山際大志郎大臣が辞職:
岸田文雄総理の政治姿勢については、以前に失礼をも顧みずに「決断力が必要では」と指摘してあった。これは、裏を返せば「決断力が無い」と言ったのと同じである。これ即ち、私が「検討使」と日頃から揶揄されていた岸田文雄総理を真っ向から批判したのだった。
私が見るところでは岸田文雄という政治家の思考体系は典型的な日本式回路であり、如何なる重要事案でも二者択一で「バラリズン」と「イエスかノーか」を即決即断されるのではなく、それこそ慎重に四方八方に思考を巡らしてから決定される型なのである。アメリカ式というか西欧式の二進法で進んでいくのではないという事。
この度の山際大志郎大臣が巻き起こした案件にしても、多くの政治評論家やジャーナリストたちが早くから指摘していたように、もっと早い時点で辞任勧告なり、自発的退任に持って行けたはずだろうと思われた問題だった。山際氏その人が何故優柔不断なのか往生際が悪かったのか知る由もないが、あのような不鮮明な答弁を繰り返しているのを聞いた時点で、総理は決断が出来ていたはずだと思ってしまう。
事があそこまでの騒ぎになり、内閣支持率が下がる一方なのに、重要案件が目白押しとなってから、新聞に「実質的な更迭」と書かれてからの辞表提出では“Better late than never.”だったというだけのことになってしまった。それでは、何事につけても内閣を悪し様に罵る安住某に絶好の内閣攻撃と非難材料を与えただけになってしまうかも知れないのが残念だ。
岸田総理のように「常に慎重に検討されてから重要な案件を処理される」のも個性だろうから、殊更に非難すべき事柄でもないとは思う。だが、今回の山際大臣の件などがその典型的な事例だが「本降りになって出ていく雨宿り」の誹りは免れまい。岸田文雄総理にも時には「即断即決」で事に当たっていく、慎重ではない決断力が必要なのではないのか。
何事につけても進歩と変化の速度が非常に速くなった現代にあっては、一時の逡巡が取り返しのつかない事態を招く恐れもあると思う。総理自身の決断力もさることながら、側近(周囲?)には官房長官、副長官、秘書官等が補佐役や相談役として仕えているのではないのか。彼らは総理に進言できないのだろうか。何も西欧式思考体系を真似ろとは言わないが、これから先は「遅きに失した」という事態は避けて欲しいものだと願っている。