新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Jアラートに思う

2017-08-29 11:30:26 | コラム
初めてJアラートを見た:

8月29日の朝6時2分過ぎに突如としてテレビの画面が変わって「北朝鮮がミサイルを発射しました」とJアラートが出た。一寸意外なというか予期せざる時期の発射だったので、危険範囲に挙げられたいくつかの県名を見ても緊迫感はなかった。だが、5時58分に平壌から発射されたのであれば、最早我が国の上空を通過の時刻かと思っていた。換言すれば、発射後の4分では遅いのかと危うさを感じたが、早期の警告であるとは認識していた。

あのように我が国の北部を通過するのでは、既にDPRKが警告したグアム島の周辺を狙っていないのは世界地図を見ても明らかなので、金正恩の意図が那辺にあるのかは想像も出来なかったが、単なる新たなmissile の試射かと思えば納得がいくのかとも考えていた。

私はこの何時果てるとも見えないDPRK の一連の発射とトランプ大統領の Twitter を駆使した口撃による「チキンレース」を見ていて思うことは、トランプ大統領の強硬姿勢はそれなりに評価すべきだとは思う。だが、あの金正恩委員長を(嫌な表現だが)所謂上から目線で攻めるのは、金正恩に要らざる刺激を与えているのではないかと密かに危惧している。

それは、金正恩委員長はかの中国の暴走の帝王・習近平よりも、国家主席に就任した時期が早いので、「俺の方が格が上だ」と自認しているのであり、トランプ様の上から目線は彼の自尊心とプライドを傷つけているのだとの説を見た記憶がある。これがその通りであれば、あのTwitter口撃は火に油を注ぐような行為ではないのか。尤も、トランプ様も世界最大且つ最強の国の大統領という誇りを思い切りお持ちだろうが。

話を元に戻そう。私は戦時中に疎開先で自宅を空襲で失い、中学1年の頃には平塚の空襲の際に焼夷弾が雨あられの如くに降っていく様子を見ていた。また、B29が神奈川県の上空を飛んでいくのを何回も見たし、相模湾に炎を上げて墜落するのも見に行った覚えがある。だが、子供心に「俺の周辺には爆弾は落ちない」と確信していたのだった。その妙な信念が21世紀の今になっても残っており、missileの被害は受けないだろうと思い込んでいる。

だが、アメリカ対DPRKの対立の様子を見れば、今やそのような楽観を許す事態では無いと思っている。それに、アメリカは核の傘で我が国を守ってくれるが如きの思い込みがある。しかし、DPRKの missile がアメリカ領に落下せずに我が国の何処かかを狙ってきた際に、アメリカはその報復としてDPRKを爆撃に行くのだろうか。このように我が国が被害者となった場合の取り決めがどうなっているのかと、一瞬不安に感じた。また、この場合我が国は自衛の為にDPRKを攻めに行っても良いものだろうかとも思い悩んでいた。

私は、Jアラートの画面を見て、我が国の危機感は何時具体的になるかは、予断を許さない事態であると感じていた。また、トランプ様の今後の出方次第では、決して安穏に過ごしていられない時が来ているのかと思った。そこに、菅官房長官の記者会見があったし、総理も囲み取材を受けておられたので、一時的な安堵感は得られた。安倍総理、小野寺防衛大臣、宜しくお願いしますよ。


8月28日 その2 政治資金規正法に思う

2017-08-28 16:14:43 | コラム
政治活動費:

こんな名目だったか自信はないが、名称は何でも良いのだ。昨晩からほとんど全部のテレビ局が神戸市議・橋本健の議員としての広報活動のビラが詐欺まがいであると採り上げて、大々的に報じている。昨晩、その件を聞いた時点で、橋本市議は辞職するしか残された道は無いと思っていた。彼の言い訳のファックスには三日間熟考したとあったが、私に言わせれば、二つに一つしか選択肢がない簡単な事案で即決できたであろう問題だ。

私はそんなゴシップまがいのことよりも、例の大泣き兵庫県議の問題が発生した頃からも散々論議された、政治資金規正法の抜け穴の方を何とかする方が焦眉の急であると考えていた。しかし、如何せん我が国は世界にも希な性善説を思い切り信奉する国であるから、飽くまでも議員さん方の良識を信じていたのだろう。それに、その規正法を改めるのは議員さん方がお決めになることだろうから、一向にその対策が講じられないのもまた当然かと思っていた。

そこまで来れば、矢張り全国津々浦々の小は村会議員から大は国会議員さんたちの良識に待つしか残っていないだろうとも考えていた。だが、そこには人の悲しさで、浜の真砂は尽きなかったようである。そこに、願い出さえすれば手に入る資金があれば、ツイツイ・・・となってしまうようである。ではあっても、この度の橋本前市議?のように明らかに真実がバレてしまうような事をヌケヌケとやってしまう心根は理解不能だ。

テレビでのこの件の暴露報道を見ていれば、最高学府(大時代な言い方で済みません)を出て40歳にも近い議員が、あれほど簡単に見破られる証拠を残して言い訳しようと策謀した神経も解らない。私はあのような行為をしれっとしてやってしまう方も困ったものだが、その正体を見抜けずにトップ当選させたという市民もそういう水準にあったのかと、残念に思えてならないのだ。

野党とマスメディア連合も安倍内閣打倒キャンペーンにうつつを抜かしている暇があるのだったら、こういう政治資金の規正を厳しくしようという運動を真剣に展開すれば、少しは民進党の支持率も改善され、良識ある市民の好感度も上がってくるのではないか。とは言ったが、私は野党の支持率が上がることなど全く望んではいないのは言うまでもないことだ。でも、事態の改善を望んでいる。

スポーツの話

2017-08-28 08:28:25 | コラム
用具の進歩と改良:

前回、甲子園の野球でホームランが増えた背景には、高校生たちの体格と身体能力の向上と練習法の近代化があったと述べた。しかし、これ以外に重要なことがあり、それは用具の質が非常に良くなっていたことを挙げておきたい。尤も、張本勲などはホームランが増えると、常に「飛ぶボール」をその原因として挙げるが、これだって用具の進歩と変化の範疇に入るかも知れないと思う。

そこで、私が用具の進歩を言う根拠を述べていこう。それは1975年頃だったか、1959年以降は縁が切れていたサッカーを再びやるようになって気付いたことだった。縁が切れた理由は、1958年12月に急性肝炎に襲われて1ヶ月半も会社を休んでしまったので、会社員としての将来を考えて自粛したのだった。

そこに、記憶は曖昧だが1975年頃だったか中学から高校の蹴球部の同期だった近藤平八郎君(故人、当時は近藤乳業社長)に強烈に勧誘されて、その頃は住んでいた藤沢市の「藤沢四十雀」に参加したのだった。しかし、最早道具も何もなくなっていたので、一つ覚えのような昔なじみの蹴球靴の専門店、小石川の茗荷谷(?)にあった「安田靴店」に買いに行った。ここで暫く安田の思い出を。

安田靴店は紆余曲折を経て今ではYASUDAになっているらしいが、あの頃に蹴球をやっていて知らない者がいなかった名(迷?)店だった。原則は誂えのはずだが、出来上がりの日に取りに行ってみると足に合っていない靴を出された経験があった者は何人もいた。噂では、あり合わせの靴を渡すのだとなっていた。今ではあらゆるスポーツ用品のメーカーがサッカー靴を扱っているが、往年は安田しか無かったと思う。

当時は靴の底に付けるポイントなどは余った皮を丸く抜き、何枚か重ね合わせて釘を金槌で叩いて打ち付けているようなものだった。昭和23年(1948年)の福岡国体に出場する前に安田にポイントを打ち付けに行った時に出会ったのが当時の早稲田の名FW・岩谷俊夫さんで、お言葉を賜る幸運に感動したものだった。大学までは安田の靴を履いていたと思う。であれば、1975年に安田に行ったのは当然だっただろう。

四十雀で再び恐る恐るボールを蹴ってみると、驚くほど遠くまで飛ぶのだった。その具合はといえば、その日の試合の相手だった高校の1期下の連中が作っていたテイ―ムの連中に「40歳を過ぎてキック力が向上するとは珍しい人だ」と揶揄されたほどだった。遠くまで蹴れるようになっただけではなく、シュートだって矢のように?ゴールネットに突き刺さっていくのだった。

そこで、周囲の連中に解説して貰うと、「その昔の皮を縫い合わせて中にゴムのボールが入っていて重かったものが、合成皮革(なのか?)等の材料を使うようになって軽量化された上に、サッカーの靴もその質が飛躍的に進歩していることも、キック力の向上に繋がっているようだ」ということだった。今にして思えば、現在の高校生たちとは違って40歳を過ぎて身体能力が向上する訳はないのだから、キック力の向上は用具の進歩に負うところ大だったのだろう。

ここで、話を野球に戻せば、食生活も違って体格も良くなってきた若者が、近代的な練習法で合理的に鍛え上げられれば、ホームランが沢山出ても不思議はないということになりそうだ。しかも、高野連は高校生に金属バットを使わせているのも助けになっているのではないのか。

そこで、思いつくままに、他の競技の用具を考えてみると、陸上競技では棒高跳びの棒には昔は木か竹が使われていたが、今ではガラス繊維強化プラスティック(GFRP)や炭素繊維強化プラスティック(CFRP)等に変わっていると聞く。トラックの材質だって土ではなく「アンツーカー」になっているという具合だ。

結論めいたことを言えば、スポーツにおける記録の飛躍的向上には選手たちの身体能力を科学的且つ合理的に向上させた練習法と、用具の進歩があるのだろうと思う。だが、水泳だの陸上競技のトラック種目等には用具の進歩や改良が何処まで貢献したかは私には解らない。



8月27日 その2 野球と近代的且つ科学的練習法

2017-08-27 10:39:19 | コラム
甲子園野球でホームランの新記録が:

先日終わったばかりのこの野球大会で多数のホームランが出たことについて、先ほど終わったTBSの「喝」の枠の中で、巨人OBの槇原が「現在の高校生は(ウエイト)トレーニングを十分にやっているので凄い筋肉が付いて体格が向上したからだ」と言っていた。張本勲も「打つ方は機械を使った練習が出来るが、投手はそういう訳にいかず不利だ」と「打高投低」の現状を嘆いて見せた。

それは確かにそうだが、野球は精神論が長いこと蔓延ってきたので、漸くウエイトトレーニングを始めとする合理的な近代的且つ科学的な鍛え方が普及が遅れただけのことだ。故に、この現象などは決して褒めることでも誇りに思うことでもないのだ。フットボールの話をすれば、今を去ること40年近く前でも、高校ではウエイトトレーニングをするのは当たり前だった。高校1年生部員でもベンチプレスで、何事でもないように100 kg を挙げていた。簡単に言えば、野球が遅れていただけのことだ。

打球が飛ぶようになったのはそれだけではない。昔の映像かビデオか知らないが、長嶋や王の体格を見れば「今ならばあの程度の体では一本目で使っただろうか」と疑問に思わせるほどで、失礼を顧みずに言えば、貧弱だったのだ。即ち、時移り人が変わって食べ物が良くなり、サプリメントのようなものが普及すれば、体格も飛躍的に向上したし腕力も強くなったのだ。それで打球の速度も伸びるし、距離も出るのだ。高校野球の指導者たちが漸く近代化を成し遂げつつあるのだと、私は解釈している。

その時代にあって、偏向報道を旨とする朝日新聞は未だに甲子園でベンチに入れる人数を制限し、プロ野球でさえ(失礼)あれほど細分化したコーチ陣を置いているにも拘わらず、18人の選手の他には監督と記録員以外を入れないという吝嗇振りである。吝嗇という理由は、交通費や宿泊代等の経費を考えれば、660万部しか売れていない新聞を考慮すれば、人数の増加を避けたくなるのも当然かと考えている。

だが、野球以外の球技が練習法に関して、現在どういう状況にあるかを、朝日の運動部の記者が知らない訳は無いと思う。簡単な一例を挙げれば、関西学院大学のフットボール部ファイターズでは40人だったかの一軍(だけではなかったかも知れないが)の選手たちには各人に専属の学生コーチが付いて事細かにデータを取って助言し且つ指導していると聞かされている。これがフットボールの近代的且つ科学的な練習法だ。

更に、フットボールの関東・関西の一部リーグに所属する大学では、トレーナーが全員の身体能力を細かに把握して、そのポジションに適したウエイトトレーニング等のメニューを作り、各人がそれに従って自主的に練習を積んでから、全員での練習に参加する方式が普通のことのように採用されている。勿論、学生コーチの他に正式のコーチがポジション別に指導に当たっているし、プロのトレーナーも付いている。

こういう形式はアメリカに倣ったものと言うか、アメリカに指導され導入されたのが、野球ではそういう所まで行くのが遅かっただけだと思っている。サッカーにもその遅れ(恨?)みがあるように見えるのが残念である。私の目には、優れた素材が未だ未だ野球に取られているように思えてならない。それは、極端な例を挙げれば、野球の強豪校で補欠だったような素材が大学でフットボール部に入って素質が開花して1年目から一本目になり、遂には全日本級の選手になってしまった例がいくらでもあるのだ。

どうやら、野球の練習法の近代化の遅れを批判するのではなく、人にはどの競技が本当に向いていて、生まれ持った素質を何処まで伸ばせるかなどは、容易に判断できないということを言っているような気がするのだ。マスコミ好みの清宮幸太郎などは、父親のラグビー界の有名人・清宮克幸監督が「ラグビーは金にならない」と言って野球をやらせたそうだ。そして、あの首尾だったようだ。彼がラグビーかフットボールをやったらどうだっただろうかには、一寸興味がある。同様に、私は松井秀喜にテニスをかゴルフをやらせれば、世界の一流選手になっていたような気がするのだ。だが、Who knows?だ。

更に、甲子園で全ての打撃面での記録を更新してしまった広陵高校の中村君などは野球以外をやらせてみたい気がするような優れた運動神経を備えているかに見える気がするし、その点では清宮よりも上だと見た。後難を恐れずに言えば、両名とも間違っても新人の優れた素材の育成の手腕が12球団中最悪な読売巨人軍だけには行かないことだ。読売に行くらいならば、我がご贔屓のフットボールを選ばせたい。


現行憲法を守りたい奴ら

2017-08-27 08:02:11 | コラム
安倍内閣打倒して改憲を阻もうとする一味を退けよう:

例の閉会中審査華やかなりし時に、「彼ら野党とマスコミ連合は迫り来るDPRKのmissileと核の脅威を論ぜずして、何故に些末な森友・加計・日報にかまけて安倍内閣を攻め続けるのか」と散々批判し、偏向した報道を非難した。尤も、事がここまでに到れば、マスコミなどと抽象的なことを言うのを辞めて「朝日新聞(テレ朝)、毎日新聞(TBS)、東京新聞」と言えば解りやすいかと考えたが、今やここに週刊文春と週刊新潮を加えても良いかとすら考えている

そこで、彼らの手口を分析してみようと思い立った。彼らはそもそも我が国は侵略戦争を仕掛けた悪い国で東南アジアの諸国に多大な迷惑をかけ、大東亜戦争に敗れて東京裁判で厳しく罰せられたのであるという考えに凝り固まっている、自虐的な連中なのだ。だからこそ、毎年8月15日が来れば深く反省した論説を繰り広げる傾向がある。そういう思想の表れが虚偽の慰安婦問題を全世界にばらまいた朝日新聞の姿勢である。

その彼らの前に第二次安倍内閣が誕生し、憲法改正を悲願とする安倍晋三総理が立ち塞がったのである。それでなくても、安倍総理を嫌悪する朝日新聞などは「安倍の葬式はうちが出す」とまで公言する偏向振りだった。ここまで考えてくれば、後は極めて解りやすいのであって、彼らは何としても「平和憲法」を維持したいのであり、安保法制を打ち出した安倍政権などは許しがたい存在なのである。

彼らの眼中には中国が我が国を目の敵にするだけではなく、尖閣諸島どころか沖縄の略奪も視野に入れているし、河添恵子さんのように「我が国を属国化する意図がある」とその野望を指摘する人もある。また、韓国は文在寅政権の出現で不可逆的合意の再交渉を言い出すだけでに飽き足らず、不当極まりない徴用工問題まで蒸し返す姿勢を明確にした。野党とマスコミ連合は平和憲法さえ護持すれば安穏に暮らせると思い込んでいるとしか思えない。共産党の如きは当初は現行憲法が発布される時には反対したことをなど綺麗さっぱりと忘れ去ったかの如きだ。

彼らのリベラルどころではない極度に左傾した政治姿勢と、それを支えるマスコミの加戸元愛媛県知事の国会証言を1行も報じないような偏向振りを見せる報道に支えられて、安倍内閣の支持率を30%近辺にまで下げることに成功したのだった。ここまで安倍内閣を「悪」と決めつければ、憲法改正の国民投票の行方も極めて不確実となっていくだろう。

要するに、彼らは何としても安倍内閣を潰して仮令解散が来年になろうとも、改憲に必要な議席を確保させないようにと企んでいるのは明白であろう。私はこんな簡単なことを言う為にここまで引っ張ってくることも無かったとは思う。だが、野党とマスメディア連合が国民の目を安倍内閣批判に持っていこうとする国賊的な連中であると告発したいのである。

だが、現在のようにトランプ大統領が世界の情勢を敢えて不透明な状態に追い込み、金正恩が何時暴発するか、アメリカが軍事行動に出てしまうか見通せない所に追い込んでしまったので、我が国にも何時危険が迫ってくるか解らないのだ。私はこの状態を十分に解っておられる方々が多いとは信じているが、極度にリベラル化した野党と偏向したマスコミが存在するのは、誠に好ましくないと思う。