新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月24日 その2 振替休日に大久保通りを歩けば

2018-12-24 15:33:35 | コラム
女性で大賑わいのNew Koreatown:

先ずお断りしておけば、“New Koreatown”は私の造語である。一時は寂れていたKoreatownが「~ドッグ」と彼らが銘打った「アメリカン・ドッグ」のもじりのような串刺しにして揚げたのであろう粉ものに、チーズやトマトケチャップ風の色々なトッピングとでもいえば良いようなものまぶしたスナック菓子を食べに長蛇の列をなす若い女性たちで、振替休日の本24日の午後1時頃には大久保通りは本当に歩行もままならない大混雑だったのだ。即ち、2~3年前までの業態から大きく変化して婦女子目当ての街と化したので“New”を冠したまでである。

私に言わせて貰えば、少し前までは慰安婦問題、近くは「戦中の朝鮮人労務者への不当な賠償判決」、極く新しい事案では「自衛隊機へのレーザー照射」と誠に怪しからん所業を繰り返す韓国に、恩恵(英語にしたら“favor”か)などを与える必要など皆無だとなる。だが、婦女子は群がるのである。JR新大久保駅の改札口周辺は乗降客の大集団が押し合いへし合いで動きが取れないように見えた。あの有様では来年の春頃に完成という駅舎の改造の完成こそが焦眉の急ではないのか。

本24日は亡父の81回目の祥月命日で、寒風の中を巣鴨の染井霊園まで出掛けたのだった。巣鴨駅も丁度高岩寺のとげぬき地蔵さんの「四の日」の縁日だったので、ここもまたかなりの混雑だった。駅から寒風吹きすさぶ霊園まで20分は歩いただろうか、無事に墓参を終えて折角こまで来たのだからと地蔵通りに行ってみた。ここでも高齢者の集団で大混雑だった。でも、何とか洋品店の「マルジ」で防寒用の厚手の靴下を買い求めて、帰路はシルバーパス利用の都営地下鉄を利用した。そして、上記の大久保通りを歩いて帰宅する結果となったのだった。

その大久保通りに出る前には大江戸線の東新宿駅から職安通りを通ってから、ドンキホーテのところから路地を抜けるのだ。ところが、以前はその路地は韓国料理の小規模な食堂が多かったのだが、そのほとんどが「~ドッグ」の専門店に衣替えしている有様で、ここでも若い女性たちの流れに逆らって歩くしかなかった。不思議だなと思ったことは、あれほど韓国の食べ物屋が流行っていても、何処に行っても先ず韓国語が聞こえてこないのだった。すると、あの商いをやっているのは在日韓国人かと考えさせられた。

本日も職安通りでも大久保通りでも、その混雑の中を大きな音を立ててトローリーケース(カタカナ語では「キャリーバッグ」である、念の為)を引き摺って移動する集団に何組か出会った。彼らが何処の国から来たのかまたは帰るのか知らないが、どう見ても買い物に来た観光客とは見えなかった。観光でも買い物でもなかったら、彼らは如何なる目的で日本に来たのだろう。だが、ドンキホーテの免税のレジではカップ麺を買い物カゴにして3杯分も買い求めていた者もいた。如何なる目的の買い物なのだろうか。

私が言いたいことは「政府は観光客が3,000万人超も来たと喜んでいるが、中には何が目的てやって来たのかと訝らせてくれる者たちがここ新宿区の百人町/大久保界隈には溢れているのだ。その手の来日者が増えたことがそれほど有り難いことか感激すべき事なのか、閣僚も国会議員も関連する諸々の官庁の役人たちには是非ともこの地区を視察してから検討して貰いたいものだ」なのである。先日は矢張りドンキホーテで¥148/リッターの牛乳をカゴ一杯買っていた異邦人がいた。兎に角、この周辺は異様な外国人が多いのだ。


英語とその教育論

2018-12-24 09:10:22 | コラム
私が考える英語とは:

私が何時も残念に思っていることは、私が唱える英語とその教育に関する議論に対して賛同して下さる方が少ないことだ。嘗て14年8月に週刊新潮の9月4日号には成毛真氏の優れた英語論があったのでその成毛氏の説を力にして論じたことがあった。そこでその当時の駄文に加筆・訂正してみようと思い立った次第だ。

元の日本マイクロソフト社長・成毛真氏の週刊新潮の連載のコラム「逆張りの思考」の書き出しは

日本人の9割には英語は要らないというのが私の持論だ。どれだけ一生懸命に英会話を身に付けても、ほとんどの人にとっては外国人と話すことはないからだ」

と指摘しておられた。私は9割以上賛成である。10割としないのは我が国の学校教育の英語では会話というか“How to express oneself in English.“の能力はほとんど身に付かないが、執拗に単語を覚え去る教育を異常なほど推進しておられるので、その成果だろうか多くの方々が非常に高い読解力を備えておられる現象があるので、その点を評価して日本式英語教育の長所であると認めているのだ。

私は以前にも「日本人に英語力を身に付けることは不要であるし、目的と意味が不明な英会話の勉強などは全く無意味だ」と主張してきた。そして「W社リタイヤー後15年も経ったが、その間に有り余る英語力を抱えていても、街で外国人に道を尋ねられたことは3回だけ。私は外国人たちからは英語を理解できない顔付きに見えるらしい」と書いて、この繰り言に賛成して下さった方もおられた。因みに、今年でリタイヤー後24年を経たが「3回」は変わっていないのだから恐ろしい。

私はこれまでに何度も何度も「外国人に道を尋ねられて答えられずに恥ずかしい思いをした。何とかして英会話の力を付けたい」という感想や反省文を読み且つ聞いたことがあった。私は率直に言えば「我が国の学校で英語を学んだ以上、外国人を相手にして意思の疎通が出来なかったことを悔やむ必要などない。そもそもそういう目的で英語を教えていないとまで言われた高校の英語教師がおられるのだから」話せないのは当たり前だと認識している。

因みに、旧知の某有名私立大学の社会学の某教授はベルリッツなどで会話の勉強をされた経験がおありでも、UKに出張された後に「道を尋ねるとか買い物が出来ることが英語力ではないと痛感した」と述懐された。私は誠にその通りであると思って承った。要するに上記の“I know how to express myself in English.”とは「自由に自分の思うところを英語にして表現出来きる能力があって、初めて1人乃至は複数の人と会話が楽しめる」のであるという意味なのだ。買い物程度がが出来ることとは次元が違う。

上記の週刊新潮は48頁に“小学校3年からの「英語教育」で英語も国語もダメになる”との特集を掲載しているが、この内容も私の年来の主張とほぼ同じで、気分爽快な思いで一気に読み終えた。英語教育改革の少数派である私の「英語勉強法」をお読み頂いた方もおられると希望的な思いはあるが、私は中学校1年からと言うか、ある程度以上の国語の力がついてから、英語を勉強し始めても決して遅くないと主張し続けて来た。現実に、私が敵性語だった英語を初めて見たり聞いたりしたのは中学に入学した昭和20年だったが、それでも立派に間に合っていた。

私は長年英語の確実な勉強法としての音読と暗記と暗唱の必要性を強硬に論じてきた。単語帳無用論も、英文和訳無用論も指摘してきた。英作文が最も端的に実力が判明するとも指摘して来た。更にはNative speakerに依存することの危険性も唱え続けてきた。TOEICやTOEFLの重用も批判し続けた。ここまでに対して大方の不賛同を得てきたことを誇りにすら思っている。週刊新潮の特集記事もこれらの主張とほぼ同じだと都合良く?解釈している。

まして「社内の公用語を英語に」などは論評にも値しないと思っている。その意味は「我が国の学校教育で教えられた科学としての英語で如何に流暢に自己表現できて他者のいうことが理解できても、それはそこまでのことであって、科学としてお英語とは全く異なる(あるいは「似て非なる」“English”による“How to express myself in English.”への道には通じていないからだ。

私は寧ろ今回の週刊新潮の記事などは遅きに失したとすら思っている。これまでの我が国の「科学としての英語」を教え込んだ単語や妙に文法に執着したやり方の輝かしくない成果を、実際のビジネスの世界で20年以上も見聞というか経験してきたことから言っているのである。私の周囲におられる改革論者の先生方が、この記事で少しでも勢いをつけて下されば良いのだがとすら願っている。

その先生方の1人が私の英語を「支配階層の英語だ」と評された。その通りだと思う。W社とはそういう極めて少ないアメリカの指導者層の人たちが集う世界だったのだ。その点を衝かれたこの先生のご意見の意味は深いものがある。日本語でも育ちというか所属する集団によっても異なってくるものがあれば、方言も訛もある。そういう違いが英語にも当然のようにあるのだ。即ち、どの階層というか集団の英語を以て標準とするかが解らない方が「教えるべき、学ぶべき英語」を決めてはならないのだと思う。

より解りやすく言えば、UKにも階層があれば好ましくない訛も方言もある。英連邦を尊敬する余りにオーストラリアやニュージーランドの訛を真似て良いとは言えまい。ここに指摘した英連合王国独特にアクセントや訛りを聞き分けて指摘できない方が英語を教えるべきではないと言いたいのだ。ところで、アメリカにも東海岸独特のアクセントもあれば、南部訛を貶す人たちもいるのは確かだ。だが、どれが南部訛かを聞き分けることを我が国の学校教えてくれるのだろうか。あり得ないのではないか。

私は一度ここ新宿の路上で英会話学校の教師になるために来たと嬉しそうに言った若いアメリカ人に「貴方は外国人に英語を教える資格を取得してきたのか。何処かでその方法を学んできたのか」と尋ねたことがあった。彼は「資格もなく経験もない」と言うので「それではほとんど犯罪的である。直ちに荷物を再度纏めて帰国せよ」と決め付けたら目を白黒させたことがあった。手柄話をしているのではない。Native speaker何てこの程度だということを認識して貰いたいから言うのだ。

彼には「日本人が英語を学ぶ際に何処でどの辺りで最も悩み苦しむのか承知しているか」とも質問したが、答えられなかった。私は39歳で初めてアメリカの本社に行った際に、機内で知り合ったアメリカ人にサンフランシスコの空港で乗り継ぎの便を待つ間に”I’ll buy you a drink.“と誘われて、何のことか理解できるまでに数秒を要した。「それは一杯おごるよ」だった。

また、初めて訪れたM社本社のマネージャーの秘書の方がコーヒーを出してくれる時に "How do you take it?" と尋ねられて「カップから飲むに決まっているではないか。何という質問か」と悩んだ。これは「砂糖とクリームが要るか」という意味だった。アメリかでは「コーヒーにミルクは入れないで、クリームを入れる」ということもこの時に学んだのだった。

アメリカ人にはこんな簡単な事でも当惑する日本人がいるとはに解らない者たちは多いと思っている。その人たちにどうやって日本人に「「科学としての英語」と“English”との違いを弁えて会話を教えるのかも知れないのだ。私はnative speakerとはこんな程度だと認識していた方が良いと思っている。反対に「貴方は日本とアメリカの違いを心得て、アメリカ人に日本語の会話を教えられる自信がありますか」と伺って見たいのだ。

話が本題を逸れたが、英語とは何であるかの基礎を固めてから、各人の希望や目的によって進むべき方向を目指せるように英語を教えるべきであり、万人がペラペラになって道を教えられるようにしても、成毛氏が指摘されたように使い道がないだろう。週刊新潮が指摘したように、小学校から教えては英語嫌いをその段階から養成するような結果に終わるのではないかと真剣に危惧する次第だ。