新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

長時間の残業に思うこと

2016-10-21 09:05:33 | コラム
電通で自殺者が出たことを心からお悔やみ申し上げます:

私は日本とアメリカの両方の会社を経験した者として「残業」というか、”overtime”について考えてみたい。

日本の会社時代の経験では課全体が5時を過ぎても皆忙しく働いている時に、譬え自分の仕事が終わっていても「お先に失礼します」などと言い出せる雰囲気はなかった。また、自分よりも年長者(私は「先輩」だの「後輩」だのと言う分け方が好みではないし、また年齢で区別しない世界に長居したのでこの表現を使いたくないのだ)も残っていたり、何もしていなくても課長が席に座ったままであれば、とても帰れたものではないと考えていた。

ここには、我が国の企業社会独特の文化である「皆でやろう」という精神があり、一つの組織である課では皆が同じ範囲というか分野の仕事をしているので、誰か1人が欠けてしまうことはあり得ないことが多く、且つまた欠けてしまうことは許されない仕組みになっていたと思う。それこそが我が国の「皆で一つになって」であり「一丸となって」事に当たる、対処する文化なのである。その対処の時間が事と次第によって長引くこともまたあるのだと思っていた。

また、某商社ではこういう経験もした。商社の仕事というのは入って見て解ることで言うなれば激務であり、各人が負担するというか担当している仕事の範囲は広く且つ深い。そこに新入社員のK君が同じスーツを3日間着用していたのに気付いて、何でかと尋ねてみた。彼は仕事が片付かずに会議室の椅子を並べて寝泊まりしていたので、既に2日連泊していたというのだった。下着等は近くのコンビニ等で買い求めて着替えていたとのことだった。

彼は連泊せざるを得ない理由を「会社というか部内での私に対する仕事量の割り振りが間違っているのか、あるいは私の能力不足で諸先輩のようにその日のうちに消化し切れていなかったかの何れであり、何れにせよ自分の責任であるから、課長や部長に苦情を申し立てることはない。私などは未だ生易しい方で、多忙を極めた部署に配属された同期には2週間も連泊している者がいる」と語ってくれた。こうやって彼は新入社員が皆経験する関門をくぐり抜けていった。

アメリカの会社に話を移そう。何度も述べてきたことだが、そこには「皆でやろう」か「一丸となって」というような思想も文化もない。全員が所属長、普通は事業本部長だが、から「職務内容記述書」を合意の上で与えられ、そこにある仕事を単独でこなしていく仕組みになっていて、同僚と重複する仕事などは原則としてあり得ない。各人が主体性を以てその担当範囲をこなしていくのである。アシスタントなども付けないのが当たり前の世界だ。

と言うことは、その担当範囲内の仕事を消化する為には朝6時から出勤せざるを得ないこともあれば、午後3時に片付けば「お先に」とも言わずに帰って行ってしまうことがある。大体からして本社にいる者は個室を与えられているので、隣の者が何をしているかなどには一切関知していない者だ。また、仕事の量が多ければ夜は8時でも9時でも残っているのは当たり前だ。全てが個人単位である以上、誰か同僚が手伝うことなどはあり得ない。それは同僚は「他人の仕事を手伝う為の給与など貰っていない」のだから当然だ。要するに、残業というか会社に残っているのは当人の勝手であり、誰に命令された訳でもなく、上司に気兼ねしているのでもない。秘書さんなどはボスが残っていても気にせず時間が来れば帰ってしまうものだ。

また、本社機構に組み込まれている者たちは皆会社側で年俸制であり、組合員などはいないのであるから、残業料などは発生しない。要するに自分に割り当てられた仕事を恙なくやり遂げる為には、何時に出勤して何時に帰るかは各人の自由裁量であるといった方が解りやすいだろう。しかも、彼らは年俸の多寡に応じて仕事量と責任が急激に増えるから、副社長兼事業部長などは部内の誰よりも早く出勤し遅くまで残っているのは当たり前と部下たちは認識している。

ここまでは「日米企業社会における文化の違い論」の一端を述べてきたが、私には日米何れのやり方というか在り方が優れているかなどは断定できない。ただ言えることは「私にはアメリカ式の方がシックリときて、働きやすかった」だっただろう。電通が少数精鋭主義で少ない人数で多くの仕事を皆でこなして成果を上げようとしていたのかなどは外からはとても計り知れない。だが、あれほど長時間にわたって残っていなければならなかった裏には何があったのかと感じる。

謹んで亡くなった方のご冥福を祈って終わる。



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