またまた先週の日曜日の中日新聞サンデー版「おじさん図鑑」というコラムのことを書きます。
今回は「本当のワシ」というタイトルです。
録音機器で再生した自分の声を聞くと、「これは自分の声ではない」と、
ほとんどの人が思うだろう。
あえて言えば、自分の声も発音も「もっと良いはず」と感じるのだ。
しかし、録音機器を通した声は、周囲の人たちが聞いている自分の声だ。
発声している本人は、自分の本当の声を聞いていないことになる。
「もっと良いはず」と思うのは、うぬぼれなのか、間違った自己認識なのか。
運転免許証やパスポートなどに貼り付ける写真についても、
おじさんは「これは俺だけど、本当の俺ではない」と見るたびに思う。
「もっと良いはず」なのだ。
運転免許証の写真は機械的にパッパと撮るから、自分らしい豊かな知性あふれる
表情が写り込んでいない。
だがその違和感を人に伝えても理解されない。
「よく撮れているじゃない」などと言われてしまう。
原稿に顔写真を付けてください、と注文された。
おじさんは知人に撮影を頼み、とびっきりの魅惑的微笑を
たたえて撮ってもらった。が、出来上がった写真はどれもこれも
嫌らしい笑顔の「スケベオヤジ」の顔写真だった。
ワシはこんな顔の男ではない、と不快さがこみ上げてくるのだった。
飛島圭介(エッセイスト)
以上です。
顔写真はともかく、中学生の時におもちゃに毛の生えたようなテープ・レコーダーを買いました。
自分の声を録音して聞いてみたところ、このエッセイストさんと同じで「自分の声じゃない!」と
思いました。
「俺はもっと良い声のはず」。(笑)
これもエッセイストさんと同じです。(笑)
テープレコーダーの性能の問題もありましたが、家族はテープレコーダーの声の持ち主が
私だと認識していました。
自分の声を自分だけが認識できないんですね。
歌を歌って、自分はいい声で歌っていると思っても、他人はそう思わないのもなんとなくわかるような気がします。(苦笑)
忘れたいのに・・モコ・ビーバー・オリ^ブ
今回は「本当のワシ」というタイトルです。
録音機器で再生した自分の声を聞くと、「これは自分の声ではない」と、
ほとんどの人が思うだろう。
あえて言えば、自分の声も発音も「もっと良いはず」と感じるのだ。
しかし、録音機器を通した声は、周囲の人たちが聞いている自分の声だ。
発声している本人は、自分の本当の声を聞いていないことになる。
「もっと良いはず」と思うのは、うぬぼれなのか、間違った自己認識なのか。
運転免許証やパスポートなどに貼り付ける写真についても、
おじさんは「これは俺だけど、本当の俺ではない」と見るたびに思う。
「もっと良いはず」なのだ。
運転免許証の写真は機械的にパッパと撮るから、自分らしい豊かな知性あふれる
表情が写り込んでいない。
だがその違和感を人に伝えても理解されない。
「よく撮れているじゃない」などと言われてしまう。
原稿に顔写真を付けてください、と注文された。
おじさんは知人に撮影を頼み、とびっきりの魅惑的微笑を
たたえて撮ってもらった。が、出来上がった写真はどれもこれも
嫌らしい笑顔の「スケベオヤジ」の顔写真だった。
ワシはこんな顔の男ではない、と不快さがこみ上げてくるのだった。
飛島圭介(エッセイスト)
以上です。
顔写真はともかく、中学生の時におもちゃに毛の生えたようなテープ・レコーダーを買いました。
自分の声を録音して聞いてみたところ、このエッセイストさんと同じで「自分の声じゃない!」と
思いました。
「俺はもっと良い声のはず」。(笑)
これもエッセイストさんと同じです。(笑)
テープレコーダーの性能の問題もありましたが、家族はテープレコーダーの声の持ち主が
私だと認識していました。
自分の声を自分だけが認識できないんですね。
歌を歌って、自分はいい声で歌っていると思っても、他人はそう思わないのもなんとなくわかるような気がします。(苦笑)
忘れたいのに・・モコ・ビーバー・オリ^ブ