『インヴィクタス』 のDVDを見ました。
主演モーガン・フリーマン、共演マット・デイモン、監督クリント・イーストウッド。
モーガン・フリーマンが演じるのは南アフリカ共和国初の黒人大統領ネルソン・マンデラです。
マット・デイモンが演じるのは、南アのラグビー・ナショナルチーム、
スプリングボクスのキャプテン、フランソワ・ピナールです。
この映画は、マンデラ大統領とスプリングボクスの交流をめぐる実話に基づく映画なのです。
私は、この映画のテーマは 「赦し」 だと思いました。
アパルトヘイト下、ラグビーは白人のスポーツ、サッカーが黒人のスポーツで、
スプリングボクスとそのチームカラー、緑と金色は黒人差別の象徴でした。
それまで国際制裁によりスプリングボクスは国際試合に出場することができなかったため、
国際制裁が解け、ラグビーワールドカップの開催国となり初参加できることになった当時、
チームは低迷を極め、各国代表チームとの親善試合でも惨敗を続けていました。
これをいい機会にと国家スポーツ評議会は、チーム名やチームカラー等の変更を決定します。
その知らせを聞いて、ただちにマンデラ大統領は国家スポーツ評議会の場に駆けつけ、
次のような演説を行うのです。
「兄弟、姉妹、同志たち、私がここに来たのは、
諸君が下した決定は、情報と展望の欠如によるものと思うからだ。
採決の結果は知っている。
全会一致だったことも承知している。
だが私はスプリングボクスを継承すべきと信じる。
チームの名前とエンブレム、チームカラーを変えてはいけない。
理由を言おう。
ロベン島の刑務所にいたとき、看守は全員ヨーロッパ系白人 (アフリカーナー) だった。
私は27年間、彼らを観察した。
彼らの言語を学び、彼らの本や詩を読んだ。
敵を熟知しなければ勝利は不可能だからだ。
そして我々は勝利した。
違うか?
ここにいるみんなが勝利したのだ。
アフリカーナ-はもはや敵ではない。
彼らは我々と同じ南アフリカ人だ。
民主主義における我々のパートナーだ。
彼らにはスプリングボクスのラグビーは ”宝物”。
それを取り上げれば彼らの支持は得られず、
我々は恐ろしい存在だという証明になってしまう。
もっとおおらかに、彼らを驚かすのだ。
憐れみ深さと、奥ゆかしさと、寛大な心で。
それらは彼らが我々に対し拒んだものばかりだということは知っている。
だが今は卑屈な復讐を果たす時ではない。
我々の国家を築く時なのだ。
使える煉瓦はすべて利用せねば、たとえ緑と金色の煉瓦であっても。
諸君は私を指導者に選んだ。
諸君を導かせてくれ。」
この演説により辛うじてスプリングボクスはそのまま残されることになります。
マンデラ大統領はスプリングボクスを黒人と白人の融和の象徴とすべく、
このチームがワールドカップで活躍できるよう陰と日なたから支えていきます。
さて、タイトルの 「インヴィクタス」 というのは、
征服されない、屈服しないという意味のラテン語で、
マンデラが投獄されていたときに読み、自らの支えとしていた、
英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩のタイトルでもあります。
マンデラはワールドカップ決勝戦の前にこの詩をフランソワ・ピナールに贈っています。
インヴィクタス
私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
我が負けざる魂に
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭 (こうべ) は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
「赦し」 を遂行するためには不屈の、負けざる魂が必要です。
負けざる魂というのはたんに敵に負けないという意味ではありません。
敵や敵の言動に過敏に反応して復讐心ばかりを燃え上がらせるのではなく、
どんな仕打ちを受けようとそれに対してどう対処するかは自分で決定権をもち、
自分の一時の感情に負けることなく、完全に自分をコントロールすることのできる魂。
それが負けざる魂です。
非暴力によって平和を築いていくためにはこのような精神が不可欠でしょう。
困難な時を乗り越えていかなければならない政治家には、
ぜひともこのような魂をもっていてもらいたいものだと思います。
ネトウヨの支持ほしさに過激な発言を繰り返すどこぞの国の政治家に、
このような指導者としての品格を求めるのはお門違いにもほどがあるでしょうか。
そんな現代政治のことにも思いを馳せつつ、
とても実話とは思えない感動の物語に、
例によってボロボロ泣いてしまいました
名作です。
未見の方はぜひ一度ご覧あれ。
主演モーガン・フリーマン、共演マット・デイモン、監督クリント・イーストウッド。
モーガン・フリーマンが演じるのは南アフリカ共和国初の黒人大統領ネルソン・マンデラです。
マット・デイモンが演じるのは、南アのラグビー・ナショナルチーム、
スプリングボクスのキャプテン、フランソワ・ピナールです。
この映画は、マンデラ大統領とスプリングボクスの交流をめぐる実話に基づく映画なのです。
私は、この映画のテーマは 「赦し」 だと思いました。
アパルトヘイト下、ラグビーは白人のスポーツ、サッカーが黒人のスポーツで、
スプリングボクスとそのチームカラー、緑と金色は黒人差別の象徴でした。
それまで国際制裁によりスプリングボクスは国際試合に出場することができなかったため、
国際制裁が解け、ラグビーワールドカップの開催国となり初参加できることになった当時、
チームは低迷を極め、各国代表チームとの親善試合でも惨敗を続けていました。
これをいい機会にと国家スポーツ評議会は、チーム名やチームカラー等の変更を決定します。
その知らせを聞いて、ただちにマンデラ大統領は国家スポーツ評議会の場に駆けつけ、
次のような演説を行うのです。
「兄弟、姉妹、同志たち、私がここに来たのは、
諸君が下した決定は、情報と展望の欠如によるものと思うからだ。
採決の結果は知っている。
全会一致だったことも承知している。
だが私はスプリングボクスを継承すべきと信じる。
チームの名前とエンブレム、チームカラーを変えてはいけない。
理由を言おう。
ロベン島の刑務所にいたとき、看守は全員ヨーロッパ系白人 (アフリカーナー) だった。
私は27年間、彼らを観察した。
彼らの言語を学び、彼らの本や詩を読んだ。
敵を熟知しなければ勝利は不可能だからだ。
そして我々は勝利した。
違うか?
ここにいるみんなが勝利したのだ。
アフリカーナ-はもはや敵ではない。
彼らは我々と同じ南アフリカ人だ。
民主主義における我々のパートナーだ。
彼らにはスプリングボクスのラグビーは ”宝物”。
それを取り上げれば彼らの支持は得られず、
我々は恐ろしい存在だという証明になってしまう。
もっとおおらかに、彼らを驚かすのだ。
憐れみ深さと、奥ゆかしさと、寛大な心で。
それらは彼らが我々に対し拒んだものばかりだということは知っている。
だが今は卑屈な復讐を果たす時ではない。
我々の国家を築く時なのだ。
使える煉瓦はすべて利用せねば、たとえ緑と金色の煉瓦であっても。
諸君は私を指導者に選んだ。
諸君を導かせてくれ。」
この演説により辛うじてスプリングボクスはそのまま残されることになります。
マンデラ大統領はスプリングボクスを黒人と白人の融和の象徴とすべく、
このチームがワールドカップで活躍できるよう陰と日なたから支えていきます。
さて、タイトルの 「インヴィクタス」 というのは、
征服されない、屈服しないという意味のラテン語で、
マンデラが投獄されていたときに読み、自らの支えとしていた、
英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩のタイトルでもあります。
マンデラはワールドカップ決勝戦の前にこの詩をフランソワ・ピナールに贈っています。
インヴィクタス
私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
我が負けざる魂に
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭 (こうべ) は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
「赦し」 を遂行するためには不屈の、負けざる魂が必要です。
負けざる魂というのはたんに敵に負けないという意味ではありません。
敵や敵の言動に過敏に反応して復讐心ばかりを燃え上がらせるのではなく、
どんな仕打ちを受けようとそれに対してどう対処するかは自分で決定権をもち、
自分の一時の感情に負けることなく、完全に自分をコントロールすることのできる魂。
それが負けざる魂です。
非暴力によって平和を築いていくためにはこのような精神が不可欠でしょう。
困難な時を乗り越えていかなければならない政治家には、
ぜひともこのような魂をもっていてもらいたいものだと思います。
ネトウヨの支持ほしさに過激な発言を繰り返すどこぞの国の政治家に、
このような指導者としての品格を求めるのはお門違いにもほどがあるでしょうか。
そんな現代政治のことにも思いを馳せつつ、
とても実話とは思えない感動の物語に、
例によってボロボロ泣いてしまいました
名作です。
未見の方はぜひ一度ご覧あれ。
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