「甲子園の野球を止めてしまえ」と唱えだしたのは1981年頃だった:
当時はこのように主張すると「何を馬鹿な」と冷笑されるか、誰も「何故か?」とは訊こうともしなかった。脇村春夫君が高野連の会長に就任した時にも、それを祝うクラス会を藤沢で開催した時に芦屋から来てくれた彼に「止めるべきだ」との建白書を手交して「止めてしまえって言うの」と目を丸くさせた。そして、この暴暑の夏に開催していることに対して、プロ野球の関係者が「見込みがある高校生が潰されるのでは」と憂慮しているとも報じられていた。
だが、相変わらず「甲子園出場は高校球児たちの夢である以上、それを奪うことなく続行すべきである」と声高に唱える人たちは多い。「夢」なのかどうかは知らないが、それを否定してしまおうとまでは考えていない。何故ならば、かく申す私は昭和20年に湘南中学の蹴球部入部以来「全国制覇」を目標に掲げて練習に励んできたのだから。
確認しておくと「全国制覇は夢ではなく、目標だった」のであり、実際に昭和21年の第1回国体では優勝していたし、23年の国体では準優勝だったのだ。目標を掲げて、その達成を目指して努力することと、「夢」とは別なことであると言いたいのだ。だが、現実に国体に出場して開会式で行進してみると、その何と形容したら良いかも思いつかなかった物凄い雰囲気に圧倒されたし極限まで感動していた。
あの感動を味わう機会を得ることは「人生における何物にも代えがたい貴重な経験として、一生忘れられないだろう」と思う。限られた人数であっても、高校生たちにその感動を味あわせる機会を与えることまでは否定しない。だが、開催時期を関東では想像も出来ないほどの暑さが襲ってくる夏の兵庫県にすることは再検討の要がある。是が非でも甲子園というのならば、ドーム球場に改築するか、妥協案として大阪市内のドーム球場の併用も考えても良いだろう。
長々と述べてしまったが、私の「止めてしまえ論」はこういうことではないのだ。何方かが「勝利至上主義」を否定しておられたが、それと多少似通っている「トーナメント大会で勝ち上がるために野球本来の道から外れた小さく纏めた細かい技巧ばかりを教え込む野球の指導を止めよ」との主張なのだ。
私は「野球とはそもそも投手が力の限りの速球を打てるものなら打ってみろと投じて、打者はそれに対して負けじとバットをあらん限りの力で振り回して、できる限り遠くまで打とう」とする競技なのだと認識している。古い言い方に「三振かホームランか」というのがあった。投手は速球を投げるために、日夜練習に励み、打者はホームランを打てるように体幹を鍛え身体能力を高める努力をするべきなのだ。チェンジアップを操る練習はプロになってからでも間に合う。
高校の段階では「そういう基本的な訓練が漸く軌道に乗り出した頃なのだから、その時期に投手に変化球を教え、牽制球の投げ方を仕込むとか、打者に「押っつけて反対方向に打つとか、スクイーズバントの訓練をする」とか等の技巧を教え込んで「小生に甘んじさせてはならない」のだと思っている。換言すれば「高校の頃に既に小さく纏めた小宇宙を形成させてしまっている嫌いがある」のだ。困ったことに解説者もアナウンサーもその小手先の技巧を褒めあげるのだ。
単純にMLBの野球と比較すれば「彼らは1回の表、先頭打者が出塁すれば直ちに犠牲バント」のようなトーナメント勝ち上がり目的の野球をすることはない。我が国の野球ではプロまでが高校の野球を踏襲して「1回の表に先頭打者が二塁打で出れば、判で捺したように犠牲バント」なのだ。NPBの野球は長期のリーグ戦なのに、トーナメントの高校野球と同じことをやっている。この背景にある精神は「自己犠牲の美しさ」と「全体のためには」があると思う。
そこまでは否定しないが、「小さい野球」だの「スモールベースボール」と美化するのを好い加減に止めたらどうか。現在の我が国の若者の体格も身体能力も、MLBにもNBAにも通用する段階まで上がったし、井上尚弥が示すように個人種目でもアフリカ勢にひけを取らない次元に達しているではないか。第一に、MLBの記録を次々と塗り替えていく大谷翔平がいるではないか。大谷の投球や打法の何処に技巧や小細工があるか。
纏めておくと「トーナメント方式の大会で勝ち上がっていくための小技や技巧を高校(や、リトルリーグも含めて)の頃から教え込んで、小宇宙を形成させるのではなく、高校の段階ではNPBやMLBに行っても一流の選手として通用するような基礎をキチンと教え込むこと」と言いたいのだ。また、高校生の走塁を見ていると正しいランニングを教えられなかったのか、カットを切って走れないので常に大回りになっているし、手が横振りだし、無駄な走法になっている。
これは他の競技種目にも言えることで「一つの競技しか出来ないか、知らないような単能機に育てるのではなく、他の競技種目をも経験させるような練習法を考えるべき時期が来ている。それは、MLBの選手の中にはシーズンオフになると、NFLの試合に出ている者がいるようなことを指して言うのだ。この辺りに「体育会制度には改善の要がある」と指摘したくなる点がある。
私は今でも「最高の人材は野球に集まっている」と見ているので、折角の素材を甲子園のために小技の技巧に走らせて小成させるような人材の無駄遣いは避けてほしいのだ。大谷翔平をあのまま日本ハムに残しておいたら、あれだけの選手に育っただろうか。IMGアカデミーが錦織圭をあそこまでのテニスプレーヤーに育てた方式に注目すべきではないのか。