新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月22日 その4 甲子園の野球

2017-08-22 16:52:21 | コラム
今日、言っておかないと:

実は、私の閃きでは広島の広陵高校が最もくさかった。私はあの主の野球を売り物にしているかのような高校(誤解と誤認識だったらお許しを)が好みではなく、明徳義塾とともに嫌っていた。だが、今年はマスコミが大阪桐蔭を春夏連覇と騒ぎすぎるので、先ず来ないだろうと予測していた。これは過去にも何度もあったことで、騒ぎ立てられて勝ち抜いたことは希である。

であれば、広陵しか残らないと見ていたが、果たせるかな天理を破ってしまった。実はこの試合は外出していて見ていなかった。だが、帰宅して東海大菅生が9回裏に同点に追い付いたのは見たが、東海大菅生の力もそこまでと見えたので観戦を止めてPCに向かうことにした。あの9回の裏に2点差を追い付いたのは立派だったが、菅生後からはあそこまでと見えていた。

決勝戦の予想などは野暮だとは思う。だが、閃きでは広陵は流れに乗っているかのようなので有利かも知れないのだ。花咲徳栄は決勝戦まで出てきたのは素晴らしいが、広陵と比べれば大試合の経験が足りない気がする。だが、勝負の行く末は解らない。

8月22日 その3 英語の駄洒落

2017-08-22 16:47:04 | コラム
言うまいと思えど今朝の寒さかな:

頂門の一針の第4452号に馬場伯明氏が駄洒落の英語を投稿しておられた。掲題はその尤も古典的なものと認識している駄洒落の原型で

You might(think)on my head today’s some fish.(=言うまいと思えど今日の寒さかな)なのだが、馬場氏は“You might(think)on my head today’s hot fish.” に変えられ夏の季節に合わせて「暑さかな」と更に洒落のめされた。

更に馬場氏は「このようなダジャレ英語表現は、正統な英語の実践と教育について積極的 に本誌でも指摘されている本誌の常連投稿者のMさんから軽蔑され 叱責されるだろう。」とご心配だった。だが、何を隠そう私はこのような駄洒落は大好きなびです。そこで、これも古典的な

“Fully care cowards to become mid note.”などというのを作って一人楽しんでいた。これは言うまでもなく「古池や蛙飛び込む水の音」である。記憶は確かではないが、この原型は“Full in care, cow was to become mid not.”だったと思う。

馬場氏は他にも数多く採り上げたおられたが、その中でも私が最も好みであるのが“To be to be ten made to be”で「飛べ飛べ、天まで飛べ」である。これはご存じの方も多いかも知れない。極めて興味深い話題を採り上げられたものだと敬意を表したい。

私はこういう音を合わせたもの以外に「そんなのbefore breakfastだ」というのも、普通の日本語の会話に中に入れていたことがあった。ところが、これを聞いた商社の若手は、光栄にも私が使っていた以上本当の英語表現だと誤解しで、「英会話」の中で真似てしまったそうである。「酷いじゃないですか。恥をかきました」とクレームを付けられた。これは生きた英語では”It’s a cinch.”か”It’s a piece of cake.”となる。

その他にも”Look at zama!”も屡々文章の中に取り入れたものだった。ご想像の通りで「ざまを見ろ」なのだが、英語では何というのか、参考までに和英辞典を見ると”It serves you right.”とあった。「へー」だった。私が瞬間に考えたのは、”You must realize It was your own fault.”だったが、もう一つ物足りない表現だったかと反省。


8月22日 その2 臨死体験:

2017-08-22 15:11:56 | コラム
<strong>何物にも代えがたい貴重な経験だっただろうか:

私は2006年8月14日(月)の午後4時半過ぎだっただろうか、カテーテルで中下降肢にstentを入れる処置を受け部屋に戻った。一安心と寛いでいるところに突如として目の前に茶色の紗がかかったと同時に悪寒がして、「寒い」と見舞いに来ていた家族に告げた後でナースコールのボタンを押してから一時的に失神した。

あれから11年経った今年でも8月14日が月曜日なのは単なる偶然の為せる業だろうが、約1週間遅れであの時の臨死体験(だったのだろう)を回顧してみようと思い立った次第。

私の意識が朦朧とした辺りから病棟中の大騒ぎになり、病棟の主治医の先生や多くの看護師さんたちが駆けつけたのは承知していた。直ちにボンベが持ち込まれ酸素マスクがかけられたのも覚えている。

そのうちに主治医が「壁から酸素が取れる病室に移そう」と指示されて、隣の部屋にベッドごと移動した。そこで愚息の顔を認識したが、そこから先は記憶が曖昧となった。後で聞けば心臓マッサージを受けたそうで、心肺停止状態の近所まで行ってしまったようだった。未だにハッキリと覚えているが、そこは何も見えない真っ暗で静かな世界だった。別な表現をすれば、何かフワッと浮いていたような状態だったとでも言えば良いだろうか。恐らく脳に血液が上がっていなかったのだろう、苦しくもなく何処も痛くもない状態で、時々周囲の人が騒いでいる状態が解ったかと思うと、またフワッとした状態に戻って、何も見えず聞こえなくなってしまうのだった。

回復した後で考えたことだが「もしかして、あの先に死があるのだったらば、死ぬのは苦しくも何ともなく楽なものではないのか」だった。

そして更に聞こえたのは病棟の主治医の声で「カッテイングを入れろ」であり、婦長さんの「前田さん、解りますか」なのだった。だが、勿論反応出来る状態ではなく、もどかしい思いもあった。時には目が見える状態になる時もあり、彼女の顔を識別できるのだが、何分にもあの状況では声を発する方法も解らず、ただ頷くだけだったと思う。

そして、どれほど時間が経過した後だったか、「先生、30の60です」との看護師さんの声の後に、主治医が「ノルアドを後~CCだ」と叫ぶのも聞こえた。今でも覚えているが、その意味を理解する力はなかった。その後で「先生、40の90になりました」と聞こえてからは、目も少し見えて意識も少し戻ってきたと思う。それでも、フーッとまた何処かの暗闇に落ちていくことがあったようだった。

自分でも訳が解らないことは、その時でも聞こえていたことを理解できなくとも、記憶力は正常に作用していたことだった。それに11年も経った今でも記憶が失われていないのも不思議だ。あの見えていたような気がする暗い底なしの世界は、一体何だったのだろう。

そして、看護師さんの「130の60です」という声が聞こえたのだが、意識が戻ればそれが「血圧のことだ」くらいは判断できたし、「あー、助かったのだ」とも認識できていた。病棟の主治医の先生はそれから間もなく「もう安心だ」と引き上げられたのも承知していた。

終わった(?)時は7時半近くだったかも知れない。担当の看護師さんが保留されていた夕食を「食べられますか」と持ってこられたので、喜んで食べた。ハッキリと覚えているが「かにの爪」が主菜だった。ほとんど何も残さずに食べられた。それを見届けた看護師さんも「これなら大丈夫」と保証してくれた。見守っていた家内も愚息も「どうぞ、お帰り下さって結構です」と告げられて引き上げた。

実は、そんな重病人だと思っていた私は、中2日おいた17日の退院を許可されたのだった。しかも、18日にはSBS静岡放送の定期的ラジオの出演日で、主治医からは「何の心配もない状態だから、誰か付き添いを付けて行っても良し」と許可を頂いた。だが、流石に怖くて行こうという気にはなれずに急遽SBSに連絡し、お詫びして延期して貰った。

上記を「臨死体験」というのだろうが、生死の境を彷徨っていると見える患者には、意外にも周囲で何か言い合っている声が聞こえていることもあれば、私の場合は細切れであっても記憶に残っているのだということも経験した。これは矢張り貴重な経験だったのだろうと考えるようにしている。


長雨にも負けず

2017-08-22 07:35:02 | コラム
長雨は個人消費の伸びを妨げるか:

私は今年の8月のように21日も雨降りが続けば、ジムに行く以外はほとんど外出しなかったので、(無駄な?)出費をする機会も減り、我が国のGDPを支えているはずの個人の消費を伸ばすことに貢献出来ずに大いに反省している次第だ。こんな陽気が続けば、7~9月期の消費景気は不調に終わるかとまでも危惧している。余計なお世話か?

当方は長雨のせいにしていたが、読書家の畏友O氏は8月始めからの腰痛のために全く外出しておられない由だ。だが、読みたい本はチャンとアマゾンで入手しておられるそうだ。そこで、彼と意見を交換したのだが、ICT化が進んだ現代にあっては、我々デイジタル・デイバイド世代は店舗を構えた小売店で物を買うしか無いと思っていても、我々以下の若き世代は何ものをも恐れずにネット通販等で購入するようだとあらためて確認した。

O氏からは8月19日の日経新聞に

<米企業にアマゾン恐怖症。ウオルマート、5~7月期の純利益は前年比23%減。 アマゾンが進出する業界には強い逆風が吹き荒れる。米国で「アマゾン・エフェクト」と呼ばれる現象はどこまで飛び火するのか。膨張するガリバーへの恐怖が米国の産業界に広がっている。>

との記事が掲載されていたと紹介された。「なるほど」である。

我が国でも、既に百貨店等の大規模小売業における業績不振の主たる原因の一つに、アマゾンを筆頭とするネット通販等の広範囲における普及があるのは疑う余地もない事実のようだ。かく申す私自身は最早非耐久消費財等の購入は某商社のファミリーフェアーか、量販店か、アウトレット等に依存しており、百貨店への依存度は極めて低い。だが、ネット通販への依存度もこれまた低いというか、未だ未だ依存しようという心構えは出来ていない世代なのだ。

だが、ヤマト運輸などの残業代未払いなどが世間を騒がせている有様が報じられ、外に出て宅配便の車や忙しげに走り回るドライバーさんたちの姿を見れば、如何にネット通販を含めて店頭で商品に触れずに購入する消費者が増えたかが解ろうというものだ。そこにはPCだけではなく、スマートフォンという新時代の携帯用端末の普及が如何に進んだかも朧気ながら見える気もする。

ここまでを要約してみれば、「長雨で閉じ込められようと、体調不備で外出できなくとも、個人消費の伸びは必ずしも妨げられないのが現代ではないのか。GDPの伸び悩みなど杞憂に終わるのではないのか」とでもなるだろうか。但し、その陰に個人消費というか出費の形態が変わることによって、不可抗力的に衰退せざるを得ない店舗を構える小売業があるのを忘れてはなるまい。

政府はこのような時代の変化に如何に対応していくのだろうか。宅配業界における残業料の未払い問題とは、このような時代の急速な変化があのような形で現れたとみれば解りやすいのかなとも考えている。実は、今回アマゾンで購入した電子レンジの商品説明には「配達は受注の2日後」となっていた。配達にやって来たのはヤマトだった。