高校生が牽制球を巧みに投げるのは・・・:
持論として「野球とは基本的に投手が力の限りの速球を打つなら打ってみろと投じ、打者が打ってやろうじゃないかと全力でバットを振って遠くまで飛ばそうと競い合うゲーム」だと認識している。だが、トーナメント方式の全国大会を続けて、甲子園を憧れお聖地にしてしまったので、そこに出るためと勝つための技術と技巧を身につけることが大事にされるようになった。ここに取り上げる牽制球の操り方も巧みで、アウトにした例もいくつか見えた。
余談になるかも知れないが、打者を育てることでは名コーチだと言われている石井琢朗は「打者を育てる最善の方法は速球を打ちこなせるように育てることにある」と言い切っていた。速球を打ちこなせるようになれば、変化球にも付いていけるという意味だと解釈した。と言うことは「投手は速球を投げられるように身体能力も鍛えておけ」ということでもある。牽制球は速球の制球力が付いてから練習すれば良いのだ。
その結果として、アメリカの野球と比較すると「犠牲バント」や「走者への牽制球の投じ方」などのスキルは、高校生でもプロ並みに練達熟練した上手さを見せてくれる。その面での上達を否定はしないが、それを練習する前に打者が打てないような速球のコントロールを習得させたら如何と言いたいのだ。一寸見た甲子園野球の中継でも、140km台後半から150kmの速球を操る優れた素材もいた。だが、解説者は牽制の上手さや変化球を巧みに操る方を褒めたがる。
その牽制球だが「牽制」という表現はアメリカで使われている野球用語には見当たらない。牽制は日本語版の「死球」や「エンタイトル(ド)ツーベース」などと同様というか、我が国独特の造語なのだ。「牽制」とは広辞苑には「相手の注意を自分の方に引きつけるなどして自由に行動させないようにすること」とあるから、上手い言葉を使ったものだと、先人の知恵に感心している。
ところが、本家のアメリカでは“pickoff throw”か“pickoff attempt”という専門語が出来ていて「牽制」とはやや趣が違うのだ。即ち、pickoffとは「走者が帰塁する前に投げて刺そうとすること」の意味しかないのだ。「牽制」に相当する単語はと言えば“check”が出てくる。私はカタカナ語になった野球用語も面白いとは思うが、この「牽制」という使い方に最も興味を惹かれている。
話は違うが、ピッチクロックを導入したMLBでは確か「牽制球は3回投げてアウトに出来なければ、それ以上は投げてはならない」と制限して、スピードアップ化を図っているそうだ。これは良い制約だと思う。我が国でも導入しても良いのではと思う。アナウンサーは「執拗に牽制して打者の打ち気を削ぐ」などと言って駆け引きの手法とするが、見ている方はまだるっこくて興味を削がれる。ピッチクロック制と共に導入を検討すべきだと思うが如何か。