中日新聞の読者投稿欄に「普通が一番 義父の口癖」というタイトルで60歳の男性が投稿されていました。
20年ほど前に72歳で亡くなった義父は戦後、
朝鮮半島から引き揚げてきました。
頼る人はなく、それこそ裸一貫で身を起こし土地を購入してスーパーを開きました。
無口でどちらかというと無愛想な職人肌タイプだった義父なのに、よく商売ができたものだと思いました。
私が妻の実家を訪ね食事を終えるたび、義父は祖国に帰ったときの状況や、
店を開くまでのことを話してくれました。
その口調はたいてい物悲しく、いつの間にか話にぐいぐいと引き込まれていきました。
最後に必ず私の目を見て「昨今は普通に生きることが大変な世になったが、偉くならなくていい。
普通が一番」と言いました。
そんな義父は「後を頼むぞ」と告げて逝きました。
不器用ながら戦中・戦後を生き抜いた義父は、ものと情報であふれる現代社会で暮らす私に
何を伝えかったのでしょうか。
以上です。
若い頃 遊びで同僚の若い女性の手相を見て、彼女の結婚運を言いました。
お返しに、今度は彼女が私の手相を見てくれました。
「あなたは、平凡な人生を送るわ」と言いました。
少しがっかりした覚えがあります。(苦笑)
振り返って見ますと、平凡(普通)に生きるということは、簡単なようで難しいと今では思います。
人生、いろんなことが起こります。
それを生き抜くのは、なかなか大変です。
私にも多かれ少なかれ、いろんな事が起こりました。
なんとかその波を乗り越えてきました。
今のコロナ禍も、私の人生で経験した事がない大きな波です。
この大きな波を、なんとか乗り越えていきたいです。
わが青春のグループサウンズ
20年ほど前に72歳で亡くなった義父は戦後、
朝鮮半島から引き揚げてきました。
頼る人はなく、それこそ裸一貫で身を起こし土地を購入してスーパーを開きました。
無口でどちらかというと無愛想な職人肌タイプだった義父なのに、よく商売ができたものだと思いました。
私が妻の実家を訪ね食事を終えるたび、義父は祖国に帰ったときの状況や、
店を開くまでのことを話してくれました。
その口調はたいてい物悲しく、いつの間にか話にぐいぐいと引き込まれていきました。
最後に必ず私の目を見て「昨今は普通に生きることが大変な世になったが、偉くならなくていい。
普通が一番」と言いました。
そんな義父は「後を頼むぞ」と告げて逝きました。
不器用ながら戦中・戦後を生き抜いた義父は、ものと情報であふれる現代社会で暮らす私に
何を伝えかったのでしょうか。
以上です。
若い頃 遊びで同僚の若い女性の手相を見て、彼女の結婚運を言いました。
お返しに、今度は彼女が私の手相を見てくれました。
「あなたは、平凡な人生を送るわ」と言いました。
少しがっかりした覚えがあります。(苦笑)
振り返って見ますと、平凡(普通)に生きるということは、簡単なようで難しいと今では思います。
人生、いろんなことが起こります。
それを生き抜くのは、なかなか大変です。
私にも多かれ少なかれ、いろんな事が起こりました。
なんとかその波を乗り越えてきました。
今のコロナ禍も、私の人生で経験した事がない大きな波です。
この大きな波を、なんとか乗り越えていきたいです。
わが青春のグループサウンズ