本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説057 :reProfesional#129

2008-11-17 00:39:55 | reProfesional
chapter#57 疲労

疲労の構造というのも、これまで何度か触れた気がするが、基本的にボクが思うに、先の章での善悪の議論というのがベースにあるからこそ、人間存在というのは、疲労という経験を味わうことができるのだと思うし、消極的に考えると、拾うという機能を兼ね備えているというようにも説明できると思う。

自分の行っている行為がすべて善であるという確信を持てるのであれば、人間がおそらく、それほどの疲労も、肝臓を傷めるということもないのであろう。それが、なにかしら、善悪の判断という自分の中でのかがみに照らし合わせて、そこに「疾しさ」というあらたな感情を想起できるからこそ、疲労感というのはセットアップされるのであろう。
善悪もしくは、理想と現実、もしくは、理想と、実際に自分の体たらくに照準を合わせた際の絶望感というものが、疲労感をもたらすということもできる。

ボクは今の年齢においては、今の経験、知恵の範疇においては、果たして人間存在というものが、疲労感それも肝臓をしてやり、手の皮膚を焼き尽くす類の悪性の疲労感から逃れるすべがあるのかどうかということはわからないが、疲労というのはいわば、自殺という人間存在を抹消し、理想郷しかも人間存在が空虚にも創り上げた存在しない形、もっと正確な言い方を試みるなら、実存を感じることがきわめて困難な形でのそこに追いやる以外からは逃れることができない類の背後例のようなものではないかと感じる。

善人、悪人、特にこの二者の中での判断で言うと、善人にこそ疲労という代償は授けられるべきものであるし、疲労という営みを好意的に捕らえると、いかにも慰めの行為であるというようにも捉えることもできる。

疲労感を味わい、自分は善人であるということの確証をなんとか得ようとする。そこに、人間のけなげさと同時に、おろかさというものも垣間見ることができる。

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