中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「春の感傷」というタイトルで飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
また友人の訃報が届いた。
彼は疾風怒濤(どとう)の青春時代を共に過ごした、親しい友人の一人だった。
周りが次々といなくなっていく。
彼らと二度と会えないのだと思うと、寂しさが募る。
人生まだまだと思っていたが、もうそろそろになってしまったか。
そういえば、この友人の結婚式に当時のエル特急に乗り遅れて、一時間ほど遅刻してしまったことを思い出した。
駅に着いて走ったが、ほんの数秒の遅れで列車は出発してしまった。
ほぞをかむような気持ちで家に電話し、先方に遅刻することを伝えるように頼んだ(当時は携帯電話などない時代だった)。
電話に出た母親が「だから言ったじゃないの!」と返してきた。
この言葉に若きおじさんは激怒した。
「だから言ったって、いつ何を言ったんだよ。乗り遅れて心底後悔しているのに、おふくろが根拠のない追い打ちをかけることないじゃないか!」と声を荒げたのだった。
あれはもう半世紀近く前のことになってしまった。
今さらながら、腹立ち紛れに母親に悪態をついたことが悔やまれる。
母もとうにこの世の人ではない。
友人の死から思い出すのは、「悔い」ばかりだ。
以上です。
「春の感傷」ですか。
今年の春から孫が大学生になる事ですね。
小学校3年生までクラスメイトと何も喋れない孫が、今や大学生になると思うと・・・・・。
私と同じで環境に馴染むのが遅いから、クラスメイトと話ができなかったのかな?
孫の保育園の送り迎えに行った事をよく思い出します。
保育園の帰り、あちこち寄って真っ直ぐに帰ろうとしない孫。
家に着いても、なかなか宿題をしようとしない孫。
そんな孫が大学生になると思うと感傷的になりますね。
今はそうでもないですが、私は春は嫌いです。
希望の高校・大学に受からなかった事を今でも悔やんでいます。
特に地元の高校を落ちたのは辛かったです。
合格した級友たちと顔を合わせるのが・・・・。
もう少し勉強に身を入れたらと・・・・・。
桜を見ると今でも感傷的になりますね。
shishuuki 思秋期