーカから流れるレゲエは腹を打ち、地面まで揺らしていた。
凄い!って感じで圧倒されてしまった。
人々は踊り疲れては帰り、誰かと話すためにやってくる。
夕涼みに来たおばあちゃん、駆け回っている子ども。入場料なんて要らない。
いいなぁ…幸せな気分。

踊り疲れて帰途につく。後からレゲエのリズムが追いかけてくる。
ゲストハウスの青空バーでおやすみ前のビール。

「パイナップルプレイスに行ってきたの?」
「うん。」
「どうだった?」
「ジャマイカの人たちってタフだね、本当に。」

マルシアにお休みを言って部屋へ戻る。
まだ窓からあのレゲエが聞こえてくる。
あの光景が絵のように浮かんでくる。
ジミー・クリフの『Under the sun , moon and star』を思い出した。

明日にはモンティゴベイに行かなくてはならない。
ンジュガが待っている。
この土地でジャマイカ人の海は教会の空き地の崖の下、わずかに見えるだけだった。
だけど人々はタフだった。卑屈になっていなかった。

◇翌朝訪ねたPINEAPPLE PLACE

左右に積み上げられたスピーカシステムが見える。
そして崖下にかろうじて見えるジャマイカ人の海

(wrote in 1990)

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