とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「静は何を知っていたのか」(『こころ』シリーズ③)

2017-09-09 15:38:03 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』を考えるシリーズ。石原千秋氏の「『こころ』で読み直す漱石文学」を読みながら、感じたことを書き残しておくその3回目。

 第3章は「静は何を知っているのか」。ここでは筆者は「上」、「中」おける「私」である青年と静の関係について考察しています。そして青年は「先生」の死後、静と結婚し子供を作ったのではないかと推測します。私にはこの筆者の論理はかなり無理があるように思われます。状況証拠を無理やりこじつけて物語を構成しなおしたようにしか考えられません。

 確かに、「上」における静の様子を読む限り、「先生」と静の夫婦関係はかなり不思議なものであったようです。お互いに愛し合っていながら、しかし「先生」はこころの奥底まで打ち解けることはない。Kの自殺がその原因であったのだから、結婚してからずっとそのような調子であったのです。静はかなりのことを感じていたのではないかと思われます。だから、「先生」の死後、青年が静と結ばれる可能性もあるのではないかとは思います。「先生」が遺書を青年に送ったのも、静のことを託したいという思いがあったと考えることもできるでしょう。

 しかし、その読みは小説の解釈の幅を広げてくれるというだけで、確証のあるものとするにはあまりに無理があります。先生が青年の人生をそんなに狭い範囲にとどめておこうとしているとは思えません。

 先生は明治の精神とともに死ぬしかなかった。しかし青年には新しい時代の新しい世界で生きなければならない。私からは離れなければいけない。そう先生は伝えたかったとしか思えない。それが自然な読みであるように私には思えます。
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