夏目漱石の『こころ』の授業をしています。グループ学習で、各グループがひとつの章を担当し授業をするという形式です。昔からやっているのですが、基本的に3年に1度の授業なのでそれほど回数ができるわけではなく、まだまだ試行錯誤です。
うまくいくときもあるし、あまりうまくいかないときもあります。それはそれでしょうがない。しかしだんだん形になりつつあります。発表をいやがらなくなってきたし、議論がかみ合う場面も増えてきました。なによりこのような経験を生徒がやるというだけでもいいのではないかという気持ちもあります。
できるだけ介入したくないのですが、生徒がそこまで育っていない場合介入しないことが逆に満足感を得れれない結果となり、生徒の自信を失わせてしまいそうな気もします。だからつねに授業者も考え、判断にせまられます。この判断が正しかったのか、間違っていたのか。それはわかりません。
生きている実感のする授業です。
うまくいくときもあるし、あまりうまくいかないときもあります。それはそれでしょうがない。しかしだんだん形になりつつあります。発表をいやがらなくなってきたし、議論がかみ合う場面も増えてきました。なによりこのような経験を生徒がやるというだけでもいいのではないかという気持ちもあります。
できるだけ介入したくないのですが、生徒がそこまで育っていない場合介入しないことが逆に満足感を得れれない結果となり、生徒の自信を失わせてしまいそうな気もします。だからつねに授業者も考え、判断にせまられます。この判断が正しかったのか、間違っていたのか。それはわかりません。
生きている実感のする授業です。
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