がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

石原都知事「都民はぜいたく。自分のことしか考えない」関心低い五輪招致で

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月29日 22時50分08秒

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120529/lcl12052921520002-n1.htm



「東京都の石原慎太郎知事が29日、日本外国特派員協会(東京)で講演、2020年夏季五輪招致への都民の関心が低い理由を質疑で問われ「都民というのはぜいたく。自分のことしか考えなくなった。ほかの日本人と違う人種になりましたよ」とぼやいた。

 知事は「東京のオリンピックが実現したら都民は来なくてもいい」とも語った。さらに別の質問者に「(低い五輪の支持率は)知事のお人柄によるものではないか」と聞かれると「選挙だと私、割と人気がある。私がやめたら支持率が上がって東京にオリンピックが来るなら、すぐ明日にでもやめます」と返し、笑いを誘った。

 20年五輪は3都市が1次選考を通過。東京はマドリード、イスタンブールに比べ、支持率の低さが目立っている。」



都民はなんでこんなのを選んでんだろ。

次長課長:河本準一さん母の生活保護、「返納したい」

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月25日 16時00分28秒

http://mainichi.jp/select/news/20120525k0000e040240000c.html



毎日新聞 2012年05月25日 12時21分(最終更新 05月25日 13時08分)



「人気お笑いコンビ、「次長課長」の河本準一さん(37)が25日、東京都新宿区の吉本興業東京本部で会見し、母親の生活保護受給について適切でなかったと明らかにし「むちゃくちゃ甘い考えだった。5、6年前の分から返納したい」と謝罪した。

 河本さんによると岡山市在住の母親は14、15年前、病気で仕事を辞め、生活保護受給を申請。河本さんは福祉事務所から、面倒を見られないかと問い合わせがあったことを明らかにし、「2、3年前に芸人になったばかりで当時の年収は100万円を切っていた。できないと書いて送り返した」と説明。テレビ出演などの仕事が増えた5、6年前からは「福祉事務所と相談して母への援助額を増やし、問題ないと思っていた。来年の保証もない不安定な仕事だが、それでも親の面倒をみておられる人はたくさんいる。収入が増えてからも受給を続けたことは考えが甘かった」と認めた。仕送り額や受給額については一切明らかにしなかった。返還方法は弁護士と相談して決めるという。母親は今年4月、受給を辞退している。」



河本の年収・資産も、他の親族を援助していたのかもわからないので、河本の件についてどうこう言うことは出来ないが、生活保護をはじめとした福祉制度は個人単位にして欲しいというのが私の思い。



そして将来的には、福祉制度のみならず年金制度も含む社会保障制度全体、さらには課税制度や社会保険料(保険税)も個人単位にしてもらいたい。



もしそれが出来ないというのなら、障害者自立支援法など即時廃止し、障害者に自立を求めるようなことはやめて欲しい。(世帯単位で社会保障制度を設計されてしまうと、世帯に依存する形で生活することが可能で、自立が阻害されてしまう。そういう制度を設計しながら、自立を求めるなどというのは、私には欺瞞にしか映らない。)


電力会社の利益、7割が家庭から 東電では9割

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月24日 00時19分32秒

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201205220859.html



「経済産業省が全国10電力会社の電力販売による収益を調べたところ、家庭向け電力が販売量の約4割しかないのに、利益の約7割を占めていることがわかった。一方、販売量の約6割を占める企業向けは、利益の約3割しかなかった。企業向けに比べ、家庭向けが割高になっているからだ。

 経産省は10電力の2006~10年度の販売電力量、電気事業による売上高と利益を調べた。5年間平均では、販売電力量は家庭向けが38%、工場など企業向けが62%で、売上高はそれぞれ49%(7兆2千億円)、51%(7兆5600億円)だった。一方、利益は家庭向けが69%(4300億円)、企業向けが31%(2千億円)と逆転した。

 各電力会社では、東京電力で家庭向けが利益の91%を占めた。07年の新潟県中越沖地震で原発が止まって天然ガスなどの燃料費がかさみ、利幅の小さな企業向けの利益が少なくなったからだ。沖縄電力は家庭向けの販売電力が多いため、利益でも90%を占めた。関西電力も65%、中部電力と九州電力も59%と高かった。 」



ボッたくられてんな。他の会社から買いたいな。独占企業はいけないね。

障害者雇用率2・0%に、15年ぶり引き上げへ

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月23日 15時41分52秒

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120523-OYT1T00552.htm



「厚生労働省は23日、民間企業の従業員全体に占める障害者の雇用率について、政令で定められている現行の1・8%を、2・0%に引き上げることなどを決めた。



来年度から実施する。障害者の雇用率の引き上げは15年ぶり。

 障害者雇用促進法では、企業や国などに一定の雇用率を上回ることを義務づけている。国や地方自治体については2・1%、都道府県教委は2・0%だが、これらもそれぞれ0・2%引き上げる。同省は同日、厚労相の諮問機関・労働政策審議会の分科会に引き上げを盛り込んだ同法の政令改正案を諮問。同審議会が「妥当」と答申した。

 昨年6月1日時点で、企業の雇用率は1・65%だが、雇用人数は約36万6000人で8年連続で過去最高を更新している。同省は大企業を中心に障害者の採用が進み、障害者の就労意欲も高まっていることから雇用率引き上げに踏み切った。

(2012年5月23日13時11分 読売新聞)」

久しぶりに良いニュース。


近く3%に引き上げて、将来的には5%に引き上げてもらいたい。(同時に「罰則」も強化。)


そうなれば、就労可能で、就労を希望する障害者はほぼ就労できることになるだろう。

内田樹氏ブログ「内田樹の研究室」から

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月22日 22時17分46秒

http://blog.tatsuru.com/2010/04/05_1205.php



定型と批評性



「マスメディアの凋落について毎日原稿を書いているせいで、ものの見方が偏ってきているのかも知れないが、今朝の毎日新聞の一面のコラム「余録」にも、思わず反応してしまった。
コラムは「決断」をめぐるもので、鳩山首相の決断力のなさと、最近の「発奮」ぶりをいささか嘲弄的に紹介している。
「普天間基地問題でも『体当たりで行動していく』『必ず成果を上げる』と歯切れがいい。先週の内閣メールマガジンでは『未来に向けて時計の針をもっと勢いよく回せるような政府をつくりあげていきたい』とアピールした。だが、沖縄県民、米国、連立与党のいずれをも満足させる道がこれから急に開けるようにも思えない。『針の穴にロープを通すくらい難しい』ともらしたことがある首相だ。何を選び何を捨てようとしているのか。『腹案はある』と自信ありげな腹の内を見てみたい。」(毎日新聞、4月5日)
「よくあるコラム」である。
こういう書き方を日本のジャーナリストたちは「批評的な」ものとして、たぶん無意識に採用しているのだとおもう。
彼らは自分たちが「批評的定型」にはまり込んでいること、鋳型から叩きだすように同型的な言葉を流していることに、あまり自覚的ではない。
だが、「批評的定型」というものは残念ながら存在しない。
批評性というのは、ぎりぎりそぎ落とせば、「定型性に対する倦厭」のことだからだ。
だが、このコラムの文章には「定型性に対する倦厭」がない。
たしかに、どんな人間のどんな文章も、それなりの定型にはとらえられてしまうことからは避けられない。
定型から逃げ出そうとすれば、シュールレアリスト的饒舌かランボー的沈黙のどちらかを選ぶしかないと、モーリス・ブランショは言っている。私も同意見である。
ひとは定型から出ることはできない。
だが、定型を嫌うことはできる。
定型的な文章を書いている、そういう文章しか書けない自分に「飽きる」ことはできる。
「飽きる」というのは一種の能力であると私は思っている。
それは自分の生命力が衰えていることを感知するためのたいせつなセンサーである。
「飽きる」ことができないというのは、システムの死が近づいていることに気づいていない病的徴候である。
このコラムの文章に私が感じたのは、その病的徴候である。
どうしてこのコラムニストは自分の書いている文章に飽きないでいられるのか。
それについて考える。
コラムが首相に求めている「沖縄県民、米国、連立与党のいずれをも満足させる道」などというものは存在しない。
存在するのは「沖縄県民、米国政府、日本政府(さらには中国、韓国、台湾など周辺諸国)のいずれにとっても同程度に不満足な道」だけである。
外交上のネゴシエーションというのは「全員が満足する合意」ではなく、「全員が同程度に不満足な合意」をめざして行われる。
「当事者の中で自分だけが際立って不利益を蒙ったわけではない」という認識だけが、それ以上の自己利益の主張を自制させるからである。
それがふつうの外交上の「落としどころ」である。
外交というのは、当事者の「いずれをも満足させる道」だとこの論説委員が本気で信じているとしたら、それはずいぶん夢想的な考え方であると言わねばならない。
だが、私はこの論説委員はそんなことを信じていないと思う。
それほどイノセントで夢想的な人間が、タイトな人間関係やどろどろした派閥力学を乗り越えて、ある程度の社内的地位に達せるはずがないからである。
彼自身は「当事者全員が満足するようなソリューション」などというものが存在することを信じていない。
それを生身の経験では熟知しているはずである。
にもかかわらず、コラムには「自分が信じていないこと」を平然と書ける。
私はこれを「病的」と申し上げているのである。
自分が信じていないし、そう思ってもいないことを書けるのは、彼が自分の仕事を「自分の意見」を述べることではなくて、「いかにも大新聞の朝刊のコラムに書いてありそうなこと」を書くことだと思っているからである。
これは誰の意見でもない。
「世論」である。
「世論」というのは、「それを最終的に引き受ける個人がいない」意見のことである。
というと異議を申し立てる方がいるかもしれない。
マジョリティが支持しているものが「世論」ではないのか、と。だったら、多くの個人がその主張の責任を進んで引き受けるのではないか、と。
違います。
人間が引き受けることのできるのは、「自分の意見」だけである。
「自分の意見」というのは、「自分がそれを主張しなければ、他に誰も自分に代わって言ってくれるひとがいないような意見」のことである。
「自分が情理を尽くして説得して、ひとりひとり賛同者を集めない限り、『同意者集団』を形成することができそうもない意見」のことである。
それは必ずしも「奇矯な意見」ではない。
むしろしばしば「ごくまっとうな(ただし身体実感に裏づけられているせいで、理路がやたらに込みいった)意見」である。
なにしろ、自分が言うのを止めたら消えてしまう意見なのである。
そういうときに「定型」的な言いまわしは決して選択されない。
なぜなら、「ああ、これはいつもの『定型的なあれ』ね」と思われたら「おしまい」だからである。
決して既存のものと同定されることがなく、かつ具体的にそこに存在する生身の身体に担保された情理の筋目がきちんと通っているような言葉づかいを選ぶはずである。
それが「自分の言葉」である。
小林秀雄ふうにいえば「考える原始人」の言葉である。
「世論」とはその反対物である。
誰もそれについて最終的に責任を引き受ける気がないにもかかわらず、きわめて多くの人間の支持を得る意見には、身体実感という「担保」がない。
「みんながそう言っている」ことを自分もただ繰り返している。
「なぜ、あなたはそう言うのか?」と訊かれたら「あの人が言ってたから」と答えて、発言の責任は無限に先送りされて、どこかに消えうせる。
それが「世論」である。
このコラムは典型的な「世論」の語法で書かれている。
新聞のコラムというのは「そういうものだ」という醒めた感懐をたぶん持って、このコラムニストは定型を書き飛ばしている。
それが書けるのは「自分が書かなくても、誰かが同じようなことを書くだろう」と思っているからである。
たぶん、多くの記者たちは、そう自分に言い聞かせて「定型」的な文章を書く自分との折り合いをつけているのだろう。
自分が書かなくても、どうせ誰かが書くのだから、自分ひとりがここで「こういうのを書くのはもういい加減にしないか」と力んで見せても始まらないと思っている。
新聞の凋落にはさまざまな説明があるけれど、「私には言いたいことがある。誰が何と言おうと、私は身体を張っても、これだけは言っておきたい」というジャーナリストがジャーナリストであることの初発の動機をどこかに置き忘れたためではないのか。
私にはそのように思われるのである。」



最近で言えば、市民感覚とか市民感情とかかね。


クルーグマン「まもなく終末」(NYT,2012年5月17日)

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月20日 23時03分36秒

翻訳ブログ「道草」( http://econdays.net/  )より



Paul Krugman, “Apocalypse Fairly Soon ,” New York Times, May 17, 2012



「ユーロ、この政治的な結合なき金融の結合という巨大な欠陥つきの実験が、いかにあっさりと継ぎ目にそって瓦解しうるものなのか、ここにきていきなり見えやすくなった。ここで言ってるのは、ずっと先の見通しじゃない。瓦解は驚くほど急速に起こりうる。年単位じゃなく月単位でね。そのコストは――経済的コストも、おそらくもっと重要な政治的コストも――巨大なものになりそうだ。

なるべくしてこうなったわけじゃない。ユーロには(少なくともその大半は)いまでも救いの余地がある。でも、それにはヨーロッパの指導者たち、とくにドイツと欧州中央銀行の指導者たちが、ここ数年にやってきたことから大きく異なる行動をはじめる必要がある。彼らは、〔将来のために緊縮に耐えろといった〕問題の道徳化をやめて現実に向き合う必要がある。一時しのぎをやめて、いったん、先手を打ちに行く必要がある。

「ぼくは楽観的だなぁ」と言えたらいいんだけど。

ここまでのあらすじ:ユーロが創設されたとき、ヨーロッパには楽観論の大波が起きた――そして、実はその大波は起こりうる最悪のものだった。お金がスペインその他の国々に流入した。安全な投資先だとみられていたからだ。こうしてなだれこんだ資本の洪水により、巨大な住宅バブルと貿易赤字がおきた。そして、2008年に金融危機が起こると、資本の洪水は干上がり、かつて過熱していた当の国々に深刻な不況がもたらされた。

その時点で、ヨーロッパに政治的結合がないことが深刻な負債となった。フロリダもスペインも、ともに住宅バブルを経験したけれど、フロリダではバブルがはじけたときにも退職者たちはまだワシントンによる社会保障制度やメディケアの給付をアテにできた。ところがスペインではそれに相当する支援は受け取れない。このため、バブルがはじけると、そのまま財政危機にもつながった。

ヨーロッパの出した答えは緊縮策だった:きびしい支出削減をして、債券市場を安心させようという試みがなされた。でも、まともな経済学者なら誰だってわかっていたとおり(そう、ぼくらはわかってた、わかってたんだよ!)こうした削減はヨーロッパの苦しい国々の不況をいっそう深めることになった。これにより、投資家の信認は損なわれたし、政治的不安定も増してしまった。

そして、真実の瞬間がおとずれる。

さしあたり、ギリシャが焦点[フォーカルポイント]だ。22パーセントもの失業率(若年層では50パーセント以上)を産み出した政策にもっともな怒りを抱いている有権者たちは、そうした政策を実施している政党に刃向かった。ギリシャの政治的な既存勢力はすべて事実上この経済的な正統教義の実行を余儀なくされていたから、有権者の翻意によって生じた結果は、過激派の勢力拡大だった。世論調査が間違っていて、連立政権がどうにかして次の投票で多数を確保したとしても、基本的にこの試合は終了だ:ギリシャはドイツや欧州中央銀行が求めている政策をやらないし、やれない。

そしたらどうなる? いままさに、ギリシャは「バンク・ジョグ」と呼ばれてるものを経験してるところだ――銀行の取り付け騒動を「バンク・ラン」と言うけど、走る[ラン]ほどじゃなくゆっくりゆっくりと、預金者たちがお金を引き出しているんだ。ギリシャのユーロ脱退の可能性を見越しての行動だ。ヨーロッパの中央銀行は、ギリシャに必要なユーロを貸し付けることで、事実上、この銀行取り付け騒動に資金提供している。つまり、もし(おそらくそうなるだろうけど)中央銀行が「もう貸せない」と判断したら、ギリシャはユーロを捨てて独自の通貨を再び発行せざるをえなくなる。

ユーロは実際にやめられるんだとみせつけられれば、今度はスペインとイタリアの銀行にも取り付けが起こるだろう。ここでも、欧州中央銀行は無制限の資金提供をするかどうか、選択しなくちゃいけなくなる。「しない」と言えば、ユーロ全体が吹き飛ぶだろう。

でも、資金提供だけでは不十分だ。イタリアと、とくにスペインには、希望も与えられないといけない――緊縮と不況から脱却できるという合理的な見通しのもてる経済環境という希望が必要だ。現実的には、そうした環境をもたらす唯一の方法は、中央銀行が物価安定への執着を捨てて、ヨーロッパでこの先数年にわたる3~4パーセントのインフレ(ドイツではそれ以上)を受け入れ、さらには促進させることだろう。

中央銀行の職員もドイツ人も、この案を嫌ってる。でも、これ以外にユーロを救う方法なんてない。ここ2年半にわたって、ヨーロッパの指導者たちは危機に対してその場しのぎの策をとって、時間稼ぎをしてきた。しかも、そうして稼いだ時間を活用することもなかった。そして、いよいよ時間切れになったわけだ。

さて、ヨーロッパはいよいよ難局に立ち上がるだろうか? そう期待したいね――理由は、たんにユーロの崩壊が世界全体にマイナスの波及効果をもたらすからというだけじゃない。ヨーロッパの政策の失敗による最大のコストは、おそらく政治的なものとなるからだ。

こう考えてほしい:ユーロの失敗はもっと広範なヨーロッパの企図の巨大な挫折にいたる。きびしい歴史を歩んだ大陸に平和と繁栄と民主主義をもたらそうという企図の挫折だ。また、緊縮策の失敗がいまギリシャにもたらしているのと同じような結果ももたらすだろう。つまり、政治的な主流派への不信をつのらせ、過激派に権力を与えるという結果をね。

だから、ぼくら全員が、ヨーロッパの成功に大きなものを賭けているわけだ――でも、この賭けの正否はヨーロッパ人がみずから成功をもたらすことに委ねられている。全世界が、ヨーロッパ人たちが役割を果たすかどうかに注視している。」


捜査報告書に虚偽記載の特捜検事、不起訴へ

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月20日 22時47分49秒

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120519-OYT1T01165.htm



「陸山会事件の捜査報告書に虚偽記載があった問題で、検察当局は、報告書の作成者で虚偽有印公文書作成などの容疑で告発された元東京地検特捜部の田代政弘検事(45)について、「嫌疑不十分」で不起訴とする方針を決めた。



偽計業務妨害容疑で告発された当時の特捜部長ら上司も不起訴とし、今週にも法務省と人事上の処分について協議に入る。

 検察当局は田代検事や上司らの聴取を進めてきたが、「記憶が混同した」と故意の虚偽記載を否定する田代検事の説明を覆すことは難しく、刑事責任は問えないと判断した。

 この報告書は、田代検事が2010年5月17日、保釈中の同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)(1審有罪、控訴)を再聴取した直後に作成した。

 石川被告はこの時、小沢一郎民主党元代表(69)(1審無罪)の事件への関与を認めた勾留中の供述を維持したが、田代検事は報告書に「親分を守るためにウソをついたら選挙民を裏切ることになると言われ、(元代表の)関与を認めた」などと、石川被告が実際には述べなかった理由を記載。石川被告が再聴取を録音していたため、元代表の公判で虚偽記載が発覚した。

 検察当局の調べに、田代検事は「上司から石川被告が供述を維持した経過を書くよう指示された」と述べたが、「勾留中の取り調べと記憶が混同した」との説明は変わらなかった。

(2012年5月20日09時00分 読売新聞)」


記憶が混同したと言えば全部無罪だね。


しかし、マスコミも、こんな検察の言い分そのままの記事を書いてて恥ずかしくないのかね。


録音テープ聞けば、嘘八百だって丸わかりじゃない。


この国には、恥知らずの権力者しかいないんだね。



「99%真っ黒だ」 自民・石原幹事長、小沢処分解除方針を批判

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月08日 15時45分39秒

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120508/plc12050812400013-n1.htm



「自民党の石原伸晃幹事長は8日午前の記者会見で、民主党が小沢一郎元代表の党員資格停止処分を解除することについて「10日までに控訴するかを決める前の段階で早々と解除するのは、何を考えているのか。判決文を読めば99%真っ黒だ」と批判した。

 その上で、小沢氏の証人喚問について「自ら潔白であるというならば、なんの問題もない」と重ねて求めた。」



日本語が滅茶苦茶。真っ黒っていうのは100%だということ。合理的疑いが残るから無罪判決なわけ。



昔はこういう発言すると、かなり批判された気がするんだけど、今や完全にスルーだからね。



法の支配も、三権分立もお構いなしって感じだからね。



こんなのが野党第一党の幹事長なんかやってるんだから、怖い世の中だよ。

ナイナイ岡村、ラジオで再び塩谷擁護

2012年06月10日 | Weblog
2012年05月06日 18時33分30秒

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120504-OHT1T00249.htm?from=related



「 ナインティナイン の岡村隆史 (41)が、3日未明のニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」で二股騒動の渦中にある俳優・塩谷瞬 (29)を激励した。

 前週の放送でもエールを送ったが、この日も「『ごめんなさい』と謝ったんだから、お芝居頑張ったらエエんちゃう」とかばった。テリー伊藤の塩谷批判にも「君の死に場所は(テリー氏が出演するTBS系)『サンデー・ジャポン』じゃない」。

 会見での涙には「普通泣くよ。こんだけ大ごとになったら。びびるやろ。マスコミはグイグイ来るし。(不倫スキャンダルが出た際)タイガー・ウッズも泣いとった」と擁護した。

 ただ、塩谷が頻繁に結婚話をしたことには「なぜ、すぐに『結婚しよう』と言うたんやろ?」。相方の矢部浩之(40)をネタに「矢部氏はなかなか『結婚しよう』と言わない。逆サイドにいる」と突っ込んでいた。

 また、塩谷の二股の相手でモデルの冨永愛(29)はこの日、フジテレビ系「知りたがり!」に生出演したが、騒動には触れなかった。

[2012/5/5-06:03 スポーツ報知 ]」


高橋みなみの母親の件は一言も触れないくせに、相手が叩ける相手だと思うと、とことん叩く。


マスコミの連中も、テリー伊藤も、最低の人間達だよ。