まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.倫理がなければ発達する技術もあるのに、なぜ倫理は必要なんですか?(その1)

2016-09-22 14:02:12 | 生老病死の倫理学
今回の問いも倫理学者としてはたいへんうれしい問いです。
これが代表質問に選ばれてくれなかったのがちょっと残念なくらいです。
正確には以下のように書かれていました。

「Q.倫理がなければ発達する技術もある (クローン等) と思うのに、なぜ倫理は必要なのか?」

倫理がなければ発達する技術の例としてクローン技術が挙げられていました。
現代医療の恩恵を一身に受けてきている現代っ子らしい質問だと思います。
このような質問に対してはどうお答えしたらいいのでしょうか?
クローンという例を挙げてくれたので、
今日のところは技術一般の話ではなくクローン技術に絞って考えてみることにしましょう。

この質問者の方はクローン技術というものに対してどのようなイメージを持っているのでしょうか?
今どきの若者はクローンというと、本人の遺伝子を用いて必要な臓器を人工的に作れる、
という技術として認識しているのかもしれません。
クローンというのが元々そういうことだったとするならば、
たしかになぜそれに反対する人たちがいるのか理解できないかもしれません。
重い心臓疾患や肝臓その他の内臓の病気にかかってしまい、
その臓器を直接治療する方法がないという場合に、現在では他人から臓器をもらって、
臓器移植をしなければならないわけですが、
他人の臓器を体内に入れることによって拒絶反応が起きてしまうという医学的な問題が生じたり、
健康な人から臓器を取ってしまっていいのか、死体からならいいのか、
脳死は心臓が動いているのに死なのか、といった倫理学的な問題が生じてきてしまいます。
しかしながら、本人の遺伝子から作った人工臓器であれば、
拒絶反応という医学的問題も、他人の臓器を奪うという倫理学的問題も回避できます。
なぜそんなバラ色の技術に対して倫理は歯止めをかけようとするのでしょうか?

これは元々クローンというのがそのような限定された医療技術ではなかった、
というところにひとつの大きな原因があります。
私たちの世代ですと、クローンと言ってすぐに思い浮かぶのはマモーです。
1978年に公開された映画 『ルパン三世 ルパンVS複製人間』 の敵役がマモーでした。
今調べてみて愕然としたんですが、これってもう40年近く前の映画なんですね。
たしかにぼくが高校生の頃にこの映画見に行ったんだったなあ。
さすがにみんな知らないかなあ?
こういう人です。



どうですか?
見覚えないですか?
でもウッチャンがこれをマモー・ミモーというコントネタにして、
昨年、NHKの 『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』 で復活を遂げていましたから、
こちらは見覚えのある人もいるのではないでしょうか?



話が脱線しまくっていますが、このマモーというのが映画のタイトルにもある通り、
クローン技術によって作られた 「複製人間」 なのです。
ラストのほうではマモーの複製人間が大量に出てきます。
あ、そうか、皆さんには綾波レイと言ったほうがわかってもらいやすいのかもしれませんね。



『エヴァンゲリオン』 ももう古いのかな?
いずれにせよ、クローン技術に対して元々抱かれていたイメージは、
ある生体と同一遺伝子の別の生体を作り出す、というものでした。
ここで 「イメージ」 という言葉を使っているのは、
クローンやクローン技術について正確に説明しようと思うとこれまた大変になってしまうためで、
詳しくはウィキペディアやその他の専門書をご覧ください。
無性生殖をする生物は基本的にクローンですから、クローンは自然界には普通にあることですし、
植物に関してはクローン技術によってクローンを作り出すということもずっと昔から行われてきていて、
例えば春に咲く桜のうちのソメイヨシノはすべてクローン技術によって生み出されたクローンです。
園芸の世界では、クローンという言葉がまったく知られていなかった頃から、
挿し木という名のクローン技術が着実に進歩を遂げてきていたわけです。

こうした技術の着実な発展に対して倫理 (もしくは倫理学) が待ったをかけたのは、
哺乳類に対するクローン技術が開発されてきたからです。
初めての人工的な哺乳類のクローンは1981年に作られたそうですが、
最も有名になって議論を呼んだのは1996年に作られた羊のドリーでした。
体細胞核移植による初めてのクローン哺乳類だったからです。
うーん、あまり正確でないのを承知で喩えてみますと、
まだ生まれる前のマモーを人工的に一卵性双生児にしてクローンを殖やすやり方ではなく、
成長したマモーの体細胞を使って核移植することによってクローンを作ったという感じです。
より私たちのクローンのイメージに近づいています。
羊でそれができたということはいずれ人間でも可能になるということで、大問題になったのでした。

さて、質問者の方に逆に質問です。
あなたと同じ遺伝子をもち外見が瓜二つのあなたの複製人間をいくらでも作れるとしたら、
あなたは自分の複製人間を作りたいですか?
例えば、万が一重篤な心疾患やその他の内臓疾患にかかってしまったときに、
その複製人間から移植用の臓器をもらえるのだとしたら、あらかじめ作っておきたいと思いますか?
もしも作っておいた場合に、移植までのあいだその複製人間はどのように暮らせばいいのですか?
いよいよ移植が必要となったときにその複製人間が臓器提供を拒んだら、あなたはどうしますか?
逆に、オリジナルは実はあなたではなく、あなたも複製人間のひとりだったとわかった場合、
あなたは複製人間としての使命 (製作目的) をきちんと全うしたいと思いますか?

あるいは別の例を考えてみましょう。
どこかの誰かが勝手にあなたの複製人間を大量に作って、
様々な用途のために (戦争や廃炉作業や性産業など) 役立てたとしたら、
あなたはそれを許せますか?
あなたの複製人間ではなく、どこかの知らない人の複製人間だったら何に使おうとOKですか?
どこかの国の子どものいない政府指導者が自分の複製人間を何千万人も作り出して、
何度選挙やっても彼らの圧倒的支持によって勝ち続けるようになってしまったとしたら、
それを民主主義国家として認めることはできますか?

これらの質問すべてに対して、あなたを含めて世界中の大多数の人々が何の疑問も懐かず、
「全然OK、ノープロブレム」 と即答してくれるのでしたら倫理も倫理学も要らないでしょう。
これらの質問に対してそれはおかしいと感じたり、決めるのは難しいなと悩んだりしたならば、
そこはやはり倫理や倫理学の出番となります。
そして、質問者の方がクローン技術に関してどういうイメージをもっているのかわかりませんが、
元はといえばクローン技術というのはこういう可能性も含み込んだ技術だったわけです。
したがって、これらの疑問に明快に答えることができるようにならないかぎり、
ヒトクローンに関する技術は、手放しでどんどん発展させればいいということにはならないのです。

たしかにクローン技術はますます進んでいて、生体そのものを産生するのではなく、
限定的にある特定の臓器だけを産生することが可能なレベルにまで達しています。
そのような技術の進歩が、それまであった倫理学的問題を解決してくれることもあるのですが、
しかし同時に新たな技術はまた新たな倫理学的問題を引き起こしてしまうものです。
クローン技術による限定的臓器複製が可能になったとして、
では、お金さえ持っていたら無限に臓器を再生し続けていくらでも長生きしていいのかとか、
臓器を普通よりもよけいに作って移植して身体機能を強化するのはいいのかとか、
遺伝子組み換え技術と組み合わせて、より改良された臓器や身体を作ってもいいのか、
さらには、脳も同じようにクローン複製移植していいのかといった問題も生じてくるでしょう。
「Q.脳は移植できるんですか?」 もご覧ください。)
いずれも、個体全体を複製するのに比べれば問題は少ないような気もしますが、
それでもやはり何でもありというわけにはいかないでしょう。
限定的な技術として認可する場合には、じゃあどこまで限定すればOKか決めなくてはなりませんし、
その限定的な技術の先には上述したような複製人間の問題が待ち構えており、
それに関してもはっきり定めておかないことには、
限定的な技術のことだけを考えればいいというわけにもいかないのです。

というわけで、今のところ人間に対するクローン技術の利用は禁止されていますが、
それ以外の動植物に対するクローン技術はけっこう日常的に使われています。
しかしながらそれは何でもありの白紙委任ではなく、
どこまでがOKでどこからがアウトかという線引き (=倫理) の枠内で認められているわけです。
この先、ひょっとすると人間に対するクローン技術の利用も認められることがありうるでしょう。
その場合も、どこまでがOKでどこからがアウトかという線引きがなくなることはないはずです。
クローンに限らず、技術というのは進歩しさえすれば何でもありというものではなく、
何らかの線引き、枠組み、歯止めを必要とするものです。
技術一般に関しては稿を改めて、「(その2)」 でもう一度論じることにしたいと思います。


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1 コメント

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クローン技術の問題点に関する論文 (まさおさま)
2016-09-22 23:07:17
東北哲学会でご一緒させていただいていて、Facebook友達でもある小林睦さんが、
私のこの記事を読んで、ご自分が20年近く前に、
クローン羊ドリーの誕生に触発されて書かかれた論文を紹介してくださいました。
あのニュースの直後にここまできちんと調べ上げて、
クローン技術にまつわる問題点を丁寧に整理されていたことに敬意を表します。
ご本人に許可をいただいて、こちらのコメント欄にも転載させていただきます。
私の記事なんかよりもよっぽどわかりやすいのでぜひ読んでみてください。

小林睦 「遺伝的同一性と人格的同一性-クローン人間をめぐって-」
『フィロソフィア・イワテ』 Vol.29(1997)。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/3367/1/pi-v29p1-11.pdf
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