新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月27日 その3 日本シリーズ第5戦

2016-10-27 22:53:12 | コラム
真のMVPはメンドーサだ:

この点に勝利監督のインタビューで一言も触れなかった栗山監督はけしからんと思う。先発投手の起用を誤った大過失を何とかしてくれて、1失点で止めてくれたからこそ西川のサヨナラ満塁ホームランになったのではないのか。詳細は明日またあらためて触れよう。

10月27日 その2 広島は矢張りツキを失いかけていた

2016-10-27 08:40:20 | コラム
閃きなしで観戦した日本シリーズ第4戦:

予感なしで観戦するのも良いかと、2回から腰を据えて集中した。昨日には実績がないと言ってしまったが、見ていた記憶もあったし、日ハムの高梨は8連勝していたとテレビの画面で知らされた。お見それして失礼しました。この高梨も広島の新人(ルーキーではないよ、ルキーだ)岡田もともに大試合で先発させられ苦心惨憺の投球だったが、兎に角3回までは失点がなかったのは良かった。だが、投球数が多すぎで見ている方がだれたので困った。そこまででは何れが勝てるのかは全く感じなかった。

何分にも当方は贔屓の球団もなく、試合というか勝負の面白さと技術を楽しんでいるのだが、この試合に限っては何となく白いユニフォームの方を勝たせたいという思いが出てきた。根拠は日ハムが勝てば双方が2勝2敗となってシリーズとしても興味が増すからである。贔屓の問題ではない。そこに4回表のあの近藤の大エラーによる失点が生じた。何故か、私は「これで日ハムが勝てる目が出てきた」と閃いたのだった。後は「閃き通りに行ってくれ」と半ば願いつつ観戦していた。

因みに、あの近藤のエラーはゲスト解説だったかの巨人の阿部が指摘したように「センターが捕るべき飛球」だったと思う。そもそもは捕手だった近藤の打つ方を買って三塁だの外野だのと使ってきたのでという同情的なことを誰かが言っていたが、それは同業者として庇ったのであり、少なくとも入場料を取って見せている試合で起きてはならないセンター、セカンド、ライトの連携の失態である。

この試合で印象的だったのが既に指摘した「大谷(及び他の左打者)の左投手の外に流れるスライダーに対する弱さ」だった。大谷は責任を感じすぎたのか、右投げ投手の外(アウトサイドで良いだろう)でも空振りして4打数で2三振の空回りだった。今夜は広島がジョンソンを出すそうだから、大谷は余程工夫しないとまた封じ込められる危険性があると見た。

昨日も「中田翔は仮初めにもパシフィック・リーグの打点王」と書いたが、昨夜も打点王は6回裏に大谷の後で見事なホームランで同点に持ち込んでしまった。私は中田も大谷もソフトバンクの柳田も皆しゃくり上げるような打ち方で、言わばゴルフで言う「ダウンスウイング」ではない点に脆さがありはしないかと、野球部経験者でもないのに考えている。あの中田の一打も綺麗に下から打ち上げていったと見えた。「これで決まった」と思わせてくれたホームランだった。

私は緒方監督が判で押したようにジャクソンを出して失敗したと指摘した。その失敗をまたやってしまった。解説の衣笠は「外人の投手と打者の対決は難しい」と言った途端にあのレアードのホームランだった。外人の投手はアメリカの野球の特徴である「自分の持ち球の中の最高のもので勝負する」のであって、日本人の投手のように「コントロールで相手の打者の弱点をこれでもかと攻める」のとは全く別の文化の中で育ってきている。

それだから、ジャクソンは捕手の石原の指示もあったので、自信があったスライダーを投げてみれば制球を誤って真ん中に入ってしまったのだった。緒方監督は既にジャクソンでは失敗した経験がありながら学習できず、シーズン中の実績と彼のプライドに懸けたのだろうが、あれは私に言わせれば失態である。勝負したがる外人選手を使えば細かい日本式作戦は立たない。それは打者でも同様で、自分の個性を出して実績を挙げようとする。文化の違いは一朝一夕には変えられまい。

一度失った流れは昨夜もその通りになって出てしまった。緒方監督がそれをどのように引っ繰り返すかだが、栗山監督も同じような立場に追い込まれたかと思う。即ち、流れは日ハムに向かってきたのだ。平常心で逃がさないように出来なければ、失ってしまうだろう。緒方監督は一昨日には麻雀で言う「点棒を数えるような真似」をして2対1で逃げ切ろうとして失敗したではないか。

昨夜も9回は宮西投手は如何にして逃げ切るかを考えたいたと思って見ていた。そこであの二死満塁だったが、丸は見事に外のボールになるスライダーを空振りした。今夜は日ハムがどのようにしてジョンソンに2度はやられないように出来るのかが鍵だろう。ツキを腕で消さない工夫が必要だろうとだけ言っておく。閃きはその後のことだ。

10月26日は多忙だった

2016-10-27 08:38:28 | コラム
「引揚」って何ですか?:

暫くなりを潜めていた「じ」の状態が先週の頭から芳しくないので、早朝に電話で確認して我が家から徒歩3分のこの方面で評判が高く、長年お世話になっている東京山手メデイカルセンター(旧社会保険中央総合病院)に予約なしで駆けつけた。予約票には09:18との時刻が表示されていた。は正直なところ、かなり不安で自分の番号が呼ばれるのを待っていた。ここは何時も混んでいるし最短でも1時間半を覚悟していた。

幸運にも1時間丁度で呼ばれ、昨日は外来に出ておられた主治医のO医師に診察して頂けた。結論としては「問題はなく、大腸からの出血ではない。機械を使っての触診等でも出血がないので座薬で対応していれば十分。普通の暮らしをしていて良し。但し、刺激物を摂らないように」ということで解放された。思えば、血液サラサラや凝固を防止する薬を常用していればこうなるのには不思議はなかったことでもあるので、ホッと一安心して帰宅した。

そこから丁度手持ちがな明日でなくなる前立腺対応の薬を出して頂く為に、高田馬場のSクリニックに向かった。明日は木曜の休診日なのでこの時間帯にしか行く時間がなかったのだ。そこで受領した後で、駅前のジムまで行ってマッサージチェアで過度の緊張をほぐしてからシャワーを浴びて帰宅。昼食の後に新大久保駅前を13:51発のバスで「21世紀パラダイム研究会」の定例会に出席の為に市ヶ谷駅前に向かった。1日に4箇所を回るとは現職の頃にも余りやらなかった強行軍。

昨日の講師は1945年に小学校5年生だった方で、朝鮮半島からどのような苦労を重ねて引き揚げてこられたかを、昨日初めて引揚者だったことを口外することも含めて語られたのだった。内容はここに記すことは控えたいと思う。ただ、この方が語れた中で印象的だったのは、引揚者の会合に参加された帰路の新幹線で隣の席に座った若い女性に「引揚って何ですか?」と尋ねられ、時の流れを痛感したという辺りだった。この女性は京都大学出身者で某商社の総合職だった由。この女性にして引揚も引揚者も知らなかったのは「・・・」だったと語られた。

昨日の定例会の冒頭に私と同年齢の会員のI氏の訃報が告げられた。ガンであったことはご当人が語っておられたが、何とも言えない思いだった。と言うのは、昨日の朝、私には突然そのI氏がどうしておられるだろうかとの閃きがあったので「またか!」との思いにとらわれたのだった。去る6日に亡くなった義妹のことも、前日に家内とその後はどうしているだろうかと語り合ったばかりで、その直後に「最後の入院と医師に告げられた」と弟から電話があったのだった。

18時に定例会が終了後には朝からの緊張の1日が終わったことでもあり、恒例の喫茶店での語り合いの二次会を遠慮して18時半過ぎに当日3度目の帰宅。着替えてテレビを見れば、丁度日本シリーズ第4戦の1回の裏辺りだった。これでは得意とする閃きの時間帯は過ぎていた。試合の批評というか内容は別途。