がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

家族について

2007年01月16日 | Weblog
病気になってというか、骨肉腫であると判明して1番初めにショックを受けたのは母親であった。私はいまだ人の親ではないので想像するしかないが、自分の子供が骨肉腫だと告げられた時のショックはいかばかりかと思う。母親は生検の結果を聞く際に一緒に病室に居た。ファーストオピニオンの病院では骨肉腫であると同時に、CT結果から、肺に2箇所転移らしきものが見られるということも併せて告げられていた。私の調べた範囲では初診時肺転移症例では70%の患者が死亡する。そこまで母親は知らなかったとは思うが、息子が自分よりも早く死ぬかもしれないことを幾らかは想起したのではないかと思う。自分で言うのもなんだが、それまで私は母親にとって自慢の息子であった。私の写真をいつもバッグに入れて持ち歩いていたくらいである。(私には姉がいるが、姉の写真も持ち歩いていた。確認はしていないが、今でも持ち歩いているのではないだろうか。) 初めて親不孝らしい親不孝をしたように思う。

姉がいると上述したが、その姉には3人の子供がいる。告知の時点で、1番上の姪が12歳、2番目の甥が6歳、3番目の姪が4歳であった。母親が泣きながら姉に電話をし、これまた泣きながら話を聞いている姉の傍らで1番上の姪っ子がなんとなく内容を把握し「にいに死んじゃうの?」と泣きながら心配してくれた(私は姪や甥に「にいに」と呼ばれている)。骨肉腫という病名を聞いた姪っ子は自らネットで調べた。何を勘違いしたのか、間違えたのか、骨肉腫の生存率は95%と出たらしい。それを見て姪っ子は安心し、その後は大して心配していない。恐らく抗がん剤の寛解率がCRに分類される症例を目にしたのだろうと思う。いい勘違いであった。2番目の甥っ子、3番目の姪っ子は勿論詳しいことは理解出来ない。ただ、「にいに」がどうやら入院しているらしいことはわかったらしい。お見舞いに行きたいと言って、姉に連れて行ってくれるよう頼んでいた。私や姉の間では、病院にはたくさんの菌やウイルスがいると思われるので、小さな甥っ子や姪っ子は連れて来ないようにしようということで合意していた。そんな事情も知らず、下の姪っ子は自分がうるさくするから連れて行ってもらえないと思ったらしく、「絶対静かにしてるから病院連れてって」と姉に頼んでいた。その気持ちだけで十分有難かった。事実、退院まで姪っ子や甥っ子は1度も病院には来ていない。

退院してから下の姪っ子と会う時がある。そういう時姪っ子は、私の前を「にいにが通りますよ」と先導してくれる。小さい子なのにとても気の利く子である。そんな私は完全なおじ馬鹿である(笑)。

骨肉腫の好発年齢は10代・10歳未満であるが、姪っ子や甥っ子がならなくて本当に良かったと思う。正直言ってかなりしんどい思いをし、今もしているが、姪っ子や甥っ子がなるくらいなら自分がなる方が余程ましである。誰もならないのが1番いいのではあるが・・・。

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