東京大学が36位から35位に:
イギリスの高等教育専門誌“Times Higher Education(THE)”が毎年発表している、「The Times Higher Education World University Rankings(THE世界大学ランキング)」は世界的にも影響力がある指標である。これの22年度版が公開された。掲題のように東京大学が前年の36位から上がって35位になり、京都大学は61位だった。しかし、中国の北京大学と精華大学は同率の16位なのだった。
この中国よりも低い評価だっただけではなく、東京大学は21位のシンガポール国立大学よりも下位にあったのだ。私はこの評価の件でマスコミが自虐的な報道をしていたかどうかは未だ知らない。だが、今朝ほど某有名私立大学法学部の教授と懇談した際の重要な話題の一つだった。このTHEの評価の基準は先頃も取り上げたことで、その大学内で発表された論文とそれらが引用された数が重要な部分を占めているのだ。
教授は苦笑されて「論文の数が少ないのは、英語等の外国語の論文の数で評価されるからという点がある。日本語で発表された論文が少ない訳ではないが、それを発表する度ごとに英訳していないということなのだ」と指摘された。外国ではそのような英訳してはいないという事情までは解るまいと思う。
私はオーストラリア人の学者がメルボルン大学に提出される博士論文のお手伝いをしたことがある。そこで知り得たことは、論文の質というか内容もさることながら、そこに必ずつけるbibliography(引用した参考文献一覧)の精密さと膨大な量には圧倒された。正確さが求められているのだが、俗な表現をお許し願えば「半端じゃない」作業の量だった。
他には、上記の教授の学術論文に協力した経験があるので「高度に知的な作業であることは言うに及ばす、時間的にも大変な労働量なのである」と言えるのだ。教授は言われたことは「研究留学されたアメリカのイリノイ大学で指導された有名な教授には秘書が付いていた」そうだった。私がこれまでに知り得た範囲内では、秘書が付いていた教授はおられなかった。
私はこの教授以外の先生からも「大学教授という仕事には、講義と研究の活動をする以外に相当な量の雑務があるので・・・」と嘆息されたのを聞いたことがある。そこで言いたいことは、上記のTHEのランキングを見ただけで、『何だ、東大も京大もそんな低評価か』など自虐的にお考えにならないように」なのである。
因みに、第1位はオックスフォード大学、2位はハーバード大学、3位はカリフォルニア工科大学で、ソウル大学が54位だった。日本の大学は199位までには上記の2大学のみだった。何となく、矢張り英語での論文の数が鍵なのかなと感じさせられていた。