とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「あざとい」のはどっち?

2016-04-30 06:00:31 | 社会
 ベッキーさんが週刊文春に手紙を送ったことが話題になっています。以前、私はこの問題は当事者同士の問題だから、そんなに大騒ぎすることはないという趣旨のことをこのブログで書きました。今も同じ思いです。それなのに未だに大きな話題になっています。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

 数年前からインターネットのヤフーニュースなどに芸能界のニュースに対する和田アキ子さんのコメントが載るようになりました。最初のころは和田さんが何らかの記者会見で言っていたことを載せていたのだと思いますが、いつのころからか日曜日の昼に放送している番組の中でしゃべったことがそのまま載るようになりました。テレビ番組の中のコメントがそのままインターネットにニュースとして流されるようになったのです。最近になってそれがどんどん広がっていきました。テリー伊藤さん、松本人志さん、坂上忍さんなどがテレビでしゃべったコメントがインターネットに流れるようになりました。

 なんか変な話ですよね。テレビがインターネットに身売りしたような感じです。

 彼らは最初のころはそういう意識はなかったのだと思いますが、次第に自分の意見が「世間」の意見になるように感じるようになります。それは嫌な気分はしないでしょう。自分が日本のオピニオンリーダーであり、自分が「世間様」の代表になれるのですからいい気分です。それだけではありません。この世界での生き残りにつながりるのです。

 上記の最初のころの方々は責めるわけにはいきません。自分の意志とは関係なく、周りがそういう立場に祭り上げたわけですから。しかし、後発の方々はどうでしょう。自分もその座に行きたい。その座をなんとか手に入れたい。これが彼らの本音です。それはおそらく無意識のうちに進行するので、こんなことを言われると自分はそうではないと強く否定するでしょうが、本質は自分の生き残りをかけた戦いです。できるだけ過激なことを言うことで自分の位置をねじ込もうとします。

 「世間様」にとってベッキーさんはすでに「悪者」です。過激に攻撃しても許される。清廉潔白な私は、清廉潔白な視聴者の代表ですよと過激な意見を言い、インターネットに取り上げてもらう。隙間のない座席に無理やり自分のお尻をねじ込むように、自分の位置を奪い取ろうとする。

 「あざとい」とはこのような人を言うのではないかと私は思います。
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