中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「町の商店街」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
おじさんの幼なじみで商店主になった友だちは多い。
布団屋、八百屋、魚屋、酒屋、本屋、洋服店、文房具店、米屋、すし屋、居酒屋、食堂などなど。
これらがマッチ箱を立ち並べたように、小さな商店街を形作っていた。
幼なじみのほとんどは今は仕事をやめて引退してしまっているが、彼らが現役の時代、町の小さな商店街は人々が生活していくための大切な存在だった。
商店主たちもその店のささやかな商いで、日々の暮らしを立てていた。
お客も、お店も、大金とは無縁ながら、まあまあ自足の生活を了としていたのだった。
しかし、そこに大資本の大型チェーン店が入り込み、便利さと安さ、品物の豊富さなどで商店街の小店を圧倒した。
たちまち商店街はシャッター街と化してしまった。
これは日本の生活史の一断面だろう。
「昭和」は商店街の時代だったといえるかもしれない。
歴史の流れには坑しがたいが、ワシらは、商店街の衰弱で何か取り返しがつかないことを失ったような気がする。
雑多な小店が、それぞれの暮らしを成り立たせ自足している時代は、つつましくも清廉な良い世の中ではなかったか。
以上です。
うちは洋服店をやっていました。
この文章に書かれているように、近くに大型スーパーが出来て商売が成りたたくなり店をたたみました。
>雑多な小店が、それぞれの暮らしを成り立たせ自足している時代は、つつましくも清廉な良い世の中ではなかったか。
雑多な小店が集まった商店街は、何か昭和の活気と温かさを感じましたね。
私の子供時代は、そのようなものを感じながら過ごしていたような気もします。
恋 心 菅原洋一&ペギー葉山 UPC‐0311