中日新聞の「家族のこと話そう」というコーナーで「自由にさせてくれた母」というタイトルで、作家の石田衣良さんがインタビューに答えられていました。

かれこれ二十数年前、僕は今でいうニートやフリーターのはしりだった。
大学は卒業したけれど、ぶらぶらとアルバイトで小金を稼いで生活していた。
二十五歳で広告プロダクションに就職するまで三年ぐらい。
だけどそんな僕を、母親はどこか信用してくれていたんでしょうね。
文句は言っていたけれど、自由に任せてくれていました。
そんな生活をやめて会社に入ろうと思ったきっかけは、母の死でした。
母は巣鴨のとげぬき地蔵にお参りに出掛けてくも膜下出血で倒れ、意識不明の重体で病院に運ばれた。
父親は下町で食料品を営んでいたんですが、そのとき姉がパリ、妹はロンドンにいて、全員がそろった夜明けに母親は亡くなりました。
<母の死きっかけ>
そのときふと、思ったんです。
「のんびり暮らすのもいいけれど、そういう位置から見られる世界はじゅうぶん見たんじゃないか。
そろそろ組織の中で見られるものを勉強してみよう」と。
母がそっと、背中を押してくれたような気がします。
親にとって「待つ」のがいかに大変なことか。
今、自分が子育てしていてつくづく思う。
「子どもが大好きなモノを見つかるまでは待とう」と思ってもつい何か、言いたくなっちゃう。
母は僕が小さいころから本を買うときはお金をくれたけれど、「本を読め」とも「勉強しろ」とも言わなかった。
二十何年間も待ってくれて、柔らかく見守ってくれていたのは、考えてみればありがたいことですよね。
人間って基本的には頑固だし、自分自身が思う方向にしか進まない。
子どもも大人も、変えられるもんじゃない。
僕は子どものころ、店じまいや手伝いをよくしたけれど、自分で思ってやること以外は続かない。
なのに、僕たちはどうしちゃったんでしょうね。
何かあるとすぐに白黒つけようとしたがる。
子どもにも「塾や習い事の月謝を払っているんだからちゃんと結果を出せ」みたいなことを普通に言う。
<子に強制はダメ>
今の親の一番の問題点はそこだと思うんですよね。
政治家にしても、教育基本法を改正して国や祖先を敬う気を持たせようと言う。
でも、そういう気持ちが世の中全体にないのに子どもに強制しても無理。
子どもたちはビニールハウスの野菜じゃないんだから、思う方向になんて進まない。
親や社会がそうさせようとしてきた結果が、今の二十代、三十代に現れてますよね。
僕はよく相談を受けるんです。
三十代半ばの男性から「会社を七つか八つ変わったけれど、どんな仕事をしたらいいのか。
好きな仕事がわからない。」とか。
結婚する女性から「相手はすごくいい人。でも私は人を愛することがわからない」とか。
彼らの話を聞いていると、親のしつけがあまりにも厳しかったと思うんですよ。
親は毎回、世の中の安全な道だけを選んで押しつける。
だけどそれをやってると、子どもの心が萎縮して死んじゃうと思う。
そこをなんとか、うちの親までとはいわないけれど、ゆっくりみてあげたいですよね。
以上です。
石田衣良さんの小説は、3冊ぐらい読んだことがあります。
内容はすっかり忘れていますが。(苦笑)
>だけどそんな僕を、母親はどこか信用してくれていたんでしょうね。
文句は言っていたけれど、自由に任せてくれていました。
大学卒業して三年もぶらぶらされたら、私なら何か文句を言ってしまいます。
石田衣良さんのお母様のように、自由に任せるなんて出来ないでしょうね。
>子どもにも「塾や習い事の月謝を払っているんだからちゃんと結果を出せ」みたいなことを普通に言う。
子どもたちには言ったことがないですが、孫たちが習字を習ったにも関わらず下手な字を書いているので、かみさんに「〇〇(孫の名前)は習字を習ってもちっともうまくない、ペン習字を習った方がよかったんじゃない」と愚痴ったことはあります。
自分が書いた字を、孫に「おじいちゃんの字は、読めない!」と馬鹿にされているにもかかわらず。(苦笑)
>親は毎回、世の中の安全な道だけを選んで押しつける。
だけどそれをやってると、子どもの心が萎縮して死んじゃうと思う。
そこをなんとか、うちの親までとはいわないけれど、ゆっくりみてあげたいですよね。
どうしても子どもたちには、安全な道を選んで欲しいと思ってしまいますね。
今振り返って思うに、自分はちっとも安全な道を選んでいなくて手探りでやってきたのに。
自分が不安な人生を送ってきたから、子どもたちには安全な道を押し付けてしまうんでしょうね。
孫たちには、石田衣良さんのお母様のように口を出さず、柔らかく見守ろうと思います。
20歳のめぐり逢い/SI.GNAL