とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「山月記」の授業実践記録5(作者と「語り手」の関係)

2016-06-27 09:12:41 | 国語
 作者と「語り手」の関係を理解してもらうために次のように説明しました。

 例えば映画を思い浮かべてみてください。映画の舞台となっているのはある特定の時代と場所と、ある特定の人たちです。映画を見る人にとってはすぐに入り込むことはできません。そこで最初は遠景からからの映像があり、その土地を象徴するものが映し出されたり、また時代を感じさせるものがあったりと、次第に見ている人を映像の世界に引き込むように仕組まれています。そしていつの間にか見ている人も、その作品世界の中にいる人として、登場人物と同じ目線で「参加」しているような感覚になります。

 そうなる作品がいい作品です。作品の中に引き込まれない映画はそういう部分が雑なものが多いような気がします。

 「落語」を思い浮かべてください。落語は実際に聞きにいくと、話の筋(ストーリー)だけを話しているわけではありません。最初は落語家は観客に直接語り掛けます。世間話をしたり、自分にあった出来事を語ったり、時には観客をイジッタリと落語家と観客が直接向き合って話をしています。しかし、落語の筋に入ると落語家は登場人物を演じ始めます。観客はその落語の世界にいつの間にか導かれているのです。そこには落語家の演出能力があります。

 これらと同じように、小説家は読者を作品世界につれこむようにさまざまな仕掛けを行います。小説家はストーリーテラーとしての能力ばかりが目立ちますが、演出家的な要素、プロデューサー的な要素も必要になっています。そういう総合力のある人がすばらしい小説家になるのではないかと思います。
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