とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

劇評『1984』(4月21日ソワレ 新国立劇場)

2018-04-22 08:16:32 | 演劇
原作:ジョージ・オーウェル 
脚本:ロバート・アイク ダンカン・マクミラン 
翻訳:平川大作 
演出:小川絵梨子
出演:井上芳雄/ともさかりえ/森下能幸/宮地雅子/山口翔悟/神農直隆/武子太郎/曽我部洋士

 構造がわかりにくい芝居なので、最初にプログラムにある「ものがたり」を引用する。

 2050年以降のいつか、人々が小説『1984』とその"附録"「ニュースピークの諸原理」について分析している。やがて小説の世界へと入って行く・・・。
 そこは1950年代に発生した核戦争によって、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの国に分割され、統治のために絶え間なく戦争が繰り返される「1984年」の世界。主人公ウィンストンの生きるオセアニアでは"ビッグブラザー"を頂点とする党により思想、言語、行動などすべてが管理され、統制されていた。ウィンストンはある決意を胸に、無謀とも思える行動に出る・・・。


 言論が統制され、思想がコントロールされる時代。SFの世界であるように思っていたが、現代はそれに近づいている。情報操作によって人々の思想はコントロールされているのだ。知らず知らずに、あらゆることが権力者の思うままに導かれている。いや、そもそも権力者さえも何か別の力によってコントロールされているのではないか。われわれは本当に自由なのか。改めて考えさせられる。

 「党」は言葉を制限することによって人々の自由を奪っている。真実を言い当てている。人は言葉を創造することができる。言葉を創造することによって自由を勝ち取ってきたのだ。人間が言葉を失えば、創造性を失い人間としての機能を失う。もはやそれは人間の社会ではない。

 これは絵空事ではない。昨今の現実の状況は言葉はどんどん失われ、監視カメラで監視され、インターネットによる購入記録、発信記録などが個人情報となり、すべてがコントロールされていく。

 世界はアメリカ、ロシア、中国の3極体制に集約されつつある。昔はまだ未開の地があったからその土地の取り合いでよかったのだが、今はもはや未開の地はない。すでにあるものの奪い合いである。そのためには情報操作による思想操作が一番だ。現実が小説に近づきつつあるのだ。

 とてもおそろしい芝居だった。


 映像を多く使う芝居で、少しつかれる。

 出演した井上芳雄さんは誠実さを演じている。好演である。しかし狂気がすこし足りない。ともさかりえさんは存在感がある。

 急逝した大杉蓮さんが出演予定だった芝居である。代役の神農直隆さんは好演している。すばらしい役者だ。が、大杉さんだったどうだったろうかとやはり考えてしまう。
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