とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『三四郎』読書メモ⑧

2024-10-23 10:23:04 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は八章。

三四郎が与次郎に金を貸した顛末が語られる。かなり面倒くさい流れである。
①広田が家を借りる際の敷金が足りなくなる。
②野々宮が、よし子にヴァイオリンを買ってやるための金を広田に貸す。
③広田は金が出来たので、借りた金を返すことになり、その金を与次郎に運ばせる。
④与次郎が競馬ですってしまう。
⑤与次郎は三四郎に金を借りて、広田の借金を野々宮に返す。
もともとは広田が野々宮に借金したものが、いつのまにか与次郎が三四郎にかりたものにすり替わってしまったのである。もちろんすべては与次郎が悪い。

与次郎は美禰子に借金を頼む。美禰子は応じるが与次郎には金を渡せないといい、三四郎をよこすように言う。そこで三四郎は美禰子の家に行く。与次郎に金を貸したことによって美禰子に借金することになるのである。このどうでもいい様な金の流れが現代社会を見事に表している。

三四郎は美禰子の家に行く。この場面が私の最大の興味の対象となっている。これも箇条書きで書いていく。
①応接室(座敷)に通される。正面に暖炉があり、その上に鏡がる。鏡の前に蝋燭立が二本ある。三四郎は自分の顔を見て座る。
②ヴァイオリンの音が聞こえる。その音が消える。
③ヴァイオリンの音が再び鳴り響く。それに驚いているうちに鏡に美禰子が立っていることに気付く。
④美禰子は鏡の中で三四郎を見る。三四郎は鏡の中の美禰子を見る。美禰子はにこりと笑う。

三四郎も美禰子も鏡を通してお互いの顔を見るのである。そして同時に自分の顔も見ることになる。自分が見ている世界と、他者が見ている世界を同時に見ることになる。自己の世界に閉じ込められていた状況から、いきなり現実世界に飛び出すような感覚である。思い出してほしいのは二章の次の記述である。

「この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。(中略)自分の世界と現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。」

自分の世界と現実の世界は、三四郎と美禰子のように並んでいる。だから接触していない。しかし鏡によって三四郎と美禰子はお互いが迷子であることを確認しあう。同時にその迷子である二人を鏡の外から見つめるデヴィルの立場にもいることに気付く。二人は現実世界の中に位置づけられたのだ。

美禰子は三四郎に30円を無理やり貸し与える。そして展覧会へ行く。展覧会で原田と野々宮に会う。野々宮にいやがらせをするかの如く、美禰子は三四郎と親しいふりをする。美禰子と野々宮の関係に大きな亀裂がおきているかのごとくである。

美禰子と三四郎は展覧会を出る。雨が降っている。二人は雨をしのぐためにに「森」に行く。二人は雨にふられながら立ちすくむ。この場面は淡い恋愛を描く名場面であろう。美禰子は野々宮を愛しているのはあきらかではある。しかしこの場面においては三四郎と心を交わしている。三四郎にとっても、美禰子にとっても大きく変わる場面である。
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『三四郎』読書メモ⑦

2024-10-20 10:34:34 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は七章。

この章は三四郎と美禰子との直接のからみはない。広田による現代評とそれにからんだ美禰子評が語られる。それが興味深い。

広田は言う。昔は他本位であったが、近代になり西洋文明が入って来ると自己本位に変化した。その結果、昔は偽善であったものが、今や露悪になってきている。

これはわかりやすそうでわかりにくい。自分なりに整理をする。3つの段階に分類することができる。

1.善 自分を犠牲にして利他的行動をとる。決して利己的ではない。
2.偽善 利他的行動のように見えるがそれは利己的である。
3.露悪 利己的そのもの。自分の主張を明確に示す。

美禰子だけが露悪であるわけではない。現代人はみんなそうである。この後に、広田は二十世紀になってから「偽善を行うに露悪を以てする」ようになったというのだ。人の感触を害するために、わざわざ偽善をやるということだ。これがよくわからない。政治家とか、和田アキ子のようなものだろうか。広田は美禰子が「偽善を行うに露悪を以てする」とは言っていない。しかしもし美禰子がそうだったらどういうことになるのだろう。これがわからない。

原田がやってくる。美禰子の画を描くことになったと言う。当人の希望で団扇を翳している所を描くのだという。ここがまたつじつまがあわない。後で美禰子は絵は三四郎と最初に会ったときから描き始めていたのだということが語られる。しかしこの場面ではやはり絵については運動会、もしくはその後から描くことが決まったとしか解釈できないのである。わからないことだらけだ。
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『三四郎』読書メモ⑤

2024-10-16 08:19:41 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は五章。(前回六章を先にだしてしまいました。順番前後してすみません。)

三四郎は大久保の野々宮の家に行く。いるのはよし子だけ。よし子は水彩画を描いているが、どうもうまくいかない。三四郎はよし子から野々宮と美禰子の情報収集をする。よし子は「兄は日本中で一番好い人に違いない」と思っている。

下宿に戻ると葉書が来ている。美奈子からの菊人形見物の誘いである。その字が、二章で野々宮がポケットに入れていた封筒の上書きに似ている。やはり野々宮と美禰子の関係は怪しいと感じる。

大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。

会場に行く途中で乞食と迷子に会う。一行は関わり合いを避ける。このあたりの仕掛けが意味深である。現実世界とのかかわりをさける都会人を表しているようにも感じられる。三四郎はまだ都会人とは言えないが、都会の雰囲気になじんでいないのでやはり関わり合いを避けるのだろう。

一行は菊人形の小屋に入る。美禰子は野々宮のほうを見るが野々宮は美禰子を見ない。美禰子はふてくされたのか、どんどん先に進む。三四郎は美禰子を追う。美禰子は三四郎を誘って小屋を出る。二人は小川沿いに歩く。橋を何度かわたって歩くのだが、とうとう疲れて草の上に腰を下ろす。ふたりは空を見上げる。

そこへ男が現れる。三四郎と美禰子を睨み付ける。この場面が印象的である。この男はどういう意味があるのだろうか。これもまた意味深である。

美禰子は自分たちは迷子だと言う。この言葉がやはり意味深であり、『三四郎』の最大のキーワードと言ってもよかろう。この迷子を英語に翻訳すると「ストレイシープ」だと説明する。そして美禰子は「私そんなに生意気に見えますか」と言う。このセリフもまた意味深である。そして三四郎は「この言葉で霧が晴れた」とあるのだ。なんの霧が晴れたのか。「明瞭な女が出て来た」とあるので、野々宮と美禰子の関係が恋愛関係だと悟ったということなのであろう。

しかし、この章の最後で、二人の肉体は最接近する。水たまりをさけるために手を貸す三四郎が手を引っ込めた瞬間に美禰子が水を飛び越えようとしたのである。「美禰子の両手が三四郎の両上の上へ落ち」、美禰子が「ストレイシープ」と口の中で云ったときの呼吸を、三四郎は感じるのである。

三四郎は美禰子に恋をしてしまった。しかし明らかに美禰子と野々宮は恋愛関係にあった。だから三四郎はあきらめなければいけない。しかし野々宮と美禰子の関係も崩れかけているようにも見える。不安定な状態の中にいる美禰子と三四郎が描かれている章である。

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『三四郎』読書メモ⑥

2024-10-15 08:13:29 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は六章。

三四郎は恋の病にかかっている。講義にも集中できずノートに「ストレイシープ」を書くばかりだ。それを語り手は淡々と事実として記述するだけだ。ここにこの小説の「語り」の形が明確に表れる。この語り手は第三者的に客観的に語ろうとはするが、視点人物は三四郎だけである。本来写生文は小説世界に登場するのであるが、語り手が小説世界に存在しない写生文として『三四郎』は書かれているのだ。

与次郎が文芸時評と言う雑誌を三四郎に見せる。「偉大なる暗闇」という文章がある。筆者は零余子とある。知らない。実はこれは与次郎が書いたものであった。読んでみると、なるほど釣り込まれる。しかし読み終わった後何も残らない。

美禰子から葉書が来る。絵葉書である。小川があり、草が生えて、そこに羊が二匹寝ている。その向こう側に獰猛な顔の大きな男がステッキを持って立ってゐる。「デヴィル」と仮名がふってある。三四郎のあて名の下に「迷える子」と書いている。美禰子は野々宮と恋愛関係にあったことは十分うかがえる。しかしこの葉書を見るとやはり三四郎になんらかのかかわりを持とうとしていることがうかがえる。美禰子の実際の気持ちはわからないが、三四郎がそう感じるのは当然であろう。

三四郎は与次郎と同級生の懇親会に行くことになっている。与次郎を誘いに広田の家に行く。広田は飯を食っている。美禰子の話になる。与次郎は美禰子はイプセンの女の様だと言う。広田は心が乱暴だと言う。三四郎は腑に落ちない。美禰子は見た感じは乱暴な様ではあるが、心の中は揺れ動いていると思ったのだろう。広田の考えに近いのか遠いのか腑に落ちないままである。

次の日は運動会である。三四郎が見に行く。よし子と美禰子が見物している。野々宮は係として働いている。野々宮と美禰子が話をしている。振り返る美禰子はうれしそうに笑っている。三四郎は運動会を見ていることが馬鹿々々しくなる。抜け出す。丘の上に登る。この丘は三四郎が初めて美禰子を見た時に、美禰子が看護婦と一緒にいた岡である。美禰子とよし子も登って来る。

整理しておく、運動会は東京帝国大学の運動場で行われている。運動場の南が岡であり、そのまた南が池である。運動場と岡の東に医科大学(医学部)がある。よし子が入院していたのはそこである。運動場の西に理科大学(理学部)があり、その南に文科大学(文学部)法科大学(法学部)がある。三四郎が最初に美禰子を見た時、美禰子は夏に親戚が入院していて世話になった看護婦に会いにきていた。ただし、野々宮とも会っていたことが、野々宮が美禰子の筆跡の手紙を持っていたことから推測される。あの日はなんらかの特別な意味のある日だったのだ。

話を戻す。よし子は入院中世話になった看護婦に会いに医科大学に行く。美禰子と三四郎だけになる。原口と言う画家の話になる。そしてよし子が美禰子の家に昨日から下宿していることも明かされる。

三四郎の美禰子に対する疑心暗鬼が続く場面である。謎を散りばめている。その作者の方法が注目される。
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『三四郎』読書メモ④

2024-10-13 11:30:35 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は四章。

三四郎は大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。

与次郎と道でばったり出会う。与次郎はもう一人の男と一緒である。この男は三四郎が汽車で水蜜桃をもらった男である。やはりこの男が広田だった。広田は高等学校の先生である。与次郎は広田のファンであり、大学教授にしてよろうと思っている。広田は貸家を探していたのだった。

広田は三四郎に「不二山を翻訳してみた事がありますか」と意外な質問をする。ここは意味深な場面である。まずその直前で広田は「富士山」と言っている。それが「不二山」と変わっているのだ。音声では両者は同じだ。と言うことはこの漢字の違いは語り手が顔を出した結果ということになる。翻訳ということばも意味がありそうだ。これは富士山と言う事物を言葉に替える作業である。後で出て来る画と詩の問題と通じる。そしてこれは写生文の問題でもある。ここは深く考えてみる必要がある。

母親から手紙が来る。御光の母親から、三四郎が卒業したら御光を貰ってくれと相談されたとある。母親はその気でいるようだ。三四郎の気持ちは書かれていない。ここも語り手の作為が感じられる。

三四郎に三つの世界ができる。一つは熊本にある過去の世界。二つめは学問の世界。三つめは東京の華やかな世界であり、恋の世界である。三四郎はこの三つ目の世界に心が躍る。青春である。

広田の引っ越しが決まる。三四郎は引越しの手伝いを頼まれる。当日その家に行くと、美禰子がやってくる。美禰子も手伝いを頼まれたのだ。美禰子は三四郎に名刺を渡す。当時はそういう風習があったのだろうか、興味深い。さらにここで注目しておきたいのは、美禰子も三四郎と病院で逢った事、そして池の端で逢ったことを覚えていたのだ。美禰子が野々宮と特別な仲であったのは明らかである。しかし三四郎に対しても、何らかの意識があったのは間違いない。問題はその「何らかの意識」の程度である。ふたりは掃除を一緒に行い、仲良くなる。美禰子は空を見上げ、白い雲に強く関心を示す。ここも意味ありげである。

広田の荷物の中に画帳があり、そこにマーメイドの画がある。意味深だ。広田が来る。三四郎が図書館でどんな本でも誰かがすでに読んでいると感心した本を広田が読んでいたことも明かされる。英語の翻訳の話題も出る。野々宮がやってくる。野々宮はせっかく大久保に引っ越したばかりであったが、妹のよし子が大久保が大久保が寂しいところでいやだというので、妹のよし子を下宿させたいと言う。美禰子の内で置いてもらえないかと言う。

この章は「小ネタ」がたくさん出て来る。様々な謎がすべて意味ありげである。しかし意味ありげな謎にすべて答えを見つけようとするそれは漱石の大嫌いな探偵になってしまう。意味はないわけではない。しかしつじつま合わせをする必要はない。俳句のように気分の付け合わせが読む作業なのではないだろうか。


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