新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月6日 その2 DPRKが東京オリンピック不参加を表明

2021-04-06 16:55:57 | コラム
DPRKの意図を斜め読みすれば:

DPRKの不参加の理由は表向きは「COVID-19が収束し切れていない状況下では、自国民の安全云々」となっているのは、余りにも表向き過ぎて、俄に信じられない。裏読みするまでもなく、そこには経済的な理由がある事くらいは察しがつくが、それでは面白くも何ともない。

そこで、私独得の斜め読みをしてみれば「金正恩が一層明確に文在寅大統領に対する不信の念を明らかにしたのと同時に、アメリカと中国の谷間に彷徨うだけであり、最早僅かな任期を残しただけの文大統領と組んでも、それこそカタカナ語に言う『何のメリットもない』と見限ったのだ」と断じたい。と言う根拠は、確か文大統領が「東京オリンピックには南北合同選手団を組んで派遣し、その際に金正恩と中国から習近平主席にも来日を勧誘して、日・中・北・韓の4首脳会談を開催すれば如何か」と呼びかけていた事にある。

格好が良い提案だが、荒唐無稽な話だと見ていた。この提案に金正恩が反応したとも聞いた事もなかったし、文大統領が習近平主席に提案したという類いの報道にも接していない。私は今回のオリンピック不参加の意志の表明で、金正恩が間接的に文大統領の提案を一蹴したのだと解釈したいのだ。そう読む根拠には、DPRK側から見れば「この期に及んで落ち目であり支持率が30%台と低迷する文大統領では信ずるにも頼むにも足らない」と判断したのだろう。尤も、「30%はこれまでの大統領たちの末期の支持率と較べれば、高止まりしている」との注釈もあったが。


何れにせよ、文大統領のQUADの会談が進行中に新任の外務大臣を先ず中国に派遣するような、古い表現を使えば「内股膏薬」のような不透明は姿勢では、相手にしている暇など無いと金正恩が旗幟をより一層鮮明にしたのだろうと思っている。だが、組織委員会にとっては、この時期での意志の表明は文字通りの“bad news”ではなかったのかと危惧している。または、もしかしなくとも、我が政府にとっても、好ましくない外交姿勢であったではないか。


性懲りもなくカタカナ語批判を

2021-04-06 09:28:03 | コラム
カタカナ語のお陰で単語の意味を調べ直してみた:

先ず「誰が何と言おうと、カタカナ語批判は止めない」との固い決意を表明しておこう。


昨6日にも大谷翔平の「リアル二刀流」とは珍妙だと非難したが、近頃はこの「リアル」(real)というカタカナ語がかなり広くテレビに登場する連中が使うようになった。私の印象では出川哲朗が頻繁に使っているようだ。正確な記憶ではないが「リアルに美味い」とか「リアルに凄い」というような表現だった。その例を含めて「リアル二刀流」のように何故ここで「リアル」なのかが良く解らない使われ方をしている。正直に言って「単語」を重視しない勉強の仕方だったので、realの意味を辞書で調べた事がなかった。そこで、初めて試みてみた。

ふてくされた言い方で申し訳ないが、余り読者諸賢に興味を持っていただけないとは思うが、カタカナ語排斥論者としては、言わせて貰おうと思う次第。

リアル:
ジーニアス英和には「①[通例限定]実在する、(想像でなく)現実の。 ②人工ではない、正真正銘の、本物。 ③真正の、心からの、いつわりのない、本当に大切な。④[限定](略式)「強意的に」まったくの(以下略)」とあった。恐らく、私は①か②のつもりで使っていたと思う。アメリカ人たちは“How are you doing, today?“と言われて”Thanks. I’ m doing real fine.“などと言う。これは“really”の誤りではないかと言った人がいたが、②の意味かも知れない。「リアル二刀流」は「正真正銘の」を意味していると思うが、realを使う必然性があるのだろうかと思う。

これがOxfordになると、私には良く解る説明になっていた。即ち先ず「実在の/想像上のものではない」とあって「1 実在するか現実に起こった事で想像上ではなく、その振りをしていない」から始まる。次は「真実/本物」とあって「2 本物であり、誤ったか事実に反する事でも人工的な事でもない(以下略)と出ている。

要するに、近頃テレビで使われている「リアルは英語の意味を正確に捉えて使われているようだ」と解ったのだった。ガリレオではないが「でも、カタカナ語を使う必然性はない」と言いたくなってしまうのだ。如何なものだろう。

メッセージ:
この他に最近政治家も頻繁に使うし報道にも良く現れるのが「メッセージ」である。例えば「誰それがそのようなメッセージを発信していた」とか「そのメッセージの意味する所は」という辺りが使われた例だと思う。私は「意図の表明」か「その表現が語っている事」の意味で使われているのかと思っていた。だが、矢張り何でカタカナ語を使うのかが理解できなかったし、余り使った経験もなく、同僚たちが使った記憶もなかった。そこで、矢張り調べてみた。

Oxfordには“1 a written or spoken piece of information, etc. that you send to ~ or leave for ~ when you cannot speak to them yourself”と出てくる。ジーニアス英和では「①・・・からの/・・・への伝言、伝達事項、(ご)用件(from /for, to)、手紙・電子メールなどの通信文」が最初に出てくる。どうもカタカナ語の意味する所とはしっくりこない。Oxfordの3には“「usually sing.」として “an important moral, social or political idea that a book, speech etc. is trying to communicate”が出ている。

だが、両方の辞書でもカタカナ語が意味する事は出ていない。察するに「メッセージ」を使いたい方の意図は、比喩的に使って「自分乃至は第三者が表現した事は斯く斯く然々である」と言いたいのだと思うようにした。ここでも、矢張りカタカナ語にする必然性を見いだせなかった。

イメージ:
お仕舞いにもう一つ意味が取りにくいカタカナ語の「イメージ」を挙げておきたい。これも良く解らなかった。これは「~のイメージが湧かない」であるとか「私の誰それさんのイメージは」とか「このようなイメージだっただが」のように使われている。日本語にすればどういう事かと、先ずジーニアス英和に訊いてみた。「①(・・・という)イメージ(as)、印象、表現;観念、概念;(心)心象」と出てきた。この辞書では「イメージ」は最早imageの事になっていた。

次はOxfordだ。“1 the information that a person or an organization or a product, etc. gives to the public”とあって、2には“a mental picture that you have of what ~ is like or looks like”とあった。私はこれがカタカナ語の「イメージ」が意味する所とほど同じだと思った。でも、まさか「イメージ」を使っている人たちがOxfordで確かめた訳でもあるまいと思っている。しかしながら、単語不勉強だった私は、思わぬところで勉強になったのだった。でも、私は imagineは使っていたが、imageを使えた記憶がないのが残念だ。