がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

2月28日付 編集手帳

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月28日 16時53分30秒

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110227-OYT1T00824.htm



「1948年の極東国際軍事裁判で刑死した外交官出身の広田弘毅元首相について、オランダのローリング判事は無罪を主張した。判事の判断に影響を与えたのが「ビルマの竪琴」の作者、竹山道雄である◆広田の陸軍への協力姿勢について、竹山は判事に「圧倒的に強い勢力が国をひきずっているとき…残された唯一の可能な道はその勢力と協力して内からはたらくこと」だったと弁護した(「昭和の精神史」)◆民主党の衆院選政権公約を巡り、「守れ」と突き上げる若手議員や「バラマキではない」と強弁する菅首相の姿は、日中戦争の泥沼化など自らの過ちを認めることができないまま日米開戦に至った戦前の軍部とどこか重なり合う◆その菅政権にあって、与謝野経済財政相の役割をどう見るか。政権公約に対する「守れない約束をいつまでも守るみたいな顔をしているのは良くない」「宗教法典とは違う」などの発言を聞くと、「内からはたらく」ことで、政策的に破綻している政権公約の修正を試みている、とも映る◆少なくとも、過去の言動をとらえて「変節」と批判するだけではやや一面的過ぎよう。

(2011年2月28日01時20分 読売新聞)」

平成の議席ドロボーと広田弘毅じゃ比較にならんだろ。余りに広田弘毅に失礼なんじゃない。

シリーズ がん共生時代 ・ 働く(4)患者自ら職場に説明

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月22日 12時44分18秒

URL http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=37014  



「がんになっても働き続けるためには、患者自身にも、職場に理解を求める努力が必要だ。

 関東地方の金融機関で働く50歳代の女性は2年前、肺がんと診断された。手術は成功。しかし、死への恐怖や独身で病を抱えながら生活する不安で、休んでいる間にうつ状態になった。

 半年ぶりの復職前に産業医や人事担当者と面談した。これまでの治療内容に加え、手術であばら骨を一部切除したため重いものを持てないこと、心が不安定になり、精神科にかかったことも説明した。「接客業務は精神的に負担が大きい」と伝え、配置転換してもらった。

 がん経験者は、手術による機能障害や抗がん剤の副作用、倦怠感など不調を抱えることが多く、復職にあたって職場の配慮が必要な人も少なくない。ただ、それを引き出すためには、現在の体調や治療・通院の見通し、今後考えられ得る副作用など、本人による的確な説明が欠かせない。直接負担をかける同僚への気遣いも重要なポイントとなる。

 復職初日、女性は上司や同僚一人一人にあいさつして回り、重い荷物が持てず迷惑をかけることなどを伝え、協力を求めた。体調を危惧しながら働き始めたが、同僚らの手助けで乗り切ることができた。

 「最初は当然気を使ってもらえるものと思っていましたが、見た目は健康な人と変わらないため、そのうち皆忘れてしまう。同僚たちに説明し、理解を求めていくのは自分の責任です」と話す。

 病気になるまで手にしたこともなかった就業規則も熟読した。がんは業務外の「私傷病」であり、その休職規定や勤務上の配慮などは法律で定めていない。会社の就業規則が、病後の働き方を左右するからだ。

 女性の会社の場合、病気休暇規定があった。しかし、復職後どのぐらい働けば再度規定を利用できるのかがあいまいだった。労働組合に問い合わせて確認した。

 厚生労働省の「がんと就労」研究班や就労支援に取り組む患者団体は、復職者が把握しておくべき情報のチェックリストや会社とのコミュニケーションの仕方の手引書を作る予定だ。

(2011年2月18日 読売新聞)」








http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=37103



がん共生時代 ・ 働く(5)悲しい経験を生かす



「がん体験をむしろ積極的に仕事に生かす動きもある。

 「私も使っていますが、自分に合わせて大きさを調節できるので便利ですよ」

 都内で開かれた乳がん患者の集まり。下着メーカー「KEA工房」社員の赤坂友紀さん(32)は、術後の乳房の形を整える補正パッドに、手際よくサイズ調節の綿を入れて見せた。自身も2007年6月に乳がんを発症した。当時は大手住宅メーカーの設計士だったが、09年12月、今の仕事に転職した。

 温存手術なら、ほとんど形は変わらないと思っていた。だが手術5日後、病院内の風呂の鏡で初めて胸の傷跡を見て、がく然とした。形が大きくゆがんでいる。体も洗えぬまま病室に戻り、ベッドの中で号泣した。

 退院したのは8月の暑い盛り。薄着をしたいのに、医療用下着は胸の部分にへこみが目立つ。通院治療が続いたが、カーディガンが手放せなかった。

 「自分が欲しい下着を、自分で作れないだろうか」

 09年5月に退社。「同じ悩みを持つ人をケアしたい」と志望書に書き、今の会社に営業職として採用された。周囲が反対する中、夫だけが転職を後押ししてくれた。

 病院への営業が主な仕事で、患者に他社のものも含めた商品を紹介する。皮膚に直接着けるためずれない人工乳房、傷跡を気にせず温泉を楽しめる入浴着。すべて自分で試し、開発部門に改良提案することもある。

 最初はいぶかしげな患者に「私もがん経験者です」と伝えると表情が和らぐ。試着室で喪失感を訴え、一緒に泣いた女性は「あなたに会えて良かった」と話し、新しい下着を着けて笑顔で帰っていった。

 「がんになって良かったなんて言えない。でもなってしまったならこの経験をプラスに転換したい」。赤坂さんは今、天職に出会ったと感じている。

 がん患者400人を対象にした調査によると、就労を希望するがん患者の約4割が「病気の経験を生かしたい」と希望していた。

 その意欲を高く買う雇用主も生まれている。

 企業や病院の研究データの管理を請け負うNPO法人「日本臨床研究支援ユニット」はがん経験者を積極的に採用する。「仕事に真摯に取り組み、医療知識も豊富」というのが理由だ。

 血液・小児研究支援部門の責任者佐藤恒さん(43)は10年前、急性骨髄性白血病を骨髄移植で克服した。血液疾患への理解は深い。病院の問い合わせにもスムーズに対応する。

 今扱っているのは、骨髄移植で拒絶反応を抑える薬の治験だ。これまで何人もの仲間が移植で亡くなったのを見てきた。「がん体験を生かすことは、生かされたものの使命です」と語る。

(2011年2月21日 読売新聞)」



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=37146


がん共生時代 ・ 働く(6)「救済」 ではなく 「人材活用」


「独協医大准教授 高橋 都(たかはし・みやこ)さん

Q&A

 厚生労働省の「がんと就労」研究班主任研究者で独協医大准教授、高橋都さんに話を聞きました。

 ――がん経験者の就労問題が今なぜ、注目されているのでしょう?

 ここ数年、患者が声を上げたこともあり、社会問題として認識され始めました。医療が進歩し、がんになっても元気に暮らしている人が増えてきたことが背景にあります。2人に1人ががんになる時代に、働き盛りでがんになった人の就労をどう支えるかは、人材活用の面から重要な課題となっています。

 ――現状は、働き続けられない人も多いようです。

 コミュニケーションの問題が大きい。不利な扱いを恐れて、本人が会社や同僚に隠すことも多い。病気は個人情報なので、人事担当者も詳しく尋ねにくく、本人が自身の病状をよく把握していないこともあります。

 「がん=死」という思いこみもいまだに根強い。そのため、しばらくしたら回復するのに、能力が落ちたままだと誤解して配置転換するケースがあります。大切なのは雇用者側と正確な情報を共有することです。

 ――そのためには何が必要でしょうか。

 職場だけの対応では限界があります。患者の周りには治療スタッフもいて、大企業なら産業医もいます。彼らと連携し、正しい情報の共有をもっと効率的にできないかと考えています。

 例えば、企業側が一番欲しい情報は患者の体調の見通し、治療計画や今後起こりうる副作用などです。ところが、主治医の説明が難解な医学用語ばかりだと患者は内容を理解できず、会社にも正確に伝えることができません。そんな時、産業医や産業保健師・看護師は、主治医と患者、企業をつなぐ「翻訳者」になれます。研究班は、患者、治療スタッフ、そして企業の人事、産業保健スタッフ向けに対応マニュアルの作成を進めています。

 ――会社側の配慮が行き過ぎると、周囲の社員が不公平感を抱くという指摘もあります。

 業務にしわ寄せが来る同僚にも納得できる説明が必要です。がん患者への就労支援には「救済」というより、「人材活用」という視点が必要です。がんになっても働ける社員を活用しないのは、企業にとってむしろ損失ではないでしょうか。

 ――本人が会社に働きかけても思ったような配慮が受けられない場合があります。

 英米ではがん患者も「障害者差別禁止法」の対象とされ、職場で必要な配慮をすることが義務付けられています。日本にはこうした法律がありません。就業規則に定めていなければ、企業は配慮する責任はない。休職規定など復職支援制度が十分でない中小企業、非正社員は不利な状況に置かれがちです。

 全患者の働く権利を守る法整備の検討は、今後の課題です。(岩永直子)

(2011年2月22日 読売新聞)」


障害者雇用 能力生かす「一工夫」

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月19日 22時14分54秒

URL http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20110123/CK2011012302000037.html



「「いらっしゃいませ!」。店内に店員の元気な声が響く。コーヒーを注文すると、ミルクや砂糖、スプーンをきびきびとセットし、ヒマワリのような明るい笑顔で運んできた。「ごゆっくりどうぞ!」

 川崎市の中原市民館内にある、ふれあいショップ「いくおう中原」でのひとこまだ。一昨年四月に開店した。店員五人は、いずれも精神障害者か知的障害者だ。

 「彼は洗い物のスペシャリスト」「彼女は接客がとても上手」。伊豆真理子店長が、胸を張って店員の特徴を紹介する。女性店員の一人は、「実際にお客さんと接してみて、やっぱり人と交流できる仕事に就きたいと思いました」と、うれしそうに話した。

 こうしたふれあいショップは市内に六カ所あり、障害者たちの仕事の実習の場となっている。ここで三、四年間の経験を積んで、一般の会社へと巣立っていくのだ。

 「彼らは、学んだことは正確にきちんとできるし、手を抜かない。それが強み」と伊豆店長。複雑なことは苦手だが、簡単な手順の仕事は、覚えやすい絵でマニュアルをつくる工夫などで全員がしっかり覚えている。

 昨年七月、障害者雇用促進法が改正され、企業の障害者雇用にてこ入れが進められた。だが、県労働局の調査によると、昨年度の法定雇用率達成企業の割合は全体の45・8%と半数に満たない。また、市内養護学校卒業者の就職率は20~25%と低い。

 「意志のある人を就労につなげていこうと、企業に理解を求めることが重要」と市障害計画課の担当者。雇用の受け皿として特例子会社を設立。郵便物の配送やリボン作り、カタログの発送など仕事の切り分けをすることで、障害者を上手に戦力としている企業の経営者を交えたセミナーやシンポジウムなども開催している。

 「彼らに何ができ、何に配慮が必要かを把握し、アプローチの仕方を一工夫すれば、成功例はたくさんある」と担当者は話す。

 また、「障害者」と「雇用先の企業」「保護者」の三者の間に立ち、問題解決や見守りを行う機関も市内に三カ所ある。中部就労援助センター(中原区)では現在、約五十人の就職支援のほか、雇用先の企業を回るなどして、約百三十人の定着支援をしている。

 橋本佳美センター長は「障害者雇用は、大企業は進んでいるが、中小企業はまだまだ」と話す。「オートメーション化したり、海外に拠点を移す傾向の大企業より、ものづくりに専念する中小企業の方が、障害者の能力が生かせる。中小企業の雇用が拡大されれば、障害者の選択肢が増える」と期待を寄せている。「障害者だからとあきらめず、やりたいことが仕事につながる社会になってほしい」と話した。

 <障害者雇用促進法> 「民間の事業主(常用雇用労働者数56人以上規模)は、従業員数の1.8%以上の障害者の雇用」が義務付けられ、違反した場合、「障害者雇用納付金」を支払う。「納付金」対象事業主の常用雇用人数は、一昨年7月に「301人以上」から「201人以上」に拡大され、2015年からは、「101人以上」になる。」


就職難余波、募る不安…特別支援学校

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月19日 22時11分15秒

URL http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110201-OYT8T00707.htm  



「3月まで最終実習 労働局が実態調査へ



障害者が通う埼玉県内の特別支援学校高等部の今春卒業予定者にとって、1~3月は、就職内定を得る「最終実習」のピークだ。

 ここ数年、雇用環境は改善傾向にあるが、長引く景気低迷で、今年度はいつにも増して気が抜けない。大学生らの就職難の余波を受けないかと案じる関係者も多い。埼玉労働局は近く、特別支援学校生の就職状況について初めて実態調査に乗り出す。

 知的障害のある232人が通うさいたま桜高等学園。生産技術、家政技術、工業技術、環境・サービスの専門学科のみを設け、授業も職業教育が中心という。


 生徒たちは常時、自宅に届く求人の折り込みチラシを学校に持ち寄り、学校側は求人企業などと交渉を重ね、就職活動の入り口となる体験実習の協力を呼びかけてきた。障害者の定期採用は極めて少ないからだ。


 この時期、校長室前には各生徒の実習期間などが書かれたカードがびっしりと張られる。今年度は卒業予定者77人のうち、ほぼ全員が就職を希望。勤め先が決まっていない半数の生徒たちが最終実習に臨んでいる。黒沢一幸校長は「厳しい雇用情勢下だが、全員の3年間の努力を認めてほしい」と祈るような表情だ。


 県教育局特別支援教育課によると、2007年度に21・7%だった就労率(卒業者の就職割合)は、09年度には29・2%と改善。同課は、企業側のニーズを知るため、特例子会社★の幹部らによる教員向けの研修を実施、実習先と生徒のパイプ役となる就労推進支援員を地域別に配置するなどの対策を講じてきた。


 こうした効果もあって、専門学科の生徒の採用は好調。しかし今年度は、採用を絞り込む企業が多く、不安材料が多い。ある特別支援学校の就労支援担当教諭は「実習の受け入れに人手を割く余裕がないという企業も出ている」と明かす。法定雇用率★が達成できない企業も増えるのではと予測する教諭もいる。


 ある特例子会社の関係者は「企業には地域貢献や障害者らの自立支援の義務、適性に合った業務を作り出す役割もある」としながらも、「不況の影響で難しくなっている企業もあると聞く」と話す。埼玉労働局は、特別支援学校の卒業予定者について、1月末と3月末時点の内定状況などを初めて調査する方針。同局職業対策課は「専門学科の生徒は堅調だが、全体的な分析が必要」としている。


 埼玉県立大学の朝日雅也教授(障害者福祉)は「職種の範囲、労働条件や待遇、就労後の継続サポートには検討すべき課題も多い。専門学科が『独り勝ち』するのではなく、ノウハウを共有して全体を先導してほしい」と指摘する。県教育局によると、今春の県立33校の卒業予定者は昨年9月現在783人。このうち就職を希望するのは241人。障害の程度などを考慮し、就職せず福祉作業所などに入る生徒も少なくない。


  ★特例子会社 障害者雇用向けに作られる子会社。採用した障害者は親会社の雇用率に算定できる。障害者が5人以上おり、全従業員に占める割合が20%以上で、障害者のうち30%は重度身体障害者か知的障害者を雇うことなどの条件がある。県内には17社。親会社は鉄道、製造、小売、介護などの事業者。


  ★法定雇用率 一般民間企業の場合は1・8%以上。従業員規模に応じて異なるが、上回った企業には障害者雇用調整金などが支給され、未達成の場合には雇用納付金が徴収される。

(2011年2月1日 読売新聞)」

埼玉県 障がい者雇用の開拓員を5名採用 民間企業への就職を後押し

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月19日 22時08分49秒

URL http://www.hatarakuba-info.com/news_YOdR8qEgI.html  



「民間企業の雇用を発掘



埼玉県は来年度、民間企業による障がい者雇用を推進するために、障害者雇用開拓推進事業を創設して、それに伴い専門の支援員5名を新たに採用する方針を固めた。

障がい者が従事できる仕事を企業別に掘り起こして、国が定めている障がい者の法定雇用率を達成する狙いがある。関連経費2800万円は来年度予算案に盛り込み、200人の新たな雇用の創出を目指す。


現在の雇用率は42位



県の調査によると、埼玉県内の企業の雇用率は2010年の6月1日時点で1.59%で、47都道府県中42位に甘んじている。

新たな事業では企業での就業経験がある5人を「開拓員」として新たに採用し、障がい者雇用に関する相談を受けている「県障害者雇用サポートセンター」に配置。

開拓員は企業を直接訪問し、業務を視察して障がい者に任せられる仕事を探し、企業側に受け皿を作ってもらう。

同様の取り組みは佐賀県でも2007年から行われており、佐賀県はそれ以降ほぼ毎年障がい者雇用率を上げている。」


特別支援高 就職率好調

2011年02月28日 | Weblog
2011年02月19日 22時02分12秒

URL http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20110217-OYT8T01152.htm



「5年で9.6ポイント伸びる 昨年度39・8%



高校生と大学生の就職難が深刻化する中、知的障害者らの通う都立特別支援学校の高等部が、きめ細かい職業教育と改正障害者雇用促進法を追い風に就職率を伸ばしている。都教委によると、2009年度の同高等部(知的障害)の卒業生全体に対する就職率は39・8%と、5年前と比べ9・6ポイント上昇した。担当者は「就職という出口を示すことで、子どもたちはやる気を出している」と話している。(斎藤健二)

 特別支援学校の高等部3年生にとって、1~3月は就職内定を得るための最終実習のピーク。3年前から軽い障害の生徒を対象に、職業訓練を重視したコースを設けた羽村特別支援学校(羽村市)では、3年生60人のうち20人が就職を希望。17人の内定が決まり、3人が最終実習に挑んでいる。

 進路指導教諭は、クラスを持たずに企業開拓などを進めている。新聞の折り込みチラシなどを持ち寄り、企業に電話で営業したり、直接訪問したり。その数は年間400社。実習まで結びつくのは20社に満たないが、山口真佐子校長は「企業側は就業実習を通じ『障害者は仕事ができない』というイメージを改めつつある」と強調する。

 同校3年の小林裕也さん(18)は今月初め、富士電機フロンティア東京事業所(日野市)への就職が決まった。同社は、富士電機が障害者雇用向けに作った特例子会社。小林さんは清掃やリサイクルの業務を担当する。

 小林さんは、周囲とコミュニケーションを取るのが苦手で、学校を休みがちだった。欠席は50日に及んだが、2年生の秋に同社で2週間の就業実習をしてから、「障害者がいきいきと働いている。ここに就職したい」と思うようになった。就業能力を磨くため、都教委が実施する清掃技能検定にも挑戦し、最高の1級に合格した。小林さんは「社会の役に立てるよう、強い気持ちで働きたい」と意気込む。

 日立国際電気エンジニアリング(羽村市)は、昨年度初めて知的障害の生徒を採用した。生徒は倉庫の整理作業を担当している。人事担当者は「法定雇用率達成を考えての採用だったが、懸命に働き、同僚への刺激にもなっている。ふさわしい仕事があれば、新たに採用したい」と前向きだ。

 障害者雇用促進法が改正され、2010年7月から、従業員201人以上の企業が法定雇用率の基準を満たさない場合、不足人数1人につき、月5万円(特例で15年6月まで4万円)を国の関連団体に納付することが義務づけられた。身体・知的障害者の法定雇用率について、企業は1・8%、国や自治体の機関は2・1%以上となっている。

 特別支援学校が就職対策を強化している点について、特別ニーズ教育学が専門の高橋智・東京学芸大教授(56)は「知的な遅れのない、発達障害の生徒の入学が増えており、高い就職率はある意味で当然。しかし、障害者の自立は就職することだけではない。手厚い支援が、発達障害や軽度の知的障害者に偏っている点も不安視している」と話している。

 特別支援学校 従来の養護学校(知的障害、肢体不自由等)、盲学校、ろう学校が、2007年4月の学校教育法改正により、「特別支援学校」として制度上一本化された。都立特別支援学校高等部(知的障害)は36校あり、生徒数は3874人(2010年5月1日現在)。

(2011年2月18日 読売新聞)」