新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月28日 その2 政治資金規正法に思う

2017-08-28 16:14:43 | コラム
政治活動費:

こんな名目だったか自信はないが、名称は何でも良いのだ。昨晩からほとんど全部のテレビ局が神戸市議・橋本健の議員としての広報活動のビラが詐欺まがいであると採り上げて、大々的に報じている。昨晩、その件を聞いた時点で、橋本市議は辞職するしか残された道は無いと思っていた。彼の言い訳のファックスには三日間熟考したとあったが、私に言わせれば、二つに一つしか選択肢がない簡単な事案で即決できたであろう問題だ。

私はそんなゴシップまがいのことよりも、例の大泣き兵庫県議の問題が発生した頃からも散々論議された、政治資金規正法の抜け穴の方を何とかする方が焦眉の急であると考えていた。しかし、如何せん我が国は世界にも希な性善説を思い切り信奉する国であるから、飽くまでも議員さん方の良識を信じていたのだろう。それに、その規正法を改めるのは議員さん方がお決めになることだろうから、一向にその対策が講じられないのもまた当然かと思っていた。

そこまで来れば、矢張り全国津々浦々の小は村会議員から大は国会議員さんたちの良識に待つしか残っていないだろうとも考えていた。だが、そこには人の悲しさで、浜の真砂は尽きなかったようである。そこに、願い出さえすれば手に入る資金があれば、ツイツイ・・・となってしまうようである。ではあっても、この度の橋本前市議?のように明らかに真実がバレてしまうような事をヌケヌケとやってしまう心根は理解不能だ。

テレビでのこの件の暴露報道を見ていれば、最高学府(大時代な言い方で済みません)を出て40歳にも近い議員が、あれほど簡単に見破られる証拠を残して言い訳しようと策謀した神経も解らない。私はあのような行為をしれっとしてやってしまう方も困ったものだが、その正体を見抜けずにトップ当選させたという市民もそういう水準にあったのかと、残念に思えてならないのだ。

野党とマスメディア連合も安倍内閣打倒キャンペーンにうつつを抜かしている暇があるのだったら、こういう政治資金の規正を厳しくしようという運動を真剣に展開すれば、少しは民進党の支持率も改善され、良識ある市民の好感度も上がってくるのではないか。とは言ったが、私は野党の支持率が上がることなど全く望んではいないのは言うまでもないことだ。でも、事態の改善を望んでいる。

スポーツの話

2017-08-28 08:28:25 | コラム
用具の進歩と改良:

前回、甲子園の野球でホームランが増えた背景には、高校生たちの体格と身体能力の向上と練習法の近代化があったと述べた。しかし、これ以外に重要なことがあり、それは用具の質が非常に良くなっていたことを挙げておきたい。尤も、張本勲などはホームランが増えると、常に「飛ぶボール」をその原因として挙げるが、これだって用具の進歩と変化の範疇に入るかも知れないと思う。

そこで、私が用具の進歩を言う根拠を述べていこう。それは1975年頃だったか、1959年以降は縁が切れていたサッカーを再びやるようになって気付いたことだった。縁が切れた理由は、1958年12月に急性肝炎に襲われて1ヶ月半も会社を休んでしまったので、会社員としての将来を考えて自粛したのだった。

そこに、記憶は曖昧だが1975年頃だったか中学から高校の蹴球部の同期だった近藤平八郎君(故人、当時は近藤乳業社長)に強烈に勧誘されて、その頃は住んでいた藤沢市の「藤沢四十雀」に参加したのだった。しかし、最早道具も何もなくなっていたので、一つ覚えのような昔なじみの蹴球靴の専門店、小石川の茗荷谷(?)にあった「安田靴店」に買いに行った。ここで暫く安田の思い出を。

安田靴店は紆余曲折を経て今ではYASUDAになっているらしいが、あの頃に蹴球をやっていて知らない者がいなかった名(迷?)店だった。原則は誂えのはずだが、出来上がりの日に取りに行ってみると足に合っていない靴を出された経験があった者は何人もいた。噂では、あり合わせの靴を渡すのだとなっていた。今ではあらゆるスポーツ用品のメーカーがサッカー靴を扱っているが、往年は安田しか無かったと思う。

当時は靴の底に付けるポイントなどは余った皮を丸く抜き、何枚か重ね合わせて釘を金槌で叩いて打ち付けているようなものだった。昭和23年(1948年)の福岡国体に出場する前に安田にポイントを打ち付けに行った時に出会ったのが当時の早稲田の名FW・岩谷俊夫さんで、お言葉を賜る幸運に感動したものだった。大学までは安田の靴を履いていたと思う。であれば、1975年に安田に行ったのは当然だっただろう。

四十雀で再び恐る恐るボールを蹴ってみると、驚くほど遠くまで飛ぶのだった。その具合はといえば、その日の試合の相手だった高校の1期下の連中が作っていたテイ―ムの連中に「40歳を過ぎてキック力が向上するとは珍しい人だ」と揶揄されたほどだった。遠くまで蹴れるようになっただけではなく、シュートだって矢のように?ゴールネットに突き刺さっていくのだった。

そこで、周囲の連中に解説して貰うと、「その昔の皮を縫い合わせて中にゴムのボールが入っていて重かったものが、合成皮革(なのか?)等の材料を使うようになって軽量化された上に、サッカーの靴もその質が飛躍的に進歩していることも、キック力の向上に繋がっているようだ」ということだった。今にして思えば、現在の高校生たちとは違って40歳を過ぎて身体能力が向上する訳はないのだから、キック力の向上は用具の進歩に負うところ大だったのだろう。

ここで、話を野球に戻せば、食生活も違って体格も良くなってきた若者が、近代的な練習法で合理的に鍛え上げられれば、ホームランが沢山出ても不思議はないということになりそうだ。しかも、高野連は高校生に金属バットを使わせているのも助けになっているのではないのか。

そこで、思いつくままに、他の競技の用具を考えてみると、陸上競技では棒高跳びの棒には昔は木か竹が使われていたが、今ではガラス繊維強化プラスティック(GFRP)や炭素繊維強化プラスティック(CFRP)等に変わっていると聞く。トラックの材質だって土ではなく「アンツーカー」になっているという具合だ。

結論めいたことを言えば、スポーツにおける記録の飛躍的向上には選手たちの身体能力を科学的且つ合理的に向上させた練習法と、用具の進歩があるのだろうと思う。だが、水泳だの陸上競技のトラック種目等には用具の進歩や改良が何処まで貢献したかは私には解らない。