新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月28日 その3 他の患者の安全の為に

2021-04-28 13:51:25 | コラム
COVID-19感染者に対する偏見か:

週刊新潮に連載のコラムを持っておられる里見清一氏(医師)が「感染者を受け入れた病院に勤務しておられた看護師さんが結婚されて、地方に移住され妊娠されて産婦人科を訪れたところ、その勤務の経験があるという理由で散々意地悪をされた上で診療を拒否された。その目的は『他の患者さんの安全を期する為だった』そうだ」と指摘しておられた。私には「風評被害」を心配しての事もあるのかなと読めた。

最近聞いた話では「都内のある病院では感染者を受け入れるのに救急車ではなく、普通のワンボックスカーを使われ、患者の入り口も『こんなところから入るのか』という場所だったし、退院も一般の方というか通行人も気が付かないような所からだった」とあった。この話も上記の里見氏の指摘と同じで「他の患者の安全重視」があるのではないかと思う。要するに、福島県の方や産物に対する偏見が未だに消え去らないように、COVID-19(私は「コロナ」は言葉の誤用だから採らない)に対する恐怖感というか、抜きがたい偏見があるのだと思えてならない。

私はその偏見というか、視野の狭さというか、狭量さを非難する前に「何とも情けない情けない民度の低さだ」と嘆きたくなるのだ。私の物の見方は間違っているのだろうか。


4月28日 その2 外国で我が身の安全を守る方法

2021-04-28 09:09:30 | コラム
私の安全保障対策:

いきなり結論を言ってしまえば「外国では絶対に危険な場所には立ち入らないか、近寄らない事」になってしまう。だが、これでは身も蓋もないので、少し経験を交えて語って見ようと思う。

先ず手っ取り早いところでは「着る物にご注意」である。私が外国で採っていた身の安全保障策は衣類だった。昨日も一寸触れたが、アメリかではブランド物だろうと何だろうと、現地の価格と為替のお陰で、我が国で買うよりも遙かに割安で手に入るのだ。尤も、大きさの問題はあるが、概ねアメリカのSが我々にとってはMだと見ていて間違いではない。それだけではなく現地のセールの時期に当たれば、そこまで思い切るのかと驚くほど安くなっているので、更に格安で買いやすくなルのがアメリカ式セールだ。「アメリカを歩く時にはアメリカ物を着用して」なのである。

反対な事を言えば、私はアメリカでも何処ででも、町を歩いている日本人は直ちに見分けていた。それはこの「着ている物の問題」なのだ。言い方は悪いかも知れないが、我が同胞は海外を移動する際の「寛いだ普段着」の選択が野暮くさいし、細かい柄が入った地味な色の物を選んでおられる傾向があるからだ。対照的に白人たちは「無地で派手な色を好む」のである。区別しやすいのだ。故に、海外に出られる際には、この辺りに着目されると良いと思う。

そのアメリカ物(実際には、中国その他で作られた物ばかりだが)を着ている限り、現地人と看做されて窃盗団に襲われる危険性も、外国人と看做される確率が非常に低くなると思っていて良いだろう。私は20年以上ものアメリカ各地を渡り歩いていたが、一度も外国人と見られた事がなかったが、遺憾ながらチャイニーズアメリカンと見られた事は何度もあった。しかも、一言も英語を話していない状態での事。

話は変わるが、パック旅行でイタリアのフィレンツェの街中を歩いていた時の事。例のジプシー(今はRomanyと自称しているだそうだが)の子供たちの窃盗団が新聞紙で隠す方法で襲ってきたのだった。これは伝え聞いていた通りに、日本語で一喝して追い払う事が出来た。ここでの教訓は「矢張り群を為して行動するパック旅行団は、カモだと見られるようだ」という事。バルセロナでは俗に言う「ウエストポーチ」に身上ありったけを入れておられた高齢の女性が、自由行動になって数分でそのポーチを強奪された。「矢っ張りか」だった。

着衣という点ではこういう話がある。以前にイタリアに駐在した外務官僚が著した本に「兎角、危険だと見られているイタリアで安全を期そうと思えば、ローマでも何処でも日本から到着したと同時に市内の洋服屋に入って、現地の衣料品を調達して着替えるべし。悪者どもは着衣で判断するのだから、一目で日本人と解られるような服装は避ける事」と指摘しておられた。誠に以て尤もであると思う。私が海外でお洒落だと言われていたのは、実は安全策でもあったのである。換言すれば「如何にキャジュアル(カタカナ語は「カジュアル」だが)にお洒落をするかを身につけよ」である。

余談になるかも知れないが、海外では服装が問題だという例を挙げておこう。パリでのことだった。「セリーヌ」(Louis Ferdinand Celine)にブルックスブラザーズのジャンパーにチノパンで入ったら、店員に全く相手にされなかった。そこで、翌日にはラルフローレンのダブルブレストの濃紺のブレザー、チャコールグレーのパンツにアスコットマフラーの出で立ちで入って見たら、店員が即寄ってきて「何か御用は」と来た。これぞフランスであり、ヨーロッパだろうと痛感した。



私の小さな憂鬱

2021-04-28 08:21:22 | コラム
私は少し憂鬱な気分なのだ:

昨日、坂上忍が菅義偉総理大臣不信論を唱えた事を採り上げたが、私は何も坂上君に言って貰うまでもなく、最近の菅内閣と自民党の議員どものもたつき振りは、少しばかり気懸かりなのである。同時に、まさかとは思っているが、枝野幸男如きが(政権が近付いたかと?)ほくそ笑んでいるのではないかと、矢張りほんの少しばかり憂鬱になっているのだ。

その辺りについては畏メル友RS氏も「私も自民党にもっと褌を引き締めてもらいたいと願っています。」と指摘されていた。誠に尤もである。

私も言うなれば憂鬱にさせられている原因は、この一点に尽きると見ている。目に見える悪材料を挙げてみれば、総務省の接待問題や、河井克行夫妻、菅原一秀、三連敗の補欠選挙、ワクチン手配のとんでもない不手際、農水大臣の収賄等々の誰の目にも解る失態が多過ぎるのだ。そこに加えるに、オリンピックへの対処の生ぬるさも困った物ではないか。因みに、私の表現では「何でIOCの言いなりであり、バッハ会長如きに屈するのか。我が国の状況や立場を真っ向から主張すべし」である。

菅首相がこの儘に内閣と党内を締め直さずに進めば、悪夢の民主党内閣の再来が実現しないという保証がないような気さえするのだ。想像するだけでも悲しくも恐ろしいことで憂鬱にさせられるのだ。私はこれらの問題点だと看做す事柄の多くは、菅内閣誕生以前に発生している事を考える時に、お気の毒ではあると思う時もある。だが、菅義偉氏は自ら名乗りを上げて総理大臣になられたのだから、仮令前任者の負の遺産であっても、甘んじて整理整頓に乗り出して貰いたいと希望するものだ。

私は二階幹事長も菅首相と同様のと言うか、同程度の危機感をお持ちだと信じたいのだ。この国難の時にあって幹事長のお役目は「何百人もいる議員どもにお国の危機感を十分に認識させ、彼らが毅然たる行動を取って、自分の國を守り自分たちの地位と身分の危うさを意識させるか」だと思うのだ。例えば、菅原一秀のような心ない行動が、彼ら自身が内閣と党と、ひいてはお国の危機を招きかねないのだ。菅首相に切に望む事は「私の小さな憂鬱を最悪でも、小さいままに止めておいて下さる事」なのだ。言いたくはないが、我々に問題点があれば、それは「自民党を選んだ事」なのである。