新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月21日 その2 会社に対する忠誠心

2016-10-21 17:44:36 | コラム
愛社精神と言っても良いことかも知れない:

私は日米間の会社に対する根本的な態度というか姿勢には大いなる違いがあると経験上も考えている。それはアメリカ人の意識では「会社とは単に生活の糧を稼ぎ出す為の手段の一つであり、そんなところに対して忠誠心だの愛社精神を発揮する義理はない」と認識しているところであると経験から学んだのだった。それに会社側も心得たもので、福利厚生などには気を配ることもないのだ。例えば我が国ならば当然用意するだろう転勤者ようの社宅など考えてもいない。それだけではない、社宅など設けることも準備もしないで、住居は社員のリスクでやってくれという姿勢。社食なんてものを作る気配りは経営者側の脳裏にはないだろう。

であれば、海の家だの山荘などを作る訳もなけれ、。「ジムやテニスコート等も使いたければ、自分でクラブに入ってやれよ」と言われるだけだろう。ウエアーハウザー等は偶々本社がシアトル市内から40分もドライブする人里離れた(?)自社所有の言わば森林の中になったために、マリオットホテルが運営する豪華なカフェテリアが設けてあり、朝早くから好き好んで(必要に迫られて?)出勤する者の為に早朝6時から朝食が用意されていたのは、例外的な温情だっただろう。

かく申す私も何と言っても最も大事だったのは自分で、如何にして自分を守るか、即ち”job security”を確保するかが最大の課題だった。それは如何にして与えられた仕事というか課題をこなしていく為には身を粉にして働き尚且つ健康を維持することが最優先で、会社の為に働くことも頭の中には勿論あっても、それは矢張り二の次だったと思う。その次くらいに考えていた。チャンと与えられた仕事を全うできていないと、まかり間違うと、"I don't like you."と上司に言われてアッサリと 馘首される危険性が1%でも残っているのだ。99%も俺がクビになる訳はないと思っていても、何か一寸したミスがあると「失職の危険性」が生じてくる世界。

私自身の17年間の日本の会社の頃のことを思い出せば、確かに雇って頂いた会社の為、同じ部署にいる皆の為にウッカリ過ちを犯してはならない、迷惑をかけてはならないことを非常に重要なことと認識していたのだった。そこには愛社精神も忠誠心も厳然としてあったと記憶する。皆で会社の為に一丸となってやっていくのが当然だと思っていた。遅刻などして課長に叱られないようにしようと懸命だった。アメリカの会社には「遅刻」という概念はない。自己の都合で出勤するだけだから。

そういう我が国独特の企業社会の文化があればこそ、皆で夜遅くまで残って働くのは普通のことという精神というか、心がけがあったのだと、今は考えている。会社の為になろうというようの忠誠心を利用して、長時間の残業をさせても良いとは思えない気もするのだ。



長時間の残業に思うこと

2016-10-21 09:05:33 | コラム
電通で自殺者が出たことを心からお悔やみ申し上げます:

私は日本とアメリカの両方の会社を経験した者として「残業」というか、”overtime”について考えてみたい。

日本の会社時代の経験では課全体が5時を過ぎても皆忙しく働いている時に、譬え自分の仕事が終わっていても「お先に失礼します」などと言い出せる雰囲気はなかった。また、自分よりも年長者(私は「先輩」だの「後輩」だのと言う分け方が好みではないし、また年齢で区別しない世界に長居したのでこの表現を使いたくないのだ)も残っていたり、何もしていなくても課長が席に座ったままであれば、とても帰れたものではないと考えていた。

ここには、我が国の企業社会独特の文化である「皆でやろう」という精神があり、一つの組織である課では皆が同じ範囲というか分野の仕事をしているので、誰か1人が欠けてしまうことはあり得ないことが多く、且つまた欠けてしまうことは許されない仕組みになっていたと思う。それこそが我が国の「皆で一つになって」であり「一丸となって」事に当たる、対処する文化なのである。その対処の時間が事と次第によって長引くこともまたあるのだと思っていた。

また、某商社ではこういう経験もした。商社の仕事というのは入って見て解ることで言うなれば激務であり、各人が負担するというか担当している仕事の範囲は広く且つ深い。そこに新入社員のK君が同じスーツを3日間着用していたのに気付いて、何でかと尋ねてみた。彼は仕事が片付かずに会議室の椅子を並べて寝泊まりしていたので、既に2日連泊していたというのだった。下着等は近くのコンビニ等で買い求めて着替えていたとのことだった。

彼は連泊せざるを得ない理由を「会社というか部内での私に対する仕事量の割り振りが間違っているのか、あるいは私の能力不足で諸先輩のようにその日のうちに消化し切れていなかったかの何れであり、何れにせよ自分の責任であるから、課長や部長に苦情を申し立てることはない。私などは未だ生易しい方で、多忙を極めた部署に配属された同期には2週間も連泊している者がいる」と語ってくれた。こうやって彼は新入社員が皆経験する関門をくぐり抜けていった。

アメリカの会社に話を移そう。何度も述べてきたことだが、そこには「皆でやろう」か「一丸となって」というような思想も文化もない。全員が所属長、普通は事業本部長だが、から「職務内容記述書」を合意の上で与えられ、そこにある仕事を単独でこなしていく仕組みになっていて、同僚と重複する仕事などは原則としてあり得ない。各人が主体性を以てその担当範囲をこなしていくのである。アシスタントなども付けないのが当たり前の世界だ。

と言うことは、その担当範囲内の仕事を消化する為には朝6時から出勤せざるを得ないこともあれば、午後3時に片付けば「お先に」とも言わずに帰って行ってしまうことがある。大体からして本社にいる者は個室を与えられているので、隣の者が何をしているかなどには一切関知していない者だ。また、仕事の量が多ければ夜は8時でも9時でも残っているのは当たり前だ。全てが個人単位である以上、誰か同僚が手伝うことなどはあり得ない。それは同僚は「他人の仕事を手伝う為の給与など貰っていない」のだから当然だ。要するに、残業というか会社に残っているのは当人の勝手であり、誰に命令された訳でもなく、上司に気兼ねしているのでもない。秘書さんなどはボスが残っていても気にせず時間が来れば帰ってしまうものだ。

また、本社機構に組み込まれている者たちは皆会社側で年俸制であり、組合員などはいないのであるから、残業料などは発生しない。要するに自分に割り当てられた仕事を恙なくやり遂げる為には、何時に出勤して何時に帰るかは各人の自由裁量であるといった方が解りやすいだろう。しかも、彼らは年俸の多寡に応じて仕事量と責任が急激に増えるから、副社長兼事業部長などは部内の誰よりも早く出勤し遅くまで残っているのは当たり前と部下たちは認識している。

ここまでは「日米企業社会における文化の違い論」の一端を述べてきたが、私には日米何れのやり方というか在り方が優れているかなどは断定できない。ただ言えることは「私にはアメリカ式の方がシックリときて、働きやすかった」だっただろう。電通が少数精鋭主義で少ない人数で多くの仕事を皆でこなして成果を上げようとしていたのかなどは外からはとても計り知れない。だが、あれほど長時間にわたって残っていなければならなかった裏には何があったのかと感じる。

謹んで亡くなった方のご冥福を祈って終わる。


10月20日 その2 専門商社マンと懇談した

2016-10-20 17:26:19 | コラム
円安が¥120にでもなれば:

久しぶりの絶好の好天の下に、これまた久しぶりに朝9時半に家を出てサングラスなどをかけて、新大久保駅前のバス停に向かった。その頃は未だ天気予報ほどには気温が上昇しておらず快適な気分でバスが来るのを待っていられた。バスの中では空調が効きすぎでジャケットを着用していたのが正解だったほど。

知人とは昼食を挟んで約2時間強も懇談した。主たる話題は勿論景気であり、紙流通業界の動向だった。言うまでもないことで好転している訳もなく、先日のYM氏との懇談と同様で、景気回復は未だ未だ先のことだろうという辺りが、いきなりの結論だった。知人をここではSY氏として置くが、輸出入の専門家である彼が紙輸入の先行きについては、為替が円安に進み¥120にまで達すれば多少は動きが出るかも知れないと言ったほど、弱気なのだった。

YM氏はアメリカの景気のバロメーターとして、私のW社時代からの持論と同様に「住宅着工」と「自動車の売れ行き」を挙げていたが、我々は業界の古くからの言い習わしである「紙類の荷動きが好転するのは、一般経済の立ち直りに遅れること最短でも6ヶ月」は最早通用しない時代に入って久しい。現時点では「何年経てば紙の需要にまで景気回復が及ぶのか不明だ」と改訂すべきだろうとの結論に達した。要するにそれほど良くないと言うこと。

次に語り合ったことが、先頃私が採り上げた「ジェトロの世界貿易投資報告 2016年版」だった。SY氏も今更ながら世界各国の貿易があれほど負の成長を続けているとまでは予想できていなかったので、この有様では輸出入に依存して国内の景気を回復させるなどということはありないと再認識せざるを得なかった」と述懐していた。彼も最早直接実務に携わっていない年齢に達しているが、あの資料のお陰で全世界で過剰設備を抱えているものだと想像できたと語っていた。

未だ未だ悲観的な話が続くが、最近のアメリカの調査機関・RISIの資料によれば、世界の紙・板紙生産量の上位100社にはアメリカが18社、中国が11社、日本が9社、カナダが8社、ブラジルが5社、韓国が5社(以下略)という具合に内需が小さく輸出に活路を求めている新興勢力が圧倒的に多いのだった。これでは全世界で紙・板紙が供給過剰に陥るのは理の当然だろうと、悲観的に意見が一致した。私のあの報告をご覧になった向きは是非思い出してみて頂きたい。

他には、自然に我がW社が紙パルプから完全に撤退したことも大きな話題となったが、これが何も我が社だけのことではなく、アメリカの業界全体を支配している流れであるのはICT化がここまで進んでは如何ともしがたいことだと、矢張り意見は一致したのだった。「この世の中には、これから先には”AI”が更に急速に普及していくことだろうし、スマートフォンなるもので何もかも動かせる時代が進んで行くだろうから、紙の需要などは一層片隅に押し込められるだろう。我々旧世代はその成り行きを見守っているだけか」との結論で、次回を約して解散した。

資料:紙業タイムス社刊 FUTURE誌 16年10月17日号


雑感 102016

2016-10-20 08:57:30 | コラム
近頃感じた事など:

*我が国はオリンピックを余りにも聖なるものと思っているのでは:
私でも世界の運動選手が一堂に会してその力を競うのは意義ある事だと思って評価している。だが、近頃はプロ選手も参加するなど商業化しすぎた気もする。それ以上に気になるのが、我が国ではオリンピックを「聖なるもの」として言い過ぎかも知れないが神格化してしまった事だ。例えば「聖火」と言って持て囃すものの英語の表現は”Olympic flame”で、UN同様に何処にも「聖」という字がない。

この度のバッハ会長の来日にしても、あれでは国賓扱いかと思ってしまう。陛下にまでお引き合わせするのかとすら考えてしまった。私は世界規模の大運動会と表現した事もあったが、これは不適切だったと少しく反省もしているが、誰があそこまで持ち上げたのかと疑っているのだが。

*安倍内閣の劣化を憂う:
流石の自民党にも人材がそれほど豊富でゃなかったと示すような事例が多く出て来るのは極めて遺憾である。現在の改造内閣でも二人の山本大臣の存在は負の意味で光っているのは誠に困ったものである。批判と揚げ足にしか生き甲斐を見出せない民進党の格好の攻撃材料だ。私はそもそも国会議員に我々一般人以上の知性や理性や能力を期待していないから敢えて驚かないが、総理にはもう少し人材の起用にご注意願いたいものだと思う。

*陛下の生前退位のご意向:
私は率直に言ってこのご発言に対する安倍内閣の反応は遅すぎると思っている。私は安倍総理の日頃の動きを見てきたので、もっと速やかに何とか委員会でも何でも組織されて、陛下のご希望に添う行動を取られるものと思っていた。しかも、誰か所謂専門家が批判していたが、あの有識者委員会に選ばれた方々の中には言うところの「皇室問題」の専門家がいないとしか、私にすら見えてこないのだ。あれで良いのだろうかと少しだけ不安に感じている。

*アメリカ大統領選挙:
この史上最低の選挙ではヒラリー・クリントン氏かドナルド・トランプ氏の何れが当選するかも確かに大きな問題だが、我が国で外務省なり何なりが両睨みで行くのか、何れか一方に絞って大統領就任後に如何なる方向にアメリカを持っていく気かと、我が国と中国に対する政策を展開するかを十分且つ綿密に事前調査して、何れかの候補に接触を図っているという報道はない。それは隠密のすることだろうが、内閣も外務省も如何なる動きをしているのかが非常に気になっている。何にもしていないことなどないと信じているが、彼らにお任せしていて良いのだろうかとも、ふと考える時もある。


10月19日 その3 玉川大臣に見る云々を訂正「丸川大臣」に訂正します

2016-10-19 19:38:28 | コラム
掲題の「玉川オリンピック担当大臣は”Thank you very much.”しか言えなかった」をお詫びして「丸川大臣」に訂正します。

これは意識して揚げ足取りである。丸川大臣はバッハIOC会長を迎えてこともあろうに、”Thank you very much.”と言ったのである。非常識だ。何をやっているのかと思って、この東大経済学部御出身の才媛が外国の要人を迎えてこの程度の基本的歓迎の辞も述べられなかったのには呆れていた。我が国の英語教育でもこれくらいの会話は教えてあると勝手に解釈していたが、あの場で”Thank you very much.”は常識外れでもあるし、英語が基本的に理解出来ていないと問わず語りをしたようなものだ。

「遠路はるばるおいで下さいまして誠に恐縮です。有り難う御座いました」くらいは日本語でだって言うだろう。それを「誠に有り難う御座いました」から入ったとは、良い恥さらしだ。相手がドイツ人だったからそれで良いというものではない。最悪でも”I do appreciate your coming to see me, today.”程度は言うべきだ。あれが初対面だったかどうかは知らないが、もしそうだったならば”It’s a great honor for me to have an opportunity to see you here, today.”とでも言って欲しいし、省略した簡単な形でも”Thank you so mcuh for coming.”くらいは言えて然るべきだ。苟も大臣である。それくらいも知らなかったのかと思って聞いていた。

私は敢えて言うが、この程度のことでも自然に言えるようにであるか、または言えない程度しか教えていないのが、我が国の英語教育の問題点かなと思わずにはいられなかった。丸川大臣が「緊張していた」などと、もしも言いたいのだったならば、そんな言い訳は通用しないし、させたくない。揚げ足取りといわれるのを承知で指摘したが、本当に我が国の英語教育はこの程度なのだろうか。妄言多謝。