新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月27日 その2 野球と近代的且つ科学的練習法

2017-08-27 10:39:19 | コラム
甲子園野球でホームランの新記録が:

先日終わったばかりのこの野球大会で多数のホームランが出たことについて、先ほど終わったTBSの「喝」の枠の中で、巨人OBの槇原が「現在の高校生は(ウエイト)トレーニングを十分にやっているので凄い筋肉が付いて体格が向上したからだ」と言っていた。張本勲も「打つ方は機械を使った練習が出来るが、投手はそういう訳にいかず不利だ」と「打高投低」の現状を嘆いて見せた。

それは確かにそうだが、野球は精神論が長いこと蔓延ってきたので、漸くウエイトトレーニングを始めとする合理的な近代的且つ科学的な鍛え方が普及が遅れただけのことだ。故に、この現象などは決して褒めることでも誇りに思うことでもないのだ。フットボールの話をすれば、今を去ること40年近く前でも、高校ではウエイトトレーニングをするのは当たり前だった。高校1年生部員でもベンチプレスで、何事でもないように100 kg を挙げていた。簡単に言えば、野球が遅れていただけのことだ。

打球が飛ぶようになったのはそれだけではない。昔の映像かビデオか知らないが、長嶋や王の体格を見れば「今ならばあの程度の体では一本目で使っただろうか」と疑問に思わせるほどで、失礼を顧みずに言えば、貧弱だったのだ。即ち、時移り人が変わって食べ物が良くなり、サプリメントのようなものが普及すれば、体格も飛躍的に向上したし腕力も強くなったのだ。それで打球の速度も伸びるし、距離も出るのだ。高校野球の指導者たちが漸く近代化を成し遂げつつあるのだと、私は解釈している。

その時代にあって、偏向報道を旨とする朝日新聞は未だに甲子園でベンチに入れる人数を制限し、プロ野球でさえ(失礼)あれほど細分化したコーチ陣を置いているにも拘わらず、18人の選手の他には監督と記録員以外を入れないという吝嗇振りである。吝嗇という理由は、交通費や宿泊代等の経費を考えれば、660万部しか売れていない新聞を考慮すれば、人数の増加を避けたくなるのも当然かと考えている。

だが、野球以外の球技が練習法に関して、現在どういう状況にあるかを、朝日の運動部の記者が知らない訳は無いと思う。簡単な一例を挙げれば、関西学院大学のフットボール部ファイターズでは40人だったかの一軍(だけではなかったかも知れないが)の選手たちには各人に専属の学生コーチが付いて事細かにデータを取って助言し且つ指導していると聞かされている。これがフットボールの近代的且つ科学的な練習法だ。

更に、フットボールの関東・関西の一部リーグに所属する大学では、トレーナーが全員の身体能力を細かに把握して、そのポジションに適したウエイトトレーニング等のメニューを作り、各人がそれに従って自主的に練習を積んでから、全員での練習に参加する方式が普通のことのように採用されている。勿論、学生コーチの他に正式のコーチがポジション別に指導に当たっているし、プロのトレーナーも付いている。

こういう形式はアメリカに倣ったものと言うか、アメリカに指導され導入されたのが、野球ではそういう所まで行くのが遅かっただけだと思っている。サッカーにもその遅れ(恨?)みがあるように見えるのが残念である。私の目には、優れた素材が未だ未だ野球に取られているように思えてならない。それは、極端な例を挙げれば、野球の強豪校で補欠だったような素材が大学でフットボール部に入って素質が開花して1年目から一本目になり、遂には全日本級の選手になってしまった例がいくらでもあるのだ。

どうやら、野球の練習法の近代化の遅れを批判するのではなく、人にはどの競技が本当に向いていて、生まれ持った素質を何処まで伸ばせるかなどは、容易に判断できないということを言っているような気がするのだ。マスコミ好みの清宮幸太郎などは、父親のラグビー界の有名人・清宮克幸監督が「ラグビーは金にならない」と言って野球をやらせたそうだ。そして、あの首尾だったようだ。彼がラグビーかフットボールをやったらどうだっただろうかには、一寸興味がある。同様に、私は松井秀喜にテニスをかゴルフをやらせれば、世界の一流選手になっていたような気がするのだ。だが、Who knows?だ。

更に、甲子園で全ての打撃面での記録を更新してしまった広陵高校の中村君などは野球以外をやらせてみたい気がするような優れた運動神経を備えているかに見える気がするし、その点では清宮よりも上だと見た。後難を恐れずに言えば、両名とも間違っても新人の優れた素材の育成の手腕が12球団中最悪な読売巨人軍だけには行かないことだ。読売に行くらいならば、我がご贔屓のフットボールを選ばせたい。



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