2012年11月27日 15時31分40秒
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211260297.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211260297
朝日新聞デジタル配信記事
「手話で何度も話し合い/労組立ち上げへ
【石山英明】昼休みが終わった武田薬品工業(大阪市)の社員食堂で、障害者雇用のための特別な子会社「エルアイ武田」の聴覚障害者6人が静かに掃除をしていた。清掃グループのリーダー、奥享三さん(60)は、同僚の肩をたたき、手話で指示を出す。
奥さんには先天性の聴覚障害がある。入社したのは49歳のとき。ハローワークの紹介だった。仕事は他のリーダーから教わった。ビルの清掃に必要な技術があることを認定する国家資格も取得した。
新入社員の教育や、シフト作り、会議の進行は自分たちでやる。「障害者同士で教えあい、チームとしての一体感がみんなにある」という。
障害者が働きやすい職場として、全国から見学の人が訪れる。実習を受け入れてほしいという要望も多い。だが、1995年に発足した直後はさんざんだった。
「お前なんか辞めてしまえ」。聴覚障害者たちが、手話で罵倒しあっていた。
グループにいた13人の間でトラブルが多発。リーダーに障害はなく、手話が使えない。職場の雰囲気は悪く、退職者が続出した。
会社は、いちかばちかで一番の不満分子だった聴覚障害者をリーダーにして、話し合いを繰り返した。すると、自分たちで職場のトラブルを自主的に解決するようになり、6年後には退職者がゼロになった。今も定年以外で辞める人はほとんどいない。大森千恵事業推進室部長は「『障害者にこれは無理』と決めつけないことが大事。もっている力は大きいんです」と話す。
民間企業で働く障害者は10年連続で増えている。2012年6月時点では約38万人で、10年前の1.5倍だ。
障害者に対する理解が進んだといっても、個人差はある。異動で人が代われば、雰囲気が一変することもある。
埼玉県が昨年まとめた県内の障害者の離職状況調査では、会社をやめる理由は「人間関係がうまくいかなかった」が1位だった。中には、差別としか思えないような対応もある。
「体が動かないのを恥ずかしいと思わないのか」「障害者のくせに給料が高い」
西日本で事務職として働いていた50代の男性は、上司の言葉を思い出すたび、くやしさがこみあげる。
両足に障害があり、身体障害者手帳をもつ。立ったり座ったりする仕事は大きな負担がかかる。事務ならその心配はない。20年以上前、ハローワークでようやく見つけた。
しかし、入社して任されたのは、窓口の仕事。頻繁に自分の席から立ち上がり、客の案内もしなければならない。仕事を失いたくない一心でがんばったが、障害は悪化した。
数年前、限界だと思って、仕事を変えてくれるよう頼んだ。上司は「できないなら辞めろ」と言い放った。思わずかっとなって言い返すと、翌日から嫌がらせが始まった。
同僚は味方をしてくれず、上司に調子を合わせた。激しい言葉で応じたのが録音され、就業規則違反を理由に解雇された。
「自分の身は自分で守らなければならない。職場に理解者をつくる努力をもっとしておけばよかった」と悔やむ。
職場を改善しようと、障害者自身が声をあげ始めた。
京都市の谷本樹保(しげやす)さん(46)は生まれつき左手の指先が欠けている。昨年3月、共同作業所の職員を辞めた。障害者に特化した労働組合をつくるためだ。
障害者に関わる仕事をしたいと思い、福祉関係の専門学校を卒業後、就職。職員の賃金は10万円以下で、建物は古くて狭い長屋。土間の台所は寒く、設備はバリアフリーになっていない。職員にとっても通う障害者にとっても環境は劣悪だった。
支えは、自分が変えるんだという熱意と、福祉関係で働く人がつくる労組で出会った仲間の存在。「だからこそ、自分は障害があってもがんばれた」
数年前、労組の中で「障害者専用の労組を、誰かが作らないといけないね」という声があるのを知った。自分こそが力になれるのでは。さんざん悩んだ末、決めた。
「障害者が職場で直面する問題は、あまり知られていない。自分たちで声をあげないと変わらない」。労組立ち上げには、10人程度が参加してくれそうだ。 」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211260297.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211260297
朝日新聞デジタル配信記事
「手話で何度も話し合い/労組立ち上げへ
【石山英明】昼休みが終わった武田薬品工業(大阪市)の社員食堂で、障害者雇用のための特別な子会社「エルアイ武田」の聴覚障害者6人が静かに掃除をしていた。清掃グループのリーダー、奥享三さん(60)は、同僚の肩をたたき、手話で指示を出す。
奥さんには先天性の聴覚障害がある。入社したのは49歳のとき。ハローワークの紹介だった。仕事は他のリーダーから教わった。ビルの清掃に必要な技術があることを認定する国家資格も取得した。
新入社員の教育や、シフト作り、会議の進行は自分たちでやる。「障害者同士で教えあい、チームとしての一体感がみんなにある」という。
障害者が働きやすい職場として、全国から見学の人が訪れる。実習を受け入れてほしいという要望も多い。だが、1995年に発足した直後はさんざんだった。
「お前なんか辞めてしまえ」。聴覚障害者たちが、手話で罵倒しあっていた。
グループにいた13人の間でトラブルが多発。リーダーに障害はなく、手話が使えない。職場の雰囲気は悪く、退職者が続出した。
会社は、いちかばちかで一番の不満分子だった聴覚障害者をリーダーにして、話し合いを繰り返した。すると、自分たちで職場のトラブルを自主的に解決するようになり、6年後には退職者がゼロになった。今も定年以外で辞める人はほとんどいない。大森千恵事業推進室部長は「『障害者にこれは無理』と決めつけないことが大事。もっている力は大きいんです」と話す。
民間企業で働く障害者は10年連続で増えている。2012年6月時点では約38万人で、10年前の1.5倍だ。
障害者に対する理解が進んだといっても、個人差はある。異動で人が代われば、雰囲気が一変することもある。
埼玉県が昨年まとめた県内の障害者の離職状況調査では、会社をやめる理由は「人間関係がうまくいかなかった」が1位だった。中には、差別としか思えないような対応もある。
「体が動かないのを恥ずかしいと思わないのか」「障害者のくせに給料が高い」
西日本で事務職として働いていた50代の男性は、上司の言葉を思い出すたび、くやしさがこみあげる。
両足に障害があり、身体障害者手帳をもつ。立ったり座ったりする仕事は大きな負担がかかる。事務ならその心配はない。20年以上前、ハローワークでようやく見つけた。
しかし、入社して任されたのは、窓口の仕事。頻繁に自分の席から立ち上がり、客の案内もしなければならない。仕事を失いたくない一心でがんばったが、障害は悪化した。
数年前、限界だと思って、仕事を変えてくれるよう頼んだ。上司は「できないなら辞めろ」と言い放った。思わずかっとなって言い返すと、翌日から嫌がらせが始まった。
同僚は味方をしてくれず、上司に調子を合わせた。激しい言葉で応じたのが録音され、就業規則違反を理由に解雇された。
「自分の身は自分で守らなければならない。職場に理解者をつくる努力をもっとしておけばよかった」と悔やむ。
職場を改善しようと、障害者自身が声をあげ始めた。
京都市の谷本樹保(しげやす)さん(46)は生まれつき左手の指先が欠けている。昨年3月、共同作業所の職員を辞めた。障害者に特化した労働組合をつくるためだ。
障害者に関わる仕事をしたいと思い、福祉関係の専門学校を卒業後、就職。職員の賃金は10万円以下で、建物は古くて狭い長屋。土間の台所は寒く、設備はバリアフリーになっていない。職員にとっても通う障害者にとっても環境は劣悪だった。
支えは、自分が変えるんだという熱意と、福祉関係で働く人がつくる労組で出会った仲間の存在。「だからこそ、自分は障害があってもがんばれた」
数年前、労組の中で「障害者専用の労組を、誰かが作らないといけないね」という声があるのを知った。自分こそが力になれるのでは。さんざん悩んだ末、決めた。
「障害者が職場で直面する問題は、あまり知られていない。自分たちで声をあげないと変わらない」。労組立ち上げには、10人程度が参加してくれそうだ。 」