新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月5日 その3 「リアル二刀流」とやらを観戦して

2021-04-05 16:31:35 | コラム
大谷翔平が初めて投手で2番打者で登場:

本5日とは言うが、アメリカ西海岸時間では4日だが、生憎?の悪天候で家に籠もっていたので、大谷翔平が初めて投手で2番打者という両面に出る試合を見ていた。私は余りMLBの歴史などには詳しくないので、それがどれほど素晴らしいのか、凄いのかは知らなかったが、ベーブ・ルースの先例があるくらいは解っていた。

試合はエンジェルスのフランチャイズであるアナハイムで行われていたので、大谷投手は1回の表から登場した。直球の球速はチャンと150 km以上は出ていたし、スライダーが主力の変化球の切れも先ず先ずだと見えた。だが、制球力には不安が見えて、三者凡退とは行かずに四球を与えていた。そして、1回裏に2番打者が登場した。どうするかと見ている間もなく、1球目のアウトサイド高めのボール球に見えた投球に出を出して、所謂「フルスイング」で右中間に大ホームランと華々しい出だしだった。

そこから4回までは解説の武田が「1回に15球程度で保てば、5回を投げ切れて勝利投手になれるのだが」と、やや不安感があるような見通しを語っていた。その点は私も同感で、大谷の投球フォームには安定感がないように見えていたし、リリース・ポイントが定まっていない為に、制球力が整わないようにしか見えなかった。打つ方ではホームラン一本に終わったままで、問題の5回表の投球に入った。私はここで「大谷は5回を乗り切れない」と不吉な「閃き」が来たので、我慢していた手洗いに立った。点数は2対0でエンジェルスが優位に立っていた。

戻って見れば四球などがあって、二死満塁にしてしまっていた。ここまでで与えたヒットは2本だけだった。私の目には90球に達していた投球数は、二刀流等という奇妙な表現ではなく「攻守両面」を努めてきた精神的な疲労感が、かなり彼にとっては想像よりも大きな負担となってのし掛かっていたかに見えた。そして、先ず暴投で1点を失い、最後の打者になるはずの場面で私は未だ不安だった。だが、大谷は踏ん張ってインサイドの変化球で三振を取った。と思ったが、捕手は後逸した。それを拾って1塁に正確に投げれば振り逃げげを防げたはずだが、1塁に暴投した。

それで3点目を取られて精々同点かと思えば、本塁をカバーに入っていた大谷に返ってきた送球が高く大谷が飛び上がって捕球して着地した所にアブレイユが滑り込んできて、結果的には大谷に足払いをかけた格好になって転倒し、アブレイユの上に顔面から落下したのだった。不運は何処までも重なるようで、大谷は苦しそうな表情が見えて、自力では立ち上がれなくなっていた。勝負とはこういうものだという悪い例になったしまった。大谷は勝利投手の権利が無くなっただけではなく、ここで交替となってしまった。ピッチングコーチは負傷退場ではないと言っているとか。

以前にも述べたが、フットボールでは攻守両面に登場する優れた選手もいる事はいる。だが、選手たちに訊いてみれば心身共に負担は大きいという。野球はフットボールとは違って原則的には「ノン・コンタクト」スポーツであるが、今回のようにアブレイユとの強烈なコンタクトが発生する事もあるのだ。その原因は野手たちの不正確な送球では大谷も気の毒だと思った。だが、私の感じ方では、MLBの力がある打者が相手では、余程慎重に投げないと「アッと」いう間にホームランにされてしまうので、神経はかなり磨り減るだろう。そこを彼がどうやって乗り切るかが課題だろう。

大谷翔平のような類い希なる素材をどのように活かして行くについては、専門家の間でも意見が分かれているようだ。でも、あの1回裏のホームランを見せられては、打者だけでやらせたいと見えるし、本日のように何球か160 km台の速球とフォークボールの切れ味を見れば、投手に専念させたらとも考えてしまう。二刀流(とは奇妙な名称で、私は両面、即ち“two way”が良いと思うが)などには心から賛成できない。エンジェルスの監督は「本人が希望すれば両方やらせる」と言っていたのも気になる。あれでは大谷の意志次第になってしまうではないか。


4月5日 その2 最近のマスコミ報道に思う

2021-04-05 13:59:18 | コラム
池江璃花子さんの復活と田中邦衛さんの訃報に思う:

池江璃花子さん:

池江さんの輝かしき復活については、一般紙もスポーツ紙も、テレビ局も挙って大きく取り上げていた。最近のように陰鬱なニュースが多い最中に、このオリンピック出場の内定まで成し遂げた事は非常に良かったと思う。私は池江さんが白血病の病床から復帰してきた際の、筋肉が落ちてホッソリしてしまった体格を見て「これでは容易に元の池江璃花子さんには戻れないのではないか」と密かに危惧していた。その状態から今回の100 mバタフライで優勝するまでには、さぞかし懸命な努力を続けてきたのだろうと察して、その成績を褒めて上げたいと思う。

産経新聞までが一面トップだったのも驚かされたが、各テレビ局が余りにも競うように褒め称えるのが、実は気懸かりなのだ。それは、私の持論である「マスメディアが挙って褒め称え、悪い言い方をすれば鳴り物入りで賞賛された運動選手は、ややもすると、その報道は関係ない事だとは思ってはいるが、往々にしてその後の成績が芳しくなかった例が多い」というジンクスがあるからである。手っ取り早い例を挙げれば、彼らが練習試合の成績で褒め称えた阪神の佐藤輝明君は、最早代打起用に落とされて、打率も1割台に沈んでいるという具合だ。池江さんは例外であって欲しい。

故田中邦衛さん:
昨日辺りからはテレビをつければ、この名優(なのだろう)の追悼番組ばかりである。困った事に、私はその田中さんが主演された(のだろうか)「北の国から」と題された1981年10月から1982年3月の間に放映されたというテレビドラマを、一度も見る機会がなかったのだった。その頃は我が国向けの輸出が軌道に乗り始めたお陰で多忙であり、1年の3分の1はアメリカ出張で、次の3分の1は国内出張で、ゆっくりとテレビを見ている余裕などなかったのだった。正直に言えば、こういうドラマがあった事すら知らなかったほど、浮世離れした生活をしていた。

そのような個人的な事情もあったので、田中邦衛という役者さんは、テレビでその独特の口調を物真似をする者が多いので、そのお陰でその存在を承知していた程度なのだ。ここで述べておきたい事はそれだけではない。その亡くなった原因が88歳にして老衰だったという驚くべき報道だった。報道によれば1932年生まれだそうなので、学校年齢は私と同じのようだ。その年齢の方が老衰とは、もしかすると「明日は我が身」かと何かと健康に気を配っていなければならないのかと、些か恐怖を感じたのだった。俄には信じ難い事にしか思えなかった。田中邦衛さんのご冥福を祈りたい。

2021年3月の新宿区の人口

2021-04-05 08:36:55 | コラム
21年3月の新宿区の人口は対前月比△0.18%と微減だった:

新宿区の人口は2月の268人増加から転じて620人の減少で、344,879人となっていた。その中で外国人は519人の減少で37,757人となり、全体に占める比率も10.9%で前月の11.0%を下回っていた。一方では日本人も101人の減少で307,122人となっていた。ここ百人町/大久保界隈に住んでいる者の感覚では、日本人は兎も角として、外国人が減少しているとの統計は俄に信じ難いのだ。それは、ここからイスラム横丁を通過して大久保通りに出て見えてくる現象は、相変わらずアジア系とイスラム国系の者たちが90%以上を占めているのだから。

街に出て白人を見かけるとか、英語が聞こえてくるといったような事態に先ず出会わないのである。先日などは滅多に見かけないアフリカ系の大柄の女性が、英語ではない言葉でスマートフォンで大声で話をしているのに出会った。小さな子供を連れたアジア系の人たちが家族で歩いているのを見かけるのも、決して珍しくはない。私が言いたいことは「それでも外国人が減っているのか」なのだ。

先月にはこういう光景に出会った。それは、高齢の日本人が大久保通りで小型犬の散歩をさせていた。すると、それまで静かに歩いていた犬が、すれ違ったアジア系の家族の中で学齢に達していない子供に向かって、突如として吠えて飛びかかっていったのだった。まさか、犬が「ヘイト吠え」をした訳ではなかろうが、異様な風景だったし、飼い主も慌てていた。

上記は山手線の外側の風景だが、内側の大久保通りの通称 Koreatownに行けば景色は一変する。特に学校が春休みに入ってからは、この通りは若い女子たちで歩道は歩行もままならない状態で、彼らの何とかドッグだとかの食べ歩きや、彼ら向けの韓国料理屋には大袈裟に言えば長蛇の列が出来ているのだ。この風景は俗称「イケメン通り」でも同様である。私には国際感覚的というか政治的に脳天気であると批判する前に、「あれほど蜜になっていてはCOVID-19の感染が止まらない訳だ」と言いたい。彼らには緊急事態宣言などはあってもなくても同じのようだ。寒心に堪えない。

このように人々が過剰に若者を中心に出歩いている現象は、最早私などが本当に緊急の用事がある時にだけ出向いていく、新宿区西口でも高田馬場駅周辺にしても同じ事だ。この有様では感染者の数が毎日のように前週の同じ日を超えている現象が起きるのも、当然のようにしか思えない。しかも、待望のワクチンが一向に間に合わないようでは、緊急事態宣言や蔓延防止策では防ぎきれないとしか思えない。

かと言って、菅内閣や口先の演技だけの小池都知事が外出禁止にまで踏み切ることはないだろう。私はこの無自覚に出歩く者が増加している現象は、政治の問題というよりも、国民乃至は都民の自覚に問題があると思っているのだ。