新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月7日 その2 再び読売巨人軍を笑う

2018-12-07 13:32:34 | コラム
3日(月)に「この会社にとっては補強とはFA宣言した即戦力(?)を獲得すること」と言ったばかり:

この時には「読売巨人軍の社長さんが『未だ(大型)補強は終わっていない』と言っていると述べておいた。すると、原監督の強い意向か何か知らないが、18年のシーズンにはシアトル・マリナーズで登板がなかった岩隈を取ると発表したのだった。こう言うのを「大型補強」と言うべきかどうか知らないが、多くのマスコミと週刊誌が私の批判から遅れること約5日で、その無定見な(失礼)補強振り皮肉り始めた。今週の週刊誌と言うことは、取材はとっくに終わっていたのだろう。

原監督はこまでの大型高齢者補強で19年のシーズンに優勝される意気込みだろうとはお察しするが、丸君は兎も角MLBでホームランを20本くらい打った者を買ってきても、投球術の文化がまるで違う我が国の精密な野球の中に入って打てるか否かは疑問だ。それは1年前の中日でホームラン王だったゲレーロを獲ってきた如何なる無残な結果が出たかでも解るのではないか。細かい制球力で打者の欠陥をつく我が国の野球にどれほど短時間で調整というか同化できるかが問題だろう。ま、御代は見てのお帰りだ。

来年のことを言うのは鬼を笑わせるだけだそうだからこの辺で辞めるが、原辰徳さんには「ソフトバンクや広島のように無名の若手を獲ってきて育て上げる気はおありか」と、改めて伺ってみたい。

カタカナ語と英語の関連性の考察

2018-12-07 08:11:40 | コラム
カタカナ語は英語の勉強に悪い影響を与えていないか:

私がここで採り上げたいことは何かといえば「英語」と言うよりも、私が日頃から批判してきた「学校教育における科学としての英語」または”English”と表現する方が適確かも知れない。

私の持論は「英語の勉強だけではなく自国語であろうとなんだろうと『耳から入ってくる言葉の影響が最も大きく且つ効果があることが多い』と固く信じている」というものである。ところが、何事につけても「全ての硬貨には両面がある」ので、耳から入ってくるだけで学習効果があるが、効果はそれだけに止まらず日常的にテレビ等から流れてくるものと、新聞や雑誌で読まされているカタカナ語は受け手というか視聴者や読者に悪影響を与えるものなのである。

私の主張は「かかるカタカナ語の氾濫と濫用が我が国における正しい”English”の学習の仕方と実力の向上乃至は改善に好ましくない影響を与えている」というものだ。私が特に遺憾に思っていることは「自分が思うこと自国語=日本語での表現力の成長を妨げているだけではなく、英語で自分の思うことが言えなくなってしまうことにもなっている」点なのであると考えている。

テレビで多用されるカタカナ語:
ここから思い付くものを挙げることから入っていこう。下記をご参照願いたい。
トラブル、シンプル、オープンするかさせる(応用編にリニューアル・オープンやグランド・オープンがある)、コンパクト、パワー、パワハラ、コラボ、タッグ、プライベート、スタッフ、キャプテンシー、スリッピー、ゲットする、チョイスする、ジューシー、フルーテイー、クリーミー、スパイシー、プラ-べーと・ブランド(PB)、バトンタッチ等々枚挙に暇がない。

私は「こういう言葉を使うことを止めよと言わないし、使うことは勝手だが、本当の英語ではこのような言葉の使い方はないと認識した上で使って欲しい」と繰り返し指摘してきた。さらにカタカナ語の代わりに本当の英語(“English”でも良いか)ではどういう言葉が使われるかも述べてきた。そして、こういう言葉を使うと、我々の国語での思考力と表現力が弱まる危険性があることも繰り返し指摘してきた。故に、本稿では上記のカタカナ語を英語にすればどうなるかの解説はしない。

カタカナ語の表記の難しさ:
この点は、先日”security”と”fury”を挙げてジーニアス英和とOxfordの間に存在していた発音記号に混乱とでも言いたい違いがあったことも指摘した。私はこの違いを見て、我が国で最初にカタカナ表記をした人(会社というか法人も入るか)がどのような基準で大胆にもカタカナを使ったのかが解らなくなってきた。即ち、私はこれまでにこういう表記をする人は英和辞典も英英辞典も参照していないのだと推定してきた。いや、学校で正しい発音を教えられてこなかった気の毒な方々だとすら考えている。

私は彼等がただ単に素直に英語の言葉を見て「ローマ字読み」をしていただけか間違った表記をしただけで、それ以上でも以下でもなかったのだろうと思い込んでいた。要するに我が国の学校教育における英語の教え方の欠陥が出ただけだと見ている。

そこに何気なく聞いたテレビのCMで、恐らく何とか言うデイズニーのアニメ(これだってカタカナ語だ)の主題歌(なのだろう)を松田聖子と松たか子が歌っていて、”I will follow you .”を「フォロー」と言っていたのを聞いた。これは「ローマ字読み」で、正確な英語の発音ではない。英語で歌うのならば「ファロウ」か「ファーロウ」となるべきだ。彼女らは学校で”O”は「オ」と読むとしか教えられていなかったのか、早い時点で親しんだローマ字読みをしているので、罪はないと解釈しては置くがね。

学校教育の問題点:
同様な例に”holiday”がある。これは我が国では躊躇うことなく「ホリデイ」とカタカナ表記され、且つ発音されている。だが、ジーニアスでもOxfordでも「ハラディ」であり、USA式では「ハーラディ」に近い記号が出ている。話しを”follow”に戻せば「ファロー」と「ファーロー」である。細かい揚げ足をとるなと言いたい向きもあるだろうが、私にはそんな考えなどなく「如何なる根拠があってこういうカタカナ表記にしたのか」という疑問があるだけだ。

私自身でこの疑問に答えれば「彼女らと一般に我が国の学校で英語を教えておられる先生方、特に中学で”O”は「オ」と読めて教えているだけのことで、一般の生徒と同様に素直に従っているだけではないのだろうか」である。念のために付け加えておけば、「フォロー」だろうと「ファロウ」だろうと「ホリデー」だろうと、恐らく我が国で最も関心が高いという気がする「外国人に通じるのか」という点では問題ないだろうということ。だが、経験上も言えるが、「中にはカタカナ語式の発音を理解してくれないアメリカ人はいる」のである。

自説を曲げるかの如きことを言えば「実際にはフォローでもファーロウでどちらでも良いのであり、自分が思うことと言いたいことを正確に、文法を間違えることなく表現出来る力を養うのが肝心なことなのである」となってしまうのだ。だが、発音が正確であるのに超したことはいのは言うまでもない。

私が言いたいことは「だからと言って、おかしなカタカナ語を作って普及させて良いものなのか。いや、良くはない」という点と「学校教育では正しい正しくない発音を教える事も良くないは当然であるが、UK式とUSA式の違いを教える事を何故しないのか」なのだ。同時に何処かの官庁と英語教師の方々の中には「未だに『アメリカ語は下品』で『クイーンズ・イングリッシュが最高』と思い込んでいるんで教えておられる方が多いのではないか」と本気で疑っている。

私は学校教育では何処かの時点で少なくとも「UKとUSAの英語の間には明らかな違いがあること」を明確に教えるべきだと思っている。私はどちらが上品であるとか、格が上とか下という違いはないと信じている。国が違えば言葉だって変わるのだ。アメリカのアッパーミドルの人たちの自国語に対する厳格さなどは、その環境の中に入ってみなければ知り得ないだろうと、私はこれまでに何度も指摘して来た。。UKにもLondon Cockneyのようなある一定の階層以下で使われているアクセントだったあると知るべきだ。