新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月3日 その2 「母校」とは何を指して言うのか

2021-04-03 13:56:07 | コラム
ある国文学者の意見では:

先日採り上げた“何故「母校」としたのか”について、国文学者のKS教授から見解を聞かせて頂けたので、紹介してみようと思う。

>引用開始 
「母校」については「在学中の学校を指す場合もある」ということになっているようです。それはgooの辞書には「補説」として「現在学んでいる学校について言う事もある」とでています。
それから「学生時代」はschool daysの訳語に相当する適切な語がないため、このようなことになったのでしょう。Poetは、狭義には「詩人」ですが、文学者全般を指す場合もあります。

「学生」というのもstudentの訳語としては大学生以外も意味し、日本国内における「学術用語」としては「大学生」という意味になるようです。Wikipediaには「英連邦諸国では中学及び高等教育機関である専門学校や大学」に入学している者を指す」とあります。

ちなみにアルダ医学の副学長さんは、大手出版社で月刊誌と週刊誌の両方の編集長をやった方ですが、大学の学生さんについて語るときに、いつも「ウチの生徒は」といっています。厳密にいえばこれも「誤用」なのでしょうが、「学生」と「生徒」を総括するstudentにあたる語が日本語にはないため、こういう混乱が起こるのは仕方ないと私は考えています。

英語でwriter、仏語でecrivainといえば著述家全般指しますが、日本語の「作家」はもっぱら「小説を書く人」の意です。「ライター」というのは日本では「フリーランス・ライター」のことで、どの社にも所属せずジャーナリスティックな媒体に記事を書く存在をあらわしますから、文芸批評家とか在野の歴史学者とかは「ライター」とはいいません。

佐藤優は「作家」を称していて、彼は小説は書かないのでやや違和感がありますが、writer、ecrivain、日本語でいったら「物書き」に近いニュアンスでそう言っているのだと考えれば理解できます。

<引用終わる

母校よりも他の言葉の方が中心になってしまった感がなきにしもあらずだが、「へー、そういう辞書もあったのですか」と思わせて頂けた。KSさん、有り難う御座いました。


DX(デイジタルトランスフォーメイション)で仕事がなくなる時代

2021-04-03 09:16:54 | コラム
週刊新潮の「佐藤勝の頂上対決」より:

4月8日号に掲載された国立情報学研究所教授・新井紀子氏との「DXで仕事がなくなる時代をいかに生き抜くか」を、私の個人的な興味と関心を惹いた所を主にして読んでみた。興味の第一は新井教授の学歴だった。一橋大学法学部からイリノイ大学数学科卒。東京工業大学で博士号取得と紹介されていた。アメリかでは屡々見かける、要職にある人たちに見かける多岐にわたっている学歴だが、日本人には珍しいと思ったし、そういう方がどのような発言をするかに関心があった。この対談はややもすると佐藤氏が主力になる傾向が見えるので、その点にも関心があった。

ここから先は全体の話の進み方とは別に、既にお断りしてあるように個人的な興味と関心を惹いた事柄だけを上げていくが、新井教授は非常に良く我が国の企業の実態を見ておられるようだと思わせられた点が立派だと感じていた。対談の内容というかDX論に関心がおありの方は、週刊新潮をご購入の上ご一読を。

*我が国の会社について:
新井教授は「嘗ては日本の会社は3割の人が利潤を生んで、7割の人がサポートという名の定型処理をして回っていました。終身雇用神話もあった。でもこの7割をどうコストカットしていくかが、DXの目標の一つになります。」と語っておられた。私にとってはDXとは耳慣れない新語であり“digital transformation”がどうしてDXになったかも知らなかったし、何の事か詳しく知ろうと思う勇気もなかった。だが、この対談のお陰で「矢張り人員削減に繋がる大変な事のようだ」とも見えてきた。

新井教授は更に「ただ、いま企業の中のIT化は未だデイジタイゼーションにとどまっていて、デジタライゼーションには至っていないんですね。ここを混同する人が多いのですが、デイジタイゼーションは今までの業務を前提として、その業務をデイジタルにすることです。例えば、文書をPDFにしてタブレットで見られるようにするというものですね」と指摘しておられた。「なるほど」とは思うが、今の自分の状態で現在のビジネスの世界に飛び込まされたら、身動きも出来ないだろうとも痛感させられた。同年齢層の仲間で言い合った「良い時に引退したね」を思い出した。

*読解力も体力もない子供:
ここでの新井教授の指摘と言うか結論めいた事は「おうちでずっとゲームをして読解力も何もなければ体力もない、という子供たちは、これからはほんとうに難しいと思います」だった。「難関中学校に合格する子は、中学受験の時点で大人に匹敵する読解力を身につけています。」と更に語っておられた。読解力の点は解るが、私の興味を惹いたのは「ゲームをしていて」という事は、私が常々憂いて見せた小学校の児童たちがスマートフォンに熱中していることの弊害を語っておられたのだと解釈する事にした。その点から、私はスマートフォンを「現在考え得る最悪の開発商品」と看做している。

*資本主義と民主主義とDX:
ここで私が「そうだな」と感じた点は、新井教授の「これまでの人間のライフスパンの中では、一物一価になる期間が永かったわけですよ。でもこのインターネットの社会では価格ドットコムやアマゾンで比較したりすれば、誰もすぐに最安値がわかってしまう。つまり一物一価がものすごい速さでたっせいされていまいます。一昔前は商品について一般の方は知る方法がないから、商店街の電器屋さんから商品を買っていわけです。」と言っておられたが、この時代に置いて行かれた超後期高齢者の私も、アマゾン、即ちデイジタル化の恐ろしさの代表だくらいは認識している。

*小さく起業する:
ここでの新井教授の意見は「私が提案しているのは、起業です。大企業の一事業部は売上げ100億円くらいの規模でないと動きません。ですから数億から数十億円程度のニッチなところで起業する。起業のハードルはかつてないほど低くなっています。ネットさえ通じていれば、オフィスは自宅、会計と総務はソフトウエアに任せられる。できるだけデイジタルを活用することです。人件費を少なくして持続可能な形を作って、モノポリーの達成を目指す身の回りの不便を探せば、起業の種は案外見つかるものです。」だった。

確かに、アメリカのGAFAM等を見ていれば、当初はニッチどころか、そんなことが商売になるのかと思わせられていた事業が多かった。既に何度か採り上げたが、スターバックスは我が社の広大なカフェテリアの片隅に「苦いのが売り」の小さなコーヒースタンドだった。ところが、リタイアして6年後に訪れたシアトルでは、そのコーヒーショップのカフェラッテを自宅で作れる機械を、我が社の運輸部門の副社長夫人が並んで買っていたほどの超人気コーヒースタンド店に成長していた。マイクロソフトの成長ぶりも既に何度も採り上げた。

ここで全く個人的な関心事は新井教授が100億円という単位を上げておられた事だった。W社ジャパンの我が事業部の日本市場での売上高は(為替の変動でぶれるが)輸出価格ではなく国内価格で計算すれば優に150億円にも達する年があった。それを総務・経理は本社任せだったにもせよ、私と秘書さんの2人でこなせていたと言う実態は「現在の企業の単位以上になっていた」と言っても良いような事ではないか。私の自慢話をしようと言うのではない。アメリカ式事業形態では利益が挙がる訳だと、回顧しているのだ。

*カタカナ表記:
私は“digital”を「デジタル」と表記するのは、元の英語の発音から見れば不正確であると最も嫌っている表記なので、より原語に近いと信じる「デイジタル」としている。宜しくご理解の程を。