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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『ホテルムンバイ』を見ました

2019-11-18 09:49:25 | 映画
 話題の映画『ホテルムンバイ』を話題になっていることも知らずに見てきました。残酷なシーンが多く、見ていてつらくなりましたが、人の命を助けようと努力して人たちに焦点があてられた映画だったので、その姿に感動しました。

 インドのムンバイで実際に起きた同時多発テロ事件をもとに作られた映画です。実際の事件をもとに作られているので、予定調和的な展開ではありません。偶然的な要素も多くあり、うまくいかずあたふたしてしまう様子もリアルに伝わってきます。そんな中で人の命を助けるために無力な自分を嘆きながらも勇気を振り絞り行動し続けるホテルの人たちの姿は感動的です。その勇気のために死んでいく人たちも多くいます。その姿にも感動させられます。

 本当にテロのおそろしさを感じました。真の意味での平和を考えさせられる映画でした。


 話題は少しずれてしまいますが、『ジョーカー』やこの『ホテルムンバイ』を見ていて、人を残酷に殺すシーンが当たり前のように出てくることに違和感を感じています。そしてこの間、香港の警察が若者を銃撃するシーンが何度もニュースで流れていました。こういう映像が当たり前のように流れていいのでしょうか。現実がテレビゲーム化していて危険な時代になったような気がします。

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舞台『虹のかけら』を見ました

2019-11-17 08:10:12 | 演劇
[構成・演出]三谷幸喜
[出演]戸田恵子
[音楽監督]荻野清子

 ジュディ・ガーランドの生涯を描く演劇であるが、戸田恵子が演じるのは、ジュディの代役であり、最後は付き人としてジュディに寄り添った、ジュディ・シルバーマンである。ジュディ・シルバーマンの目を通してジュディ・ガーランドの姿を批判的に描いていく。

 しかしもちろんジュディ・シルバーマンは三谷幸喜の創作である。最初のオーディションで合格したジュディ・ガーランドと落ちてしまったジュディ・シルバーマン。ジュディ・ガーランドはもしかしたらジュディ・シルバーマンのような人生を歩んだかもしれない。だからふたりはひとりの人物の別の人生なのだ。だからふたりは憎しみあっても離れることはできない。自分のことをいくら嫌いになっても、自分を好きにならなければ生きていけないのと同じである。

 小品ではあるが、人間の真実を描いている作品である。日頃演劇などを見ない人を誘うにはよさそうな素敵な作品であった。

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議論のできない情けない「国」(センター試験の国語の問題はやっぱりよくない)

2019-11-13 16:22:52 | 国語
 「桜を見る会」のでたらめさを見ているとうんざりする。またこんなに愚かなことが行われていたのかというのが1点目。それをなんとかごまかそうとする政治家と官僚の愚かさが2点目。これだけ愚かなことを繰り返していながら政権の支持率は落ちないというのが3点目。本当に情けない国である。

 しかし一方では野党の対応も情けない。この程度のことを深追いする必要はない。教育問題、経済問題、外交問題などをもっと正々堂々と議論してもらいたい。こんな「桜を見る会」のような揚げ足取りばかりしていることは、逆に言えば他の点では政権を責められないことを認めているようなものだ。

 例えば教育問題は日本でどういう教育が必要なのかをもっと堂々と議論してもらいたい。大学入試における英語の民間試験の活用や、新テストの記述式の導入の現状の方式には私も反対だが、民間の力を導入していくことも大切だし、国語においては記述式は大切だとは思っている。この問題とからんで「センター試験はいい試験だ」と言っている人もいるが、私はそうは思わない。こういうことを含めたオープンな議論はこれまでまったく聞こえてこなかった。世の中が変わっても現状維持でいいという人よりは、前にすすめようと努力した人のほうが貴重だとも思うのだ。

 野党が太い幹の部分の議論をしてくれないから政権が多少情けなくとも支持されるのである。

 日本人が議論ができないというのは、日本の国語教育の欠陥を示しているのだと考えている。もちろん古くからの年功序列的な日本社会によって、日本人は議論をする習慣がなかったというのはその通りである。しかし、現代においてそれですませられるはずはない。議論して合意形成していく社会を作っていくことが近代国家として必要なはずなのである。ところがそのような国語能力を育てていないのだ。話したり書いたりする力、議論する力を育てていないのだ。それは高校の授業がセンター試験を中心に回ってきたからにほかならない。間違い探しのような国語のセンター試験が議論をできなくし、揚げ足取りばかりする人間を生み出している。とまで言うと言いすぎであろうが、仮説としては成り立つのではあるまいか。
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シネマ歌舞伎『女殺油地獄』を見ました

2019-11-11 20:19:53 | 映画
 シネマ歌舞伎で近松門左衛門作の『女殺油地獄』を見た。有名な作品ですが恥ずかしながら初めて見た。想像をはるかに超えたすばらしい作品だった。

 主演は松本幸四郎。平成30年の襲名披露公演の映像である。

 元禄時代の作品ではありながら、現代的なリアリティのあふれた作品であった。主人公の与兵衛は現代的に言えば家庭に問題のある子である。本当の父親は死んでしまい、使用人であった男と実母が結婚し、義理の父親は父親の威厳を保つことができない。与兵衛はグレて自分勝手な行動ばかり。そんな子供でも親は情がある。なんとかしてあげたいと義父は実母に隠して義父なりに、実母は義父に隠して実母なりに与兵衛に助け船を出す。与兵衛は両親の情に涙しながら、身についてしまった自分の甘さを捨てることができない。自分の甘さに追い詰められて罪を犯す。現代でもありうる事件である。

 松本幸四郎の演技もリアリティのあるものであった。愚かな犯罪者ではあるが、その犯罪に追い詰められる過程が丁寧に演じられる。そして殺害の過程やその後の動揺した心理も真に迫っている。長い年月をかけて培われてきた伝統のすばらしさを感じさせる演技である。

 演劇のよさを教えてくれる映画であった。
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『あなたの名前を呼べたなら』を見ました

2019-11-10 08:20:40 | 映画
 インド映画の『あなたの名前を呼べたなら』を見ました。身分制度の根強く残っているインドで身分の低い出のメイドと、その主人の男性との恋愛ドラマ。貧富の差が激しい状況が街並みの映像からもうかがえる。映像が物語っているので余計な説明がいらない。終わり方が爽やかで、好感が持てる映画だった。

 ただし、男性のメイドにひかれていく心の過程があまりはっきりしないし、それに対する女性の葛藤も描写が乏しい気がする。

 最近の日本の状況を見ていると格差が固定してきており、実はインドの状況と大差ないのではないかと思うことも多くなってきた。身分制度は消えたように見えながら、実は日本でも根強く残っているのではないかと思いながら見ていた。

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