夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は八章。
三四郎が与次郎に金を貸した顛末が語られる。かなり面倒くさい流れである。
①広田が家を借りる際の敷金が足りなくなる。
②野々宮が、よし子にヴァイオリンを買ってやるための金を広田に貸す。
③広田は金が出来たので、借りた金を返すことになり、その金を与次郎に運ばせる。
④与次郎が競馬ですってしまう。
⑤与次郎は三四郎に金を借りて、広田の借金を野々宮に返す。
もともとは広田が野々宮に借金したものが、いつのまにか与次郎が三四郎にかりたものにすり替わってしまったのである。もちろんすべては与次郎が悪い。
与次郎は美禰子に借金を頼む。美禰子は応じるが与次郎には金を渡せないといい、三四郎をよこすように言う。そこで三四郎は美禰子の家に行く。与次郎に金を貸したことによって美禰子に借金することになるのである。このどうでもいい様な金の流れが現代社会を見事に表している。
三四郎は美禰子の家に行く。この場面が私の最大の興味の対象となっている。これも箇条書きで書いていく。
①応接室(座敷)に通される。正面に暖炉があり、その上に鏡がる。鏡の前に蝋燭立が二本ある。三四郎は自分の顔を見て座る。
②ヴァイオリンの音が聞こえる。その音が消える。
③ヴァイオリンの音が再び鳴り響く。それに驚いているうちに鏡に美禰子が立っていることに気付く。
④美禰子は鏡の中で三四郎を見る。三四郎は鏡の中の美禰子を見る。美禰子はにこりと笑う。
三四郎も美禰子も鏡を通してお互いの顔を見るのである。そして同時に自分の顔も見ることになる。自分が見ている世界と、他者が見ている世界を同時に見ることになる。自己の世界に閉じ込められていた状況から、いきなり現実世界に飛び出すような感覚である。思い出してほしいのは二章の次の記述である。
「この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。(中略)自分の世界と現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。」
自分の世界と現実の世界は、三四郎と美禰子のように並んでいる。だから接触していない。しかし鏡によって三四郎と美禰子はお互いが迷子であることを確認しあう。同時にその迷子である二人を鏡の外から見つめるデヴィルの立場にもいることに気付く。二人は現実世界の中に位置づけられたのだ。
美禰子は三四郎に30円を無理やり貸し与える。そして展覧会へ行く。展覧会で原田と野々宮に会う。野々宮にいやがらせをするかの如く、美禰子は三四郎と親しいふりをする。美禰子と野々宮の関係に大きな亀裂がおきているかのごとくである。
美禰子と三四郎は展覧会を出る。雨が降っている。二人は雨をしのぐためにに「森」に行く。二人は雨にふられながら立ちすくむ。この場面は淡い恋愛を描く名場面であろう。美禰子は野々宮を愛しているのはあきらかではある。しかしこの場面においては三四郎と心を交わしている。三四郎にとっても、美禰子にとっても大きく変わる場面である。