【なぜ紀貫之は女のふりをしたのか】
土佐日記の作者は紀貫之である。紀貫之は当時から有名な歌人であり、古今和歌集の選者でもある。古今和歌集の仮名序を書いた人でもある。紀貫之がどうして『土佐日記』を書いたのか。しかも女性の文章として書いたのかを考えてほしい。
『土佐日記』の語り手は女性である。紀貫之と思われる土佐の国司が任を終え京に帰るまでを、国司の使用人である女性が記載したという形で書かれている。紀貫之自身が語り手でにならないで、なぜ女性を語り手にしたのだろうか。
理由の一番最初に来るのは、仮名文字を使った文章を書きたかったということだろう。当時男性貴族が物事を記録するのは漢文であった。男性貴族が仮名文字を使うことはタブーであったと言われている。サラリーマンがスーツを着なければいけないように、男性貴族は漢文で文章を書かなければいけなかった。しかし漢文で文章を書くと言うことは面倒くさいことだ。日本語が母語の現代人が英語で文章を書くというのと同じだ。言いたいことが的確に表現できない。仮名で書くと言うことは、しゃべるように書くことができるということである。細かなニュアンスを表現できる。それまで表現できなかったことが表現できるようになる。仮名文字を文章を書くということは、文章表現を進歩させる歴史的な大事件だったのだ。
ただし、紀貫之が仮名文字によって表現を広げるという意図があったのかどうかは言い切れない。
私は紀貫之は物語を書きたかったのではないかと思っている。自分を主人公にした物語である。『伊勢物語』のような歌物語を作ってみたかったのではないか。
『土佐日記』は「日記」の体裁をとっているが、亡き娘の追憶、土佐と京の人々の人情比較、そして海賊という冒険サスペンスなど、文学的な要素がちりばめられていて、ひとつの作品としてきちんと構成されている。物語として成立しているのである。物語は『竹取物語』にせよ、『伊勢物語』にせよ、仮名文字で書かれ、読まれていたはずだ。だからこそ仮名文字で書いたのではないだろうか。つまり、仮名文字を使うのが目的ではなく、物語を書くのが目的であり、そのために女性を語り手にするという方法を発明した。これが私の仮説である。
(つづく)