新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

夏ともなると見かける事柄

2023-08-09 07:44:01 | コラム
「夏の風物詩」でも良いか:

甲子園の高校野球:
この最早「夏とはこれほど危険なくらいに暑くなるものだ」と認識していなければならないようになっても、高野連なのか朝日新聞なのか知らないが、甲子園の野球を始めてしまった。彼らの屁理屈は「暑いからベンチに入れる選手を20名と2名増やした」と「5回終了時点で10分だったかの休憩を挟む」によく現れている。当方は「少なくとも25名くらいにして、コーチも入れるべきだ」と主張してきたし「時代遅れの夏休みの開催を止めてしまえ」とも指摘していた。

今回はそういうことを論じようというのではない。最早「そう言えば今頃は甲子園で野球をやっている頃」と思ってチャンネルを合わせる程度。主に見ているのは、生徒たち(球児なんて言わない)の名前である。これを「下の名前」などと呼ぶ無知蒙昧の輩がいるのが気に入らない。横書きの時代に何が「下の名前か」と言いたい。名字があって、その次に親が付けてくれた「名前」が来るのだ。私は情けない「国語の悲しい乱れだ」と言う。

私はその「下の名前」に注目している。圧倒的多数は判読できないのが、本当に情けないし悲しいのだ。現代の若き親御さんたちは何処から引っ張ってきたか古き良き昭和一桁生まれで育ちの私には想像も出来ない漢字を使って命名している。斬新というのか何か知らないが、やたらに普通の漢字に偏だの冠だのを付けた文字が多用されている。中には90年も生きてきた私が初めてお目にかかる字が出てくるので恐ろしい。

例を挙げれば「茉」、「莉」、「琪」のようなもので、他にも「大」と書いて「ヒロ」と読ませる田中将大にでも肖ったのかと疑わせる使い方が多い。兎に角「大」を使いたがるようだ。また「希」を使って「雄希」のようにしてあるのも多い。また、昭和の昔には「平太」や「一平」のような「平」を使った名前は余り見かけなかったが、今や大谷翔平が示すように普通になっている。また、一ティームには必ず「翔」が入った名前を発見できる。名前にはやり廃りがあるようで怖い。

このような時代感覚に溢れた名前は地方に行くほど多くなってくる。私が見るところ、今ではその家系では必ず使われる伝統の文字などは消滅したようだし、親か祖父の名前から採った文字を入れるという習慣もなくなったかと思わせられる。例えば、故安倍晋三氏の御尊父は安倍晋太郎氏であるというような例。また、どの地方か知らないが伊東家では必ず「祐」の字が付けられていることだ。

私には新時代の命名は「漢字を弄んでいるのでは」との印象が拭いきれないので、残念なのだ。

かき氷と西瓜:
テレビ局は夏の到来と同時に「風物詩」としてのかき氷を大袈裟に取り上げて、冷やしてくれると持ち上げている。私はもう半世紀以上になると思うが、かき氷に手を出したことがない。超後期高齢者の単なる昔話だと思って貰っても結構だが、我々が子供の頃はかき氷が「不衛生なもので、おなかを壊すから」と敬遠させられていたのだった。だが、今となっては「あの頃の衛生管理の下では、氷は清潔ではなかったのだろう」と思う。

そういう次第だから、テレビ局が「これからはかき氷が」と宣伝してくれても、食べに行こうとは考えないのだ。また、我々の幼少期には「西瓜の種を食べると盲腸炎になる」と誠しやかに言われ、そう信じていたので、慎重に種を避けて食べるので一苦労だった。その口の中に入った種を庭に吐き出してその距離を競って楽しむのも、今にして思えばそれこそ「夏の風物詩」だった。今や、庭もないアパート住まいでは、風物詩どころではないのだ。

確かホノルルの画だったが、日系人がかき氷店を出して流行っているとなっていた。しかしながら、その店の看板が“Shave Ice”だったのは笑えた。あれは“shaved ice”なのだ。ハワイにはかき氷があるようだが、アメリカ本土では見たことも聞いたこともないような気がする。